今日はわたしにとって、ちょっと懐かしい話をします。
若い頃、音響エンジニアだった頃に、テレビ局やコンサート会場でわたしが使ってたミキシングコンソールをご紹介します。
アナログコンソールのPM5000。これで横幅は2mちょっとあったと思う。
こっちは、すぐに時代が変わって出てきたフルデジタルコンソールのPM5D。
コンサートの本番は何度やっても緊張した。
顔や口では、満席の会場を見て、「今日のお客さんはラッキーだよ。わたしの素晴らしい音を聴かせてあげる」とか言ってたけれど、本当の本音は毎回こわくてそのまま家に帰って毛布にもぐりたかった。
とくにライヴ収録なんかあると、回線は別だけど、わたしのミスがそのままCDに残ってしまう。
客席の中に設置したミキシングコンソールの前に座って、最終チェックをしているとインカムのコールが光るので、ヘッドセットをかぶる。
舞台監督からだ。
「PA(音響)さん、照明さん、センター(ピンスポット)さん、とれますか?」
「はい。音響です」
「定刻スタートです。まもなく1ベル(開演5分前の予ベル)入ります。2ベルはなしで音響さんのSEからスタートです。CUE出します。メンバーは全員下手(しもて)から入って、1曲目イントロ途中で本人(メインのアーティスト)迫りで上がってきます。センターさんピンフォローよろしくです」
あと5分でわたしが叩くCDからコンサートが始まる。
極度に緊張が高まる。
あれ?CDちゃんと入れてたかな?
CDプレイヤーをOPENして、もう一度頭出ししてスタンバイ状態にする。
・・・ちょっと待て。
音響チーム専用のインカムをかぶって、ステージ側のスタッフに連絡する。
「あのさ山﨑、リハのときマルチの6チャンネルを15番に挿し替えたよね。送り側もちゃんと挿し替えてあるよね?」
「あのとき確認しましたよ」
「もう一回見て!早く!30秒で!」
そしてステージマンにも。
「田川。スネアの57(SHURE SM57っていうマイク)曲がってない?」
「ああ、食らっちゃってますね(誰かに当てられて曲がってる)」
「ばか!よく見とけ!走れー!」
「山﨑です。理沙さん、回線再チェックしました。15chからマルチAの6番で送ってます!だいじょうぶです」
「念のため今からオーディションかけて確認する。マイク、ガリって!(マイクを爪で引っ掻いて)」
「理沙さん、スネアの57直してきました!」
「おまえ!ぼーっとしてんなよ!ステージから目を離すな!」
「はい!すいません!」
よし、OKだ。
共通のインカムから舞台監督が喋ってくる。
「音響さん!トラブルですか?」
「いいえ、何も。わたしがトラブル起こしたことなんて今まであった?」
「了解です。まもなくSE入ります。5秒前・・・」
あれ?CDってPLAYボタン押したら回るよね?ちゃんと。
でもほんと?
だってあんな円盤にどうやって音が記録されてるの?
音なんか出るわけないじゃない。
わたしがPLAYボタン押したってきっと音は出ない。
音がビット信号に変換されて・・・
1/1000ミリで記録して・・・
そこに・・レーザーが当たって・・・
「3・2・1・・・SE、どうぞ・・」
PLAYボタンを叩く。
サブウーファの重低音が会場を揺るがす。
会場に拍手と歓声が起こり、メンバーが登場する。
SEがフェードアウトすると、ドラムのカウントが始まって音の塊が飛んでくる。
ここから8小節が一番緊張する。
口から心臓が飛び出しそうなんだけど、全部の音を大急ぎで目と耳と頭で解析する。
もちろんリハーサルで全部バランスはとってる。
でも空調が入った会場の温度はリハーサルとは違う。
1秒間の音速は331.5に0.6に温度を乗じたものを加える。
温度が上がると音速は増すんだ。
そしてリハーサルではいなかった満席のお客さんの人体と洋服で音は吸われ反射は小さくなる。
そしてもうスタンディングされちゃってるからコンサートホールの容積が小さくなってる。
すべてが音に影響する環境変化なんだ。
ベースがやけに大きい。
「田川!スタンディングでステージわからない。ベースはプレベ(プレシジョンベース)だよね?」
「あれ?理沙さん、急に変えてる。MUSICMANです!」
「おまえどこ見てんの!もう帰れ!」
パッシブじゃなくアクティブベースだからでかいんだ。
フェーダーを下げて行って、PADを入れた瞬間フェーダーを突き上げて誰にも音量変化がわからないよう一瞬でやる。1秒以内で。
そして本人が歌い始める。
音量は?(周波数は)どこ持ち上がってる?ダイナミクスは?
なんかHi-Midが厳しい。
2,5kHz? もうちょっと上か?
何千個のつまみの中からVocalのたった一個のEQを探して、周波数を3kHzのちょっと下にして2mmGAINを下げて3dBくらいカットする。
これに3秒かかったらもうプロは失格だ。
Vocalは整った。よし、綺麗な音だ。
Kick(バスドラム)は?
Sn(スネア)は?
パーカス(パーカッション)は?
ギターは?
キーボードは?
ピアノは?
いいんじゃない? いいんじゃない?
いいんじゃないの?!
「山﨑。ナカ音(ステージ側のモニターの音)上がってない?なんか位相ぶつかってる感じだけど」
「次の曲で整理します」
「この曲終わるまでにやって!」
こんなのが最初の8小節の間のできごとだ。
3曲目になってもまだごちゃごちゃいじってる人は、わたしはヘタだと思う。
そこから先は、MC(おしゃべり)の間にVocalのディレイやリバーブを切って、他の楽器にMUTEかけて演奏に入る直前にすべて戻すっていうことに気をつけてればなんとかいく。
しかし最後の問題はアンコールだ。
客席のボルテージは最高潮に達する。
また総立ちになるので音がまっすぐ来ないから、いけないんだけどわたしも立ち上がる。
「田川!アンプのVU読んで!」
「ほぼ0VUまで振れてます!」
「上げてくよ!CLIPよく見てて!」
「えええ?スピーカー吹っ飛んじゃいますよ!」
「この客席のボルテージにPAが負けててどうする!VUよく見とけ!」
家庭用の民生オーディオなら出力突っ込んでもスピーカーが飛ぶことはない。
スピーカーの許容入力がアンプの最大出力を上回るから。
でもプロフェッショナルオーディオは違う。
スピーカーの許容入力をはるかに上回る出力のパワーアンプを組み合わせる。
それでスピーカーが飛ぶぎぎりぎりのとこでコーンをドライブさせて鳴らし切る。そこがいちばんいい音なんだ。
どうやって、スピーカーが飛ぶ限界点を知るかというと、それは耳だ。
メーターではどこにも出てこない。
極限の状態で、ただ自分の耳を信じるしかない。
「理沙さん!クリップ入りました!音、下げてください!」
「歪んでない!田川!最後はメーターじゃなく自分の耳で判断しろ!」
アンコールの曲が終わり、本人が客席に叫ぶ。
ーーーーー どうもありがとう!Thank you!バイバイ!
そして音が止まる。
すべてのチャンネルをMUTEして「追い出し(終演後のBGM)」をかける。
舞台監督が、照明チーフが、ピンチーフが、そして音響チーフのわたしが。
やっと穏やかな声で、それぞれの戦場で闘い抜いた同志たちをねぎらい合う。
「終了です。これ以上のアンコールはありません。おつかれさまでした」
「おつかれさまでした」
「おつかれでしたー」
「おつかれさまー・で・し・た」
そう言ってフェーダーをぜんぶハラって、客ハケ(お客さんが出て行くこと)を待つ。
お客さんたちの喧騒の中、音響専用のインカムをゆっくりかぶる。
「山﨑、お疲れー」
「理沙さん、お疲れさまでした」
「田川、おまえもう保険のセールスに転職しろ」
「すいませんでした!お疲れさまでした!」
お客さんたちがハケたら音を出し、すべてのスピーカーが傷んでないかをチェックして、積み上げたスピーカーをバラし、何十本のマイクとスタンドをバラし、何百本ものケーブルを八の字に巻いて収納して、現地のバイトくんたちに手伝ってもらって客席からコンソールやエフェクターラックをステージに運んで、ぜんぶ11tトラックに積み込み、ラッシングベルトをかけて、機材車を送り出してから、わたしたちは23時に会場を出て車で高速に乗って、また次の街へと走る。
深夜のサービスエリアではもう、うどんとかおそばしか食べられない。
でもリハーサルでトラブったりするとこれが18時間ぶりの食事だったりすることもある。
「理沙さん、コンビニでおにぎり買ってきます!昆布でしたよね」
「ねえ、あのアンプ、あんな程度でCLIP入るの?歪んでないのに?」
「入りっぱなしでした」
「倉庫に1200Wあったよね。会社に連絡してチャーター便走らせて、2つ先の会場で差し替えて。あんなんあかんわ」
「わかりました」
このお仕事を辞めるとき。
わたしはもう次の夢に向かって進んでた。
最後のコンサートで。
アンコールも終わって、いつもはザーッとハラってしまうフェーダーを1本1本ていねいにおろした。
もう二度とミキシングコンソールの前に座ることはないだろう。
そしてコンソールに、トラブルもあったけど、少なくとも本番中はノートラブルで、「今までどうもありがとう」とお礼を言った。
胃が痛くなるとかいうけど、そんな痛さにすら気づかない緊張の連続の毎日だった。
プロも失敗はする。
けれどプロはそのミスを秒速でなかったことにしなきゃいけない。
だからミスには誰一人気づかないけど、心が壊れそうになるくらい自分に自分で失敗を責める。
自分からの厳しい説教に、いったい何度泣かされたことか。
そうやって、少しずつ上手くなっていく。
山崎くんも田川くんも、今は大きくなって、ここに書けばみんながびっくりするようなアーティストやイベントのお仕事をしてる。
もう立派に会社を背負って立つサウンドエンジニアだ。
そんな彼らと最近喫茶店で会った。
わたしがお店に入った途端、二人は同時に立ち上がり、大きな声で「おはようございます!」と言う。
わたしはあわてて近づき「ちょっとやめてよ、そういうの。わたしもうカタギなんだから」
音の話なんかしない。
ただ「あそこの桜、咲いたねー」「みんな歳とったねー」みたいな話。
別れ際に山崎くんが、「音はメーターじゃなくて、出音を自分の耳で確認しろ!って、今俺はスタッフたちによく言ってるんですよ」と笑う。
「わたしそんなこと言ってたっけ?」と憶えているのに笑ってとぼけると、田川くんが「自分は理沙さんから1万回言われました」と、あの懐かしい笑顔で言った。
どんな仕事でも。
自分が壊れる寸前まで自分を追い込んでみようか。
それはまるでスピーカーが飛ぶ寸前にまでパワーを突っ込むように。
そこがね、いちばんスピーカーもよく鳴るピンポイントのゾーンなんだ。
闘いの果ての、そのずっとずっと先に、穏やかな笑顔で仲間と見つめ合える春が来るんだ。
あと少しだ。
みんな、がんばろうね。
あの頃移動の車の中で、わたしがよく口ずさんだ曲です。