
私がポルシェの仕事をする様になったのは1989年だから27年も前の話しなのですよね(汗)。
当時のポルシェは正に存亡の危機にあったのです、フロントエンジンのポルシェが売れずに旧態然とした911シリーズだけを残すと言う英断は評価されるものの911だけでビジネスが成立する訳では無いので画期的な次期モデル開発が急がれていました。
私がポルシェUSAのR&Dの入ったのはこの様な時期だったです。
当時ポルシェUSAのHQはネバダ州のリノと言うカジノの街に在ったのですよね
それから私のリノ通いが始まったのですが片道500マイル(900km)を夜中8時間かけて走って行くのです。
当時は私の928S4かポルシェのテストカーでこの長距離を走っていましたが一度当時私が持っていた904で走って行った時はほとほと疲れましたね(汗)
やはり904はレースカーであって公道を長距離走る車では無かったです
さて、ミッドシップスポーツカーを作ると言うプロジェクトの為にポルシェAGからハーム ラガイがR&Dにやってきましたが彼は私と同じ歳でレースも好きだと言うのでたちまち仲良くなりました。
ボクスターの開発は苦労したけれど楽しいものでしたよ。
最初のプロトタイプは私がアルミで叩き出しました、既に彼と私の間ではボクスターはカブリオレとクーペの2種類だけを作る方針でした。
コンバーティブルは本社の方からパワートップを付ける様にと言われ我々はがっかりしたものでした。
パワートップのユニットだけでも重いのですよね、ポルシェとしては画期的安い車を作ろうとしているのにこんなモノを付けて如何するのだと毎日喧々諤々会議がドイツとの間で開かれました。
私はもっぱらハードトップを固定したクーペ作りに邁進していました、その中でもクリアーのプラスティックトップに特殊加工してガラス程の強度を持つトップも開発しました。
しかしクーペモデルはハードトップとして残ったものの事実上没になってしまいました。
この後開発秘話はケイマンも含めて次回に・・・・。
尚、タイトルフォトはリノに向かう山間の道なのです。
Posted at 2016/05/28 00:12:24 | |
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