
先日の3連休、ヴォクシーで宮城県を旅行してきました。
東日本大震災の被災地を巡り、復興の現状をこの目で見て、現地でお金を使うことによって復興支援ができればと思い、家族で出かけました。ひとくちに被災地といっても範囲が広いのですが、震災の年の6月に僕が一人で参加したボランティアツアー(運動公園の広場の泥出し)で行ったことがあるということもあって、今回は宮城県の石巻周辺を目指しました。
まず向かったのは、石巻市中心部の旧北上川の河口に位置する丘陵地「日和山公園」。石巻市内を一望でき、桜の名所でもあります。震災当日は多くの人がこの日和山に避難しました。
展望台から海のほうを眺めると、海岸から日和山の麓まで更地が広がっています。展望台に震災前の写真のパネルが設置されていて、今の景色と見比べることができるのですが、この更地には住宅街が広がっていたことがわかります。この地域は津波に加え、火災によっても多くの家屋が被害を受けたそうです。反対側の旧北上川の流域にも更地が広がっていて、津波が川を遡り、被害が広がったことが窺えました。
ちなみに、朝6時に横浜の自宅を出発し、途中、首都高の渋滞の他は順調に進み、何度か食事や休憩を取りながら日和山公園に着いたのは14時過ぎでした。
1泊目の宿は石巻の市街地から車でおよそ90分の牡鹿半島の突端のホテルで、部屋の窓からすぐ目の前に金華山を臨むことができました。ホテルまでの道すがら、いくつかの漁港を通ったのですが、どこも更地が広がるばかりで、ひと気もほとんどない感じでした。牡鹿半島は古くから捕鯨が根付いており、宿の夕食でも鯨の刺身が並びました。臭みがなく柔らかく美味しかったです。鮑の踊り焼きも付いたのですが、これがまた柔らかくて最高にうまかったです。
1泊目の宿でノアとヴォクシーが並びました。旅行中、特に石巻の市街地で新型を多く見かけました。
2日目は原子力発電所があることでも知られる女川町に向かいました。初日は雨が降ったり止んだりのぐずついた天気だったのですが、この日は朝から青空が広がり、陽射しがたっぷりでちょっと暑いくらいになりました。
女川に向かう道すがらも、かつては港町であったであろう更地が広がる場所がいくつもありました。多くのところで堤防の建設や沈下してしまった地盤を修復する工事と同時に少し山に入ったところを切り拓いて住宅地を造成する工事が行われているのをしばしば目にしました。どこの漁港も透き通った海が広がる風光明媚で静かなところで、不自然に広がる更地や、所々に見られる仮設住宅がなければ、ここが震災で大きな被害を受けた場所とは思えませんでした。
女川港に着いてまず目に飛び込んできたのは、上の写真の津波で大きな被害を受けた建物でした。この建物は「江島共済会館」という宿泊施設だったのですが、震災遺構の候補として撤去されずに残されています。言われるまで気付かなかったのですが、この建物、じつは4階建てで、真横に倒れている状態です(右側が土台部分)。津波によって根こそぎ倒され、さらに流されてこの場所にあります(海は右側)。津波はこの写真の正面の高台の建物(女川町地域医療センター)の1階の天井近くまで押し寄せたそうです。
津波で息子さんを亡くし、供養塔に花を供えに来ていた地元の女性が、涙を浮かべながら当時のことを色々と話してくれました。「復興はまだまだです。私たちが元の生活に戻ることはできません。心の傷が癒えることもないでしょう。皆さんには、この震災の記憶を風化させることなく、教訓として今後に活かしてほしい。そのためにも、家に帰ったら周りの人たちに被災地の現状をお話しして伝えてもらえたら嬉しいです。」女性はそう言っていました。
女川の町も更地が広がり、重機が入って護岸工事や盛り土をして土地の嵩上げをする工事が始まっていました。この周辺の漁港は、ほとんどが津波によって壊滅状態となってしまったそうです。
ちなみに、この「江島共済会館」は諸事情により近く解体が決まっています。すぐ近くに同じように横倒しになった「旧女川交番」がありますが、こちらは震災遺構として保存が決まっています。
女川漁港にほど近い丘の上の旧女川高等学校のグラウンド跡地に復興商店街のひとつ「きぼうのかね商店街」があります。この商店街は、がれきの中から見つかった「希望の鐘」をシンボルとし、震災で被害を受けた女川町の商店と町の皆さんの生活の復興のために開設された商店街で、木造の店舗30棟とプレハブ店舗20棟に飲食店や青果店、衣料品店など様々なお店が並んでいます。訪れた日は日曜日でお休みの店舗も多く、あまり人は多くありませんでしたが、ここで昼食をとり、お土産を購入しました。立ち寄ったお店の方からも、まさに九死に一生を得た震災時の貴重なお話しを聞くことができました。
ちなみに、女川高等学校は生徒数の減少により平成25年度をもって閉校しています。震災では高台に位置するため津波の被害こそ免れたものの、地震によって校舎が大きな被害を受けました。
2泊目は日本三景のひとつ「松島」。松島湾に面したホテルで、部屋の窓から松島の絶景を独り占めできました。松島も津波の被害に遭い、このホテルも1階部分が腰の辺りまで浸水したそうです。宿の夕食では松島の代表的な名物「牡蠣」と「穴子」を鍋と天ぷらでそれぞれ堪能しました。船盛の刺身も新鮮で最高でした。
3日目は北風が強く吹く中、松島の島々が一望できる大高森という山(標高105m)へ。登山口の駐車場から山頂まで徒歩約15分。少々急な登山道を登り切ると、絶景が広がっていました。しかも朝から続く天気雨で、大きく綺麗な虹が迎えてくれました。大高森までの道すがら、JR仙石線の「野蒜駅」近辺を通るのですが、この辺りも津波の被害が甚大で、仙石線は今もこの辺りの区間は運休しており、復旧工事が進められていました。
その後、松島の市街地に戻り、国宝「瑞巌寺」と紅葉の名所でもある「円通院」を見学し、近所の食事処で「牛タン定食」を堪能し、お土産を購入して帰路につきました。
宮城、岩手のお土産といえば・・・「萩の月」と「かもめの玉子」。定番ですね。「名物に旨い物なし」とは言いますが、この2つに関しては例外ですね。どちらも「超まいうー」です。
帰路は東北道で所々渋滞があったものの首都高は順調で、途中、食事や休憩を取りながら約7時間かけて無事に帰宅しました。総走行距離約1,027km、大人5人乗車でエアコンを使いながら平均燃費は約17km/ℓでした。給油は帰路途中の高速SAで1回のみ。燃費が良いって嬉しいですね。有意義で充実した旅になりました。
Posted at 2014/11/05 23:39:08 | |
トラックバック(0) | 日記