2025年10月22日
ここにくるまでわたしはけっして平坦な道のりではなかった。
いろんなことをやってきたし、偉くなりたかったわけではないけど、仕事の本質とはかけ離れたとこでの誰かの思惑や圧力には従えなかったし、理不尽に唇をかむのは嫌だったから、それなら強力な発言力を持つしかなかった。
それはずっと、来る日も来る日も闘いの日々でもあった。
味方はただ自分だけしかいなくて、独りだけで闘い続けてた。
ときどき立ち止まることがある。
本当にこれでよかったのか。
おとなしくしておけばよかったんじゃないか。
みんなみたいに可愛らしく微笑んでおけばそれでよかったんじゃないか。
わたしはこれからいったいどうなっちゃうんだろう、と。
帰りの電車の中で。
窓に流れていく街の灯りを見ながらいつも自分に言ってあげてた。
「だいじょうぶだいじょうぶ」と。
今日できっと何もかも終わった、、
そう思ったことが何度もあった。
その度に、「だいじょうぶだいじょうぶ」と自分に言ってきかせてた。
人生は、みんなが傷だらけで歩く。
まだ戦ったり、あるいは許すことで明日を切り拓けるときならいい。
だけど人はいつか。
どこかで。
もう自分の力ではどうすることもできないことがあって。
ただ、運命というものに黙って身を預けなければならないことが必ずあって。
誰にもわかってもらえないし、誰も助けてはくれない。
自分ひとりでじっと孤独の夜を越えて行かなくちゃいけないときがある。
でもね。
それでも。
It’s okay not to be okay
だいじょうぶ、だいじょうぶ。
あなたも。
だいじょうぶ。
It’s okay not to be okay
だいじょうぶじゃなくても、だいじょうぶだから。
Posted at 2025/10/22 22:13:51 | |
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2025年10月03日
秋の田園風景の中を走ってみたくて北関東をドライブしました。
朝からコーヒーをボトルに入れて出発。
秋の始まりの穏やかな空気の中、ボサノバジャズを流しながらのんびり走ります。
10月になったとはいえ、気温は29℃。
まだまだ夏の景色です。
むかし旅先で知り合ったクルマに乗ってる若い女の子から、「東京だと夜景が綺麗な深夜の首都高を流すなんてできるからいいですね。うらやましいです」と言われたことがあります。
しかし首都高があるとこに暮らしてると、走ってみたいのは明るい田舎の風景なのです。
草原のように青々とした夏の田んぼ。アンバーな秋の田んぼ。雪の間から刈り取った後の稲の切り口が顔を出す冬の田んぼ。
田んぼや畑のあるとこで育ったわけではないけれど、そして人生の半分以上を東京で暮らしても、田んぼがつくる季節の風情はなぜか懐かしく安らぐ。
減反政策というのはコメの自給率だけではなく、日本人から原風景をも奪っていくものでした。
37もの都道府県を旅していると、東京や大阪みたいな大都市って、日本のほんのわずかな部分に過ぎないことに気づきます。
何年も前だけど、中国山脈の真っ只中を走っていて、田んぼから老夫婦が道を渡った先にある家へと入られてゆく場面に出会いました。
おそらく80代と思われるこの2人は何十年、来る日も来る日も朝と夕に、いったい何度この道を渡ったことでしょう。
この狭いエリアだけがお2人の人生の、そして世界のすべてです。
都会の華やかなスリルや楽しみはないけれど、だから都会の享楽に溺れてしまうこともない。
分不相応な夢を思い描くことはない。でも足ることを知ればそれは幸せです。
そうして一生を終えていけるのだとすれば、それはなんて素敵でありましょうか。
「どこまでもあきらめず夢を追いかけるんだ」なんて熱く語るわたしたちは鼻でわらわれてしまいそうな気もします。
「いったいなんのためにそんな遠くへ行くの」と。
遠くへ行かなきゃ幸せが見つけられないというあなたたちって「幸せの青い鳥」に描かれるチルチルミチルじゃないの?と。
美しく広がる田んぼの傍にクルマを停め、外へ降りて眺めます。
ぬかるんだあぜ道には農家の人たちがつけた足跡があちこちにたくさん刻まれていました。
わたしたちだって毎日頑張って仕事をしてます。
そこだけはわたしも負けない。
だけどね。
確かにそこにあるはずの足跡がない。振り向いたそのアスファルトの道には。
Posted at 2025/10/03 22:20:18 | |
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