学校を抜け出して男の子と自転車2人乗りでいつものお好み焼き屋さんへ行った。
お好み焼き屋のおばちゃんはヘラで鉄板をガシガシしながら、「あんたたち、いつも仲ええな。結婚するんやろうねえ」と笑いながら言った。
カウンターの隅に置かれた扇風機の風が髪を揺らしてた、あれは夏の日。
全力で走ってやっとつかまえて2人引き込み線の脇に倒れ込んだ。
錆びた線路の向こうになまえも知らない黄色い花が咲いていた。
息を切らし寝転んだまま青い空を見上げた、あのときも夏だった。
青春の日々は、夏を迎えるたびに子どものようにワクワクして、夏を越えるたび、大人になっていった。
放課後は親友のアコと大阪を目指した。
京都って千年の歴史だとか、まったりとかはんなりの世界で東京や大阪に戦いを挑むけど、高校生のわたしたちにとって京都はただの田舎町でしかなかった。
大人になって錦市場や哲学の道を歩けば京都はいいとこだったと思うが、そんな場所は当時行ったこともなかった。
大人になってある程度のポジションになると偉い人たちから「理沙さんは京都のご出身でしたよね。今度会議で京都に行くんですが理沙さんならどこか京都のおいしいお店をごぞんじでしょう。」などとよく聞かれるが、高校生までしか京都にいなかったわたしとしては答えはひとつ。 「うーん・・デニーズじゃね?」
大阪へ向かうのはいつもワクワクした。
阪急電車に乗り込むとすぐにアコと目隠し将棋を始める。
「じゃあさっきのつづきやろ。「5六歩」やったよな?」
「そうそう。じゃあ・・2七飛車」
「そこ、金おるで?」
もちろんデタラメなので、いつ乗客の誰かから「あーだめだめ。そこは6手前に角置いたやろ」なんて言ってこられないかドキドキしていたが、もしそう言われたら「何いうたはるんですか?うちらやってんのチェスですけど?」という秘策は持っていた。
でもそういうことはなく阪急京都線の乗客はいつもわたしたちを驚いた表情で見て、王手をかけて詰むと、あちこちから拍手が起こった。
梅田に着くとわたし達は電車を飛び降り、ホームを走って階段を3段飛ばしで降りてバーガーショップに飛び込み、滑りながらカウンターにぶつかって大声で注文する。
「ダブルま●こバーガー2つ!ポテトも!」
「ダブルチーズバーガー ツー プリーズ』
「あ、おねえさん違います違います。ダブルまん●バーガーですよ」
「そんな商品はございません。ダブルチーズバーガーですよね?」
「えええ? ダブル●んこバーガーはロッテリアやったんかなあ。じゃあおもしろくもなんともないダブルチーズで。」
スマイル0円のおねえさんに0円でメンチ切ってもらいながら(関東では<ガン飛ばされながら>)ハンバーガーを受け取ると、2人の「京の雅たち」はまたスカートを翻してバタバタと阪急ファイブの路地を駆け抜けていく。
若い日、愛だとか友情だとか夢だとかいう美しい言葉をまとった悪意や欲望に、夏の女の子は騙され続ける。
だから若さはそんなことよりも、ただジョークだけを信じて繋がる。
愛というもののテレパシーをまだ伝えきれなくて、まだ受け取る能力もない少女たちにとって確かなことは、ただ笑えるということだけが事実で、唯一それが信じることのできるテレパシーだった。
交差点で大きなコンビニの袋を持ったおじさんをみると、「おじさん何買うたん?」と2人で絡みつく。
「うっわ。おにぎりめっちゃあるやん!ハムサンドも!ええなあ、おなかすいたなあ」
「あたしら前にご飯食べたんいつやったっけ?」
「3日くらい前にうまい棒食べたっきりやな」
「今日あたり野垂れ死にやな」
「しょうがないよ。おにぎりくれる親切な人なんかこの世におらへんねんから」
「日本っていつからこんな国になったんやろなあ」
「おねえちゃんたち、おにぎりならあげよか?」
「マジで?! そんなこと夢にも思わんかったけど!じゃあわたし焼肉はわるいから梅でええわ。・・・ええ?ほんまに梅なんか!おっちゃんちょっとあそこで袋の中全部出してみて」
まだそれなりの労働をする援交JKのほうが、人間としてわたしたちよりずっと上だった。
当時わたしは
音楽をやっていて、アコは雑誌の読者モデルをしていた。
2人とも学生という以外にそれぞれに踏み込めない世界を持っていた。
だからどんなにふざけ合っても、どこか互いを尊重してベタベタした関係ではなかった。
お互い恋愛や人生や、ふだん何を考えているかなんて話したことはなかった。
それは他人からは冷たい友情に映ったかもしれない。
でもわたしたちにしてみれば「おまえはレフトを守れ。わたしはライトを守る」という関係だったと思う。
レフトとライトはお互いに距離があってリカバリーはできない。
だけど信じてたんだ。
どんなに辛いことがあってもそれぞれが自分で乗り越え、守り切り、2人そろえば笑顔でいつものバーガーをオーダーするのがわたしたちの「信頼」だった。
あるときからアコが学校へ来なくなった。
ある晩アコの家に行ってみた。
お母さんが「アコはタコ公園にいるんじゃない?」というので行ってみると、タコのかたちをした滑り台にアコは1人寝そべって夜空を見ていた。
わたしは音を立てないようそっと階段に回って上から滑り降りてアコに勢いよくぶつかった。
しかしアコは驚くこともなく空を見上げたままこう言った。
「なあ理沙。星って何個あるんやろ?」
「60兆個やな」
「なるほど。・・なるほどなあ。」
この会話で2人はやはり同じ種類なんだと互いに思った。
60兆個というのは咄嗟に言ったんだけど、60兆個とは人間の細胞の数である。
そしてそれを。
アコは「なるほどなあ」と、そう言った。
そしてわたしの股間に挟まれたまま、アコの肩はかすかに震えていた。
わたしもそのまま黙ってタコの滑り台に寝転んで夜空を見上げた。
遠く、いて座が瞬いていた。夏の終わりの星座だ。
青春の日々は、夏を迎えるたびに子どものようにワクワクして、夏を越える度、大人になっていく。
日焼けした肌の皮を剥いては、だんだん、日焼けすることをこわがり傷つかないように生きる悲しい大人になっていく。
去年、大阪にお仕事で行った。
今は綺麗に大きくなった大阪駅だけど、三番街へはわたしはやっぱり新梅田食道街の埃っぽい路地を抜けていく。
ヤンマーのビルが見えたら、ふいにあの日のアコが後ろから飛びかかってくる気がした。「何してんねん、もっさい服着て!」と。
わたしは、あの日のアコを。
ひとりぼっちでこの街に置き去りにしてきた気がした。
アコはほんとはさびしかったのだ。
アコはモテまくってて、地元ではもはやスターのような扱いだった。
男の子はもちろん、女の子ですらアコが出ている雑誌にサインしてもらうのがせいいっぱいで、気安く声はかけられない存在だった。
でもアコは本当はさびしい女の子だった。
制服のスカートにいつも競馬新聞を挟んでいたが、ほんとは競馬なんか一度もしたことがない。
それなのに新世界のおっちゃんらと通天閣の路地にしゃがんで「その馬はあかん。皐月賞見た?1着やったけど最終コーナー回って最後の直線で足がもたついてんねん」などとどっかで聞いてきたことを言っておっちゃんたちを感心させてた。
「ねえちゃん若いのにすごいなあ。パンツ見えてるけど」
「そんなんなんぼでも見たらええがな。それより1着2着は確実にこの馬や」
「え?どれどれ?」
わたしもアコも、学校からも、いわゆるヤンキーたちからとも、遠い世界にいた。
クラスでもみんなと交われない。交わらない。
交わったら終わりだと思ってた。
わたしとアコだけのプライドをかけた夏の映画は、梅田を舞台にくり返された。
男の子も。女の子も。
青春の夏にとんがればとんがるほど、大人になって社会の壁は厚く、冷たい。
その壁は、大人の言う通りの道を何の疑問もなく素直に歩いてきたさえない子たちならあんなにかんたんにくぐり抜けていくのに。
それでもやっぱり。
わたしはあの夏のアコと、あの夏の自分が大好きだ。
そして、かなわない。
どの夏を選ぶのか。
それは教育とか環境じゃない。
その子自身の選択にかかっている。
今年の夏は暑い。でも。
女の子はゆるいパンツを履くな。
男の子はネクタイを緩めるな。
あの夏の君が見ている。
「時間は戻らない」とか「時代は変わった」とか。
勇気のない君たちがまた、哀愁を帯びた顔で小さく微笑む。
冗談じゃない。消えたりなんかしない。
あの夏はずっとずっとまだ君の中に生きている。生き続けている。
逃げ出す口実だけはうまくなった君がその夏を消そうとしている。
君が今目指してるものや欲しいものなんか、あの夏の君はちっとも羨ましくなんかないんだ。
青春の日々に、一日、一日、おとしまえをつけていけ。
8月の休暇でふるさとに帰って見上げれば、あの頃と同じ入道雲の空が、あの夏の君のことを君に語ってくれるだろう。
<おまけ 〜その後のアコ〜>
アコとは大阪と東京に離れて、もう長いこと会ってなかった。
それが30歳を越えた頃、仕事が終わる頃に突然アコから電話がかかってきた。
当時わたしは公務員になっていた。
すっかり大人になった声で「お忙しいところ申し訳ありません」なんてあいつが言う。
「今東京に来てるんですけど、ちょっと考えるところがあってご相談したいことがあるんです。今日お時間いただけますか?」
その声には追い詰められたような緊迫感があった。
「どこにいるの?」
「今は新宿です」
わたしは残業で片付けるつもりだった仕事を明日に回す算段を頭の中でしながら、片手はジャケットをつかんでた。
「行くわ。でも相談って何?」
「昨日の夜、光麺(こうめん)っていうラーメン屋さんに行ったんですよ。するとトッピングが色々あったんです。光麺玉子のせとか、光麺メンマのせとか、、、その中に光麺ぜんぶのせっていうのがあったんですよ。
よろしいですか?コーメンですよ?コーメン!全部のせですよ?
人間って悲しいもので、誰でも1文字くらいの言い間違えってあるじゃないですか。そこで理沙さんがうっかり間違えて大きな声でコーマ・・」
電話を切って残業に戻った。