• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

二階堂卓也のブログ一覧

2015年06月15日 イイね!

Le Mans 2015 porsche

Le Mans 2015 porsche


と以前、どなたかが仰っておられたのを記憶しておりますが

自動車レース
とりわけ世界の自動車メーカーが威信をかけて戦う
Le Mans 24時間レースにおいては

「2位じゃダメです。」



昔、とある世界的な日本人マラソン・ランナーが
「2位もドベも一緒」と言い放ちましたが
当時、自分も全くもって正しいと思いました。






























































Le Mans復帰わずか2年でワンツー・フィニッシュ❗️❗️❗️
Le Mansを知り尽くしたメーカー
ポルシェ。

おめでとう御座います。

1位に拘る「執念」
見事というより他ありませんでした。








Posted at 2015/06/15 03:50:23 | コメント(4) | トラックバック(0)
2015年05月23日 イイね!

ジェームスとロータス59

ジェームスとロータス59


映画 「Rush」を観てからかなりの時間が経ちました。

映画には私が好きなクルマ達が沢山登場します。

マイ・アイドル である ジェームス・ハントが操るレーシングカー、F3
ロータス59も、そうしたクルマの一台です。
劇中でもラウダとの初バトル・シーンは圧巻で、強烈な印象が
脳裏に深く刻み付けられました。

ノーズがイカすんだよなぁ。。
(´-`).。oO(

今回の映画化に辺り制作された、ジェームス・ハントやラウダ関連の幾つかのドキュメンタリーに目を通しました。

自分が以前から所有している、ハントやラウダ関連のビデオ(そろそろ死語ですか?)やDVD、書籍もそれなりに貴重なものですが

新たに公開されたドキュメンタリーの殆どが
今まで見たこともなかった貴重な映像のオンパレード!!
しかも、画質良好で内容の濃い優れものばかり。
往年のファンとしては映画を監督したロン・ハワードに感謝の気持ちで一杯です。
m(_ _)m

んで、阿保ですねオレ。
やっぱり、ここはチャンスとばかりに
YouTubeを漁って70年代のF1関連の動画を発掘していたら
出るわ出るわ、貴重な映像が(笑)

一体、こんな映像が何処に眠ってたんだよと 若干の怒りが沸いてくるレベルのお宝ばかり。

キリがないので保存はしてませんが
そんな中 「REAL ジェームス・ハント」
という海外のドキュメンタリー番組を見つけました。

この内容がなかなか凄いんで、一応貼って置きます。
これだけは保存しておいてもいいかなと思える内容です。













このドキュメンタリーは、映画の中のハントしか知らない方にとっては
ちょっと内容が刺激的過ぎますね。

ハントがコース・マーシャルをノックアウトするシーン。

ジーンズを履いたハントが
高級なクラブに入ろうとして、それを拒まれると
用心棒をド突いてしまい、3人がかりで取り押さえられてしまう、防犯カメラの映像。

日本の地上波的には
完全にアウトです。
(´・_・`)


所謂、勝新や梶原一騎的な
今の時代の価値観では完全にアウトな人だというのがよく分かります。

晩年、生活に困り クルマを売り払って
自転車に乗りかえるエピソードがでてきますが、F1の元世界チャンピオンがチャリンコ乗りになってしまったなんて
ハントらしいと言えばハントらしいエピソードです。
気ままなその日暮らし、自由奔放な彼の人生を象徴しています。
こんなF1世界チャンピオンは
おそらく、最初で最後。
二度と出てこないでしょう。

そういう、エキセントリックなとこを含めて、自分はハントが大好きです。
そばにいる人は大変だったでしょう。
僕は遠くから見ていたい派です。
_φ(・_・

セキセイ・インコの熱心なブリーダーってのも、全くもって意味不明です(爆)

大酒飲みで、大のプレイボーイが
インコのブリーダー。(笑)
ψ(`∇´)ψ

インコに注ぐ愛を、少しはコース・マーシャルに注いであげられなかったのかと。。

絶対に予定調和にならない男。
それがジェームス・ハントです。

んで、このドキュメンタリーで特に面白かったのは
当時のフォーミュラ・フォードの貴重な車載動画が見れたことです。






































所謂、「ハント・ザ・シャント」
ハントが壊し屋だったのは、この頃です。

フォーミュラ・フォード時代が一番激しかったらしく
その後、F3のロータス59を経て
F1ドライバーとなる頃には
勿論、壊し屋は卒業しています。























映画ではスルーされていた
フォーミュラ・フォード時代
この動画は痺れましたねーー。
( ´Д`)y━・~~

フォーミュラ欲しいなー。
ロータス59欲しいなー。
邪まな気持ちがムクムクと。
ψ(`∇´)ψ


どっかで売りに出てないかなぁと
インターネッツで検索してみると










あるじゃないですか。

普通に。

ゴールドリーフ・カラーのロータス59。
(´・Д・)













かっちょええーーーーー。
*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
























エンジンはロータス所縁のコスワース。

コスワースの会社設立の経緯ですが

元々はチャップマンが
ロータスのエンジニアであった
キース・ダックワース
マイク・コスティン
この2人に白羽の矢を立て、フォードから資金を調達して
軽量コンパクトなレーシング・エンジンの開発をするために作らせた会社です。
ロータスが作らせた会社みたいなもんです。

ロータス49の成功は
コスワース・エンジンによるところが大きいですし
もっと言うならマクラーレンM23も
コスワースのコンパクトなエンジンがなければ、フェラーリ312T2に対抗はできなかったでしょう。




















1970 Lotus 59
ex Team Lotus Works Car, used in Ron Howard's "Rush"

Summary
Year of manufacture
1970
Mileage
123 km / 77 mi
Car type
Single seater
Chassis number
59/F3/28
Competition car
Yes
FIA Papers
Yes
Drive
LHD
Condition
Restored
Interior colour
Black
Number of seats
2
Location

Exterior colour
Red
Gearbox
Manual
Drivetrain
2wd

Fuel type
Petrol

ありゃりゃりゃ!!!!!!!
(@_@)

これって、Rushの映画で使われた車両
そのものじゃーーーーーー。
!(◎_◎;)

どえらいもんが売りに出てますなー。

ええなー。
かっちょええなー。
わしゃ、こがなクルマがええ 思うとったんじゃ。


おっ、嫁が雑誌読んでくつろいでる。
( ̄ー ̄)
チャンスかも。


オレ「あのさー。俺のロータスは12年も乗って、ちょっとガタついてきてるんだよねー。」(全くの嘘です。アルミのバスタブ・モノコック頑強です。)

嫁「あ、そーーなのーー。」(全く、関心なし)

オレ「オレのロータスって 正式な名称はロータス 111って言うんだわ。 ロータスが111番目に作ったクルマって意味」

嫁「それが、どしたの?」

オレ「今さぁ、ロータス 59ってクルマが売りに出てるんだけど。。ロータスが59番目に作ったクルマ。」

嫁「それ、通勤に使えるの?」

オレ「どうかなぁー。多分、大丈夫じゃないかなぁー。」

オレ「ダウン・サイジングっていうの? 今のエリーゼより軽量コンパクトで 環境にも優しいんじゃないかなぁ。軽いと ブレーキも長持ちするし、タイヤも減らないし エコなクルマつーのかなー。」

嫁「写真見せてよ」

オレ「写真? 見る?? あっ、やっぱり見たいよねー。うんうん」

嫁「いいから、取り敢えず写真みせて」

オレ「これです。」

嫁「・・・・・。」

















すいませんでしたぁぁぁぁぁぁ
_| ̄|○

!(◎_◎;)ヤバイ

囧rz ほんと怒ってはる。。


いつか、爺さんになったら
購入してヒストリック・レースとか出てみたいなー。
ϵ( 'Θ' )϶


後日、購入許可がおりたのはこれでした。





大切にします。
もう二度と発売されることはないでしょうから。

Posted at 2015/05/24 02:51:54 | コメント(6) | トラックバック(0)
2015年05月20日 イイね!

964 カップカー その6

964 カップカー その6




YouTubeをダラダラみていたら
偶然、貴重な964カップカー情報を見つけました。

日本で911(964)カップカーによるカレラ・カップ・レースが始まったのは
1992年ですが、言い出しっぺは
中谷さんだそうです。
(´・Д・)」

動画で御本人が語られているので
間違いないでしょう。

さらに、このカップレースのマネージメントを務めたのは
当時、中谷さんが所属していた会社
ニュー・パシフィックとのこと。



動画で中谷さんのコメントが確認できます。

色々、雑誌で調べてみると
参加車両は10数台で
1992年、1993年、1994年の3年間
開催されたようです。

1994年には993のカップカーも参加したようですが
どうやら、当時の日本の経済状況
つまりバブル崩壊直後ということで
存続が難しく
1994年を最後に暫く カレラ・カップは
開催見送りとなったようです。





動画中に中谷さんの964RSに対してのコメントもありますが

皆さんご存知のとおり
アルミの部分はボンネットだけで

それ以外のドアやフェンダーは
スチールのはずです。

これはカップ・カーも同様です。






Posted at 2015/05/20 02:00:52 | コメント(2) | トラックバック(0)
2015年03月17日 イイね!

964 カップカー その5

964 カップカー その5


前回から大分空きましたが
このシリーズ
まだ続くみたいです。
(´・Д・)


今回はカップカーのステアリング・リペアのお話です。

964カップカーのステアリングは非常に珍しく
オリジナルでなくても、なかなか手に入り難いレアなアイテムです。

昨年暮れ、ヤフオクで出品されていた中古のブツを
ついついポチッてしまいました。







momoの文字が何故かmのみブラック・アウトされているモデルです。
なかなか遊び心があってありだと思います。
( ̄ー ̄)ムフフフフ

トップのイエローはありのタイプです。
一番重要な(笑)ポルシェのロゴはあります。

んで、よく見て頂きますと
スエード部分がガビガビになっております。
(; ̄ェ ̄)

スエードの中古のステアリングを手に入れたら
十中八九、この状態です。
これ非常にテンション下がります。
(−_−;)


さてどうしたもんだろうかと
先ずは東京、大阪の某有名クルマ関連
革製品リペア・ショップに電話です。


とある東京のショップさんがおっしゃるには
「レストアではないので、勘違いしないで下さい。古いスエードも剥がさず、そのまま上から貼るだけです。握りが太くなっても覚悟して下さい。(うっさい客だなー。仕事受けたくねーんだよ)

私「・・・・・」
( ゚д゚)

カッコ内の文言は、恐らく相手様が、この様な心情ではなかったであろうかと
僭越ながら、私が考察した次第です。
あくまで、私的な考察ですから誤解なきようお願い致します。

でも、何であんなにイラついてたんだろう。。
|( ̄3 ̄)|
この手の仕事でトラブった経験があるのかなぁ。。
(´-`).。oO(


とある大阪のショップさんがおっしゃっるには
「今、商品を手にとって確認しましたが リペアはおすすめしません。
このスエードは物凄い強力な接着剤でウレタン地に貼り付いているため、無理に剥がそうとすると ウレタンが所々剥がれてきて ボコボコのクレーター状になりますから、そこをいくらパテ埋めしても美しい仕上がりになりません。
以前、剥がした経験があるから分かります。
このまま使うか、上から貼り替えるしかありません。 剥がせと言われればやりますが、プロとしてオススメしません」

私「丁寧にありがとうございます。今回はリペアを見送りますので、着払いでいいですからステアリングを送り返して頂けますか?」

大阪のショップさん
「いえいえ、何も仕事してませんから 此方が送料負担して送り返しますからご安心して下さい。」

プロっすね。本物の職人さんっすね。
昨今は少なくなっております。
。・゜・(ノД`)・゜・。

私「いえいえ、お気持ちだけで嬉しいです。着払いで送って下さい。感謝します。」


さてさて
大阪から、送り返されたステアリングを前に
腕組みして うーーーーん。
どうしたもんだろ。
スエードの扱いに慣れてるといえば
靴屋?靴のリペア・ショップ?
靴のリペア・ショップにでも持ち込んでみるか。。

んで、後日 名古屋駅にある靴リペア・クリーニング・ショップに持ち込んでみました。




っが。
電話では、良さげな反応だったのが
ステアリングを見た途端、一転
あからさまに迷惑そうな顔(爆)

いや、コッチも忙しいんだから
出来ないなら、出来ないと電話で言ってちょーだいよと。
軽くイラッとしながら(笑)
ステアリングを抱えて
トボトボと、家路につきました。


これで全部選択肢は消えたか。。


いやいや消えてない。

ドゥーイトユアセルフの精神があるじゃあないかぁ。
イギリス人を見ろよ。
あいつら、コブラだって、スーパー7だって
自分で作っちまうんだぞ。

ステアリングの一つや二つ
わしがなおしちゃるけんのう(何故か広島弁)←文太さんの声で再生して下さい。


んで、先ずはガビガビなんだから
シャンプーで洗えばいいんじやね?
ということで
ステアリングと一緒に風呂に入ることにしました。

ステアリングのスポーク部分のみマスキングして
スエード用のシャンプーをリム部分につけ
泡泡にしながら、歯ブラシでゴシゴシ、ゴシゴシ。
ヽ(´o`;

何度もシャンプーをつけて泡泡にしては
歯ブラシでゴシゴシ。シャワーの温水で流すを繰り返し
一緒に風呂から出ました。

もうこの頃には、ステアリングとは
兄弟みたいなもんで、こいつのためなら
わしゃ、とことん付き合うちゃるぐらいの
思い入れがわいとりました。
o(`ω´ )o

ステアリングをバスタオルで拭き拭きして。
陰干しです。
⊂((・x・))⊃


2日3日置いて、乾いた頃に
スエード専用ブラシで
毛を起こして行きます。

んで、こんな感じです。

ビフォー


アフター



ビフォー


アフター



おおお!
( ̄▽ ̄)
ええじゃないの!

美しいのう。。

写真撮りまくっちゃろ




















美しいのう〜。
( ̄▽ ̄)

あんま、美しゅうて、使うのが
忍びないのう。。o(`ω´ )o

今回は思いの外上手く行きました。
ラッキーでしたね。
諦めなくてよかたー。(笑)

尚、お約束ですがトライされる方は
個人の責任に置いてやって下さい。
失敗されても責任は負い兼ねます。
(´・Д・)」

Posted at 2015/03/18 00:09:08 | コメント(4) | トラックバック(0)
2015年03月02日 イイね!

ラッシュ やっと観れました。。

ラッシュ やっと観れました。。家庭の事情で
暫くご無沙汰しておりましたが
何とか少し落ち着いて来たので
久しぶりのブログ更新です。
(´・_・`)

WOWOWで放送された「ラッシュ」
遅ればせながら、鑑賞いたしました。



どなたかが指摘されていた
「かなり美化されていた」という感じは
否めないものの

個人的には、ハントとラウダの物語を
世界中に分かりやすく伝えるという意味では
大変意義のある映画だったと思います。
(´・Д・)」

あの時代の懐かしいブツがてんこ盛りで
堪らんかったです(笑)






映画の中で、物凄い「揉み上げ」の人がいたら
それはエマーソン・フィティパルディです。
尾崎紀世彦さんが、ゴメンなさいしちゃうくらいの激しい「揉み上げ」ですから
見つけやすいことこの上ないです。
( ̄▽ ̄)




1976年シーズンはシェクターのタイレルもそれなりに話題になりましたが
あの前輪を4つに小さく分けたのは
前方投影面積を小さくすることで
空気抵抗を小さくする目的だったはずです。

これは後のジョディ・シェクターのインタビューで知ったのですが
空力的には大した効果はなく、実際には
前輪が4つになることでブレーキ性能が上がって
好成績に繋がったそうです。
但し、グッドイヤーがタイレルのためだけに
あのサイズのタイヤを作るのを嫌がったため
1977年シーズンで消えることとなりました。
(つД`)ノ




ハントはプライベートではミニに乗っていましたが、最初のレース活動もミニで始めたはずです。
あるレースではサーキットのコースから外れて
ミニと共にサーキット脇の池に沈没したなんてエピソードもありました。
(; ̄ェ ̄)




映画ではF3時代
ロータス59でのレース活動中に
ラウダと初対面。
その際のレース中の接触も含めた激しいバトルが描かれていました。

因みに、既にこの時、ハントの側には
ヘスケス卿やハーベイ・ポスルズウェイトがいました。
ハーベイはその後F1の80年代ターボ時代に
エンツォからの寵愛を受けて
126C2という、フェラーリの中でも特にマニアに人気の高い名車を作り上げています。
82年のコンストラクターズ・タイトルも獲りましたが、ゾルダーの悲劇がありましたから
フェラーリに栄光と悲劇を同時にもたらした印象深い歴史的なマシンです。
今は一台も現存していないはずです。




前期型は美しいのですが、後期型は(笑)




でも、後期型にはあのマリオ・アンドレッティが乗っています。


1976年シーズンが始まる直前
ヘスケスが潰れてしまい、急遽 次のシートを探さざるを得なくなり
電話で「ロータスはだめなのか?」とハントが尋ねるシーンなんてのもありました。





1976年、ハントがアンドレッティと共にロータスに在籍していたら
どうなっていたのか??

ハントはグンナー・二ルソンよりは確実に高いポテンシャルを秘めたドライバーでしたが
チャップマンはアンドレッティをNo.1ドライバーにすることで
長期計画の元、二人三脚で
ロータス再建を進めていたので、やっぱりマクラーレンでよかったのかな。。

歴史にたらればはありませんが、色々想像してしまいました。
ロータスのハントも見てみたかったなぁ。。

映画ではポスルズウェイトが
ハントのドライバーとしての才能を
印象的な言葉で表現していました。



マクラーレンのテディ・メイヤーからハントの評価を求められて
「ああ 危険な男だ。態度も悪い。
でもレーサーとしての才能は間違いなく世界一だ。
奴は本物だよ。我々の理想だ。
例え9日間ダメでも、10日目に無敵になる。
その時の奴を乗せろ。
ジャッキー・イクスでは世界制覇は無理だ。」

これ、イクスがちょっと可哀想です。(笑)



イクスはこの年、ポルシェ936を操りル・マンで優勝。
その前年、其の後もル・マンでは何度も優勝している名ドライバーですが
やはりF1こそが
ドライバー世界No.1を決める大会だったことの証明になっていますね。

ヘスケスで走れなくなったハントが
「ネクタイも締めるし、愛想も良くするから
俺をマクラーレンで走らせてくれ」とメイヤーに直訴するシーンは
ジーンときました。
。・゜・(ノД`)・゜・。


ラウダはレース活動の初期の頃は
ポルシェ911やポルシェ908で参戦。
フォーミュラに乗るようになった初期には
ピーターソンの所属するチームのNo.2ドライバーをやっていたはずです。
マーチだったかな?

プライベートではミニに乗っていたのは今回初めて知りました。




レガツォーニおじさんもちょっと残念な描かれかたしていましたが
旧ニュルブルクリンクのファステストラップを持っている
偉大なレーサーです。
スーパーマリオのモデルではありません。



似てますが(笑)

何年か前に、イタリアで
交通事故で亡くなったというニュースを聞きました。
あれだけの修羅場をくぐった百戦錬磨のレーシング・ドライバーが
交通事故で亡くなったというのは、なんとも皮肉で寂しい出来事でした。


ラウダが炎上事故後の復帰記者会見でドイツ人記者から
心無い質問をされて、珍しく感情的になって動揺するシーン。

その記者をトイレに連れ込んで、ブン殴ってしまうハント。

この辺りは、かなり盛ってますよね。(笑)

まぁ映画なんで、多少の脚色は致し方ないです。




ラウダって表面的には冷たいというか
つっけんどんで、取っ付きにくい
マシーンのような「走るコンピューター」と呼ばれていたドライバーです。
そのイメージは未だに変わりません。
何時も沈着冷静で頭脳明晰、派手なことが嫌い。
でも内面は非常に熱く、タフで強いドライバー。

ラウダはかなりの毒舌家で人嫌いなイメージがあります。

その後は、ピケやプロストの師匠としても活躍する
F1の歴史にかかせない人物です。

そのラウダ自身が、自分の本当のライバルはハントだけだったというセリフに
またジーンと(笑)




でも実際、ラウダってなかなか人を褒めないし、寄せ付けないタイプですが
何故かハントに対しては、昔から いつも愛情あるコメントが多かったような気がします。
自分にないものを持ち合わせていたからでしょうね。
対極の2人故に、惹かれ合うみたいな。


1970年代の男くさい
命知らずの暴走野郎どもと

久しぶりの
楽しい時間を体験できて
ロン・ハワードには感謝感謝です。

良い映画なんで
観てない方は是非是非。

ロータス59 欲しくなっちゃった(笑)
( ̄▽ ̄)



Posted at 2015/03/03 01:48:45 | コメント(3) | トラックバック(0)

プロフィール

「@sh21
佐藤琢磨インディ500
優勝を祝った宴ですか(笑)?」
何シテル?   05/29 21:39
無意識過剰
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

リンク・クリップ

ポルシェ(純正) G50-21 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2017/05/05 23:19:14
今さらながら乗ってみたい車シリーズ 19 ポルシェ997カレラ後期PDK 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2017/02/18 02:31:26
F40盗難 トシ55 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2016/11/20 00:50:25

過去のブログ

2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation