【板谷峠】 米沢街道 (山形県道232号板谷米沢停車場線)
投稿日 : 2011年08月04日
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板谷峠というと碓井峠と並び鉄道(JR奥羽本線)の難所として超メジャーですが、「道」としての板谷峠のほうが歴史は古く、伊達家が福島から米沢に本拠地を移した際に開削したと言われています。江戸期には米沢の上杉藩の参勤交代路としても使われていました。
今回は万世大路(R13/福島~米沢)の走破した際に、予習なしで急遽探訪したため、見どころをあちこち見落としてますが、いちお記念に写真をアップします。
万世大路の東栗子トンネルと西栗子トンネルの間に挟まれたエリアから県道232号線に入ります。
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R13から県道に入るとすぐに板谷の集落が見えてきます。
ここまでの道路は現在の万世大路が開通した際に①のエリア(現在の栗子峠)から板谷集落までをつなぐルートとして新設されましたが、米沢と福島を結ぶ街道(福島では米沢街道と呼ばれ、米沢では福島街道と呼ばれる)は、先のT字路を左右に通るルートになります。
T字路を左に進むと、昔は福島まで通じていましたが、今は県境の蟹ヶ沢で道は途切れ、福島県にはいけないみたいです。
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②のT字路を右折すると、そこはJR板谷駅の駅前広場(?)
山形新幹線が出来上がる前まで、ここ板谷峠を越える路線は4つのスイッチバックの駅が連続する難所。
現在は新幹線開業に合わせ改良が加えられ、スイッチバックはなくなっていますが、当時の姿が今も残っています。
板谷駅、そして隣の峠駅の様子は別のフォトギャラでアップしてみました。
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板谷駅を後にして米沢方向へ山を登っていくと、立て看板発見♪
何?何?と思い近寄って説明を読むも、ここから10分、藪の中を歩いていかないといけないようで今回は断念。。。
赤穂藩の末席家老、大野九郎兵衛と言えば忠臣蔵の多くの創作話では憎まれ役として有名ですが、史実では出奔した後の経緯は謎のまま。いろいろ、言い伝えは残っているようです^^
実は徒歩でしか進めない細道が江戸期までの旧街道らしく、奥に進むと石畳なども見ることができるそうです。リベンジせんとね、、
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さらに県道を登っていくと、青看板
左折すると峠駅、そして、今や有名になりすぎて秘湯でなくなった秘湯、姥湯温泉などへ行くことができます。江戸期までの旧街道の板谷峠は左折したほうにあるようですが、直進して現役の峠に向かいます。
ここまで、また左折する道は真冬でも閉鎖されていないようで、青看板から先が冬期閉鎖区間のようです。
駅や温泉宿があるから仕方ないけど、閉鎖されない区間も相当なもんだと思いますが・・・
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なんとなく、いい感じになってきました♪
先人の方々のwebでのレポートを見ると、ここらはダート道のようでしたが、今は峠まで舗装されてしまっています。
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途中、後ろを振り返り、福島側を望みます
が、山奥すぎて、どこ向いてるかわかりません(笑
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あっというまに峠に到着♪
看板や碑など、なーんもありません
以上、板谷峠でした~
ってことで、今回は体力切れのため、このまま米沢まで下らずに、今来た道を引き返し、R13経由で帰路に着きました^^;
(走行日:2011.7.18)
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