去る8/16(土)に、私は完全に仕上がったRUFポルタボくんを引き取りに上京しました。
電磁ポンプ他燃料系統を全て交換し、再電気配線等々を行った訳ですが、本来なら追加整備料金
(修理費用?)を取られてもおかしくないのに、追加料金は発生しませんでした。かなりの大手術を
行ったのにも、です。
ですが、その後に、地獄が私を待っていました。
東京の道路を車で運転するのは初体験。しかも外車(左ハンドル)で一般道路を走るのも初体験。
あっちの初体験は事を終えた後に、「な~んだ、こんなものなの?」、でしたが、当然のこと、大泉
JCに向かうまで路に迷い、やけに狭い道路に入ってしまい、「人をはねてはならないっ! 車を
ぶつけてはならないっ!」、と、本当に必死でした。あ~、何という筆おり。
それで、無事、大泉JCに着いても、まだ胸がドキドキ。大量の汗がダラダラ。この日は雨天で
涼しかったことが幸いしたのですが、だけど、後でそれが仇になるとは思いもしませんでした。
外環道路を経て、川口JCから東北道に入った私を待っていたのも地獄。
先ず、RUFポルタボくんの凄まじいパフォーマンス! 当然、5速で走っていたのですが、「これ、
6速があるんじゃない?」、と、錯覚するほどのパワーの持て余し。時速210キロを出しましたが、
RUFポルタボくんが、「君、何やっているの? 僕のスピードはもっと出るよ」、と、話しかけて
きました。私は完全に『車に飲み込まれて』いました。
次に、タイヤの空気圧(ポルシェ社の指定通りだったのですが)が高く、タイヤが路面状況に敏感に
反応し過ぎて、ボンガ・ボンガ状態。タイヤが路面に完全にグリップしていませんでした。
そして、雨。路面がウエットであるが故に、車の足下が極めて不安定。タイヤがグリップしていない
ところに緩やかなカーブが現れた時には、「RUFポルタボくん、お尻、流さないでね」、と、私は
リア・ヘヴィの怖さを知りました。
決して大袈裟な話ではなく、私は、「死」を意識しました。
私は最初のSAで一休みし、缶コーヒーで喉を潤し、煙草を一服。
腕時計を見忘れたので正確な時間が解らないのですが、まあ18時くらいにしておきましょう。
それから私は、再度、東北道を一路、福島を目指して突き進んだ訳ですが、走行車線を大人しく
運転。車をクラッシュさせたり、死んでは意味がないのですから。
もう、追い越し車線をどうでもいい国産のワンボックスカーや軽自動車が私のRUFポルタボくんを
ガンガン抜いて行きますが、「おめーら、タイヤの空気圧を少し弱めて、タイヤをグリップさせたなら
俺とRUFポルタボくんが追い抜いてやるからな」、と言う気持ちでした。
でも、生きた心地は全くしませんでした。
結局、無事、何事もなく家に着いたのは、21時過ぎでした。
だが、しかーし。翌日(昨日)、幸福が私に舞い訪れました。
あづま総合運動公園という場所に赴き、私はRUFポルタボくんをドライブする大きな楽しみを知り、
同世代と思われる人々に、「ええっ?! RUFですかあっ! 凄いですねえ」、と言われ、私は顔を
赤くしました。
また、国道115号線を走った際には、インプのstiを駆る若者が視線で私にシグナル・グランプリ(?)
を挑んできました。私は、ドッカーン・ターボを使い、5速までシフト・アップした時にルーム・ミラーで
後ろを見た、ら。インプのstiが凄く小さくなっていました。他に、ホンダS2000を駆る若者が走行中に
私に挑みかかってきましたが、S2000など、ターボを使わない回転域で楽勝。
私はRUFポルタボくんの物凄いパフォーマンスを知りました。
まだまだ直線番長状態ですが、もっと腕を磨いて、RUFポルタボくんのコーナリング性能等々を
楽しみたいと思います。
行き着く先は、サーキットでしょうか。
ただ、RUFポルタボくんのハンドリング性能は高い。凄い。GT-Rに負けません。
Posted at 2014/08/18 18:22:10 | |
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