2017年10月31日
クルマで音楽を楽しむために
大変長文でっせ(笑)
クルマで音楽を楽しむためには、種々雑多な知識が必要ですよね
もう、沢山すぎて脳ミソが溶け出してしまいそうです。
★あそこのスピーカーの周波数特性は、こっちの銘柄と比べてどうか~とか
★このアンプの美味しいところは~とか
★はたまた、ケ―ブルはこんな材料使ってるのがいい~とか
★デッドニングはやる、やらない、それが悪だかどうのこうの~とか
★音源は録音状態の良いモノに限る~とか
★多連装スピーカー群を、EQTA調整機能などを最大限駆使して自画自賛しながら、ビタっと合った…わずか1ミリ2ミリの世界を追い込む儂のスキルスバラシイ…とか。
とか、
とか、
とか…とか…
枚挙にいとまがありません
また、ある場合はカ―にホ―ムの、機材ではなく「思想」を持ち込んでみたり?
ちょい!ちょい!ちょい!ちょい!!
いやいや、分けて考えてくださいよ(笑)
機材はOKですよ。良いモノ五万とありますからね。ただ、「思想」となると話が変わってきます。
大義名分
「クルマ」で「音楽」を楽しむ
んですよ?話題すりかえちゃダメですよ?
行けども行けども辿り着きなどしません。完成別フィールドです。
わざと小難しく、回りくどく、ぐちゃぐちゃにかき混ぜて、それこそ種々雑多、無理くり…いや、「果敢に」(の方が妥当かな)こじつけ美化し、独自の悟りを開いるだけに過ぎませぬ。「果敢」に美化するから、不毛な論争ばかり気になってしまうのです。
デジアナ善悪
音と音楽の善悪
デッドニング善悪
歌と曲と、楽曲善悪
インナー、アウターバッフル善悪
※※※楽曲なんてプロ誰でも言いますので(笑)そこに商が発生するかしないかで言い方など幾らでも変わるんですよ。そこに夢やロマンなどありゃしまへん※※※
枚挙に?
いや、もはや枚挙の範疇超えてるな。
「理論や思想が糞の蓋の役にも立たない」
これは、僕の長年の口癖ではありますが、「要」(かなめ)となる理論や思想について物思いにふける行為は、決してやぶさかにはしません。
酒を呑めない僕なので、夏は冷たいソーダ水を片手に、冬は熱くしたホットココアをマグカップに。
したがって、「要」(かなめ)以外の理論や思想は糞の蓋の役に立ちません。そんなに物事考えている暇はないのでね。ソーダ水はぬるくなるわ、ココアは冷めるわで。
クルマで音楽を楽しむための「要」(かなめ)とは?
「要」(かなめ)が分かってくると、数万倍、いやいや、数億倍カーオーディオが楽しく、親しみやすい遊びになってくると思いますよ。
倍の倍の倍~です。
倍々チャンスです。
※※※※※※※※※※クルマ(リスニングルーム)に使われている材料を知りましょう。材を知って、その材の特性を深く理解しましょう※※※※※※※※※※
これだけ(笑)
超簡単
「要」(かなめ)終了
果敢な論争やこじつけ悟りの境地ナシ
勝手に腑に落ちて敵前逃亡する必要ナシ
一流の料理人は、食材に最大の敬意をはらい、その材を、バックグラウンドを、まず「知ろう」と努力します。産地、天候、生産者のこだわり、などなど…
そこへ、己の成せる技の全てを持って、最高の一皿を作り出すのです。
一流のキャバクラ嬢は、まずお客様のことを知ることに心血を注ぎます。口振り、表情、仕草、目の動き、これを踏まえて、小さな小さな、しかし効果の高いジャブを打つ。打ち続ける。決して攻撃を仕掛けず、買うか買わない、太客になるかならないかを「知る」ことに徹するのです。
クルマで音楽を楽しむこともおんなじ。
物量投資する「場所」はどこですか?他ならぬクルマですよね。
じゃあまずは、場所=クルマのことをよく知ってください。材料をよく知ってください。特性を尚、知ってください。
言わずもがな「クルマ」という「楽器」が最悪劣悪であるという主張は、クルマという構造物が何たるかを全く「知らない」所以である
「無知の知」という言葉がある。
知らないということを知るということは、うんたらかんたら…という、あちらの国の昔の人の偉い教えだが、ちょっと付け足して、僕なりの解釈をすると次のようになる。
「無知の無知」
(知らないということさえ、知らない)のだ。いや、回りくどいな。「知ろうとしない」で、ここは落としておこう。
いささか独走毒素が強く長すぎた
今日は天気がよい
雲がひとつもない
この秋空のようにどこまでも雄大で
かつ、秋と冬の交差点、一隅を照らすような
オーケストラなどを楽しんでみようではないか
材を知り尽くしたクルマで
世界は広すぎるほど、広いのだ
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Posted at
2017/11/01 13:41:48
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