2025年09月04日
スポーツウーマン!risaSpec
君たちはちゃんと運動してますか?
健全な精神は健全な肉体に宿ります。
わたしは9月1日からウォーキングを始めましたよ。
どうですか?
「俺もやろうとは思ってるんだよなー」なんて口で言ってるだけの君なんか一生無理だよ。
お家のブログでとても景色がいいところに家を買ったって書きましたが、引っ越したら毎日この景色の中をウォーキングできるぞ!いやむしろすごくしたい!と思ってました。
そして引っ越してすぐに有言実行のわたしはウォーキングを始めたのです。
Tシャツを決めて、アシックスの、ラインがキレイに見えるヨガパンツを買って、ナイキのランニングシューズも買いました。
でも2回やっただけでいやになってきました。
なぜいやになるのかを考えました。
ウォーキングするときにはこれを着て、このシューズを履いて、何km歩くなんて決め事をするから億劫になるのです。
気負わず、ふだん着で、お散歩気分で歩けば毎日できるはずです。
いい思いつきでしょ?
それもそのはず。ウォーキングを2日でやめてから、どうすればいいかを5年間も考え抜いてきた結論なのです。
そうしていよいよ記念すべき9月1日。
ここから5年ぶりにわたしの新たなるウォーキングライフのスタートです。
ふだん着のまま歩きました。
途中、ウォーキングしてる人、、というか、もうウォーキング仲間と言っていいわけですが、おじさんとすれ違い、挨拶しました。
「毎日ウォーキングされてるんですか?」
「まだ始めて5年ですが、1日も欠かさず歩いてますよ」
わたしはおじさんに「そんないかにもな格好ではなく、わたしみたいなふだん着で歩くのが長続きのコツですよ」とアドバイスしてあげました。
それにしても暑い。
胸元に汗が流れます。
ふと時計を見ると、家を出てからなんともう20分も経ってました。
つい張り切りすぎてしまいました。
これが初心者のわるいところです。
オーバーワークになってはいけないので、お家に戻りました。
さて、9月2日。
この日はウォーキングしませんでした。
ちがうちがう。サボったんじゃないよ。
わたしそんな意志の弱い女ではありません。
サボったんじゃなくて忘れてたのです。
夜、ベッドに入ってから思い出しました。
9月3日。
もちろん今日は歩くと心に決めて目覚めました。
ベッドから起き上がったときにそう思ってました。
歩くのは夕方なんですが、帰りの電車の中で天気予報を見るとこれから雨になるかもしれない、というのです。
これは困ったぞ、と思いながらお家に帰って窓からずっと空を見ていました。
ぜんぜん降ってこない。
じゃあもう行こうか、と思うのですが、こういうときに限っていざ出てみるといきなり雨ってよくあるじゃないですか。
それで、はやる気持ちを抑えてテレビを観ていたらもう外は暗くなってしまいました。
けっきょく雨は降らず、まんまと気象庁に騙されてしまいました。
ウォーキングは毎日続けることに意味があるのです。
君たちみたいに思いついたらちょっと歩いて、またずーっとサボって、、という繰り返しは、もう人間としてダメです。
そこでわたしはもう2日も歩かなかったので9月は潔く諦めて、来たる10月1日から改めて始めることにしました。
毎日やらないと意味がないからです。
わたしは君たちみたいな堕落した人間にはなりたくないのです。
わたしは運動はニガテではありません。
走るのは今でもめっちゃ速いです。
なんかいかにも走れなさそうな顔つきと言われますが、わたしが走るとみんなびっくりします。
ものすごく速いのです。
中学のときはテニス部でした。
当時ものすごくモテてました。
テニスがうまかったのかどうかは覚えてないですが、テニス部に在籍していてモテていたというのは、わたしのテニスがみんなから評価されていた証拠だと思います。
30歳くらいのとき、わたしはゴルフの素振りにハマってました。
ちゃんと右手の小指を殺して、真上からまっすぐ降り下ろす姿は、職場でゴルフをやってる人たちからもフォームが美しいと大絶賛されました。
そこでわたしはいきなりゴルフセットを買ったのです。
まず練習場にゴルフのうまい人と行ったのですが、ボールが全部左に曲がっていくのです。
でも右にスライスするよりフックするほうがいいらしく、筋がいいと褒められました。
そして次からは1人で練習場に行きましたが、やっぱり左に曲がります。
そこで、じゃあ右に向かって打てばまっすぐ行くんじゃないかと右に向いて打ったら、これはなぜだかまっすぐ飛んで、隣で打ってたおじさんがびっくりしてました。
どんなスポーツでも「腰がだいじ」とか「肩の力を抜いて」と言われることを思い出し、力を抜いてかる〜く打ったところ、なんとまっすぐ綺麗に飛んだのです。
「これか!」とついにわたしは目覚めました。
その後何打打っても真っ直ぐにしか飛びません。
もっと力を抜いて打ってみたところ、手からすっぽ抜けてクラブが飛んで行ってしまい、その日でゴルフはやめることにしました。
こうして本来は運動神経が良く、根気強い性格のわたしなのに、いろんな不運にさいなまれて、今なおその真価を発揮できていません。
浅田真央さんがオリンピックに出ていた頃、度重なる練習の結果、わたしもトリプルアクセルができるようになり、テレビの前で一緒に回転していたのですが、スケートはできないのでこれを披露する場がありません。これがいちばん残念でなりません。
「健全な精神」は「健全な肉体」に宿る、と言われる。
高校生の頃、わたしはこれは逆ではないかと考えていた。
精神が病むと健全な肉体も病んでいくことがあるからだ。
ともあれ、「精神」と「肉体」を二元論化していたことに変わりはない。
そして20代の頃は、「精神」と「肉体」は一元的に捉えるべきではないかと考えるようになった。
これは説明すると長くなるので割愛するが、いずれにしても「精神」と「肉体」とが相互に深く関連していることはみんなが疑わないところだろうと思う。
でも最近はこう思う。
やはりわたしたちはどこかで精神という自己をもっとも優先的に考えていて、肉体はその精神が支配する、つまり自己の延長として考えているのではないかと。
家にも、そして車にも、その自己を延長する。
みんなもたいせつな車を蹴られるくらいなら、自分の脚を蹴られる方がマシだと思いはしないだろうか?
それを車への愛情だというけど、それはちがう。
それはただ車というものに自己を延長した姿に過ぎない。
わたしは子どもはいないからあんまり言えないことだけど。
過保護な親は、果たしてそれは子どもへの愛だろうか。
過保護に育てた子どもは反抗的になるというが、それは甘やかした結果ではなく、自分に入り込んでくる親の自己延長を、一人の人格として断ち切ろうとしている姿なのだとすれば、むしろ当然のことだろう。
頑張ってローンを完済した家も、車も、自分に所有権はあるものの、考えてみたらひとときだけの借りものだ。
木造住宅も30〜40年、車も10〜20年の間の話で、肉体も80〜100年の間、借りているだけに過ぎない。
この間に、「自分のものだ」という執着を持たなかったとすれば、人間は精神と肉体を切り離すことができるだろう。
心が体に左右されることはなくなり、もしかすると死への恐怖もなくなるのかもしれない。
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Posted at
2025/09/04 17:30:04
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