
家庭の事情で
暫くご無沙汰しておりましたが
何とか少し落ち着いて来たので
久しぶりのブログ更新です。
(´・_・`)
WOWOWで放送された「ラッシュ」
遅ればせながら、鑑賞いたしました。
どなたかが指摘されていた
「かなり美化されていた」という感じは
否めないものの
個人的には、ハントとラウダの物語を
世界中に分かりやすく伝えるという意味では
大変意義のある映画だったと思います。
(´・Д・)」
あの時代の懐かしいブツがてんこ盛りで
堪らんかったです(笑)
映画の中で、物凄い「揉み上げ」の人がいたら
それはエマーソン・フィティパルディです。
尾崎紀世彦さんが、ゴメンなさいしちゃうくらいの激しい「揉み上げ」ですから
見つけやすいことこの上ないです。
( ̄▽ ̄)
1976年シーズンはシェクターのタイレルもそれなりに話題になりましたが
あの前輪を4つに小さく分けたのは
前方投影面積を小さくすることで
空気抵抗を小さくする目的だったはずです。
これは後のジョディ・シェクターのインタビューで知ったのですが
空力的には大した効果はなく、実際には
前輪が4つになることでブレーキ性能が上がって
好成績に繋がったそうです。
但し、グッドイヤーがタイレルのためだけに
あのサイズのタイヤを作るのを嫌がったため
1977年シーズンで消えることとなりました。
(つД`)ノ
ハントはプライベートではミニに乗っていましたが、最初のレース活動もミニで始めたはずです。
あるレースではサーキットのコースから外れて
ミニと共にサーキット脇の池に沈没したなんてエピソードもありました。
(; ̄ェ ̄)
映画ではF3時代
ロータス59でのレース活動中に
ラウダと初対面。
その際のレース中の接触も含めた激しいバトルが描かれていました。
因みに、既にこの時、ハントの側には
ヘスケス卿やハーベイ・ポスルズウェイトがいました。
ハーベイはその後F1の80年代ターボ時代に
エンツォからの寵愛を受けて
126C2という、フェラーリの中でも特にマニアに人気の高い名車を作り上げています。
82年のコンストラクターズ・タイトルも獲りましたが、ゾルダーの悲劇がありましたから
フェラーリに栄光と悲劇を同時にもたらした印象深い歴史的なマシンです。
今は一台も現存していないはずです。
前期型は美しいのですが、後期型は(笑)
でも、後期型にはあのマリオ・アンドレッティが乗っています。
1976年シーズンが始まる直前
ヘスケスが潰れてしまい、急遽 次のシートを探さざるを得なくなり
電話で「ロータスはだめなのか?」とハントが尋ねるシーンなんてのもありました。
1976年、ハントがアンドレッティと共にロータスに在籍していたら
どうなっていたのか??
ハントはグンナー・二ルソンよりは確実に高いポテンシャルを秘めたドライバーでしたが
チャップマンはアンドレッティをNo.1ドライバーにすることで
長期計画の元、二人三脚で
ロータス再建を進めていたので、やっぱりマクラーレンでよかったのかな。。
歴史にたらればはありませんが、色々想像してしまいました。
ロータスのハントも見てみたかったなぁ。。
映画ではポスルズウェイトが
ハントのドライバーとしての才能を
印象的な言葉で表現していました。
マクラーレンのテディ・メイヤーからハントの評価を求められて
「ああ 危険な男だ。態度も悪い。
でもレーサーとしての才能は間違いなく世界一だ。
奴は本物だよ。我々の理想だ。
例え9日間ダメでも、10日目に無敵になる。
その時の奴を乗せろ。
ジャッキー・イクスでは世界制覇は無理だ。」
これ、イクスがちょっと可哀想です。(笑)
イクスはこの年、ポルシェ936を操りル・マンで優勝。
その前年、其の後もル・マンでは何度も優勝している名ドライバーですが
やはりF1こそが
ドライバー世界No.1を決める大会だったことの証明になっていますね。
ヘスケスで走れなくなったハントが
「ネクタイも締めるし、愛想も良くするから
俺をマクラーレンで走らせてくれ」とメイヤーに直訴するシーンは
ジーンときました。
。・゜・(ノД`)・゜・。
ラウダはレース活動の初期の頃は
ポルシェ911やポルシェ908で参戦。
フォーミュラに乗るようになった初期には
ピーターソンの所属するチームのNo.2ドライバーをやっていたはずです。
マーチだったかな?
プライベートではミニに乗っていたのは今回初めて知りました。
レガツォーニおじさんもちょっと残念な描かれかたしていましたが
旧ニュルブルクリンクのファステストラップを持っている
偉大なレーサーです。
スーパーマリオのモデルではありません。
似てますが(笑)
何年か前に、イタリアで
交通事故で亡くなったというニュースを聞きました。
あれだけの修羅場をくぐった百戦錬磨のレーシング・ドライバーが
交通事故で亡くなったというのは、なんとも皮肉で寂しい出来事でした。
ラウダが炎上事故後の復帰記者会見でドイツ人記者から
心無い質問をされて、珍しく感情的になって動揺するシーン。
その記者をトイレに連れ込んで、ブン殴ってしまうハント。
この辺りは、かなり盛ってますよね。(笑)
まぁ映画なんで、多少の脚色は致し方ないです。
ラウダって表面的には冷たいというか
つっけんどんで、取っ付きにくい
マシーンのような「走るコンピューター」と呼ばれていたドライバーです。
そのイメージは未だに変わりません。
何時も沈着冷静で頭脳明晰、派手なことが嫌い。
でも内面は非常に熱く、タフで強いドライバー。
ラウダはかなりの毒舌家で人嫌いなイメージがあります。
その後は、ピケやプロストの師匠としても活躍する
F1の歴史にかかせない人物です。
そのラウダ自身が、自分の本当のライバルはハントだけだったというセリフに
またジーンと(笑)
でも実際、ラウダってなかなか人を褒めないし、寄せ付けないタイプですが
何故かハントに対しては、昔から いつも愛情あるコメントが多かったような気がします。
自分にないものを持ち合わせていたからでしょうね。
対極の2人故に、惹かれ合うみたいな。
1970年代の男くさい
命知らずの暴走野郎どもと
久しぶりの
楽しい時間を体験できて
ロン・ハワードには感謝感謝です。
良い映画なんで
観てない方は是非是非。
ロータス59 欲しくなっちゃった(笑)
( ̄▽ ̄)
Posted at 2015/03/03 01:48:45 | |
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