あれは昭和21年の暮れのこと。
わたしが闇市を歩いていると1台のジープが近づき、運転している男から声をかけられました。
「あれ?キミ、どっかで会ったことあるよね?いやマジでガチで。どこだったかなあ。シベリア戦線だっけ?」
戦時中わたしは銀座の路上で竹槍でB-29を落とす毎日でシベリアには行ったことがありません。
もう見え見えのナンパなので、そのチャラい男に言ってやりました。
「おふざけでないよっ 進駐軍が何だい。こんな洋パンにヘイコラすることあるかい」(田村泰次郎「肉体の門」より)
そのとき後ろからわたしの腕をつかんで引っ張るおじさんがいました。
「娘、そんな男を相手にするんじゃない、こっちへ来い」
「痛いじゃないかっ痛いじゃないかっ!離しとくれよっ」
これが泣く子も黙る天ぷら職人、辰三さんとの出会いでござんした。
それからわたしは天ぷら一筋の人生を送り、昭和38年には女将として銀座に小さなお店を持つまでになりました。
お店を出るとそこには米国のAppleStoreがあり、お店で使うiPadのレジが壊れてもすぐに直してもらえる好立地でした。
「あんた、何したはりますの!天ぷらで油の温度は命なんやで!」
「女将さん、堪忍してあげておくれやす!」
「セイジはん!あんたは黙っとき!」
「女将さん、女将さん!ボンにはわてがあとでよーお言うて聞かせときますさかいに、ここはどうかわてに免じて!」
「ええい離さんか!セイジ!」
「女将さん!」
「セイジ!」
「女将さん!」
「セイジ!」
「女将さん、すんまへん!おかみさんの口、ふさがせてもらいます」
「セイジ、何をすんね・・・や、めて・・べろべろべろ」
「女将さん、わてはでっち奉公でこの店に来させてもろてから、ずっと女将さんのことを・・」
「・・・セ、セイジはん」
「女将さん・・いや理沙さん、やっと笑ろてくれはりましたな」
「あほやな。デッチボウコウが女将に乱暴してどないすんねん。これがほんまのでっち暴行や」
「ほんまです。はっはっは」
「あ・ほ ^^」
そしてつくり上げたのが、17歳のわたしが80年の修行で完成させた至高の天ぷらでござんす。
ちなみに上記の寸劇は、天ぷらを揚げながら実際に1人でやっておりました。
ほんとに今日つくったんですが、盛り付けがテキトーだったので、画像は
以前のブログから再掲載。
そのわりにこれもかき揚げがこげてるけど。
ちなみにわたしはエビは揚げません。
天ぷらの翌日は必ずその油で串カツをつくります。
「おいおい、まさかまた串カツも80年とかいうんじゃないだろうな?」って?
そうだよ。
Posted at 2025/11/12 20:47:31 | |
トラックバック(0) | 日記