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2026年02月25日 イイね!

まもなく軽市場に投入される、サクラもN-BOXもハスラーも一挙に吹っ飛ぶ?すごいクルマ

CX-5を購入したばかりですが、前からセカンドカーとして軽自動車をちょっと考えています。

軽自動車は乗ったことがなくて、ほとんど知識がありません。
「ワゴンR」っていう車名は知ってても、メーカーはどこかわからないという程度。
もっとわからないのはやっぱり運転感覚。
「軽のがんばってる感」ってよく聞くけど、「N-BOXは2リッター車の運転感覚」とも聞くのです。

まず注目したのは電気自動車(BEV)の日産サクラ。





BEVならモーターなので「軽のがんばってる感」なんかまったくないそうです。
外観も内装もとてもいいんだけど、問題は航続距離。
カタログデータでは180kmだけど、実際のオーナーの人の声を聞くと100km走ったら充電ステーションを探し出さなきゃいけないそうです。
そして途中の道の駅を見つけても、そこで充電のために1時間ドライブは中断されます。
もし既に先約がいればさらに1時間。
それが100km毎となるとストレスなくドライブは楽しめないし、山岳ドライブなんかできっこない。
結局この航続可能距離が軽のBEVでは大問題。
クルマとしてはいいクルマなので、「自宅に充電設備があってスーパーへの買い物に使うくらいなら買い」だと言われてますが、自転車でも行けるスーパー行くために300万円のクルマを買う人いるでしょうか?

車両価格は300万円くらい。BEVは国からの補助金が50万円くらい出るので、250万円。
しかしそれでも中古車市場に真新しいサクラが並び、今後さらに増えるそうです。
サクラを買って後悔しても、4年以内に売却すると、補助金もらった人はそれを全額国に返還しなければならないので売りに出されるのはこれからなのです。
中古車市場に溢れかえると当然リセールバリューは下がり新車も売れません。
N-ONE e:だと、もっと航続距離はあるようですが、BEVなら500kmは走ってほしいと思います。

しかしわたしのように「軽自動車が300万円って高すぎだけど、BEVだからかあ」と思われる人も多いでしょうけど、BEVでなくガソリン車でも、先進装備を満載したクルマだと今や300万円ってあたりまえなのです。


日産ルークス(かなり気に入ってる)





三菱デリカミニ





デリカミニは、デジタルミラーもドラレコもETCまで最初から全部ついてるけどほぼ300万円。ルークスは200万円以内で買えるけど、装備をつけていくと結局同じくらいになってきます。

こういうハイトワゴンとは一線を隠しているのが、ジムニーとハスラー。
女性にも大人気なのがこの2車種。
ただジムニーっていうのはかなり本格的なオフロード車で、雪山でペンション経営してる人とかならわかるけど、東京の街乗りに乗るクルマではないし、燃費も(みんカラユーザーによると)リッター12km程度と、シティユースとしては軽に乗る意味がない数値。
その点ハスラーはわたしも好きなんだけど、インパネや装備が今となっては他のモデルに見劣りしてしまいます。




こう見てくると、「すごいな」っていう軽はあるものの、実際買う?っていうことになると躊躇します。
税制面で有利とは言っても、300万円なら普通車でもCセグメントならほとんど買えてしまう価格ですからね。


でも、いよいよ、トヨタが。
ダイハツではなく、TOYOTAブランドで。
ものすごい車を軽市場に投入します。

わたしもこのクルマについては色々調べてますが、ジムニーやハスラーに対抗するミニFJクルーザーみたいなデザインか、N-BOXのようなハイトワゴンかは情報が錯綜していてわかっていません。
一応両方の予想CGを上げておきます。





そして注目すべきはこのクルマのパワートレイン。
なんと軽自動車なのにシリーズハイブリッドなのです。
マイルドハイブリッドじゃないんですよ。
エンジンは発電専用で、モーターで駆動する方式。

軽のがんばってる感を解消したのが、航続距離に課題のあるBEVでしたが、両方を一挙に解決するのがシリーズハイブリッドで、燃費はリッター30km台といわれています。

そして価格はなんと100万円台前半から!

ただ価格100万円台だと内装にそのしわよせはきそうです。
ライバル車が軽でもかなり上質になってきてる中で、女性を取り込み、大人の男性をダウンサイズに向かわせるにはここは重要だと思うんですよね。
もしモノリスパネルで出てくるなら合格です。
考えたらメーターよりフル液晶のほうがコストも安いと思います。

今、軽自動車を考えてる人は、まずこの車を待ってからだと思います。
まもなく、らしいです。



あ、そうそう。
「自分はちゃんと毎回コメント書くからみん友にしろ」っていう人がいたらお便りください。
みん友さん限定のブログが最近多いです。
Posted at 2026/02/25 20:25:02 | コメント(6) | トラックバック(0) | 日記
2026年02月21日 イイね!

「risaSpec、お城を買う」の補足

今、愛車紹介の整備手帳で、「risaSpec、お城を買う」っていうのを連載してて、今日「庭」の第2回目を上げましたが、さすがにちょっと写真を入れるべきだよね。

でも近所にも、なんかみんカラやってそうな人がいて、さすがにお家や庭の写真出すのはいやなんだけど、「risaSpec、お城を買う」の補足のために庭のほんの一部分だけアップします。



本当に一部ですが。笑
これが「枕木の小径」と、その周辺のグランドカバーの白いクリーピングタイム。
この写真の左へ行くと、大きなテラスのスペース。その先がシルバーリーフの「ラベンダーの森」。
枕木の小径を右へ行くと今1.5mまで育ってきたローズマリーの樹。
この写真の奥が、壮大な「シバザクラの丘」です。
(もう少し先の「risaSpec、お城を買う」で出てくる「山脈」と言ってるのがそれです)

タイムが上に伸びて枕木を覆いそうになってますが、これは夏の写真でタイムの花芽が上がってるときで、秋になると枕木より低くなります。

ああ、見せたい!
ぜんぶ見せてあげたい!
Posted at 2026/02/21 19:37:43 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
2026年02月19日 イイね!

心をきれいにする、たったひとつの方法

ダートラリーってあるでしょ?
コースの中に大きな岩とかもあって、それをよけながら走って行く。
中学生くらいの頃だったか、そういうレースの選手が「岩のよけ方」について語っているのを本で読んでわたしは衝撃を受けた。

それは「目の前の大きな岩を見るのではなく、岩のないところを見て、そこに向かって進む」というもの。
よけるべきものを見ていると、避けられないのだそうだ。

目の前の岩を見てたらその岩に吸い寄せられて激突する。
岩にぶつかりたくないのであれば、岩を見ず、岩のないところに向かってステアリングを切る。

考えてみたら当たり前のことだ。
中学校の廊下で誰かとぶつかりそうになったとき、「ぶつかっちゃいけない」と焦りながら結局いつもまともにぶつかってしまうことの理屈がわからなかったんだけど、その謎が、ここで解けた。

渋谷のスクランブル交差点が青になれば、前からも後ろからも巨大な群衆が一斉に動き出し、横断歩道の真ん中あたりでは、あちこちでお互い「お?お?お?」ってなってる。

わたしはここで鍛錬をした。
迫ってくる人間を見ない。
足元を見て、誰かの靴があれば、すぐに何もない地面を探してそこに足を進める。
次の瞬間新たな靴が現れたら、すぐにまた靴のない地面を探して、そこへ向かう。

だから、今、仕事でも、「万事休す」にはならないんだ。
問題が現れても、それに頭を抱えたり闘うのではなく、即座にその問題がない場所を見つけ、方向転換して進んでいく。

わたしが大嫌いなのは「そんなこと言ってたらなんにもできなくなっちゃう」っていう、問題を指摘された頭のわるい人がよくいうセリフだ。
それは指摘された問題点だけで頭がいっぱいになる人で、これでは巨大な岩に自ら吸い込まれるように突き進み、やがて衝突する。

そのたったひとつの、あるいは二つでも三つでも、その岩さえかわしきったら、そこには何もない広大な大地が広がってることに気づくんだ。


さて。
ところで。

みんな自分の心はきれいでありたいといつも願っている。
もしくはすでにきれいだと信じ込んでいて、疑わない。

心とは、たとえばガラスのコップに入ったきれいな水だ。
人生では、何かの折にその自分のコップを瞬間瞬間見ることがあり、そのとき、きれいな水の入ったコップの底に、想像以上に汚い泥が沈澱していることに気づいて愕然とする。

自分の心の底に、こんなに醜く汚いものが、こんなにも蓄積されていることをどうしても認められない。自分はもっときれいな心のはずだとショックを受ける。
認めることができないから、半狂乱になって、あわてて指を突っ込んでコップの中の泥を掻き出そうとするけれど、そうすると泥は水にかくはんされ、上のほうはきれいだったのに、もうコップの中の全部が泥水になってしまって、気を失いそうになる。

心が泥に支配され、そのことを許せないから、ここで精神のバランスが壊れてしまう。
このとき人の精神はもう「まとも」ではいられなくなっている。

なぜ泥を溜め込んでしまったのか。
考えてみたら心当たりはたくさんあった。
でも今さら気づいたところで、その過去はもうやり直せないんだ。
そして「自分はもうだめだ」と、膝をついて頭を抱える。
「もう終わった」って。

いや。
終わらない。

じつは、コップの中の水を、精神を錯乱させることもなく、一点の汚れもないきれいにするかんたんな方法が、ひとつだけある。

今日はその話をするので、よく聞いてほしい。

キッチンに行って、コップの中に、なんでもいいけど、たとえばお茶っ葉とかをコップの底に入れ、そのコップに水を注いでみよう。
お茶っ葉は水中を舞ってやがてコップの底に集まり、それが、つまり心の底に溜まった汚い泥だ。

このお茶っ葉をすべてきれいに、粉ひとつも残すことなく、取り出すなんて、スプーンを使ってもできない。
とりあえずそこはあきらめよう。だって取り出すことは不可能だからね。
だから、ここからはもうお茶っ葉のことは気にしなくっていい。
そして、コップを蛇口の下にもって行き、コップに新しいきれいな水を注ぎ続けよう。

どれくらいの時間か。それは君が入れたお茶っ葉の量にもよるし、注ぐ水量にもよる。
けれど、しばらく経ってふと気づけば、コップの中のお茶っ葉は、きれいになくなっている。
注ぎ続けたきれいな水が溢れて、心の中の泥はすべてコップの外に流れ出ていったからだ。
コップの中には、どこまでも澄んだきれいな水があるばかりだ。

たいせつなのは、まず、コップの中の泥の存在を認めること。
君の心なんか、表面上はどう繕っていたって所詮底のほうでは汚いのだ。
そういう心であることをまず認め、そしてそれを取り除くことは諦める。
ここでそれを認めなかったり、あきらめようとしないから、正直な人ほど精神がおかしくなっていく。
でも泥の存在を認めなければ、きれいな水を注ぐことを、いつまで経ってもしない。

これは自分の心だけではない。
たとえば愛する我が子が非行に走ったとき、あるいは精神が傾いていったとき、親なら「これは何かのまちがいだ。あの子はわるい子なんかじゃない」「あの子はこんな暗い子ではない。小さいときから誰にでも笑顔で、人見知りもしなかった」「明るいいい子だというのは親の自分がいちばんよく知っている」と言い、そして子どもに、その子の「悪」を責めたて、あるいは「とにかく学校に行け」と激しく叱責する。
そんなことやってるから、どんどん子どもは墜落していくんだ。
それは、親である君のせいでな。

悪を責め立てること、学校に行けと怒鳴りつけることは、その岩をずっと強く強く意識させてしまうことになるから結局岩にぶつかっちゃうんだ。

物理的な問題なら、岩のないとこを探してそこへ向かう。

そしてそれが精神的な問題なら。
ただ「もう泥は入れず、きれいな水を注ぎつづける」ことだ。

誰かを傷つけたことを悔やんで泣いている人に、「せめてこれからは、人に優しくしていこうね」っていう人がいる。

これね。一点間違いがある。
それは「せめて」じゃないんだよ。
それが「すべて」なんだ。

人間は汚いものを自分で吸い寄せる。
そしていったん取り込んだ汚物は、捨てたくなっても、もう人の力で取り除くことはできない。
悪に抗っても人は勝てないんだ。
悪と戦うと、コップの中が一様に泥水になるばかりで、ますます悪に翻弄され、やがて心は悪が持つ甘美に制服される。

駅前の不良たちと闘ってるのは、よく見れば正義の味方なんかではなく、隣の駅前にいる不良たちだろ?
不良がいる場所をまず知って、そしたら、そこを避けて歩けばいいだけのことだ。

だから悪の存在を知った上で、悪を見てはいけない。
水を注いでる最中も、「今、どれくらい悪は溢れ出たのだろう」なんてコップの中を覗き込んでもいけない。
一旦存在を認めたその後は、もういっさい泥に関心を持ってはならない。

何も考えず、ただ心にきれいな水を注ぎ続けることだけが、悪のすべてを外に溢れ流す、ただひとつの方法だ。

そしてね。
ほんとうの幸せにたどり着いた瞬間は、汗を流して「ついにここまできたぞ」っていう達成感はないものだ。
それは「あれ?」っていう気づきかただろう。
「いつの間にか気がついたら幸せになっていた」というものだ。
そのイメージを、よく覚えておこう。

達成感のある幸せは、いつか必ず壊れる。
正弦波の頂点に辿り着いたときがそうだ。
それは次の180°で谷底に落ちて、その繰り返しがあるばかりだ。



みんな、がんばれよ。

ややもすれば一瞬で崩壊しそうになるギリギリの境界で、わたしもがんばってるから。

することはただひとつ。
きれいな水だけを、今日も、明日も、淡々と心に注ぎ続けるだけだ。

つらくてもいい。
悲しくてもいい。
そんなことくらい、どうだっていい。

だけど、最後まで「愛」を。あきらめるな。

Posted at 2026/02/19 18:43:03 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
2026年02月15日 イイね!

夢を追いかける人生は、ほんとうに美しいのか

正弦波って知ってるだろうか。
知らないはずはないけど。
「音」の世界ではよく使われる。

正弦波がどんな音かっていえば、音叉の単調な音がそうで、音にはもっと刺激的な複雑な波形があるけど、どんな音も分解していけば元はこの正弦波だといえる。
逆に言うと、この正弦波を横に並べたり、縦に積み重ねて変調をかければどんな音でも再現することができる。

ちょっと、君に話したいことがあるから、ちゃんとついてきてね。
そんなに難しい話じゃない。

これが正弦波。



縦軸がエネルギーで、横軸が時間。

(±0)からスタートした音は、どんどんエネルギーを上げて、頂上までいく。(+10)って書いたとこがそう。
ここまで90°進んでいる。

そして(+10)を過ぎたら、今度は下降を始めて(±0)に戻って、ここで180°。

何度っていうのよくわからない?
(±0)から(+10)を通って(±0)に戻ったら半円でしょ?
だから180°なんだ。

その後はマイナスの領域に入って270°のとこで(-10)。
そこから(±0)に戻って360°進んだことになる。

ついでに言っておくと。
360°で一周してるから、1サイクル。
500サイクルの音、とかいう言い方があるけど、それは1秒間にこういうサイクルが500回あるってことで、その500サイクルの音が、すなわちオーディオのイコライザーなんかにある500Hzっていうやつだ。

ここまで、いい?
あ、一発で理解できたの?

うーん、ごめん、おねえちゃん、ちょっと君っていう人間を信用することができなくなってきたけど、まあ先に行くね。

問題はここからだ。

人生が(±0)からスタートすると、人間は上を上を目指すよね。
テストで60点だったらもっと頑張れ、と言われ、80点とったら「あと少しだ」と言われ、100点とったら「よくやった」とご褒美もらえたりさ。
受験もそうだよ。
(+3)の大学を目指してても、東大じゃなくてもいいからせめて(+7)の大学を目指せと言われたり。
会社も、そして働き出したら社会的な立場、経済力だよね。

しかしね、人生って不思議なもので、頂点に達しても、それをそのまま維持することはできない。
これは「人によっては」とか「たまたま」ではなく確実にできない。
そういう仕組みになっている。
社会で成功して、ある場所まで来ると、なぜだか、どうしてもそれまでの上昇から、今度は降下に転じ始める。

もう一回グラフを見てごらん?

え?もうグラフはいいの?
もうグラフとか見たくないの?

うるさい!黙って見ろっ

君は会社を立ち上げて社長になって業績を伸ばした。
でも(+10)に達したとき、業績がとつぜん下がり始めた。
(+8)まで落ちたとき、「え?」とは思うけど、まだ銀行は追加で融資してくれるっていうし、なんとか巻き返せるだろう。ところが一旦下降し始めたエネルギーっていうのは止まらない。
そういうものなんだ。
(+6)になってくるとさすがに焦るよね。
社員に給料が払えない。払ったら今度は不渡りを出す。
何人かをリストラしても追いつけない。
そして(+3)とかになってきたら、さすがに君も諦める。

奥さんと二人で、「結婚した頃は貧しかったなあ。またあの頃に戻りそうだ。でもあきらめないよ。またゼロからもう一度やり直すんだ」「あなた、わたしは何もかもなくなってもあなたについていくわ」

たいへん美しい夫婦の姿だ。
そんな美しいとこ、たいへんもうしわけないんだけど、グラフを見てごらん。
(±0)では止まらないのだよ。
ゼロから再出発とか、もうそんなのんきな状態じゃないのだよ。
だって、ここはまだ180°の地点でしかない。

ここからマイナスの領域に入っていく。
どうやったって食い止めることはできない。
(−1)(-5)(-7)・・・振り返るともう奥さんもいなくなってる。
そして孤独の中で(−9)、そしてついに(-10)の谷底を迎える。
これは270°の地点だけど、このとき、君はすでに自己破産し、もう君の周りには誰もいなくなってることだろう。

でも、その絶望の次の瞬間、「あれ?」と気づくだろう。
もう何もかも諦めて、廃人のようにふらふら歩いてると、誰かが「おはよう」と挨拶してきたり、誰かがおにぎりをくれたり、そのうち「もう一度一緒に頑張ろう」とか言ってくれる昔の仲間が現れ、気がつけばいつか(ー7)に上がってて、そのうちさらに(ー3)と、今度は上昇を続け、一度谷底を見た者が、360°進んでいよいよ最初にいた(±0)に戻ってくる。

さて。
ここで。
君に聞きたい。

君は、360°進んでやっと(±0)に戻ったとき、何を思うだろう。

もう一度頂点を目指してみるかい?
でも次はものすごく頑張って、何かの事業がヒットして(+100)とかになったら、どうする?
「ざまーみろ、やったぞ」って思う?「今までの負けを取り戻したぞ」って感じ?

ねえ、そこから180°進んだ次の下降の谷底は(−100)だよ。
(-10)でもあんなに苦しかったのに、今度はその10倍の絶望がやってくる。
それは確実に。まちがいなく。

(±0)にいるとき、わたしたちはできるだけ高みを目指せと教育されてきた。
急激な勢いで最初の90°を駆け登れ、と。

しかしこの90°をどこまで行ったかで、次の270°の運命はじつはすべて決まってしまうのだ。
もうこれは物理法則なんだから、誰にも止められない。

ただ、必ずできることがある。
それは360°を終えた次の波のエネルギーの頂点を抑えることだ。

(±0)では生きていくのも難しいけれど、頂点(ピーク)を(+3)に抑え込めれば、谷底(ディップ)もせいぜい(−3)で、そこら辺りを行ったり来たりする人生が幸せだとは思わないか?

音の仕事をしてたとき、オシロスコープに流れる、正弦波が美しく描く弧を、わたしはぼんやり眺めながらいつしかそんなことを考えていた。
これが「無常」というものだろうか、と。

わたしも社会に出てからずっと高みを目指してきた。
みんなだってそうだろう。
それが(+5)なのか(+10)なのか、それとも(+100)なのかはそれぞれだとしても。
だって、わたしたち、夢を追いかけることの美しさをずっと教えられてきたからね。
学校でも。そしてテレビドラマやロックスターたちからも。

けれど、みんな、どうだろう。
それは勉強しないでTVゲームに熱中する子どもが考えそうな、みんなで「これっていいことなんだってことにしようよ」って決めたエクスキューズではなかったか。
だって、そうじゃないと、人生がつまらないからさ。

夢を追いかけることとは。
ただ歌を歌ったり絵を描く行為であり、楽しいけれども、そこに人生の本質はない。
人生って、ほんとうは、つまらない中で生きていくことが正しいんじゃないだろうか。

仕事は、うまく行ったら拍手をもらえる。お金ももらえる。
そして社内スピーチでは「ここまでくるのは本当にたいへんでした。でも皆さんのお力添えがあり・・」なんてもっともらしいこと言ってるけどさ、その先に拍手喝采が得られるなら、人は頑張れるんだよ。
なんだってやるよ。

わたしは決められたことを決められたように、よけいな心配りや、急にスピードアップして効率を上げるとかえって迷惑になるような、工場のベルトコンベアで流れ作業をする工員の人に憧れて、尊敬している。
彼らは、今日はうまく出来た!なんてことはない。
いつだって、いつものとおりだし、いつものとおりでなくてはならない。
いつもの倍のスピードで頑張ったらラインが回らなくなる。
余計なことをしちゃいけないんだよ。
だから人に差をつけることができない。だから人から褒められることがない。
評価もされない。
拍手がもらえない。

無限軌道車って、わかる?
キャタピラで動くの。
戦車とか、ブルドーザーとか。きっとwoodyさんが大好きなジェットモグラとかがそうだ。

無限軌道車の車輪は、ただいつも同じ場所を、ただの歯車としてぐるぐると回ってるだけだ。なんの変化もない日々で、そこにはおもしろみはなく、思いもない。
だけど、それでも。
その歯車を覆うキャタピラはゆっくりと、でも確かに、前へ前へと進んでゆく。
これもまた無常だ。

諸行無常。
その中で、わたしたちは何を見て、どこを目指そう。

どんな生き方を選んでも、わたしたちに常住はないのだ。

女としては。
お金持ちの旦那さまと正弦波の頂点のようなタワマンから下界を見下ろす暮らしより、小さな旧いアパートの階段を、今朝もあわてて駆け降りる人を追いかけ、「忘れもの!」と日の丸弁当を渡す人生が、それがさ、幸せだとは思わないか。

それは。
正弦波に外部ノイズを食らったいびつな波形に何度もつまづきながらも、それでも最初の90°で上を目指したわたしには、もう手の届かない幸せだ。
Posted at 2026/02/15 21:17:59 | コメント(6) | トラックバック(0) | 日記
2026年01月28日 イイね!

風邪をひいたときにだけ会える風景

ここ10日ほど、風邪をひいて寝込んでいました。

去年買った羽毛ふとんがとっても暖かくて、羽毛ふとんの上に毛布をかけて冷気をシールドするとふとんの中をずっと温風が駆け巡ってるようになります。

足の親指を左右でとんとんぶつけながら、くちびるをとんがらせ、じっと白い天井を見上げてました。

幼い頃、実家の天井は板張りで、ところどころのシミや木の節目が、お花のように見えたり、山があったり、誰かの顔のようだったり、ふだんはそれをすっかり忘れているんだけど、天井には「風邪をひいたときにだけ現れる風景」がありました。

面長の気取ったような顔に見えるところがあり、わたしはひそかに「彼」を「ジャック」と名付けていました。

風邪をひくと必ずお母さんがクリーム湯をつくってくれて、それが大好きだったのだけど、病気でないときにどんなにせがんでも、なぜか頑ななまでに一度もつくってもらえなかった。
今なら自分で好きなときにつくろうと思えばつくれるけれど、なんだか幸せに健康なときには食べちゃいけないような気がして、いまだにつくったことがない。

風邪をひいたときにだけ、わたしはクリーム湯を食べられて、ふだんは忘れて思い出すこともないジャックに再会し、そしてまた天井に、新しい景色や、新しい友だちを見つけるのでした。

今の家の天井は白いクロスです。
元気になったら片隅に、えんぴつで、思い出せるかぎりジャックを描こうと思ったんですが、きっと元気になればすぐに忘れてしまうでしょう。


風邪をひいたとき。
恋をなくしたとき。
仕事で失敗したとき。
たいせつな誰かと別れたとき。
ここで夢をあきらめる決断をしたとき。

人にはなぜか。
孤独になったときにだけ現れる風景があって。
弱ったときにだけ心に生まれるやさしさがある。

つらくて悲しいときが誰にもあるけど。
そのときにだけ、自分のやさしさと出会えるのなら、それも愛おしい時間だ。


ずいぶんよくなってきたので、鯛だし茶漬けをつくってみました。
出汁茶漬けに、むかし四国へ行ったとき松山で食べた宇和島鯛めしの要素を入れられないかなと考えた。


Posted at 2026/01/28 11:38:41 | コメント(8) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「自賠責保険から5兆7千億円を財務省がかすめ取り隠していた埋蔵金についに片山大臣がメスを入れ 高市首相はひるむことなくそれを国民に還元しようとしている カタログギフトは見え方としてはよくなかったが 今そんなことでこういう動きにブレーキをかけてはいけない マスコミに踊らされるな」
何シテル?   02/26 12:41
身長 / 168センチ 体重 / 52kg  スリーサイズ / B:貧乳  W:ふつう  H:ふつう  年齢:そこらへんによくある ごくふつうの年齢
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