2009年06月17日
道徳上のジレンマ -車-(以下引用)
また交通渋滞です
割り込ませてもらえない男性はイラダチを隠せません
あなたにとって彼は見知らぬ人
先を急ぐあなた
彼に道を譲りますか?
譲れない気持ちもわかります
急いでいることや
仕事や家事でモメて心にも余裕がないことはよくあります
もし親切心から道を譲っても見返りは期待できません
それでも道を譲るのは何故でしょう
“共同体意識”の表れとも考えられます
“情けは人の為ならず”という思いがあるからかもしれません
人は何故他人に親切にするのでしょう?
社会心理学の“公平な世界の仮説”は世界は予測可能で公平だと説いています
善人には良いことが起こるという考えです
普段このように考えていれば行動の結果が予測でき安心して過ごせます
目標を定めやすくもなります
今道を譲っておけばいつか譲ってもらえるのです
しかし現実には善人にも悪いことが起こります
でも少しの親切で世界は変わります
“公平な世界”でなくとも善行はできるはず
次の渋滞であなたは道を譲りますか?
よく考えてみてください
ナショナルジオグラフィックであるコーナー
これを見て思ったのは
基本的に譲れる限り譲るようにしてはいるが
他人に良いことをしたからといって
自分に良いことが起こるとは限らない
思い出した
過去に
散歩をしていたら
見知らぬおじいさんが脱輪させていた現場に出くわし
数人がかりで車を脱出
その後おじいさんはささーと現場を離れた
おい、とは思ったけど
まぁいいか
今日はいいことをした
と思った15分後
対向車(右折車)を止まって譲った車
その譲れらた右折車に
私は撥ねられた
いいことしたのにぃぃぃぃ
これを見て思ったのは
“公平な世界”でなくとも善行はできるはず
そういうこと~
これ大事
Posted at 2009/06/17 23:53:09 | |
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