家にいるときは、冬はスウェット、夏はショートパンツという違いはあれどウエストがゴムの緩いのを履いてる。
そして両手を後ろに突っ込んでいつも自分のお尻を触っている。
とても触り心地がいいからだ。
おそらくわたしの体の中で最もスベスベしている。
体の中で最も肌が綺麗なこの部分をなぜ最も隠してしまっているのか。
顔がケツならいいのに。
デニムのお尻をこういうふうに切り取って、ぜひ道ゆく人たちにも一度手触りを確認してもらいたいものだ。
撫でていると今度は揉みたくなる。
揉み始めると無意識に力一杯揉みまくる。
なるほど巨乳を揉むというのはこういう感覚なのかもしれません。なかなかいいぞ。
揉むのに飽きると急にペチペチと叩き出す。
最初は適当なのだが、やはり音楽というのはわたしの体に染み付いていて、次第に8ビートを刻み、歌い出す。
けーつけーつ けっつけつ
え?何笑ってるの?
君たちって歌詞でメロディがわかるの?
これは系統としてはドビュッシーの「月の光」みたいな曲なんだよ?
え?タイトル?
あータイトルは考えてなかったけど、そうだね、タイトルは、「ケツケツ音頭」。
え?なに?
君たちってタイトルでその楽曲の和声進行やメロディーがわかるの?
へええ、すごい才能をお持ちですのね。
出だしのコードはAaug7なんだけど?
その後、16ビートに変わり、最後は頭を振りながら32部音符で連打する。
他人の失敗は許せても自分の失敗は許せない。
それはじつに悔しい。
仕事でそういうことはまずないけれど、家の中ではしょっちゅうだ。
パスタを茹でようと鍋に火をかけ、キッチンタイマーで12分とセットする。
その間ソファでテレビを観ていて、ふと気づくと、もうそろそろ茹で上がってるはずなのにタイマーが鳴らないので、またお尻に両手を突っ込んでキッチンへ行くと、タイマーのスタートボタンを押してなかったことに気づく。
「あーーーーー」と、下着のパンツごと足首まで下げながらしゃがんで絶叫する。
そしてパンツを上げると共に、さっと立ち直り、いつものわたしに戻る。
わたしはカレーを毎日火を入れて熟成させる。
日々、チョコレートや香辛料や野菜や、思いつくものを足しては煮込む。
それは2ヶ月も3ヶ月も。
自分でも味は再現が不可能なカレーになっていく。
一口食べると口の中をシャワーで洗いたいほど辛い。
なのでいつもうちのコンロにはカレーが入った鍋が置いてある。
それがこの間、別の料理を作っていたとき。
Tokyo Callingを踊りながら作っていたとき。
片手がカレーの鍋に当たって、キッチンに大量のカレーをぶちまけてしまった。
あああああああああああ!!!
パンツを降ろしてしゃがむだけでは足らず、「なんだ!こんなもん!」と乱暴にTシャツも脱ぎ捨て、リビングまで走っていって両腕を上げて全裸で叫びながらぴょんぴょん6回飛び跳ねた。
そうしてキッチンに戻って服を着るといつものわたしに戻って極めて冷静に後始末をするのだ。
人生に失敗はつきものだ。
ときにはもう自分はここまでだと、自分を捨ててしまいたくなるときもあるだろう。
わたしにもあった。何度か。
「risaSpecの黒歴史」というブログを連載したことがあるが(現在削除済み)、あの最後の最後に、わたしが新宿の深夜の歩道橋の上で力尽きて倒れ込んだときのことを書いた。
仰向けに寝転ぶわたしに、その日めずらしく東京に冷たい雪が降った。
わたしの顔にも体にも雪が降り積もったけれど、わたしは動かず、あのとき「ついにわたしもここまでか」と静かに目を閉じた。
しかし、みんな。
この人生は、映画だ。
君が監督で、君が主演の。
わたしもこの映画の監督で主演女優なんだ。
こんなとこでくたばってどうする。
こんなのが映画のラストシーンだったら、こんなつまらない作品はない。
いくら主演だからって最初から最後まで勝ちっぱなしのドラマなんて観せられても退屈でおもしろくなんかない。
だからこういうシーンは映画に必ず必要なんだ。
誰がどう考えても「すべて終わった」っていうシーンが。
誰もが「ここから立ち上がるなんてもうあり得ない」と映画館の席を立とうとするような、このシーン。
それでも。
もしもそれでも。
大逆転で立ち上がったとしたら、それはドラマとしてカッコよくないか?
それこそが映画なんじゃないか?
そして立ち上がって次にわたしが目指したステージは、あのブログを読んだ皆さんがご承知のとおりだけど、その後も何度も八方塞がりの窮地に追い込まれた。
けれどわたしはそのたびそれをおもしろがった。
またこういうシーンか。
確かに清らかで、誰より強いシーンが、ちょっとここ数年続きすぎた。
ちょうどいいとこでまたこういう墜落のシーンが入ってくる。
今度はどうやって次の「逆転のシーン」につなげていこうか。
ただ目の前のこの敵を倒すんじゃなくて、もっと別の次元に、もっと高みに登る次のシーンをどう描いていこうか。
もうわたしはそういうふうにしか考えないんだよ。
どんなDeadEndでも監督のわたしが何度も「GO」を出すのは、主演女優のわたしを信じてるから。
必ずやってくれる。台本を超えてあいつは必ず監督のわたしをも驚かせてくれる。
どんな映画にも、どんな雑誌にもないやり方で。
君は「へーそんなもんかね」とケツをかきながら思ってるだろう。
それは君がただの観客だからだ。
それはいつも間抜けヅラで他人が作った他人が演じる映画を観て、のんきに「立て!立ち上がれ!負けるな」なんて言ってるだけだからだ。
あのね、君だって。
君だって、生まれたときから、じつはフィルムは回ってるんだよ。
長い長い映画は既に始まってる。
あのカッコ悪かった失恋や、それでも幸せな結婚や。
仕事が続かず辞めてはパチンコしてる君もフィルムにはきちんと刻まれている。
その映画も、もう中盤まで来ちゃってるんだよ。
おまえ、長すぎる!くすぶってる尺が!
<だってどうすれば逆転できるんだよ>
そんなことは走ってれば風が教えてくれる。
「またそういう話かよ」っていうのも走ってないからだ。
能書きはいいから自分のケツを叩け!
君のつくる映画はつまらない。
ダラダラと退屈であくびが出ちゃう。
もう陳腐な結末も予想できちゃう。
でもさ。だから。
だからこそ描けるんだよ。
そういう人にしか描けない。
ダメな男の大逆転のラストシーンは。
いい映画をつくって、いつかわたしにも見せてくれ。