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2016年、今年のLe Mans 24時間レースの
ゴール・シーンです。
必見です。
昨日、とある女の子に、今年のLe Mansでのトヨタの情けない戦いぶりとレースでのリスク・マネージメントの低さを説明していたら。。
女の子「Le Mansって、何ですか?」と質問されました。
ふぅー。
先ずは、其処からなんですね。。
俺「自動車レースには、世界3大レースというのがあってね。一つはF1のモナコGP、一つはアメリカのインディ500、そしてフランスのLe Mans 24時間レース。
この中でも特に Le Mansは重要なレースなんだ。
何せ、24時間の長丁場を複数のドライバーで走り抜ける耐久レース。
直線ではスピードが300キロ以上に達する区間もあるんだ。
世界中の自動車メーカーは自社の製品を売り込む絶好の宣伝機会だし、そこで優勝するってのはメーカーにとって非常に名誉な事なんだ。
昔は地上波でも放送していて、俺たちの若い頃は皆んな、何処のメーカーが勝つのか鵜の目鷹の目で熱中したもんだよ。
ポルシェみたいなメーカーは、正にそれでブランディングに成功した様なもんでさ。
それだけ、自社の製品は壊れない、速い、安全、快適なんだってね。」
昨年の、2015年 Le Mans 24時間レースのブログでも書きましたが
Le Mans 24時間レースというのは特別なレースです。
世界中の自動車メーカーが集まり
優勝する事で、自社の製品の優位性を世界中にアピールする場でもあります。
昔、プジョーがLe Mansで総合優勝した際に
次の日、パリ中のプジョー・ショールームから
プジョーが消えて無くなってしまったという逸話を聞いた事があります。
優勝を喜んだフランス国民が、Le Mans決勝の翌日にディーラーに殺到したんですね。
が!同時に優勝しなければ意味がないレースでもあります。
昨年ブログで書いたとおり
「2位もドベも一緒」
故に過酷なレースでもあります。
そのLe Mansマイスターであるポルシェは
1998年 Le Mans 24時間レースでの総合優勝を最後に
突如、Le Mansから姿を消しました。
当時は何で??という気持ちで一杯でしたが
後に判明したのは、傾きかかった自社の経営体質を改善する必要に迫られてのことでした。
Le Mansでは勝ちまくって
ポルシェはブランディングには成功していましたが、黒字続きのポルシェ・エンジニアリングに反して
ポルシェ乗用車製造販売の部門は赤字続きでした。
乗用車の開発、製造、販売が旧態然としていて、80年代の日本車勢の台頭もあって苦しい状況に。。
そこで、一旦レース活動を中止。
乗用車開発、製造、販売の経営基盤の強化に乗り出します。
それまでのポルシェのLe Mans総合優勝の回数は16回。
他社とは比較にならないダントツの成績でした。
最早、Le Mansといえばポルシェ、ポルシェといえばLe Mansと言っても過言ではない状況にあったと言えます。
それを投げ打って、ポルシェは賭けに出ました。
その甲斐あってか、その後ボクスターの成功
カイエンの成功もあって、見事に業績はV字回復。
黒字化して優良企業となったポルシェは再びLe Mansに戻ってきます。
2014年に、久しぶりにLe Mansに復帰すると
昨年の2015年には優勝。
今年の2016年も優勝。
どれだけポルシェというメーカーがLe Mansに強いのか
お分かり頂けますか?
トヨタは30年以上、Le Mansに参戦していますが今年も含め
一度も優勝した事がありません。
何故、ポルシェという会社は
こうまでLe Mansに強いのでしょうか?
莫大な資金を投入することや人海戦術を使う事は、他社に比べれば不利な会社です。
少なくとも1998年までのポルシェは経営不振であったため、少ない資金の中でレース活動を続けて、そして勝ち続けていました。
例えば1994年のポルシェは
Le Mansで狡猾に立ち回り
レースのレギュレーションを巧みに利用して勝利を収めました。
当時のLMP 1クラスの優勝候補はトヨタ。
ところが、この年はGTクラスにとんでもないクルマが用意されていました。
この年のLe Mansはレギュレーション上の大きな落とし穴がありました。
ロードカー仕様が1台でもあれば認められるLM GT1というクラスが設けられていたのです。
ダウアー・レーシングが、Cカーであるポルシェ962の1台をドイツでロードカー登録してナンバープレートを取得し、このクラスに3台を揃えてきました。
しかもダウアー・レーシングとはあくまでも名前だけで
実際にはポルシェ本社の技術者も加えたヨースト・レーシングとの混成部隊で、実態はポルシェ・ワークスの別働隊でした。
1994年 Le Mans ウィナー
ダウアーポルシェ
1994年のLe Mansは、この狡猾な方法で優勝を手にしたポルシェですが
各方面から批判を浴び、1995年のシーズンはポルシェ・ワークスとしてはLe Mansへの参戦を取りやめる事を発表しました。
ところが、そこは狡猾なポルシェ(笑)
この辺りの事は昔、ロータスのNメカニックとメールでやりとりしたことがあるんで、そこから抜粋してみます。
俺「Nメカニック
昨日は遅くまでありがとうございました。
m(_ _)m
ポルシェのモノコックの件
調べなおしたら
ちょっと複雑な経緯がありました。
1994年のダウアーポルシェのLe Mans優勝で
ポルシェのワークスは各方面から批判を浴びて
1995年はLe Mans不参加となりました。
ダウアーポルシェはポルシェ962なんでアルミのモノコックのはずです。
ただ、ポルシェはプロトタイプとして
1995年のシーズンに参戦する車両を既に準備していたそうです。
トム・ウォーキンショーに依頼して
シルクカット・ジャガーのモノコックを改造した
ポルシェ初のカーボンモノコック・シャーシのレーシング・カーが既に準備されてはいたそうです。
コードネームはwsc95。
1998年 Le Mansに出場した wsc95
現在はヨーストが保管
95年のワークスのLe Mans不参加が決まったため
その車両をポルシェ・ワークスがヨーストに売却。
結果、ヨーストが その車両を使って
1996年と1997年のLe Mansを制覇することとなりました。
TWR(トム・ウォーキンショー・レーシング) ポルシェ wsc95で2年連続の総合優勝です。
1996年 Le Mans ウィナー
TWR ポルシェ wsc95
1997年 Le Mans ウィナー
TWR ポルシェ wsc95
一方、ポルシェ・ワークスの方ですが
1996年、1997年
シーズンともに
ポルシェ GT1という名前で
市販車の993のプレス鋼板のキャビンと
後方にサブフレームを張り巡らし
無理矢理、ミッドシップにした993みたいな車両を製作して参戦しました。
1995年
ポルシェGT1開発時の貴重な動画
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ガソリンタンクの位置も
市販車と同じため、重量移動が激しく、操作し辛いクルマだったそうです。
更に、サスペンション・アームの長さも充分確保出来ないなど、正にやっつけ仕事感が一杯のクルマ。
それでもポルシェ・ワークスのGT1は
1996年シーズン、1997年シーズン共に
総合優勝に後一歩まで迫ったわけですから、ポルシェのレース部門にには恐れ入ります。
1996年 Le Mans 出場
ポルシェ GT1
Le Mansでデビューし、いきなり総合2位、3位に入りました。
1997年 Le Mans 出場
ポルシェ GT1
26号車が優勝目前で炎上リタイアしました。
んで1998年に
ポルシェ・ワークスとしては
初のカーボンモノコック・シャーシを使用した
ポルシェGT1を制作して、Le Mansに参戦。
見事総合優勝、ポルシェGT1で最後のLe Mansに有終の美を飾りました。」
1998年 Le Mans ウィナー
ポルシェ GT1
Nメカニック「ポルシェのwsc95は、トム・ウォーキンショー・レーシングが車を造ってからポルシェに売り込みに行った様です。それを見たノルベルト ジンガーが話に乗った…
という事みたいですね。」
俺「そうなんですか。。
トム・ウォーキンショー・レーシング(以下TWR)が日産やトヨタに話を持っていけば
歴史が変わったかもしれませんね。
wsc95をヨーストに売却したポルシェって
若しかして、保険かけてたんですかね?
GT1でワークスが勝利出来たら
最良でしょうが、プロトタイプのwsc95はヨーストに走らせることで
どっちが勝っても
結果としてはポルシェ優勝になりますから。。
ポルシェってワークスにあまり拘らないメーカーですし。
勝利への執念が凄いメーカーですよね。
よく調べると1998年のワークス最後の優勝の
GT1のカーボンモノコックって
結局TWRのものを使用しているようですし。。(汗)
最後まで、ポルシェ自社としてはカーボンモノコック製作してないんですね。
TWR恐るべし。。」
Nメカニック「’96 ’97ルマン優勝のWSC95は、完全に保険ですね。
’96のGT1は、クラッシュテストをクリアする為フロントセクションは、ノーマル993。
エンジンとミッションを逆さまに積んでミッドシップにしたため、制約が非常に多かったそうです。
’98GT1は、AMGのチーフエンジニア、メルセデスCLK-GTRを開発した、ゲルハルト ウンガーと言うエンジニアをヘッドハントしたそうです。カーボンなどの新素材にとても強い人だったそうです。
あと、’96と’97優勝の立役者であるヨーストの、ラルフ ユットナーというエンジニアを借り受けていたようですね。
それを、ノルベルト ジンガーが統括して、’98のルマン優勝につながったわけですね。」
Nメカニック「WSC95は、ガソリンタンクの大きさなど、優位性を見抜いたヨーストが、ポルシェ社に売れ!と迫ったとありますね。
面白い。」
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こんな感じで、ポルシェ・ワークスとしては、潤沢な資金があった訳でもなく、人海戦術を使った訳でもなくLe Mansを戦いました。
少ないマテリアルの中から
それを有効活用して、Le Mansで勝てる体制を如何に作り上げていくかの過程が見て取れます。
1998年某日
僕の当時の964のメカニックをしてくれていた
ラフタイム(元ミツワ名古屋のメカニック)の社長さんの元を訪れた際
「二階堂さん、このポスター要りますか?よければ差し上げますよ。」
「ディーラーに行って、昔の仲間からせしめてきました(笑)」
ポスターを開けてみると、私の目に飛び込んできたのは
ナイト・セッションを終えて
暁の光に照らされながら、コースを駆け上がってくる
1998年 Le Mans 総合優勝車両
ポルシェ GT1 26号車の勇姿でした。
その佇まいに、震えましたね。
このポスターは、今だに僕の宝物です。
2014年からLe Mansに復帰したポルシェ・ワークスと、当時のポルシェ・ワークスは全く違いますが
レースに勝つためのDNAは
しっかり受け継がれています。
2015年に続いての連続優勝
2016年、Le Mans 24時間レース
総合優勝 ポルシェ おめでとう!
まだ、日本にはLe Mansで勝つために足りないものがあります。
残念ですが認めざるを得ないのを
今回のLe Mansでも、キッチリ思い知らされました。
レースの内容に関しては、ぷーおんさんが詳しく解説されているので
是非、ぷーおんさんのブログをチェックしてみて下さい。
私が考えるトヨタの敗戦の原因もほぼ同じです。
注意
ここから下は
トヨタさん、感動をありがとう!と
気持ちよくなってる方には
厳しい内容になっていますから
読まない方がよいです。
私とトヨタの間には何の利害関係もないので、書ける範囲で書きますが。。
トヨタは
未だに最終ラップのスローダウンの原因について
原因不明との公式発表ですが
これには納得いきません。
途中経過でもいいですから発表するのが筋です。
純粋なモータースポーツ・ファンなら
トヨタの発表を心待ちにしているはずです。
24時間、応援し続けた
日本のモータースポーツ・ファンを
置き去りにするなら、ヨーロッパのためにレースをやっていると思われても
仕方ありません。
日本のモータースポーツ・ファンへの最低限の礼儀を尽くして下さい。
新聞広告一面を使って、今回のレースの敗戦を自社で総括するくらいの気概をみせて貰えれば
勝ちたいという、本気度は伝わりますよ。
とブログを書いているところへ
↓
トヨタ、ル・マン24時間での5号車トヨタTS050ハイブリッドのトラブル原因を公式発表
オートスポーツweb 6月23日 17時16分配信
↑
のニュースが飛び込んできました。
公式発表では
「ターボチャージャーとインタークーラーを繋ぐ吸気ダクト回りの不具合によるもので、これにより、ターボチャージャーの制御が失われた」
「不具合発生時、原因が特定されていない段階で、低下したエンジン出力を回復させるべく制御系の設定変更が試みられた。結果的には5号車はファイナルラップを走り切ることができる状態となったものの、その対応には時間がかかり、規定されている6分以内にファイナルラップを終えることができなかった」
「このトラブルの真因については現在、ドイツ・ケルンのトヨタ・モータースポーツGmbH(TMG)にて詳細を調査中。なお、今回の原因が第2戦スパ6時間レースでのエンジントラブルとは無関係であることは明らかとなっている」
「今後、同様のトラブルの再発防止のため、TMGで徹底的な原因究明調査を進めている」
この発表を信じるなら
メカニカル・トラブルです。
ヒューマンエラーでなくてよかったですね。
吸気ダクトが抜けたか、裂けたか。。
ただ、この程度の発表なら速やかにお願いしたいもんです。
今回の原因発表の遅れだけでなく
チーム・マネージメントに関して幾つか疑問符が付きました。
また、レース中のレース・マネージメントにも首を傾げたくなる事も多く
「トヨタは本気で勝つ気があるの?」
が私の率直な感想でした。
トヨタのヨーロッパでのレース活動の目的は
ヨーロッパでの乗用車の販売台数を増やす事なんで、優勝はどうでもいいんじゃないの?
そんな穿った見方さえしてしまいました。
「トヨタが本気を出すのは、車の販売台数」
これは、昔からガチでやってますし
これなら結果出してますもんね。
ネットではトヨタが負けたのは運だと言ってる方もみえますが
世界中の一流メーカーと一流ドライバーと一流レース屋が参加する世界最高峰の耐久レースに
運が良かったから勝ったとか
運が悪かったから負けたとか
絶対にありません。
それはやってる関係者が一番分かっているはずです。
また運などという言葉で片付けられたら、レースをやってる連中はたまったもんじゃありません。
F1なら
1976年のハントとラウダ
1981年のピケとロイテマン
1983年のピケとプロスト
1984年のラウダとプロスト
1986年のプロストとマンセル
2007年のライコネンとハミルトン
2008年のハミルトンとマッサ
1984年に至っては ラウダは0.5ポイント差での薄氷の勝利です。
1984年シーズン
マクラーレン MP4/2を操る
ニキ・ラウダ
搭載されたポルシェturboエンジンは
ラウダ自身がポルシェAGと直接交渉して
開発に漕ぎ着けたと言われています。
最終戦のポルトガルGP
ラウダは予選11位。
ラウダのチャンピオンへの条件は、2位以上。
レースが始まると、蛇のようなラウダは、徐々にペースをあげて前のクルマをパスしていきます。
レースが終盤にさしかかると
ラウダはマシンを右に左に揺らし始めます。
前方のマシンはミラーに映るラウダの姿に堪えるも、プレッシャーによって次々とミスを犯して陥落していきます。
レース終盤、マンセル、アルボレート、セナ等、合計5台を次々と抜き去っていくさまは
ラウダのキャリアの集大成といっても過言ではありません。
最終的に2位でチェッカーを受けたラウダは、首位のプロストのポイントを0.5ポイント上回って、表彰台に立ちました。
表彰台でラウダは、プロストに耳打ちしたそうです。
「来年は君の番だよ」
ラウダ自身、インタビューでは1984年のチャンピオンが一番嬉しかったと語っています。
↑
これを全部、運で片付けられたら
F1界から数々の伝説がなくなってしまいます。
「運は実力で引き寄せるもの」
ポルシェ2号車のレース運びは、正にレースを知り尽くしたレース屋のレース運び。
故に、最終的に勝利を引き寄せたのは
ポルシェの実力です。
レースは、レースが始まる前から駆け引きが始まっています。
レース前のチームの統括・組織化から
ドライバーの選別。
しがらみでチーム作ってるようなメーカーは、その時点で負けています。
駆け引きは汚ないものと感じるようなら、即刻レースの世界から立ち去るべきです。
勝つためには、水面下でやれるべきことは全てやるのがグローバル・スタンダードで
チェッカーフラッグが振られるまでは最善を尽くすのが常識。
Le Mansのような歴史のある耐久レースなら尚更です。
話は少しそれましたが
F1と同じく
Le Mansでは、勝つべきものが勝つ。
この伝統は今も昔も変わる事はありません。