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2022年04月17日 イイね!

宇宙の赤ちゃん

言っておきますが、もう、みんカラはやめています。
もう本気では書いてません。

ただ今回は、あるみん友さん1人のためだけに、過去に書いたブログを再度あげます。

***********************************

赤ちゃんが産まれた瞬間ってどんな気持ちなんだろう。

人生をかけた偉業を成し遂げて、夫をうつろな瞳で探す妻。
「ここにいるよ」とその手を強く握りしめる夫。
そして天使のような赤ちゃんを見て、涙する二人。

40歳くらいになってくると、レスの夫婦が多いそうだけど、それはそれとして「もういいかげん30代のうちに真剣に子どもをつくろう」という計画が突然もちあがり、カレンダーに印をつけて、「今度、水曜日」「え?木曜は朝からプレゼンなんだけど」「いやいや、もうこの日しかないから!」

まあそういう10ヶ月前の会話もあった。
でもよかった。あの水曜日がなかったら、天使は生まれなかったのだ。
そしてずっとレスだった今更感満載の2人が、いきなりするわけだから、そこにはきっと涙ぐましい努力もあったと思う。

「ねえ。この天使がぼくらのとこに来てくれたのはさ、、、えーと10ヶ月前っていうと、7月か。じゃあおまえがセーラー服着たときだっけ?」
「それは15ヶ月前でしょ?10ヶ月前は、、、たしかプレゼン前日の水曜日だったでしょ?」
「あーそうだったそうだった」
「じゃあわたしが逆さに吊るされたときじゃなかったかしら」
「そうだそうだ。カーペットににおちたローソクの後片付けがたいへんだったよなあ」

赤ちゃん!こんなぼくたちに、生まれてきてくれてありがとう!

ほんとだよ。
感謝しろよ。
10ヶ月前、もうちょっと、この日の感動とか、天使の顔をイメージできなかったのかよ。
セーラー服とか着てる場合じゃなかっただろ。
ちゃんとタキシードやドレスとかで、もっと厳粛に挑めなかったのかよ。
わたしが赤ちゃんだったら、生まれちゃっていいのか、ためらっちゃうとこだよ。

えーっとですね。
数あるブログの中から、最近はクルマのことにすら触れていないにもかかわらず、わたしのところに来てくれてほんとにありがとう。
あなたたちはふつうよりちょっと頭のいい人だと思います。
そして愛を知る人たちだとわたしは信じます。

ここから先は、できればみなさんのお子様といっしょに読んでいただければと思います。(でもここから前は読まさないように!)

わたしのブログを、まじめでかわいい子どもに読ませるなんて!というお気持ちはよくわかりますが^^;
もしかすると、わたしと同じ感覚を持った人が、みなさまのお子様の中にもいらっしゃるのではないかという気がするものですから。

赤ちゃんは生まれてすぐ、二足歩行ができる。
医師は、その歩行の状態を観察して脳に障害がないかをみるので、びっくりする人もいるかもしれないけどごく当然のことなのです。
そして、その後すぐ、歩けなくなる。
次に歩けるようになるのは、それから1年以上も後になる。

わたしはここにとても関心を持ってる。
生まれてすぐの赤ちゃんが歩けることが不思議なのではなくて、歩けるのに、なぜその後歩けなくなるのかということに。
なぜそこで、生まれたばかりの生命は一旦退化してしまうのかということに。

じつはわたしには、病院で生まれた後、はじめて家に連れて行かれたときの記憶があります。

実家の父親の書斎にあったベビーベッドに寝かされたところに兄がやってきて、母が「かわいいやろ。さわったらあかんで」って言ってた。
そしてわたしに「ほら。お兄ちゃんよ」と言った。
そのときの兄の表情も。母の着ている服も。そして言語をしっかり聞き取り、その意味も理解していた。

中学生の頃、そのときのことを家族に話すと、「そんなバカな」と笑って誰も相手にしない。
そもそもベビーベッドは、わたしの記憶にある書斎ではなく、さいしょから別の部屋にあったことから、わたしが無意識につくった空想だと言われた。
たしかに父親の書斎にベビーベッドが置かれてるなんておかしい。
でもわたしの記憶ではたしかに書斎だったんだ。

たしかにベビーベッドは別の部屋ではあったんだけど、わたしが家にはじめて行った時点では、どこにベッドを設置するか決められていなくて、とりあえずってことで、わたしが言っていた父親の書斎に置かれたことが、親戚の人の話で、後にわかった。
そして書斎にベビーベッドがあったのは、わたしが退院してはじめて家に来たその1日だけだったということだ。

わたしはこういう自分の記憶を、言語を理解していたことを含めてふしぎだともおかしいとも思わない。
みんなから「空想だ」と否定されても、「思い違いかなあ」などとは一瞬も思わなかった。

それが、わたしが持つ、もっともさいしょの記憶だ。
しかしそんな記憶はあってもなくてもいい。なんの役にも立たない。

知りたいのは。
わたしが思い出したいのは。

生まれる、その前の、胎内に宿る、さらにその前の記憶なんだ。
中学生の頃、懸命に思い出そうとした。
しかし、どうしても、それを思い出すことはできなかった。

それがもう少し大きくなって、コンピュータをおぼえたとき、「なぜ思い出せないのか」、その謎がわかった。
コンピュータはメモリに何もなくても、ほしいファイルがどんなに深い階層にあっても、検索すれば瞬時にそれをメモリに引っ張ってきてくれる。
しかしそれがどうしても引っ張ってこれないことがある。
それはその記憶が記憶媒体から消去されたときだ。

人の記憶というのは、一度取り込んだことは、ぜったいに脳から消えることはないらしい。
「忘れる」というのは科学的にありえないことだという。
それは検索がうまくできないだけで、記憶が消えるということではないのだという。
人の核心である「どうして自分はこの世に生まれてきたのか」というのは、忘れるのではなく記憶から消去されるのだ。

それはおそらく生まれて、歩いて、そして歩けなくなるときに。あのとき同時に。

わたしの記憶は、家にはじめて来た日、その1日だ。
その後にベビーベッドごと別の部屋に移ったときの記憶なんかない。
それは消去された記憶だからではなく、検索ができなくなっている。
けれど、家にはじめて来た日より前の記憶は、そうではなくて、すべて消去された。

すべてが消去されてまっさらになったわたしの脳に刻まれたいちばんさいしょの記憶だけが検索できた。
ただ、どうしてか、まだかろうじて残ったのは、言語を認識し、意味を理解する能力だったが、それもおそらくその日のうちに失った。

そしてそのことが、わたしに。
どうしてもわたしに。

「その前」が。
やっぱりたしかにあったことを知らせるんだ。
だってそうでしょう。教育のかけらも受けてないのにどうして言語の意味がわかるのよ。

「その前」とは。
それは、どんな記憶なんだろう。

病院よりも前の。
母の胎内にいたときより、もっと前の。

地球よりも前の。
あれは、どこか、寒い宇宙の淵にいたような。

独りだった。
わたしは、独りだった。

ずっと独りで、わたしは、地球に、あの地球に、わたしはどうしても生まれたかった。
こんな寒いところから、あの地球に生まれたかった。

では、それはなんのためか。

それは・・・
それはたぶん・・・

おそらくそれは。
わたしが、今度こそまともな人になりたかったから。

だけど、わたしは、どうすれば地球に生まれることができるんだろう。
誰かに、わたしの体をつくってもらわなくては。
誰かにわたしを産んでもらえなきゃそれはかなわないことだろう。

子どもが思春期になると、よく親子でこういうやりとりがあると思う。

「生意気な口をきいて!誰に産んでもらったと思ってるんだ」
「産んでくれなんて頼んだ憶えはない!」

そうか。
そうだよな。
でもわたしが言おう。
頼んだんだよ。あなたが。

きっと。
たぶん。

証拠?
証拠はない。
しかたないよ。
その記憶は、あなたもわたしも。歩けなくなったあの日に、消去された。
それは二度と取り戻せない記憶だ。

親を恨んでる人も、たしかにいると思う。
親のせいで不幸な人生を歩くことになった人もたくさんいるだろう。
でもどんな親でも、その人たちが産んでくれなければ、不幸も幸福もない。何も始まらなかった。
わたしたちは宇宙の淵で、とにかく、どんな手段を講じても、なんとしてでも生まれてこなければならなかったんだ。

最近のブログで、人は死の瞬間、誰もが3/4オンス(21グラム)軽くなるらしいと書いた。

おそらく。
母親の胎内で先にできた肉体に、その21グラムがそのあと、宿る。
そこから10ヶ月。
母親もきついかもしれないけれど、その子はもっと苦しく厳しい時間を過ごすのではないか。
そして生まれるときは、細い細い産道をもがきながら泳ぐ。
でも、それでも。
どうしても。
わたしたちには生まれなければならない事情と理由があるんだ。
命を懸けても、とにかく、生まれて行かなければならない。

その苦しみを母と子は同時に共有するけれど、産みの苦しみより、生まれる苦しみは、もっと大きいだろう。
そして、やっと生まれ出たとき。
だから、そりゃあ、泣くよ。大声で。

赤ちゃんだから意味もわからず泣いてるんだって?
いやちがう。
あのとき、まだ赤ちゃんは、おそらくすべてを知っている。まだ憶えてる。宇宙の景色も。
地球に、やっと、生まれた。

そりゃあさ。
泣くでしょう。

さて、ここからは、自分への自戒も込めて書くけど。

親がどんな人であるかなんて、そんなことはどうだっていい。
顔を知ってるか知らないかなんて、地球の上での話でしかない。
ただ、産んでもらったというだけで、親は充分に、親としての役目を果たしてくれた。
親のいちばんの役目って、ほんとはそこだけなんだ。
それだけで返そうと思っても返しきれない恩が、わたしたちにはある。

でも。
でも、産んでくれなんて頼んだ憶えは、、、ないよな?

育ててもらった記憶はあるけど、それは、当然のことだよね。
だってどこの親もそうしてるんだしね。
だから、感謝する必要なんか、べつにないもんな。

ねえ。

ねえ、わたしたちって。
わたしたちは、、

悲しいね。
ほんとに、悲しいよね。

このことを考えるとわたしはほんとに悲しい。

どうしてもあの、宇宙にいたときの記憶を、もう一度取り戻したいけれど。
もし取り戻したら、きっと頭がどうにかなっちゃうかもしれないと思うほどおそろしい。

いつも親から言われる。

あなたは子どもを育てた経験がない。
だから人に偉そうにしてはいけない、と。

子どもがいるみんなとちがって、わたしは誰からも親になってほしいとは頼まれなかった。

親は、こんなに愛している子どもから裏切られ、遠ざかられながら、自分がいかに「愛によく似たもの」に翻弄されていたかを知り、ほんとうの愛とは何か、信じることとはどういうことなのかを、苦しみながら学習していく。
それが親のあなたが生まれてきた意味であり、目的だから。

子どもが偉いわけじゃない。
子どもがそれを知ってて親に教えてるわけじゃない。
その子はその子で、またやがて約束をして生まれてくる子どもに苦しまされ、学ぶ。

わたしがうらやましいのはね。
かわいい赤ちゃんを抱いたり、家族でキャンプをしたりハッピーバースデーを歌うことなんかじゃない。

わたしは今までも。
この先もずっと。

愛とはなにか。
信じるとはどういうことなのか。
なぜわたしは生まれてきたのか。

それを、毛布にくるまり、自分に問題を出しては答え、また問題を出しては答えながら、たったひとりで学んでいくしかないんだ。

消されてしまった記憶は二度と、もう取り戻すことはできないのだろうか。
いや、それはちがう。
わたしも、あなたも。
必ずそれを思い出すときがある。

それは、地球での生を全うした、その後だ。
しかしただ死んだら思い出すわけではない。
地球へも、肉へも、そして地球でのうれしかったことも悲しかったことへの執着も、すべてを切り離したときだ。
恨みや憎しみを抱えたままでは、死んでも、記憶が消去されたままかもしれない。

だからわたしたちは。
どんなときでも、懸命に、たいせつに、くじけず、明るく、生きていかなければならない。
それは、死ぬときのために。

どうしても生まれなければならないように、どうしてもその記憶だけは取り戻さないといけないんだ。

死というのは、悲しいことでも不幸なことでもない。
それは相対の世界で生きるわたしたちには想像もできない世界である。
だからわたしは「お悔やみ申し上げます」とか「御愁傷さまです」という言葉を遣わない。
冷たいと思われてもかまわない。遣いたくない。

そして。
1歳2歳の赤ちゃんにならすなおに「かわいい」というけれど、産まれたての赤ちゃんにそういう上からの言い方もしない。「どうか、できれば、今、教えてください」という気もちしかない。
記憶を消された母親は、初対面の我が子に「はじめまして。わたしがママよ。産まれてくれてありがとう」と抱きしめる。

でも赤ちゃんは。
はっきりとまだ憶えてる。
この母親とは、初対面ではないことを。
ずっとずっとむかし、宇宙のどこかで、約束をしたんだ。

そしてもし母親の記憶が消去されてなかったとしたら、このときの母親はこう言うはずである。

「50年ぶりかな、やっとまた会えたね。
この地球は、前とは違う。真実も、愛も、とてもわかりにくくなっている。
むかし咲き乱れてた花たちが今はどこに咲いているのか、わたしだってわからない。
でも、わたし、とにかく、あなたとの約束は果たしたからね。」

ところで。
いつものパターンで、まじめな話の後は、伏線回収で前段を引っ張ったお笑いでオチをつくりたかったけど、今日はしない。
そのかわりの、「まじめなオチ」だけど。

はじめて「2001年宇宙の旅」を観たとき、あれは理解不可能な映画をコンセプトにつくられたらしいが、わたしは原作とは大きくちがうキューブリックが伝えたいことがとてもよくわかり、最後のこのシーンを観たとき、ひとりで号泣してしまい、席を立てなくなった。



Posted at 2022/04/17 20:25:16 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

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何シテル?   06/13 15:18
身長 / 168センチ 体重 / 52kg  スリーサイズ / B:貧乳  W:ふつう  H:ふつう  年齢:そこらへんによくある ごくふつうの年齢
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