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risaSpecのブログ一覧

2025年10月31日 イイね!

wishing all broken hearts to mend oneday.

お休みの日の朝はお散歩をします。

こういうときは手ぶらがいいのですが、電話がかかってくるかもしれないし、音楽も聴きたいのでiPhoneは手離せません。

だからといってお尻のポケットでは落としてしまいそうなのでブラに入れてしまいます。


遠くへ行き過ぎて自力で帰れなくなったときのために一応小銭入れもブラの中に。

万一、明るい間に帰れなかった場合のためにマグライトも右のカップに。
予備の乾電池単一4本は左。
水分補給のための麦茶もブラに押し込みます。



え?
まさか。
麦茶っていってもそんなでかいのじゃないよ。


だって、ブラだよ?ブラ。
キミ、頭だいじょーぶか?
そんな大きいペットボトルなんか入らないって。500mlのだよ。


どお?
便利でしょ?

え?
非常時に備えて金庫やヘルメットとかも入ってるんじゃないの?って?

おいちょっと待て。

あのさ。
おまえさ。

そんなの入ると思うか?
いくらわたしが貧乳だとはいえ。
「あーごめんごめん」じゃなくって、ちょっとそこ座れ。
いくらブログだからって調子に乗ってなんでもかんでもあり得ないこと言ってるからつまんなくなっちゃうんだよ。ね?

いくらなんでも、金庫やヘルメットがブラに収まるわけないことくらい考えたらわかるよね。ちょっと反省しろ。

そういう防災関係はパンツの中だよ


わたしは散歩が好きだ。
ウォーキングは嫌いだが散歩はする。
散歩というのはわたしにとっては冒険なんだよ。
そして冒険の始まりには、いつも空を見上げて雲を探すんだ。

子どもだったあのときもそうだった。
小学校の2年生くらいだったかな。
ふと見上げた空に、矢印のようなかたちの雲があって、その方向にどんどん進んだ。
誰かの家の塀を乗り越え、公園を突っ切って、踏切を渡って。

だんだんと陽が傾き、いつのまにか草むらの中で夕暮れを迎えた。
すっかり道に迷って、半べそをかいて途方にくれた。
妖怪が出てくるかもしれないし、人さらいがくるかもしれないし、このまま死んでしまうかもしれないと思った。

草むらの中にしゃがんでポケットの中にあったアメ玉を舐めた。
今ごろみんながわたしを心配しているだろう。
「わたしはわるい子なんだ」
そう思ったら、アメ玉をコロコロと転がしながら涙がぽたぽたと落ちてきた。

絶望の縁で見上げると、空は夕焼けに真っ赤に染まって、そこにはまた矢印のような雲があった。

草の葉で傷だらけになった脚で、もう一度立ち上がり、その雲の示すほうへ草を分け進むと、とつぜんぽっかりと広い道に出た。

それは。

小学校から家に帰る、いつもの道だった。



人はよく寄り道をする。
そして気づけば、もう自力では引き返せないほど遠くに来てしまうことがある。
誰かに助けてもらいたいけれど、助けようにも誰も助けに行けないところにまで来てしまったのは自分自身だ。
そのときは、自分の人生を省みて、どうか泣いてほしい。

でも、その涙が枯れ果てたとき、じっと目を凝らして、耳を澄ましてごらん。
誰も助けに来てはくれないけれども、あなたのすぐそばに必ず「帰り道」がある。

どうしてか。

あなたがどんなに人から離れて、自分を嫌って、どんなに遠くへ迷い込んでも、どこまでもどこまでも「道」は、あなたをあきらめず、あなたを見捨てず、まっすぐ追いかけて伸びてくるからだ。

嘘じゃないんだよ。
命をかけた冒険なんか一度もしたことないような、周囲や上司の顔色ばっかり伺ってるようなやつが気安く「うそ」とか言うな。
ほんとなんだよ。

ただ、その道を、背の高い草むらがいつも見えなくしている。
目の前の草むらを押し分けて、その向こうで待っていてくれる道にたどり着こうとする力のことを、それを、わたしは「勇気」と呼んでいる。

自分にはそんな道は伸びてきてくれてないというあなたは、おめでたいのでもう少し草むらの中でしくしく泣いていなさい。

わたしには、20代の頃だけど、もうここで何もかもが終わったと感じたときがある。

たった1人の、あるクリスマスの深夜、東京にめずらしく雪が降ってきた。
「もうだめだ、さすがのわたしもここまでだ」とわたしは25時の西新宿の歩道橋の上に倒れ込んでいた。

こんなに頑張ってきたのに。
こんなに全力で、まっすぐ走ってきたのに。
そのすべてが崩れ去った。

誰もいない歩道橋に仰向けになったわたしの体に、どんどん雪が降り積もる。
さっきまであんなに寒かったのに、もう寒さすら感じなくなっても、わたしはそのまま動かなかった。
顔の全部が雪に覆われていた。
このまま死んでいくのかなあとぼんやり、思った。

そのときにね。
なぜだか3歳くらいの頃の自分が原っぱを走っている姿が俯瞰で見えた。
あれは・・・どこだったんだろう。
なんだか笑顔で、とってもうれしそうにわたしが1人で走ってる。
ときどき空を見上げては転んで、でもまた立ち上がって走ってた。

あの子は。
そのまま走って、20年後、今のここの場所に必ずやって来るだろう。
だって、その子は、このわたしだからね。
そのとき、その子が今のわたしの姿を見てどう思うんだろう。

わたしはその子に「これがあなたが目指して走ってきた未来のあなたの姿だよ。残念だったね、ご苦労さん」なんて言えるだろうか。

わたしのことはもういいけど、あの子にこんな姿を見せるわけにはいかない。
こんなとこでくたばってるわけにはいかないんだ。

あの子が、ここへやって来るその前に、立ち上がらなきゃ。

そう、思った。

そのときにね。

・・・聞こえてくるんだよ。

こんな、死んでしまえばいいようなわたしなんかを、こんなとこまで探しあて、あの、小学校からの、あの帰り道が、あんなに広い青梅街道も甲州街道も押しのけて、深夜の巨大な新宿のビル街にまで力強く伸びてくる音が。

今、どん底だと思ってる人。
自分なんかもうどうなったっていいって、そう思う人。

「ここまでだ」と君が思うなら、もうそこまでだ。
「まだ行ける」と思うなら、さらに深い草むらに君は迷い込むだろう。

人生でどんな道を進むのか。
それは人それぞれみたいにみんないうけど、そうじゃない。
じつはみんなが同じだ。
わたしたちが探すべき道は、たどり着かなきゃならない道はね。
目を輝かせることなんてない、ときめくこともない、驚くこともスリルも何もない、人にどうだと見せるものでもない、ただ。
ただ、いつもやさしい風が吹くだけの、あの「帰り道」なんだよ。

その道は、「幸せだなあ」と笑顔で歩いてるときや、深い悲しみに泣いているときに現れることはない。
なぜか必ず、絶望に泣き崩れ、その涙も枯れて泣き止んだときにだけ現れる。

辛いことがあって。
悲しいこともあって。
叫びながら壁に拳を撃ちつけたくなる日もあるだろう。

でも。
とにかく。
人生という映画で、そのシーンは、もう終わったんだ。

次に進む道を探すんじゃなくて。
次に君が進む道はね。
君はまだ覚えているだろうか。
君にしかわからない君だけの「帰り道」を。


ねえ。
今日はまだ何も食べてないんでしょ?
そろそろ辺りは暗くなってきたから。

だから。
おうちへ帰ろ。ね?

そして。

うなずく君のすぐそばに。
ほんとは既に。
「道」は先回りして到着している。

wishing all broken hearts to mend oneday.
(すべての傷ついた心たちがいつかやさしさに包まれることを願うよ)



ちょっと今日のブログは重かったけれど。
つまんないことですぐに落ち込んしまうバカには、これくらい重くないと届かないからね。
Posted at 2025/10/31 21:13:13 | コメント(8) | トラックバック(0) | 日記
2025年10月28日 イイね!

ふたりの旅

自分でつくった詩の中で気に入っている「田舎の少年」という詩を最近ブログに載せました。
そしてもうひとつ自分で気に入っている詩があります。

わたしはブログでお笑いを書いてるときも笑ったりはせず、けっこう真剣な顔で書いてます。
とくにお笑いブログは少しリズム、っていうか、文章のシンコペーションを間違えただけで、笑える話がもう笑えなくなる。
ブログ自体は数分で書けるんだけど、このひと文字を漢字にするのか仮名にするのかみたいなことで30分悩んだりしてます。

だからブログ書いてるときはいつも冷静で、自分の文章に自分が巻き込まれることはありません。
しかしこの詩は、気がつくと自分の文章に涙を流しながら書いた覚えがある詩です。
多分夜中に声を出して泣きながら書いたのだったと思います。

伝わりにくいかもしれないので、先に設定を解説しておきます。

若い女性が長距離フェリーで旅しているとき、甲板でおじいさんに話しかけられます。
彼の腕の中に毛布で包まれていたのは彼の奥さんなんだけど、このときじつはもう危篤状態です。
最後に想い出の場所に連れて行きたかったのでしょうか。
だから老人はしきりに、あとどれくらいで船が着くのかを気にしています。


*********************************

ふたりの旅


やあ お嬢さん
君はどこへ旅しているのだね
この船は あとどれくらいで着くのかね
そうか まだそんなに長く・・

私の腕の中の毛布にくるまっているのは
私が60年も愛しつづけた恋人なのだ
こんなに腕も 脚もこんなに痩せてしまった

けれども君は羨ましいだろう
私の恋人はとてもスタイルがいいだろう

人生という旅は
都を目指してずっと昔に駆け抜けたはずの道を
気づけばまた歩いていたりするものだ
何度旅に出ても何も変わらず
やがて旅を終えてゆくのだ

しかし私は思うんだよ
「人を変えるならまず自分が変われ」などというがね
それがどうしてもできないなら
いつまでも どんなときも
変わらぬ心でいることもまた人を変える力なんだ

この船はあとどれくらい海を漂うのだね
・・・そうか まだそんなに長く

私が愛する恋人は
もう私のほかには誰も見送る人がいないのだ
すまないがお嬢さん
いっしょに最期までそばにいてやってはくれないだろうか
いや もうそんなに時間はとらせないから

彼女はね 私を一目で好きになったんだ
そういうといつも叱られたものだが ほんとうなんだよ
ちがうよ 君まで なんだ
彼女のほうから私を好きになったのだ

誕生日にはずいぶんと洒落た贈りものをしてきたつもりだ
舶来の万年筆だとか 指輪もあったさ
なのにこの人ときたら
私への贈りものは 木の実をつないだ首飾りをつくったり
およそ私の趣味とは合わないつまらないものを
だいじにだいじに抱えて白い息を弾ませて私の家にやってきた
でもね 今ではそれがね とてもたいせつな宝物だよ

さっき飛ばされてしまった君の帽子のように
風が吹けば人とはじつにあっけないものだ
しかし彼女はね いつもエヘヘと笑っていたよ
私はね この人はすこし頭が足りないのかと思ったものだ

いいかい お嬢さん
悲しくても泣かないことだ
つらくても喉の奥の力を抜いてはいけない
どんな嵐の中でも この人のように エヘヘと笑っていることだ
明るければそれだけでいい
それがたとえお芝居でも
人は明るければ ただそれだけで都へ行けるのだ

だから私はこれからどんな孤独にも微笑んで
胸がバラバラになりそうな悲しみの中でも笑顔で
明日から毎日鏡の前で練習しようと思うんだ

私はこの人を愛してきた
ずっとこの人を愛してきた
何も果たせぬ人生だったが
たったひとつ 愛を信じることのできる人生だった

思えば都とは 遠い旅の果てにあるのではなく
その愛の中にずっと昔からあったのだ
その愛を 愛が ずっと守ってきてくれた
これからもこれからも ずっとずっと



お嬢さん



海の上というのは
こんなに寒いものなのかね



私は この人生で

たった今が

いちばん寒い気がする



どうもありがとう
風邪をひくといけない
君はもう船室に戻りなさい 【理沙】
Posted at 2025/10/28 23:38:33 | コメント(6) | トラックバック(0) | 日記
2025年10月22日 イイね!

It’s okay not to be okay

ここにくるまでわたしはけっして平坦な道のりではなかった。
いろんなことをやってきたし、偉くなりたかったわけではないけど、仕事の本質とはかけ離れたとこでの誰かの思惑や圧力には従えなかったし、理不尽に唇をかむのは嫌だったから、それなら強力な発言力を持つしかなかった。

それはずっと、来る日も来る日も闘いの日々でもあった。
味方はただ自分だけしかいなくて、独りだけで闘い続けてた。

ときどき立ち止まることがある。
本当にこれでよかったのか。
おとなしくしておけばよかったんじゃないか。
みんなみたいに可愛らしく微笑んでおけばそれでよかったんじゃないか。

わたしはこれからいったいどうなっちゃうんだろう、と。

帰りの電車の中で。
窓に流れていく街の灯りを見ながらいつも自分に言ってあげてた。

「だいじょうぶだいじょうぶ」と。

今日できっと何もかも終わった、、
そう思ったことが何度もあった。

その度に、「だいじょうぶだいじょうぶ」と自分に言ってきかせてた。

人生は、みんなが傷だらけで歩く。
まだ戦ったり、あるいは許すことで明日を切り拓けるときならいい。

だけど人はいつか。
どこかで。
もう自分の力ではどうすることもできないことがあって。
ただ、運命というものに黙って身を預けなければならないことが必ずあって。

誰にもわかってもらえないし、誰も助けてはくれない。
自分ひとりでじっと孤独の夜を越えて行かなくちゃいけないときがある。

でもね。
それでも。

It’s okay not to be okay

だいじょうぶ、だいじょうぶ。

あなたも。
だいじょうぶ。

It’s okay not to be okay

だいじょうぶじゃなくても、だいじょうぶだから。
Posted at 2025/10/22 22:13:51 | コメント(6) | トラックバック(0) | 日記
2025年10月03日 イイね!

秋は田舎へ行こう

秋の田園風景の中を走ってみたくて北関東をドライブしました。

朝からコーヒーをボトルに入れて出発。
秋の始まりの穏やかな空気の中、ボサノバジャズを流しながらのんびり走ります。

10月になったとはいえ、気温は29℃。
まだまだ夏の景色です。

むかし旅先で知り合ったクルマに乗ってる若い女の子から、「東京だと夜景が綺麗な深夜の首都高を流すなんてできるからいいですね。うらやましいです」と言われたことがあります。
しかし首都高があるとこに暮らしてると、走ってみたいのは明るい田舎の風景なのです。

草原のように青々とした夏の田んぼ。アンバーな秋の田んぼ。雪の間から刈り取った後の稲の切り口が顔を出す冬の田んぼ。
田んぼや畑のあるとこで育ったわけではないけれど、そして人生の半分以上を東京で暮らしても、田んぼがつくる季節の風情はなぜか懐かしく安らぐ。
減反政策というのはコメの自給率だけではなく、日本人から原風景をも奪っていくものでした。

37もの都道府県を旅していると、東京や大阪みたいな大都市って、日本のほんのわずかな部分に過ぎないことに気づきます。

何年も前だけど、中国山脈の真っ只中を走っていて、田んぼから老夫婦が道を渡った先にある家へと入られてゆく場面に出会いました。
おそらく80代と思われるこの2人は何十年、来る日も来る日も朝と夕に、いったい何度この道を渡ったことでしょう。
この狭いエリアだけがお2人の人生の、そして世界のすべてです。

都会の華やかなスリルや楽しみはないけれど、だから都会の享楽に溺れてしまうこともない。
分不相応な夢を思い描くことはない。でも足ることを知ればそれは幸せです。

そうして一生を終えていけるのだとすれば、それはなんて素敵でありましょうか。
「どこまでもあきらめず夢を追いかけるんだ」なんて熱く語るわたしたちは鼻でわらわれてしまいそうな気もします。
「いったいなんのためにそんな遠くへ行くの」と。
遠くへ行かなきゃ幸せが見つけられないというあなたたちって「幸せの青い鳥」に描かれるチルチルミチルじゃないの?と。

美しく広がる田んぼの傍にクルマを停め、外へ降りて眺めます。
ぬかるんだあぜ道には農家の人たちがつけた足跡があちこちにたくさん刻まれていました。

わたしたちだって毎日頑張って仕事をしてます。
そこだけはわたしも負けない。

だけどね。

確かにそこにあるはずの足跡がない。振り向いたそのアスファルトの道には。
Posted at 2025/10/03 22:20:18 | コメント(7) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「わたしたちがたいせつにする個性とは http://cvw.jp/b/2273104/48770830/
何シテル?   11/17 11:00
身長 / 168センチ 体重 / 52kg  スリーサイズ / B:貧乳  W:ふつう  H:ふつう  年齢:そこらへんによくある ごくふつうの年齢
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