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二階堂卓也のブログ一覧

2017年07月20日 イイね!

Le Mans 2017 porsche

Le Mans 2017 porsche
























































































































































































































































































Posted at 2017/07/20 01:33:42 | コメント(1) | トラックバック(0)
2017年07月20日 イイね!

Le Mans 2016 porsche

Le Mans 2016 porsche
































































































































































Posted at 2017/07/20 01:04:22 | コメント(0) | トラックバック(0)
2017年02月11日 イイね!

面子を潰されるという事

面子を潰されるという事







先日、僕の職場に
5年程前から、お付き合いをさせて頂いているAさんという方がみえたのですが
会話の途中、
突然、Aさんが驚きのカミングアウトをされました。

Aさん「僕、実は ほにゃららの マネージャーなんです」

二階堂「えっ!? ほにゃららさんて、あの ほにゃららさんですよね?」

そちらのAさんは、住まいは東京で
職場も東京ですが
何故か、僕の職場に出入りされるようになって早5年。
以前から、芸能のお仕事をされているのは知っていましたが
そういった職業の方は、普段から、不特定多数の方々に、興味本位で根掘り葉掘り色々と聞かれて、嫌な思いをされているであろうと思い
お仕事の深い話しは、此方も気を遣って、突っ込まない様にしておりました。

それが、突然、その方自らのカミングアウト。

しかも、そのほにゃららさん は超大物の国民的大スター。

久しぶりに驚きましたよ。
この歳になると、あんまり驚くこともないんですけどねぇ。。

んで、僕は その ほにゃららさんの、昔からの大ファンだったので

二階堂「僕も大ファンなんで、応援していますと、是非お伝え下さい。」

Aさん「分かりました。伝えておきます。今は、来年のイベントに向けて大忙しです。」


んで、それ以降はその ほにゃららさんの話題は避ける様にしました。
Aさんに嫌な思いをさせたくなかったですから。。

そのAさんは、昔から腰の低い方で
いつも、丁寧な挨拶と義理堅い対応で
此方が恐縮することもしばしば。

ほにゃららさんのマネージャーさんなら
そちらの業界では
威張り散らしても、それがまかり通るレベルの
位(くらい)の高い方です。

ですが、とても それが信じられない程の腰の低さ。

ほにゃららさんが「恥をかかない様」に、ほにゃららさんの「面子を潰さない様」に、
いつでも、準備万端で全く隙がありません。
例えるなら、高倉健さんのような方です。

なるほど、大物スターとは、こういった方々に支えられているのかと、感心することしきりでした。





「面子を潰される事」
このテーマで、書かれたブログを以前ネットで読んだ事があって
非常に鋭い指摘だったのを思い出し、探してみたらありましたので
此方で紹介したいと思います。
税理士もりりさんのブログです。
問題があれば削除しますから、連絡下さい。





ビジネスで付き合う人にやってはいけないこと

 それと、そうそう、ビジネスに生きる人が絶対にやっちゃいけないことがあります。それは「相手のメンツを潰すこと」「恩を仇で返すこと」「恥をかかせること」。これは相手が誰であれ、絶対にやっちゃいけないことです。

 これは、メンツを潰された相手は信じられないほど怒りますからね。もうそれは、一生かかっても恨まれて、修復不可能なほどの怒りを買います。それを修復するためには膨大な時間と誠意が必要になりますから、相手のメンツを潰したり、相手の顔に泥を塗るようなことはやっちゃいけません。

 これ、中国でビジネスをしている人に聞くと、同じこと言いますよね。「中国人とビジネスをする際には、信用とコネが大事。だから絶対に相手のメンツを立ててビジネスをしなければいけない」って言いますね。それは中国だけじゃなくて、日本でも全く一緒です。いえ、世界中どこでも一緒だと思います。

「中略」

 まあ、とにかくビジネスをしていて、というか人付き合いをしていて一番腹が立つのは「メンツを潰す奴」と「恩を仇で返す奴」ですねぇ。そういえば、以前勤めていた職場には上司にそんな人いましたね。もうこれだけは許せなかったですね、だって自分のミスを部下のせいにするんですもの。それも公の場や、取引先の前で部下に恥をかかせるわけですからね。それも一度じゃありません。いつでも(笑)。

 いえ、そうやって自分の立場を守りたいのなら、事前に「悪い、もりり君、申し訳ないけど、ちょっとお客の前で悪者になってくれるか。ゴメンな。」と言ってくれれば、それなりにこっちだって上司の顔を立てて演技してあげますやんか。それを言わずに、自分のミスをいきなり部下のせいにするなんて、そりゃ腹立ちまっせ。それまでのお客さんに対するこっちの顔が丸つぶれですやんか。こんな奴、ぶん殴ったろか、と思います(笑)。

 ま、とにかく人付き合いでやっちゃいけないこと、特にビジネスにおいて絶対にしちゃいけないことは、相手のメンツ、相手の顔を潰すこと、そして相手の誠意を踏みにじることです。こんなことをしたら、それで得た利益を遙かに上回るしっぺ返しがあることを覚悟しておくべきですね。それほど人の恨み、憎しみというのは強くて怖いものですよ(笑)。

 これから社会で活躍しようという方は、どんな世界に飛び込んでも、このビジネスにおける人付き合いの鉄則だけは絶対守っておいたほうが得策です。「いや、俺は優秀だから、そんなのカンケーねぇ。俺のルールが一番や。邪魔する奴は全部やっつけたる。」と活きのいい方もおられるかも知れませんが、忘れた頃にしっぺ返し、必ず来ますよ(笑)。ご注意あれ。

(終)





永遠のライバル、F1ドライバー
ジェームス・ハントとニキ・ラウダが壮絶なタイトル争いをした、1976年の死闘を描いた2013年製作の米独合作映画。
「ラッシュ」は本当に良く出来た映画です。
1970年代のF1ファンである自分は、暇さえあれば何度も、観てしまいます。

ただ、あの映画で描かれなかったエピソードで
僕がどうしても映画に入れて欲しかった出来事があります。

僕の一番好きなF1ドライバーが
ジェームス・ハントだという事は、今までもブログで散々語ってきました。

でも、ハントに負けず劣らず好きなドライバーがいます。
それは、ハントの最大のライバルであった
ニキ・ラウダ。
正反対の2人ですが、お互いが意識し合っていた
奇妙な友情関係で結ばれていた2人です。
F1デビュー前は、一緒のアパートで2人で暮らした事もあったそうです。


1973年のBRM時代のチームメイト
クレイ・レガツォーニの推薦と
1972年のマーチでのラウダの活躍を見た
エンツォ・フェラーリがラウダを気に入った事もあって
低迷していたフェラーリを再建する目的で
ラウダはフェラーリに迎えられました。

エンツォの読みは見事に当たり
1974年シーズンから息を吹き返したフェラーリは久しぶりの優勝を勝ち取ります。
そして翌年の1975年には
早くも、ラウダのドライバーズ・タイトルとフェラーリのコンストラクターズ・タイトルを獲得する事になります。

翌年、1976年は
映画「ラッシュ」でも描かれていたとおり
マクラーレンのジェームス・ハントとの熾烈なタイトル争いが勃発します。結果的には、最終戦の富士でハントが3位でゴールした事で、1ポイント差で、ドライバーズ・タイトルはジェームス・ハントの手に転がり込みます。
しかし、コンストラクターズ・タイトルはフェラーリが死守する形になりました。

この時、映画では描かれていなかった事が、舞台裏では起きていました。

ドイツGPで事故を起こし、ニュルのコース上で燃え盛る炎の中から、助け出されたラウダは一時、危篤状態。
この一報を受けたエンツォは、ラウダはもう走れないと判断して
イタリアGPにゼッケン・ナンバー35のカルロス・ロイテマンを送り込みました。
これにラウダは激怒したと言われています。
ラウダは、次戦のオーストリアGPとオランダGPは欠場するも
イタリアGPに満身創痍の状態で戻ってきました。

これだけでも信じられない事ですが
ラウダは何と、このGPで4位に入り、奇跡の復活を遂げます。
ラウダが「不死鳥」と呼ばれる様になったのは、このレースがきっかけです。
尚、このレースでは
クレイ・レガツォーニは2位
カルロス・ロイテマンは9位。
完全にエンツォの読みは外れました。

しかし、カルロス・ロイテマンを気に入ったエンツォは
翌年1977年クレイ・レガツォーニをチームから追い出し、フェラーリは
カルロス・ロイテマンとラウダでGPに参戦。
これにもラウダは怒りに打ち震えたと言います。

1976年の最終戦、豪雨の富士で「人生にはレースのタイトルより、もっと大切なものがある」と言い残し自らリタイアしたラウダ。
チーム・マネージャーのダニエル・オーデットは
312T2から降りたラウダに、こう耳打ちしたと言います。

オーデット
「イタリアには、何と報告しよう。マシン・トラブルという事にしておくか?」

ラウダ
「いや、結構。ありのままの事実を伝えてくれ」

この事実を知ったエンツォは大激怒。
電話口で怒鳴り散らしたと言われています。

1977年シーズン
フェラーリはチームとしてカルロス・ロイテマンを全面にバックアップするも
功労者のラウダは蚊帳の外。
チームは真っ二つに分かれます。

静かに闘志を燃やしていたラウダは
全レース、圧巻の走りをみせて
残り、カナダGP、日本GPの2戦を残し、ドライバーズ・チャンピオンを獲得。

しかし、エンツォに激怒していたラウダは、残り2戦を欠場します。

これは、フェラーリのチームとしてのコンストラクターズ・ポイントの関係もあり、本来ならありえない事です。

一方、カルロス・ロイテマンは
最終戦まで参戦して、ドライバーズ・ランキングは4位


2戦欠場したラウダのポイントは72。

全てのレースにフル参戦したロイテマンのポイントは42。


シーズン中、チームから冷遇を受けながらも、ラウダは見事にエンツォへ向けての
痛烈なメッセージを送る事に成功しました。


因みにラウダはロイテマンをどう思うか?と聞く記者に、こう答えたそうです。
「ロイテマンはチームメイトでもなければ、ライバルでもない」



1977年、シーズン終了後
ラウダはエンツォに呼び出されます。

フェラーリに3年連続のコンストラクターズ・タイトルをもたらしたラウダに対して、エンツォの出した答えは「白紙の小切手」でした。

ラウダ
「これは何ですか、エンツォ」

エンツォ
「白紙の小切手だ。好きなだけの金額を書いてくれ。それが来シーズンのお前の契約金だ。」

ラウダ
「せっかくだが、お断りしますよ。」

この予想もしなかった、ラウダの発言にエンツォは激昂し、問い詰めたそうです。

それに対して、ラウダは静かにこう答えたそうです。

ラウダ「あんたのチームでは、走りたくないんでね。」



しかし、ラウダの次の移籍先はブラバム。
1977年シーズンのコンストラクターズ・ランキングでは
フェラーリの1位に対して、5位という平凡な成績。

1977年の時点では
ブラバムに移籍すれば、F1ドライバーとしては勝てなくなる事を意味しました。

F1チームのブラバムといえば
伝説のF1ドライバー ジャック・ブラバムが1960年代に作った名門チーム。
1966年シーズンには
自らチーム・オーナーとなり、自らレーサーとしてGPに出場。
ドライバーズ・タイトルとコンストラクターズ・タイトルの2つを獲得するという快挙を成し遂げました。
これを実現したのは
現在においても、ジャック・ブラバム
ただ一人だけです。

1960年代には華々しい成績を残したブラバムでしたが

ジャック・ブラバムがチームを売却した後は低迷。

1977年当時、ブラバムはトップチームとは呼べず
チーム・オーナーはバーニー・エクレストン。
エンジニアには、まだ無名のゴードン・マレーが在籍していましたが
どう贔屓目にみても強豪とは呼べないチーム。

そのブラバムへ移籍するため、ラウダはフェラーリを去りました。
つまり、当時のラウダのブラバムへの移籍は
F1では、勝てなくなる事を意味しました。

何故、そこまでしてラウダは信念を貫き通したのか?
そこには、エンツォがラウダに対して行った
数々の「無礼な行動」に原因がありました。
「面子を潰された」ラウダは、それを許せなかったそうです。




僕が、1970年代のF1ドライバーに惹かれるのは何故か?
考えた事があります。

彼らの華麗なドライビング・テクニック?
彼らのスピード?
彼らのルックス?
ロックンロール・スターの様な派手な生活?
豪放磊落、自由奔放、勇猛果敢なレース展開?
「走る棺桶」と表現してもおかしくない、危険なマシン?

どれも、全部正解です。

でも、本当に惚れ込んでいる理由は
何回優勝した?とか
ファステスト・ラップを何回出した?とか
そういったレースでの
結果の裏側にある


「信念を持った、生きザマに惹かれるからです。」


ジェームス・ハントやニキ・ラウダは
チームに主導権がある、現在のF1の世界では契約すらして貰えないでしょう。
でも、彼らが命を懸けて、刻み付けた
生き様の「爪痕」。
これは、未だに消えていません。
未だに、僕だけでなく
世界中の人々に感動を与え、夢を与えてくれます。

大切なのは、F1での優勝回数なんでしょうか?
年間、何十億を稼いで、セレブな生活をする事なんでしょうか?


F1に、どうして、これ程までに感動が無くなってしまったのか。。
熱気が無くなってしまったのか。。
それは、少しずつ、ほんの少しずつ
洗練され、「人間くささ」が無くなり
「勇気」や「面子」が軽視され。。
「金」が全てを支配するようになってしまったからじゃないのでしょうか?


一度きりの人生。
人生の色々な瞬間に
僕は何時も考えます。

こんな時、ラウダだったらどうしただろうか?
こんな時、ハントだったら何と言っただろうか?

ハントやラウダがレースから離れて
もうどれ程の時間が経ったか分かりません。

でも、僕の心の中では
彼らは未だ、現役です。
まだ、コースを走り周って、激しいバトルを繰り返しています。
彼らが残した「爪痕」は

僕にとって、消え去ることは
永遠にないのです。







Posted at 2017/02/11 14:44:27 | コメント(6) | トラックバック(0)
2016年07月07日 イイね!

色々考える事があって

色々考える事があって


残りの短い人生の事を考えると
自分の人生に悔いのないよう
好きなクルマに乗っておきたい。

ああでもない、こうでもないと考えて
結局、このクルマに辿り着いてしまう。

クルマというより、マシンだ。
箱車ではなく、フォーミュラ。

マクラーレン M23

小学生の頃からの憧れのマシン。


ネットで探してみると
ハントが1977年の富士で優勝した車両
マクラーレン M26は少し前に
海外でオークションに掛けられたようだ。。

結局、原点に帰ってくるんだろうな。



ポルシェだって、本当に乗りたいのは
これだ。



歳をとると、細かいことはどうでもよくなる。
人の目なんか気にならない。
他人がどう思うかなんて、かまやしない。
自分のやりたい事、自分の欲しいモノが明確になってくる。

鈴鹿に持ち込んで、走らせたら愉しいだろうな。。

Posted at 2016/07/07 04:18:15 | コメント(5) | トラックバック(0)
2016年06月24日 イイね!

Le Mansこそすべて

Le Mansこそすべて




2016年、今年のLe Mans 24時間レースの
ゴール・シーンです。
必見です。

昨日、とある女の子に、今年のLe Mansでのトヨタの情けない戦いぶりとレースでのリスク・マネージメントの低さを説明していたら。。

女の子「Le Mansって、何ですか?」と質問されました。

ふぅー。
先ずは、其処からなんですね。。

俺「自動車レースには、世界3大レースというのがあってね。一つはF1のモナコGP、一つはアメリカのインディ500、そしてフランスのLe Mans 24時間レース。
この中でも特に Le Mansは重要なレースなんだ。
何せ、24時間の長丁場を複数のドライバーで走り抜ける耐久レース。
直線ではスピードが300キロ以上に達する区間もあるんだ。
世界中の自動車メーカーは自社の製品を売り込む絶好の宣伝機会だし、そこで優勝するってのはメーカーにとって非常に名誉な事なんだ。

昔は地上波でも放送していて、俺たちの若い頃は皆んな、何処のメーカーが勝つのか鵜の目鷹の目で熱中したもんだよ。

ポルシェみたいなメーカーは、正にそれでブランディングに成功した様なもんでさ。
それだけ、自社の製品は壊れない、速い、安全、快適なんだってね。」


昨年の、2015年 Le Mans 24時間レースのブログでも書きましたが
Le Mans 24時間レースというのは特別なレースです。
世界中の自動車メーカーが集まり
優勝する事で、自社の製品の優位性を世界中にアピールする場でもあります。

昔、プジョーがLe Mansで総合優勝した際に
次の日、パリ中のプジョー・ショールームから
プジョーが消えて無くなってしまったという逸話を聞いた事があります。
優勝を喜んだフランス国民が、Le Mans決勝の翌日にディーラーに殺到したんですね。

が!同時に優勝しなければ意味がないレースでもあります。
昨年ブログで書いたとおり
「2位もドベも一緒」
故に過酷なレースでもあります。

そのLe Mansマイスターであるポルシェは
1998年 Le Mans 24時間レースでの総合優勝を最後に
突如、Le Mansから姿を消しました。

当時は何で??という気持ちで一杯でしたが
後に判明したのは、傾きかかった自社の経営体質を改善する必要に迫られてのことでした。
Le Mansでは勝ちまくって
ポルシェはブランディングには成功していましたが、黒字続きのポルシェ・エンジニアリングに反して
ポルシェ乗用車製造販売の部門は赤字続きでした。
乗用車の開発、製造、販売が旧態然としていて、80年代の日本車勢の台頭もあって苦しい状況に。。
そこで、一旦レース活動を中止。
乗用車開発、製造、販売の経営基盤の強化に乗り出します。

それまでのポルシェのLe Mans総合優勝の回数は16回。
他社とは比較にならないダントツの成績でした。
最早、Le Mansといえばポルシェ、ポルシェといえばLe Mansと言っても過言ではない状況にあったと言えます。

それを投げ打って、ポルシェは賭けに出ました。
その甲斐あってか、その後ボクスターの成功
カイエンの成功もあって、見事に業績はV字回復。
黒字化して優良企業となったポルシェは再びLe Mansに戻ってきます。

2014年に、久しぶりにLe Mansに復帰すると
昨年の2015年には優勝。
今年の2016年も優勝。

どれだけポルシェというメーカーがLe Mansに強いのか
お分かり頂けますか?

トヨタは30年以上、Le Mansに参戦していますが今年も含め
一度も優勝した事がありません。

何故、ポルシェという会社は
こうまでLe Mansに強いのでしょうか?
莫大な資金を投入することや人海戦術を使う事は、他社に比べれば不利な会社です。
少なくとも1998年までのポルシェは経営不振であったため、少ない資金の中でレース活動を続けて、そして勝ち続けていました。


例えば1994年のポルシェは
Le Mansで狡猾に立ち回り
レースのレギュレーションを巧みに利用して勝利を収めました。

当時のLMP 1クラスの優勝候補はトヨタ。

ところが、この年はGTクラスにとんでもないクルマが用意されていました。

この年のLe Mansはレギュレーション上の大きな落とし穴がありました。
ロードカー仕様が1台でもあれば認められるLM GT1というクラスが設けられていたのです。

ダウアー・レーシングが、Cカーであるポルシェ962の1台をドイツでロードカー登録してナンバープレートを取得し、このクラスに3台を揃えてきました。
しかもダウアー・レーシングとはあくまでも名前だけで
実際にはポルシェ本社の技術者も加えたヨースト・レーシングとの混成部隊で、実態はポルシェ・ワークスの別働隊でした。



1994年 Le Mans ウィナー
ダウアーポルシェ


1994年のLe Mansは、この狡猾な方法で優勝を手にしたポルシェですが

各方面から批判を浴び、1995年のシーズンはポルシェ・ワークスとしてはLe Mansへの参戦を取りやめる事を発表しました。

ところが、そこは狡猾なポルシェ(笑)

この辺りの事は昔、ロータスのNメカニックとメールでやりとりしたことがあるんで、そこから抜粋してみます。


俺「Nメカニック

昨日は遅くまでありがとうございました。
m(_ _)m

ポルシェのモノコックの件
調べなおしたら
ちょっと複雑な経緯がありました。

1994年のダウアーポルシェのLe Mans優勝で
ポルシェのワークスは各方面から批判を浴びて
1995年はLe Mans不参加となりました。

ダウアーポルシェはポルシェ962なんでアルミのモノコックのはずです。

ただ、ポルシェはプロトタイプとして
1995年のシーズンに参戦する車両を既に準備していたそうです。

トム・ウォーキンショーに依頼して
シルクカット・ジャガーのモノコックを改造した
ポルシェ初のカーボンモノコック・シャーシのレーシング・カーが既に準備されてはいたそうです。
コードネームはwsc95。



1998年 Le Mansに出場した wsc95
現在はヨーストが保管


95年のワークスのLe Mans不参加が決まったため
その車両をポルシェ・ワークスがヨーストに売却。

結果、ヨーストが その車両を使って
1996年と1997年のLe Mansを制覇することとなりました。
TWR(トム・ウォーキンショー・レーシング) ポルシェ wsc95で2年連続の総合優勝です。



1996年 Le Mans ウィナー
TWR ポルシェ wsc95



1997年 Le Mans ウィナー
TWR ポルシェ wsc95


一方、ポルシェ・ワークスの方ですが

1996年、1997年
シーズンともに
ポルシェ GT1という名前で
市販車の993のプレス鋼板のキャビンと
後方にサブフレームを張り巡らし
無理矢理、ミッドシップにした993みたいな車両を製作して参戦しました。


1995年
ポルシェGT1開発時の貴重な動画


























































































































ガソリンタンクの位置も
市販車と同じため、重量移動が激しく、操作し辛いクルマだったそうです。
更に、サスペンション・アームの長さも充分確保出来ないなど、正にやっつけ仕事感が一杯のクルマ。
それでもポルシェ・ワークスのGT1は
1996年シーズン、1997年シーズン共に
総合優勝に後一歩まで迫ったわけですから、ポルシェのレース部門にには恐れ入ります。



1996年 Le Mans 出場
ポルシェ GT1
Le Mansでデビューし、いきなり総合2位、3位に入りました。



1997年 Le Mans 出場
ポルシェ GT1
26号車が優勝目前で炎上リタイアしました。


んで1998年に
ポルシェ・ワークスとしては
初のカーボンモノコック・シャーシを使用した
ポルシェGT1を制作して、Le Mansに参戦。

見事総合優勝、ポルシェGT1で最後のLe Mansに有終の美を飾りました。」



1998年 Le Mans ウィナー
ポルシェ GT1


Nメカニック「ポルシェのwsc95は、トム・ウォーキンショー・レーシングが車を造ってからポルシェに売り込みに行った様です。それを見たノルベルト ジンガーが話に乗った…
という事みたいですね。」


俺「そうなんですか。。

トム・ウォーキンショー・レーシング(以下TWR)が日産やトヨタに話を持っていけば
歴史が変わったかもしれませんね。

wsc95をヨーストに売却したポルシェって
若しかして、保険かけてたんですかね?

GT1でワークスが勝利出来たら
最良でしょうが、プロトタイプのwsc95はヨーストに走らせることで
どっちが勝っても
結果としてはポルシェ優勝になりますから。。

ポルシェってワークスにあまり拘らないメーカーですし。

勝利への執念が凄いメーカーですよね。

よく調べると1998年のワークス最後の優勝の
GT1のカーボンモノコックって
結局TWRのものを使用しているようですし。。(汗)

最後まで、ポルシェ自社としてはカーボンモノコック製作してないんですね。

TWR恐るべし。。」


Nメカニック「’96 ’97ルマン優勝のWSC95は、完全に保険ですね。

’96のGT1は、クラッシュテストをクリアする為フロントセクションは、ノーマル993。
エンジンとミッションを逆さまに積んでミッドシップにしたため、制約が非常に多かったそうです。

’98GT1は、AMGのチーフエンジニア、メルセデスCLK-GTRを開発した、ゲルハルト ウンガーと言うエンジニアをヘッドハントしたそうです。カーボンなどの新素材にとても強い人だったそうです。

あと、’96と’97優勝の立役者であるヨーストの、ラルフ ユットナーというエンジニアを借り受けていたようですね。

それを、ノルベルト ジンガーが統括して、’98のルマン優勝につながったわけですね。」


Nメカニック「WSC95は、ガソリンタンクの大きさなど、優位性を見抜いたヨーストが、ポルシェ社に売れ!と迫ったとありますね。

面白い。」



こんな感じで、ポルシェ・ワークスとしては、潤沢な資金があった訳でもなく、人海戦術を使った訳でもなくLe Mansを戦いました。

少ないマテリアルの中から
それを有効活用して、Le Mansで勝てる体制を如何に作り上げていくかの過程が見て取れます。


1998年某日
僕の当時の964のメカニックをしてくれていた
ラフタイム(元ミツワ名古屋のメカニック)の社長さんの元を訪れた際

「二階堂さん、このポスター要りますか?よければ差し上げますよ。」
「ディーラーに行って、昔の仲間からせしめてきました(笑)」

ポスターを開けてみると、私の目に飛び込んできたのは
ナイト・セッションを終えて
暁の光に照らされながら、コースを駆け上がってくる
1998年 Le Mans 総合優勝車両
ポルシェ GT1 26号車の勇姿でした。
その佇まいに、震えましたね。
このポスターは、今だに僕の宝物です。


2014年からLe Mansに復帰したポルシェ・ワークスと、当時のポルシェ・ワークスは全く違いますが
レースに勝つためのDNAは
しっかり受け継がれています。

2015年に続いての連続優勝
2016年、Le Mans 24時間レース
総合優勝 ポルシェ おめでとう!











まだ、日本にはLe Mansで勝つために足りないものがあります。
残念ですが認めざるを得ないのを
今回のLe Mansでも、キッチリ思い知らされました。

レースの内容に関しては、ぷーおんさんが詳しく解説されているので
是非、ぷーおんさんのブログをチェックしてみて下さい。
私が考えるトヨタの敗戦の原因もほぼ同じです。





注意
ここから下は
トヨタさん、感動をありがとう!と
気持ちよくなってる方には
厳しい内容になっていますから
読まない方がよいです。


私とトヨタの間には何の利害関係もないので、書ける範囲で書きますが。。


トヨタは
未だに最終ラップのスローダウンの原因について
原因不明との公式発表ですが
これには納得いきません。
途中経過でもいいですから発表するのが筋です。
純粋なモータースポーツ・ファンなら
トヨタの発表を心待ちにしているはずです。
24時間、応援し続けた
日本のモータースポーツ・ファンを
置き去りにするなら、ヨーロッパのためにレースをやっていると思われても
仕方ありません。
日本のモータースポーツ・ファンへの最低限の礼儀を尽くして下さい。
新聞広告一面を使って、今回のレースの敗戦を自社で総括するくらいの気概をみせて貰えれば
勝ちたいという、本気度は伝わりますよ。
とブログを書いているところへ

トヨタ、ル・マン24時間での5号車トヨタTS050ハイブリッドのトラブル原因を公式発表
オートスポーツweb 6月23日 17時16分配信

のニュースが飛び込んできました。
公式発表では
「ターボチャージャーとインタークーラーを繋ぐ吸気ダクト回りの不具合によるもので、これにより、ターボチャージャーの制御が失われた」

「不具合発生時、原因が特定されていない段階で、低下したエンジン出力を回復させるべく制御系の設定変更が試みられた。結果的には5号車はファイナルラップを走り切ることができる状態となったものの、その対応には時間がかかり、規定されている6分以内にファイナルラップを終えることができなかった」

「このトラブルの真因については現在、ドイツ・ケルンのトヨタ・モータースポーツGmbH(TMG)にて詳細を調査中。なお、今回の原因が第2戦スパ6時間レースでのエンジントラブルとは無関係であることは明らかとなっている」

「今後、同様のトラブルの再発防止のため、TMGで徹底的な原因究明調査を進めている」

この発表を信じるなら
メカニカル・トラブルです。
ヒューマンエラーでなくてよかったですね。
吸気ダクトが抜けたか、裂けたか。。
ただ、この程度の発表なら速やかにお願いしたいもんです。


今回の原因発表の遅れだけでなく
チーム・マネージメントに関して幾つか疑問符が付きました。
また、レース中のレース・マネージメントにも首を傾げたくなる事も多く

「トヨタは本気で勝つ気があるの?」
が私の率直な感想でした。

トヨタのヨーロッパでのレース活動の目的は
ヨーロッパでの乗用車の販売台数を増やす事なんで、優勝はどうでもいいんじゃないの?
そんな穿った見方さえしてしまいました。


「トヨタが本気を出すのは、車の販売台数」
これは、昔からガチでやってますし
これなら結果出してますもんね。


ネットではトヨタが負けたのは運だと言ってる方もみえますが
世界中の一流メーカーと一流ドライバーと一流レース屋が参加する世界最高峰の耐久レースに
運が良かったから勝ったとか
運が悪かったから負けたとか
絶対にありません。

それはやってる関係者が一番分かっているはずです。
また運などという言葉で片付けられたら、レースをやってる連中はたまったもんじゃありません。

F1なら
1976年のハントとラウダ
1981年のピケとロイテマン
1983年のピケとプロスト
1984年のラウダとプロスト
1986年のプロストとマンセル
2007年のライコネンとハミルトン
2008年のハミルトンとマッサ


1984年に至っては ラウダは0.5ポイント差での薄氷の勝利です。



1984年シーズン
マクラーレン MP4/2を操る
ニキ・ラウダ
搭載されたポルシェturboエンジンは
ラウダ自身がポルシェAGと直接交渉して
開発に漕ぎ着けたと言われています。


最終戦のポルトガルGP
ラウダは予選11位。
ラウダのチャンピオンへの条件は、2位以上。
レースが始まると、蛇のようなラウダは、徐々にペースをあげて前のクルマをパスしていきます。
レースが終盤にさしかかると
ラウダはマシンを右に左に揺らし始めます。
前方のマシンはミラーに映るラウダの姿に堪えるも、プレッシャーによって次々とミスを犯して陥落していきます。

レース終盤、マンセル、アルボレート、セナ等、合計5台を次々と抜き去っていくさまは
ラウダのキャリアの集大成といっても過言ではありません。

最終的に2位でチェッカーを受けたラウダは、首位のプロストのポイントを0.5ポイント上回って、表彰台に立ちました。

表彰台でラウダは、プロストに耳打ちしたそうです。
「来年は君の番だよ」

ラウダ自身、インタビューでは1984年のチャンピオンが一番嬉しかったと語っています。


これを全部、運で片付けられたら
F1界から数々の伝説がなくなってしまいます。

「運は実力で引き寄せるもの」

ポルシェ2号車のレース運びは、正にレースを知り尽くしたレース屋のレース運び。
故に、最終的に勝利を引き寄せたのは
ポルシェの実力です。

レースは、レースが始まる前から駆け引きが始まっています。
レース前のチームの統括・組織化から
ドライバーの選別。
しがらみでチーム作ってるようなメーカーは、その時点で負けています。
駆け引きは汚ないものと感じるようなら、即刻レースの世界から立ち去るべきです。
勝つためには、水面下でやれるべきことは全てやるのがグローバル・スタンダードで
チェッカーフラッグが振られるまでは最善を尽くすのが常識。
Le Mansのような歴史のある耐久レースなら尚更です。

話は少しそれましたが
F1と同じく


Le Mansでは、勝つべきものが勝つ。
この伝統は今も昔も変わる事はありません。


Posted at 2016/06/24 01:16:03 | コメント(3) | トラックバック(0)

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