
子供の頃から車が好きでした
小1の頃は10坪住宅に一家4人で住んでいて父親はスバル1000に乗っていました
隣の住人がたまたま中古車屋さんの店主でフェアレディ240ZGに乗ってました
その少し後にトミカでも240ZGが発売され速攻で買いに行ったのを覚えています
色はなぜか水色
あずき色が出たのはだいぶ後の話です
その頃の将来の夢という作文に大人になったら日産に入ってフェアレディZを作りたい
とか書いていました
ある日 父親のスバルは走行中にボンネットが突然 開きフロントガラスが割れて廃車となり 車を買い換えるチャンスが到来しました
もちろん4人家族なので二人乗りのフェアレディなんぞ 候補になるわけもなくスカイラインかマーク2かで迷い
中古のマーク2がうちにやってきました
知り合いの勧めもあって当時 珍しかったミシュランの中古タイヤを履いていました
マーク2にワックスがけを手伝わされたのを覚えています
月日は流れ小6でスーパーカーブームがやってきました
スーパーカー大集合というワニの豆本という書籍がバイブルでした
ランボルギーニカウンタックLP400はミシュランをLP500SはピレリのP7を履いていました
友達がうちのマーク2のタイヤだけ写真を撮りに来たのを覚えています
ぼくは当時スーパーカー博士とか呼ばれて調子に乗っていました
マセラティボーラとメラクを窓で見分けたり
AUTOSPORTまで本屋で立ち読みしていました
その中でドイツのシュニッツァーがチューンを施した1978年型のセリカターボがポルシェを破ったというニュースはとても興奮しました
そしてそのセリカを瑞穂町に拠点があったTOM'S が買取り79年に日本のレースに参戦することを知りチャリで隣町まで見に行きました
そこにはたまたま童夢-零の生みの親である 林みのる氏が訪れレーサーだった館さんと話をしてました
小6のぼくがお二方の名前を知っているなどという事はどうでもいいことだったと思いますが邪魔にならないように100円のトムスステッカーを2枚買って帰ってきました
イタリアのフェラーリやランボルギーニのかっこよさに日本車は対抗できてないと子供ながらに思いながらもセリカターボGR5はなかなかの検討を見せていました
F1では日本グランプリがあり6輪のタイレル(後にティレルと呼ばれるようになった)P34もなかなか個性的なマシンで好きでした
ラリー車ではランチアストラトスやアルピーヌA310
1978-9辺りの子供たちを魅了した車たちは今見てもカッコいいものが多いように思います
50過ぎてスーパーカー買うなんて幼稚だと言われるかもしれませんが男はいつまでも少年の心を持ち続けていてもいいと思っています
Posted at 2022/03/14 20:45:50 | |
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