テレビ局のスタジオではいろんな番組の収録が同時に行われ、終わるとスタッフや出演者たちがそれぞれのスタジオからどっと廊下に出て移動する。
たくさんの人と常にすれ違うから1人1人に挨拶なんかしていられないし、みんなが急いでいる。
なので早足で歩きながら、すれ違う人の顔も見ないで、「おつかれさまでした」を略して「でしたー でしたー」と言い合ってすれ違っていく。
わたしもそうだったし、みんながそうだった。
あるとき誰かとすれ違い、わたしはいつものように顔も見ないで「でした〜」ってすれ違おうとすると、「お疲れ様でした」と大きな声が聞こえた。
振り返ると、その人は立ち止まりわたしに向かって深々とお辞儀をしていた。
当時プロデューサーとかディレクターでもない、チンピラみたいなまだ20代のわたしに、である。チャラいしね。
わたしも慌ててお辞儀をしたんだけど、顔を上げたその人は、今総裁選に立候補している自民党の石破さんだった。
それでまたわたしは「たいへん失礼しました」ともう一度頭を下げると、石破さんはにっこり笑って立ち去った。
もともとわたしはお辞儀はきちんとする子だった。
高校時代はあんなだったけど、みんなの顎を突き出すだけの挨拶はバカっぽくてカッコ悪いと思ったので、割ときちんとお辞儀するようには気を付けていたけど、この石破さんと挨拶を交わして以来、部下の人にも知らない人にも挨拶するときはちゃんと立ち止まって両膝に手を置いて深くお辞儀するようになった。
そしてわりと最近のことだけど、お仕事で新聞社の取締役の人と今回の総裁選の話をしていたときにその話をした。
するとその人は「はっはっは。そういうのね、政治家のパフォーマンスなんですよ」と言った。
「パフォーマンス?ですか?」
「だってそれであなた石破さんをいい人だと思ったでしょ?」と。
新聞社へはうちの会社とタイアップする企画の打ち合わせで行ってて、その後担当者の人と話して帰るとき、オフィスの奥のほうにさっきの取締役の人が見えた。
わたしはその人に深くお辞儀をすると、その人は笑顔でわたしにさっと片手を挙げた。
そこでその人のところへ行って、こう言った。
「(今回の契約において)甲と乙とは対等です。あいさつくらいはお互いにちゃんとしませんか?たとえパフォーマンスでも!」
帰りの車で、部下の人に「こことはナシだ」と言った。
それからこれもやっぱり20代の頃だったと思うけど、お仕事でわたしは大阪に行ってて、急にトラブルの連絡が入って東京に戻らなければならなくなったんだ。
帰省ラッシュかなんかの時期で新幹線の指定席は売り切れ。仕方なくグリーン車に乗った。
席に座ると、きものを着たとても美しい大人の女性が隣だった。
40歳くらいの人かなあ。
わたしが座ろうとしたとき、その女性がわざわざ笑顔で会釈してきたのを覚えている。
その後は無言だったけど、わたしがカバンから読みかけの本を取り出したとき、その女性が「あら、わたしもその本読んだわよ」と話しかけてきた。
京都を過ぎたくらいのとこだったと思うけど、それから東京までずっとおしゃべりした。
その女性は銀座のクラブのママさんで、わたしはまったく知らない世界だったけど、後に銀座でもかなり有名な高級店だと知った。
わたしも人を笑かすのが得意だが、彼女の話もおもしろかった。
東京までお互いにずっと笑いっぱなしだった。
その中で今でもずっと心に残っている話があるんだ。
それは、わたしが「クラブのホステスさんって毎日全部の新聞読んでるって本当ですか?」と訊いたのだ。
すると彼女は意外なことを言った。
「まあ全部でもないけど、何誌かは読んでるのはほんと。でもそんな話をお客さんとはしないわよ。そもそもお客さんの話なんか聞いてないし」
これにわたしはびっくりした。
「お客さんの話、聞いてないんですか?」
「もしお客さんの話を真剣に聞いてたら、このわたしだって1日2、3人は灰皿で殴ってるわよ」
お客さんには基本「はい」「そうですね」しか言わないんだそうである。
「じゃあお客さんから、君はどう思う?って聞かれたら?」
「そのときは、お客さまはどう思われるんですか?と聞いて、その意見に、わたしもそう思いますって言うのよ」
なるほどと思いながらもわたしには疑問があった。
どんなにテクニックを労しても、話を聞いてない人というのは必ずわかる。
とくに男性は、好きな相手が自分の話をどれだけ理解してくれてるのかを必死で探ってくる。
だから男性は話がくどくて、しつこくて、すぐに「俺の話聞いてないだろ」って敏感なのだ。
そこで「でも聞いてないのバレちゃったらお客さん怒っちゃって二度と来なくなりませんか?」って聞いたのだ。
このときである。
東京までずっと、まるで高校生のように無邪気に笑い続けたその人が、そのときだけ、まだ若いわたしに真剣な顔で、こう言ったんだ。
「お客さまの話をどんなに真剣に聞いても。最後に<ありがとうございました。またお越しください>が言えないホステスに二度と客は来ない。でも話を聞いていなくても、最後の挨拶がきちんとできるホステスなら必ずまた客はくる」と。
東京駅のホームで、一旦別れて歩き始めたわたしを彼女が呼び止めた。
「あなたはきっと立派なお仕事をされてるんでしょうけど、もし銀座に興味が出たときには必ずわたしを訪ねて。」と名刺をくれた。
確かに。確かにそうだよね。
仕事の中で意気投合してプロジェクト進めて、どんなに盛り上がっても、その日が終わって「お疲れさま」って言ったときに無視されたら、どお?
逆に仕事でどんなにぶつかって、激しい口論になって、あんなヤツとはもう二度と口もききたくない、と思ってても、その相手がその日の終わりに笑顔で「お疲れさま」って挨拶してきたら、なんて自分って小さいんだろうって思わない?
「負けた!」って感じでしょ?
この銀座のママさんの話は、今でも毎年職員研修でわたしは話している。
職員たちには、仕事ができないならわたしが全部1人でやるから、誰にでも大きな声で挨拶だけはしてほしいと本気で思ってる。
挨拶できないけど仕事はできる人なんて見たことがないのだ。
わたしは「あいさつの力」をこの二人の大人に教えてもらった。
石破さんは、あれは、政治家のパフォーマンスではなかった。
あの場でわたしを怒鳴りつけてもよかった。「私を誰だと思ってるんだ」と。
しかしまだ20代のわたしなんかに自ら頭を下げることで、礼儀というものをたったの5秒で教えてくれたのだと思ってる。
銀座のママさんは、やっぱり一流のおねえさんだと思った。
あれはあの人がどこかで聞いた話を語ったのではなく、チンピラホステスから銀座の頂点に昇り詰めた人だからこその説得力があった。
腹が立つ相手を論破しても勝つことはない。
相手は敗北感はなく、新たな憎悪を生むだけで、戦争は終わらない。
そんな相手にこそ明るく挨拶をしよう。
頭を使うこともなく、武器を持つことなく戦争は終わる。
「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」「お疲れさまでした」「ただいま」「おかりなさい」「おやすみなさい」
それは何も持たないわたしたちでも使える奇跡の言葉なんだよ。
明日から、ぐっとこらえて、「おはようございます」だよ。
わかったね?
え? このブログを読んで、いがみ合ってた相手に屈辱を飲み込んで今朝「おはようございます」って言ったの? うんえらいえらい。
そしたら? 相手が調子に乗って「お前やっとあいさつできるようになったな。今日から俺の家来になれ」って言ってきたのか、、
うーーーん。そうかあ・・
よし、殴れ。