2018年07月28日
私は高校時代に大病に掛かり中途退学を余儀なくされました。
父親は東大を出て母親も大正生まれにも関わらず大学を出た人でした。
二人の兄達も国立大学を卒業し商社と銀行に勤めた優秀な一家でしたが私だけは高校中退と言う落ちこぼれになってしまいました。
意外や意外父親はそんな私に不治の病を克服したのだから自由な生き方をすれば良いと言ってくれたのです、ただ兄達は社会に通用する切符を持っているけれどお前は自分で社会に出てその切符を手に入れるのだよと言ってくれました。
学校での勉強と違ってやはり自分のやりたい事への取り組みは当然違いましたね。
車や写真、絵など若い頭にはどんどん入って来るのですよね、だから高校を中退した後は一切学校と言うものには入りませんでした。
車の免許も飛び込み試験で大型迄とり学歴に関係の無い通関士やクレーンの免許などあらゆるものを採りました。
これらはその後の私の人生に大いに役立ったのは勿論の事でした。
若い人達に何が何でも大学に行きなさいと押し付けるのはどんなものかと思っています。
好きな事をやるのも人生だと思いますよ。
Posted at 2018/07/28 08:38:01 | |
トラックバック(0) |
日記 | 日記
2018年07月23日
その昔新宿駅で石を投げるとカメラマンやイラストレーターに当ると言われていました、これは今でも一緒なのでしょうね。
出遅れた私は、ではどうしたら彼等に勝てるかと思った時に彼等が撮る事の出来ない被写体や描く物がある所に行くべきだと考えアメリカに来たのです。
しかしアメリカのこの世界は日本以上に厳しいものでした、私の絵を見てこれは素晴らしいし、出版社やメーカーに知り合いが居るから紹介してあげよう何て話しはそれこそ無数にありましたが何一つ纏まる事はありませんでした。
家内のアドバイスで意を決して出版社に自分で売り込みに行く事に決めました。
10軒ばかり周りその内の2軒から色よい返事をもらう事が出来ました。
ヨーロピアンカーと言う雑誌では毎月センタースブリードに2ページに渡って毎月構造画を何と1000ドルで使ってくれると言うのです。
この雑誌社とはその後5年に渡ってのお付き合いが出来ました。
又、ある日画材屋さんに行って相談をしていた所、後ろに居た女性が名刺を出してそのフォトフォリオ
を持って会社に来て下さいと言うのです。
見るとトヨタUSAの広報の人でした、私の住んでいた所は日本の3大メーカートヨタ、ニッサン、ホンダのアメリカのHQの密集しているところでした。
流石にアメリカのHQだけあって一度門戸を開いてくれるとディープな付き合いが出来るのですよね。
構造画は勿論カタログ写真のオーダー、更にはプロトタイプの設計や製造まで頼まれる様になりました。
当然ニッサンもホンダの仕事も入って来る様になりました。
一度有名になるとポルシェ、ベンツ、フォード、GM等との繋がりも出来現在に迄お付き合いをさせて頂いています。
やはり拙い英語でも自分から飛び込んで行かなければならないのですよね。
Posted at 2018/07/23 07:31:02 | |
トラックバック(0) |
日記 | 日記
2018年07月20日
家内との約束通り3年間の毎日新聞との特派員契約が切れるに当って、このままアメリカに居続けるかどうかを決断する時がやってきました。
好きな車やバイクをメインの仕事にする事に決め、早速新聞の求人欄を見てある中古バイク屋に面接に行きました。
表には修理の出来ていないバイクが30台程並んでいましたがメキシカンのメカニックが一人で直しているので捗らない事この上無しでした。
一方私の方は規定で3日掛かるホンダのゴールドウィングのエンジンのOHを1日半で仕上げていました。
店のオーナーにとっては有り難い事でしたが私にとっては困った事になりました、修理をする仕事が無くなったのです。
仕事が無くなると当然収入が無くなるので別のホンダのショップと掛け持ちをする事となりました。
それでも仕事が安定しないのでハーレーのディーラーに一週間に2日勤める事になりこれで一週間を2日ずつ3つの職場に勤める事になりました。
このハーレーのディーラーはCHPの指定工場だったのですが色々問題があり指定を取り消される寸前でしたがCHPの仕事はすべて私が手掛ける事になり指定を取り消されずに済みました。
ある日CHPのチーフがパトカーでやって来てパトカーに乗れと言うのです連れて行かれた場所はCHPのHQでしたそして突然逮捕すると言うのです。
お前のビザではこんな仕事をする事は出来ない筈だだからこのままCHPに入ってバイクやパトカーのメンテナンスをやれば安定した給料や永住権を与えると言うのです。
巨人の様なオフィサーに囲まれてさーどうする、さーどうすると詰め寄られて・・・・(汗)。
話は前後しますがこの時点では本来のフォトグラファーやアーティストの仕事がぼちぼちと入って来ており夜はユナイテッドエアーラインのメカニックとして働いていたので大きな決断を迫られる事になりました。
Posted at 2018/07/20 20:25:08 | |
トラックバック(0) |
日記 | 日記
2018年07月17日
早いものでアメリカに移住してもう36年も経ったのですね、LAXに降り立ったのが昨日の様に思い出されます。
当時はビザ無し渡航なんてシステムは無く毎日新聞のバックアップでアメリカ大使館迄出向きIビザを取得したものでした。
イタリアに住んでいた事もあってアメリカの右側通行は苦にならず次の日からは家内に地図を見させながらレンタカーで家探しをスタートしました。
私一人ならば小さいどんな場所でも良かったのですが家内が一緒ならばやはり比較的治安の良い場所にデュープレックス(2軒長屋)を借りる事が出来ましたが予定していた倍の家賃になってしまいました。
レンタカーばかり乗っている事は不経済なので近くの中古車屋で巨大なクライスラーを買ってカリフォルニアのドライビングライセンスをとりに行きました。
ペーパーテストは少し勉強すれば簡単に受かりました。
路上テストは試験官が助手席に乗り彼の支持する通りに走ったり路上駐車をする事でOKになりました。
序でに家内も私もバイクの免許をとりいまだに持っております。
試験を受けたバイクは私の友達の125ccのバイクでしたがこれでハーレーの様な大きなバイクでも乗れるのがやはりアメリカでしたね。
本来日本で取得した国際免許でも運転出来るのですがやはりこちらの免許を取得するのは身分証明書にもなるので必要不可欠なものです。
イタリアでは毎日イタリアンフードで良かったのですが流石にアメリカンフードだけでは飽きが来て知り合ったトヨタUSAの稲葉社長から日本人街を教えてもらい炊飯器とお米を買って炊いたご飯は美味しかったですね。
Posted at 2018/07/17 20:44:12 | |
トラックバック(0) |
日記 | 日記
2018年07月12日
今朝は8時から二本の親知らずを抜きました(汗)。
前々からこの二本は化膿しており二本を一時に抜くのは大変ですよと言われていたのですが痛くても構わないからと抜いてもらいました。
ベッドに横になっていたところ女性から電話がありボーイフレンドの誕生日の為に色付きのコブラのポスターがどうしても欲しいと言って来たのです。
今日は二本も歯を抜いたので車の運転も出来ないからと断ったのですがBFの誕生日は明日なので何とかならないかと涙声で頼まれると断り切れずベーカーズフィールドのスタバで待ち合わせました。
私の娘くらいの歳の彼女は韓国人でしたがそれはそれは美しい人でした。
無理をしても届けて上げて良かったです。
今日は物が食べられないので今度彼女の奢りでディナーを一緒にしましょうとお誘いを受け楽しみが増えました。
今は無理をしたのでベッドで唸っています。
Posted at 2018/07/12 12:46:40 | |
トラックバック(0) |
日記 | 日記