2025年11月19日
働くっていうことをもう一度考えてみてほしいんだ。
たとえば道端でバッテリーが上がってしまって困ってる人がいる。
その人を助けたら損か得か、なんて考えずに、ただ困ってる人がいるから、声をかけてバッテリーを繋いであげる。
するとその人はお礼を言ってお金をくれた。
これがさ、ちょっと極端だけど、人のために働いたということであり、そのことで喜んだ誰かがくれた「お礼」がその報酬なんだ。
だから「そんなそんな、お礼なんかいいですよ」とか「それにしても1万円なんて多すぎてもらえませんよ。ただ繋いだだけですよ」っていう話が出てくるわけです。
けれどもさ。
困ってる人がいたら駆け寄って行って「困ってますよね?2万円くれたら助けてあげてもいいけどどうします?」「ちょっと待って。ぼくだったら1万8千円でいいですよ」「わたしならやっぱり2万円だけど、そのかわりお得なクーポンつけますがどうです?」とか、そんなビジネススタイルになってはいないか。
だから困ってる人も2万円を支払うときに、そこには感謝の気持ちは乗ってない。
お金払ってんだから当然でしょ?って気持ちになる。
お金が人をくるわせるっていうのは、別にギャンブルとか借金だとか、大きな金額でなくてもこんなところでも起こってるわけです。
こういうのは、労働にも、対価として支払われるお金にも「気持ち」というのが乗っていない。
成果も上げない人が今日一日出勤したんだから、その日給分を受け取るのは当然だとか思ってない?
労働基準法だとか労働契約法の話をしてるんじゃない。どうなんだ?
わたしは仕事に関してものすごく厳しい。
この間たとえばこんなことがあった。
職員の人が残業をして文書をつくって「お願いします」と持ってきた。
「文章が稚拙だけどそれはそれとして、これが根拠法令なの?」
「はい。弁護士さんにも相談して、これでいいっていうことでした」
「弁護士のいうことがすべて正しいなら裁判で被告が負けることなんかないよね」
じつはこの根拠法令はこれはこれで正しかった。
ふつうならこれで決裁しちゃうんだろう。
でも「〜をすることとする」っていう法律でも、それは毎日しなければならないのか、毎月なのか、それとも10年に1回なのか、それによって緊急性は大きく異なるし、もし10年に1回のことなのに5年目の単年度予算から引っ張るというのなら理屈が立たない。
「これダメだよ」
「でもそのほかに具体的な法律がないんですよ」
「この法律には飛び先の法施行規則があって、さらに飛ぶと条例があるから。その別表に具体があるのですぐに調べてここだけ書き直して」
あんまりわたしの職業についてはブログでは語ってないけれど、予算の原資は公金だ。みんなの税金だ。
その文書が求めていた予算は15万円程度でしかなかったけれど、たとえ100円でも適当な文書でそれを引っ張ろうとする姿勢をわたしは許さない。
彼はこの差し替えに2時間もかかった。
わたしはデスクで待っていた。(まだかよ。腹減ったよー)って引き出しに隠してたチョコバー食べながら。
わたしは頭の中にその条例は入ってるので、わたしがやったら10分で終わる。
22時になって、「そろそろ彼を帰さないと」と、あとは自分がやるつもりで立ち上がったとき、彼が「できました!これでいいですか?」と持ってきた。
でも「よく頑張ったね」なんて誉めない。
わたしがやったら10分なのに、1時間50分も残業手当は無駄に支払うことになる。
「明日でいいから、この3項は全文をちゃんと書いてね。・・・それとね、法律は1個だけで捉えて語っちゃいけない。今回は飛び先だけど、たとえば建築基準法と民法のレベルでバッティングすることもある。それなら今度はどちらが優先されるのか判例から調べる。15万円の執行額でも手を抜くな。人様のお金を人様のために使うとき、その人たちのためにどこから責められても揺るがない力を文書には込めなさい。それが仕事ですから」
どお?
わたしの部下になんかなりたくないでしょ笑
そして出て行く彼に「ほい」って缶コーヒーとチョコバーを投げた。
それは残業手当とは別の、わたしから彼への報酬だ。
職場にはたくさんの自販機があるけれど、誰が何をよく飲んでるのかわたしは頭に入れてる。
彼が好んで飲んでいるその缶コーヒーには「いつも君のこと、ちゃんと見てるからね」という想いを乗せたつもりだ。
「ありがとうございます。今ここで飲んでいいですか?」と言うのでたぶんそれは伝わったんだと思う。
仕事っていうのはさ。
みんなでやるものだ、とか、職場の調和だとかいうけど、そうなの?
わたしは仕事は一人でシャベルを握って穴を掘り続けることだと思ってる。
掘っても掘っても辿り着けない。
もっと掘らなきゃいけないのか、あるいはそもそも掘る場所が違ってたんじゃないか。掘る角度を間違えているのか。
そんな不安に苛まれながら黙々とシャベルで穴を掘る。
するとね。
あるとき、ぽっかりと別の誰かが掘ってきた穴にぶち当たることがあるんだよ。
そのとき2人の間に言葉はいらない。
同じ発想で、同じだけの汗を流して2人はそこで出会ったのだ。
ただ目と目で「やっぱりこのまま掘り進めばいいんだよね?」「そう思う。ここしかない」と確かめ合うだけ。
そこからは2人で穴を掘り続ける。
ここから始まるんだよ。
職場の調和っていうのは。
この人と働くのが楽しい、っていうのは。
地上で「その前にランチにしましょう」って「こないだ付き合い始めた彼氏がさー」「うんうん」「あ、もうこんな時間。穴掘るのはまたにして帰らなきゃ」なんて奴らと調和するわけにはいかないんだ。
いったいそれでは何を理由にお金をもらえばいいんだろう。
バッテリーを繋がず、心配して声をかけることもせず、1万円のお礼だけはもらっていくのか。
じゃあ1人でできないときはどうするのか。
それは、わたしは、ただ、もっと強いもっと強いもっと強い自分になろうとするだけだ。
気持ちのないお金ってもらっても嬉しくない。
でも気持ちのこもったお礼は、気持ちがこもった働きがなければ得る資格がない。
銀行強盗で手にしたお金には「気持ち」が乗ってないんだよ。
それでもただ「金が金が」っていうなら、たとえばわたしが今日の夕方、駅の改札で「売春しまーす!みんな集まれー」って手を上げたら集まると思うのよ。いやマジで。
隣に若い女の子が来て「わたしも売春しまーす」とか言ってじゃましてきても、「はい残念。こっちは熟女でーす。こんなガキとは格が違いまーす。もう、なんか、もんのすごいです。なんか知らんけど」って言う。
明日も明後日も。
ただね。それはそれでもいいけど、それは続かないんだ。
なぜかっていうと、その商取引には、「気持ち」がないからだよ。お互い。
「この企画は今後サスティナブルな事業と位置付けまして、、」なんてマヌケヅラで言ってるサスティナブルなバカは、能書き語ってないでまずシャベルを握れ。
そしてシャベルのひと突きひと突きに、まず心を込めるんだよ。
(あとがき)
一応これは念のためだけど。
コメントでさ。とくにtakaさんさ。
「はい!ひと突きひと突きに心を込めてます」とか書かないでよ?
それから「理沙さん、群馬までの出張費とホテル代も込みなんですか?」とかさ。
もう誰が何を書くのかわかっちゃうのよ。悲しいことに。
Posted at 2025/11/19 16:40:01 | |
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