女性は恋バナが好きっていわれますが、若い頃からわたしは興味がありません。
他人の恋愛を聞いて、あるいは他人に話して、何がおもしろいのかと思います。
まあ一応聞いてはあげるけど内心「こいつアホか」といつも思ってしまってます。
しかし、たったひとつ。
わたしが聞いた、忘れられない恋バナがあります。
テレビ局で働いていた頃、CMディレクターのちょっと年上の女性と知り合いました。
みんなもとてもよく知っているCMをバンバンつくってた人です。
さいしょは恋バナなんかではなく、「どうしてこの仕事に就いたか」とわたしが訊いたのです。
すると彼女は「ほー、それを聞くんだ、わたしに。まあ理沙ちゃんならいいか」と言って話してくれました。
高校生の頃、あるCMを観て感動のあまり号泣した彼女は、そのとき、たった15秒の尺でこんなにも人の心を揺さぶるCMの威力というものを思い知らされ、大人になったらぜったいCMをつくる仕事に就こうと決心したんだそうです。
それから10年の時が流れ、田舎から東京の大学に行き、念願どおりCMディレクターになっていた彼女は、同じCMのお仕事をしているある男性と知り合います。
彼は彼女よりずいぶん年上だったけどとても純粋な人で、ふたりは惹かれ合い恋におちますが、初めてのデートのとき、彼が彼女に、わたしとまったく同じ質問をしてきたそうです。
「キミは、どうしてこの仕事をしたいと思ったの?」
そのとき彼女は「待ってました」とばかりに、高校生の頃に観たあのCMの話をして、その作品がいかに素晴らしく、いかに自分が感動したかを熱っぽく語ったのですが、意外にも彼の反応は素っ気なく、「ああ、それ知ってるけど。あんなCM、たいしたことないんじゃない?」と言われてしまうのです。
たしかに同業者として、また男として、他人の作品をかんたんに認めたくない意地があるのはわかるけど、自分の人生を賭けようとまで思わせた作品を、大好きな彼に、そして何より同じCMのお仕事をしているのに、こんなにもあっさり否定されたことはとても悲しかったそうです。
この先はあんまり詳しく書きませんが、それでもふたりはその後何年もおつきあいをして、たくさんいろんなことがあって、とうとう、つらいつらい別れを迎えることになります。
最後まで泣かないと決めてた彼女は、ちゃんと笑顔で「さよなら」を言って、「それじゃ、元気で」と、彼の背中をいつものように見送りました。
そのとき。
歩き出した彼が思い出したように急に立ち止まり、振り返って笑顔でこう言ったのです。
「あの、さ。キミが高校生のときに観たっていうCMさ。ずっと言いそびれてたけど・・・あれ、ボクの作品なんだよ」
そしてまた彼が背中を向けた瞬間、彼女は舗道に膝をつき、それまでがまんしていた涙がせきをきったようにあふれ出してきたそうです。
わたしたちは。
わたしたちの人生で。
悲しい悲しいフィルムを切っては、楽しさと喜びだけをむりやり貼り合わせて繋ぐエディターのようです。
思えば、ほとんどは悔しさや悲しみのシーンしか撮影したことがないと思えるほどの人生です。
でも、この長い長い映画のために、膨大な涙のシーンを撮影するのは、最後の最後に逆転のラストシーンを描くため。
悲しいフィルムが多ければ多いほど、ラストの感動が大きい。
わたしの人生は。
ほんとならもう何度もそこでつぶれてしまっておかしくないくらい挫折や悲しいことが何度もあった。
それでもわたしがその度立ち上がれたのは。
人生を、映画を撮ってる感覚で生きてるからなのです。
たとえば、もうだめだっていうほど悲しいとき、こう思うのです。
あんまり泣いてても尺がもったいない。
この映画を観てる人もいいかげん飽きちゃう。
ふつうならここで自暴自棄になっちゃうとこだけど、でももしもここで、ふらつきながらでも立ち上がったとしたらかっこいいよな。中盤のひとつの見せ場だよな。
よし、じゃ、そのシーン行ってみようか。
おい女優、立てよ。
3、2、1、、アクション!
そうやって監督のわたしが女優のわたしに命じて次のシーン、次のシーンへと進んでいくのです。
生まれたときから死ぬまでの、それはそれは壮大で長い映画です。
今はね。
闘いのシーンを撮ってるとこなの。
ふざけたやつらと闘ってるのよ。
権力チラつかせたりして脅してくるんだけどね。
正直、負けそうなんだ。
でもね、負けないんだ。ぜったい。
なぜかって、、わたしが負けたらシナリオが成り立たないんだよ。
ここはわたしが勝つって、さいしょから台本にそう書いてあるから。
だから多少セリフとかは変わっても台本どおりに勝たなくちゃ。
ここで、こんなとこでくじけてたら次のシーンに繋がらない。
公務員で契約を担当してたとき、不履行で損害賠償とされた業者の肩をもった。
それはわたしが徹底的に調べた結果、裏で超大手企業の横槍が入ってそういうストーリーがつくられたことがわかったからだ。
そのとき上席に言われた。「いったいおまえはどっちの味方なんだ」と。
わたしは笑顔で「正義の味方です」と答えた。
おじさんにしつこく2時間くらい延々と口説かれ、最後に「君みたいな若い子は、やっぱりおじさんは嫌いか、、」と言われたとき「おじさんが嫌いなんじゃなくて、あんたが嫌いなんだよ」と言った。
映画だからこそ出てくる名台詞の数々だ。笑
だから。今のわたしに。
ふざけたラヴシーンとかベッドシーンで、無駄に尺をとってる暇はないのです。
最初から後で捨てるのわかってるシーンに無駄遣いできない。フィルムだって高いんだから。
だけど、その映画、いったい誰が観るの?
誰のために撮ってるの?
決まってるでしょ。
何十年か先に、死んで行く、意識が薄れていく「わたし」に観せるためですよ。
ベッドに横たわるそのたった一人の年老いた観客が、わたしが一生を懸けてつくった映画に、笑顔で「うん」とうなずいて、一筋涙を流してくれたら、最高だ。
今、つらいとか、きついって思ってる人。
どうかそこから逃げないでほしい。
それはさ、すてきな映画をつくるときに欠かすことのできないおいしいシーンなんだから、逃げたらもったいないよ。
かっこいい映画にして、わたしにもみせてくれ。
↓主演女優(クルマは前車WISHです。5年前だから16歳くらいの頃かしら)
