• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

risaSpecのブログ一覧

2024年11月03日 イイね!

愛は 愛が守る

一人では何もできないから二人で力を合わせて そしてそれが愛だというけど
わたしは 一人でもできることを二人ですることが愛だと思ってる

愛は 助け合い運動ではなく
そして人は可能な限りの努力した そして愛とは その後(のち)に「分け合う」ことのほうだ

調和とは
大人と子どもが1つのおにぎりを半分に分け合うことではなく
より大きな肉体の維持にエネルギーが必要な大人が7で子どもは3にすることだ

何でもかんでも平等とか均等とか
1/2なら間違いがないと
計算のできない者たちが叫ぶから世の中が傾いていく

愛とか調和とは
すぐに貪欲で卑怯な怠け者のエクスキューズにつけ込まれやすく
それを否定する者は心が醜いというレッテルをマジョリティに貼られる

それが今の異常なほどのホワイト社会で
見かけはいいけど中身はくるってる

汚れた心を美しいホワイトに見せる現代のことを
わたしはキッチンハイター社会(漂白化社会)と呼んでる
その塩素で綺麗だけど生地は傷みだし もう劣化が止まらなくなってる

正しさを知る者はおそれてはならない

わたしがあなたを守るから
あなたはたいせつな誰かを守ってほしい

そして愛は・・

愛は 愛が守る (理沙)




Posted at 2024/11/04 00:03:06 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2024年09月13日 イイね!

わたしに「あいさつ」を教えてくれた二人の大人

テレビ局のスタジオではいろんな番組の収録が同時に行われ、終わるとスタッフや出演者たちがそれぞれのスタジオからどっと廊下に出て移動する。
たくさんの人と常にすれ違うから1人1人に挨拶なんかしていられないし、みんなが急いでいる。
なので早足で歩きながら、すれ違う人の顔も見ないで、「おつかれさまでした」を略して「でしたー でしたー」と言い合ってすれ違っていく。
わたしもそうだったし、みんながそうだった。

あるとき誰かとすれ違い、わたしはいつものように顔も見ないで「でした〜」ってすれ違おうとすると、「お疲れ様でした」と大きな声が聞こえた。
振り返ると、その人は立ち止まりわたしに向かって深々とお辞儀をしていた。
当時プロデューサーとかディレクターでもない、チンピラみたいなまだ20代のわたしに、である。チャラいしね。

わたしも慌ててお辞儀をしたんだけど、顔を上げたその人は、今総裁選に立候補している自民党の石破さんだった。
それでまたわたしは「たいへん失礼しました」ともう一度頭を下げると、石破さんはにっこり笑って立ち去った。

もともとわたしはお辞儀はきちんとする子だった。
高校時代はあんなだったけど、みんなの顎を突き出すだけの挨拶はバカっぽくてカッコ悪いと思ったので、割ときちんとお辞儀するようには気を付けていたけど、この石破さんと挨拶を交わして以来、部下の人にも知らない人にも挨拶するときはちゃんと立ち止まって両膝に手を置いて深くお辞儀するようになった。

そしてわりと最近のことだけど、お仕事で新聞社の取締役の人と今回の総裁選の話をしていたときにその話をした。
するとその人は「はっはっは。そういうのね、政治家のパフォーマンスなんですよ」と言った。
「パフォーマンス?ですか?」
「だってそれであなた石破さんをいい人だと思ったでしょ?」と。

新聞社へはうちの会社とタイアップする企画の打ち合わせで行ってて、その後担当者の人と話して帰るとき、オフィスの奥のほうにさっきの取締役の人が見えた。
わたしはその人に深くお辞儀をすると、その人は笑顔でわたしにさっと片手を挙げた。
そこでその人のところへ行って、こう言った。

「(今回の契約において)甲と乙とは対等です。あいさつくらいはお互いにちゃんとしませんか?たとえパフォーマンスでも!」

帰りの車で、部下の人に「こことはナシだ」と言った。


それからこれもやっぱり20代の頃だったと思うけど、お仕事でわたしは大阪に行ってて、急にトラブルの連絡が入って東京に戻らなければならなくなったんだ。
帰省ラッシュかなんかの時期で新幹線の指定席は売り切れ。仕方なくグリーン車に乗った。
席に座ると、きものを着たとても美しい大人の女性が隣だった。
40歳くらいの人かなあ。
わたしが座ろうとしたとき、その女性がわざわざ笑顔で会釈してきたのを覚えている。
その後は無言だったけど、わたしがカバンから読みかけの本を取り出したとき、その女性が「あら、わたしもその本読んだわよ」と話しかけてきた。
京都を過ぎたくらいのとこだったと思うけど、それから東京までずっとおしゃべりした。
その女性は銀座のクラブのママさんで、わたしはまったく知らない世界だったけど、後に銀座でもかなり有名な高級店だと知った。
わたしも人を笑かすのが得意だが、彼女の話もおもしろかった。
東京までお互いにずっと笑いっぱなしだった。

その中で今でもずっと心に残っている話があるんだ。
それは、わたしが「クラブのホステスさんって毎日全部の新聞読んでるって本当ですか?」と訊いたのだ。
すると彼女は意外なことを言った。
「まあ全部でもないけど、何誌かは読んでるのはほんと。でもそんな話をお客さんとはしないわよ。そもそもお客さんの話なんか聞いてないし」

これにわたしはびっくりした。

「お客さんの話、聞いてないんですか?」
「もしお客さんの話を真剣に聞いてたら、このわたしだって1日2、3人は灰皿で殴ってるわよ」

お客さんには基本「はい」「そうですね」しか言わないんだそうである。

「じゃあお客さんから、君はどう思う?って聞かれたら?」
「そのときは、お客さまはどう思われるんですか?と聞いて、その意見に、わたしもそう思いますって言うのよ」

なるほどと思いながらもわたしには疑問があった。
どんなにテクニックを労しても、話を聞いてない人というのは必ずわかる。
とくに男性は、好きな相手が自分の話をどれだけ理解してくれてるのかを必死で探ってくる。
だから男性は話がくどくて、しつこくて、すぐに「俺の話聞いてないだろ」って敏感なのだ。

そこで「でも聞いてないのバレちゃったらお客さん怒っちゃって二度と来なくなりませんか?」って聞いたのだ。

このときである。

東京までずっと、まるで高校生のように無邪気に笑い続けたその人が、そのときだけ、まだ若いわたしに真剣な顔で、こう言ったんだ。

「お客さまの話をどんなに真剣に聞いても。最後に<ありがとうございました。またお越しください>が言えないホステスに二度と客は来ない。でも話を聞いていなくても、最後の挨拶がきちんとできるホステスなら必ずまた客はくる」と。

東京駅のホームで、一旦別れて歩き始めたわたしを彼女が呼び止めた。

「あなたはきっと立派なお仕事をされてるんでしょうけど、もし銀座に興味が出たときには必ずわたしを訪ねて。」と名刺をくれた。

確かに。確かにそうだよね。
仕事の中で意気投合してプロジェクト進めて、どんなに盛り上がっても、その日が終わって「お疲れさま」って言ったときに無視されたら、どお?
逆に仕事でどんなにぶつかって、激しい口論になって、あんなヤツとはもう二度と口もききたくない、と思ってても、その相手がその日の終わりに笑顔で「お疲れさま」って挨拶してきたら、なんて自分って小さいんだろうって思わない?
「負けた!」って感じでしょ?

この銀座のママさんの話は、今でも毎年職員研修でわたしは話している。
職員たちには、仕事ができないならわたしが全部1人でやるから、誰にでも大きな声で挨拶だけはしてほしいと本気で思ってる。
挨拶できないけど仕事はできる人なんて見たことがないのだ。

わたしは「あいさつの力」をこの二人の大人に教えてもらった。

石破さんは、あれは、政治家のパフォーマンスではなかった。
あの場でわたしを怒鳴りつけてもよかった。「私を誰だと思ってるんだ」と。
しかしまだ20代のわたしなんかに自ら頭を下げることで、礼儀というものをたったの5秒で教えてくれたのだと思ってる。

銀座のママさんは、やっぱり一流のおねえさんだと思った。
あれはあの人がどこかで聞いた話を語ったのではなく、チンピラホステスから銀座の頂点に昇り詰めた人だからこその説得力があった。

腹が立つ相手を論破しても勝つことはない。
相手は敗北感はなく、新たな憎悪を生むだけで、戦争は終わらない。
そんな相手にこそ明るく挨拶をしよう。
頭を使うこともなく、武器を持つことなく戦争は終わる。

「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」「お疲れさまでした」「ただいま」「おかりなさい」「おやすみなさい」

それは何も持たないわたしたちでも使える奇跡の言葉なんだよ。
明日から、ぐっとこらえて、「おはようございます」だよ。
わかったね?


え? このブログを読んで、いがみ合ってた相手に屈辱を飲み込んで今朝「おはようございます」って言ったの? うんえらいえらい。

そしたら? 相手が調子に乗って「お前やっとあいさつできるようになったな。今日から俺の家来になれ」って言ってきたのか、、
うーーーん。そうかあ・・

よし、殴れ。
Posted at 2024/09/13 18:40:26 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記
2024年09月01日 イイね!

永い冬

人生にはときに短い夏があり ときにいつまでも続く長い長い冬がある
その冬はあまりに永く やむことのない吹雪の中で
しだいに凍り始めてゆく魂を わたしはひとりで泣きながらさするように温めてきた

人の本体は肉体ではなく魂だとしても
ときに肉体の温度がその魂を救うこともある

それはほんとに人が弱ったときには
崇高で気高い愛ではなく 
道端に転がるような安っぽい愛でしか救えないように

滑り落ちながら崖に飛び出た石をかろうじてつかんだ
でもその石も冷たくてツルツルと滑り
下を見れば もういっそこの手を離してしまえばとよぎる

叫んでも声にはならないし
足の置き場もない

わたし なんでこんなことになっちゃってるんだよ
つらいよ つらいよ つらいよ
手が痛いよ 冷たいよ
まるで何千本の針が突き刺すようだよ
腕もちぎれそうだよ
たすけてよ
お願い
たすけてよ

やがて力尽き小指がすべって離れると 薬指が続いて離れてゆき
わたしは目を閉じた
あそこから気を失ってわたしどうしたのだろう

気がつけばなぜか崖の上の原っぱに寝ていて
そっと目を開けると そこには
花が咲いてのどかに鳥の声が聞こえた

わたしのような
いっそ堕ちてしまえばいいような人間にも
だからあんなに永い冬に閉じ込められたわたしにも
春が きた

もうわたしの力ではどうにもならなかったあの絶望から
わたしいったいどうやったんだろう

はじめて大きな声で泣いた
幼い日のあのときよりもっと大きな声で
そしてそのわたしの体を
今度は わたしが温めていた魂が 包んだ


君たちにも永い冬はいつかくる
誰もたすけてくれないひとりの冬が
暗い つらく永い冬が

でもあの日 大声で泣きながら
わたしはあたりまえのことに気づき始めてた

春は 冬を超えた人にしか訪れないことを
そして春の暖かさは頼りないからわかりにくいけれど
その奥にある愛は その冬をたった一人で耐えた人にしか気づけないことを

自分は孤独なんだと
誰からも愛をもらえないと涙する人がいるけど

君が君を愛さなきゃ
君が君を信じなければ
君が君に優しくなけりゃ
君はいったいその冬で誰にたすけてもらうつもりなんだ

すべての友が去って行っても
いつか家族と別れても
いいか 人はぜったいに孤独になんかならない
君には君がついてる
ぜったいに君を裏切らない君がついてる
なのに「自分が嫌いだ」なんて言ってていったいどこで愛を知るつもりなんだ(理沙)

Posted at 2024/09/01 02:16:50 | コメント(6) | トラックバック(0) | 日記
2024年08月08日 イイね!

青春の夏

学校を抜け出して男の子と自転車2人乗りでいつものお好み焼き屋さんへ行った。
お好み焼き屋のおばちゃんはヘラで鉄板をガシガシしながら、「あんたたち、いつも仲ええな。結婚するんやろうねえ」と笑いながら言った。
カウンターの隅に置かれた扇風機の風が髪を揺らしてた、あれは夏の日。

全力で走ってやっとつかまえて2人引き込み線の脇に倒れ込んだ。
錆びた線路の向こうになまえも知らない黄色い花が咲いていた。
息を切らし寝転んだまま青い空を見上げた、あのときも夏だった。

青春の日々は、夏を迎えるたびに子どものようにワクワクして、夏を越えるたび、大人になっていった。

放課後は親友のアコと大阪を目指した。
京都って千年の歴史だとか、まったりとかはんなりの世界で東京や大阪に戦いを挑むけど、高校生のわたしたちにとって京都はただの田舎町でしかなかった。
大人になって錦市場や哲学の道を歩けば京都はいいとこだったと思うが、そんな場所は当時行ったこともなかった。
大人になってある程度のポジションになると偉い人たちから「理沙さんは京都のご出身でしたよね。今度会議で京都に行くんですが理沙さんならどこか京都のおいしいお店をごぞんじでしょう。」などとよく聞かれるが、高校生までしか京都にいなかったわたしとしては答えはひとつ。  「うーん・・デニーズじゃね?」

大阪へ向かうのはいつもワクワクした。
阪急電車に乗り込むとすぐにアコと目隠し将棋を始める。

「じゃあさっきのつづきやろ。「5六歩」やったよな?」
「そうそう。じゃあ・・2七飛車」
「そこ、金おるで?」

もちろんデタラメなので、いつ乗客の誰かから「あーだめだめ。そこは6手前に角置いたやろ」なんて言ってこられないかドキドキしていたが、もしそう言われたら「何いうたはるんですか?うちらやってんのチェスですけど?」という秘策は持っていた。
でもそういうことはなく阪急京都線の乗客はいつもわたしたちを驚いた表情で見て、王手をかけて詰むと、あちこちから拍手が起こった。

梅田に着くとわたし達は電車を飛び降り、ホームを走って階段を3段飛ばしで降りてバーガーショップに飛び込み、滑りながらカウンターにぶつかって大声で注文する。

「ダブルま●こバーガー2つ!ポテトも!」
「ダブルチーズバーガー ツー プリーズ』
「あ、おねえさん違います違います。ダブルまん●バーガーですよ」
「そんな商品はございません。ダブルチーズバーガーですよね?」
「えええ? ダブル●んこバーガーはロッテリアやったんかなあ。じゃあおもしろくもなんともないダブルチーズで。」

スマイル0円のおねえさんに0円でメンチ切ってもらいながら(関東では<ガン飛ばされながら>)ハンバーガーを受け取ると、2人の「京の雅たち」はまたスカートを翻してバタバタと阪急ファイブの路地を駆け抜けていく。

若い日、愛だとか友情だとか夢だとかいう美しい言葉をまとった悪意や欲望に、夏の女の子は騙され続ける。
だから若さはそんなことよりも、ただジョークだけを信じて繋がる。
愛というもののテレパシーをまだ伝えきれなくて、まだ受け取る能力もない少女たちにとって確かなことは、ただ笑えるということだけが事実で、唯一それが信じることのできるテレパシーだった。

交差点で大きなコンビニの袋を持ったおじさんをみると、「おじさん何買うたん?」と2人で絡みつく。

「うっわ。おにぎりめっちゃあるやん!ハムサンドも!ええなあ、おなかすいたなあ」
「あたしら前にご飯食べたんいつやったっけ?」
「3日くらい前にうまい棒食べたっきりやな」
「今日あたり野垂れ死にやな」
「しょうがないよ。おにぎりくれる親切な人なんかこの世におらへんねんから」
「日本っていつからこんな国になったんやろなあ」

「おねえちゃんたち、おにぎりならあげよか?」
「マジで?! そんなこと夢にも思わんかったけど!じゃあわたし焼肉はわるいから梅でええわ。・・・ええ?ほんまに梅なんか!おっちゃんちょっとあそこで袋の中全部出してみて」

まだそれなりの労働をする援交JKのほうが、人間としてわたしたちよりずっと上だった。

当時わたしは音楽をやっていて、アコは雑誌の読者モデルをしていた。
2人とも学生という以外にそれぞれに踏み込めない世界を持っていた。
だからどんなにふざけ合っても、どこか互いを尊重してベタベタした関係ではなかった。
お互い恋愛や人生や、ふだん何を考えているかなんて話したことはなかった。
それは他人からは冷たい友情に映ったかもしれない。
でもわたしたちにしてみれば「おまえはレフトを守れ。わたしはライトを守る」という関係だったと思う。
レフトとライトはお互いに距離があってリカバリーはできない。
だけど信じてたんだ。
どんなに辛いことがあってもそれぞれが自分で乗り越え、守り切り、2人そろえば笑顔でいつものバーガーをオーダーするのがわたしたちの「信頼」だった。

あるときからアコが学校へ来なくなった。
ある晩アコの家に行ってみた。
お母さんが「アコはタコ公園にいるんじゃない?」というので行ってみると、タコのかたちをした滑り台にアコは1人寝そべって夜空を見ていた。
わたしは音を立てないようそっと階段に回って上から滑り降りてアコに勢いよくぶつかった。
しかしアコは驚くこともなく空を見上げたままこう言った。

「なあ理沙。星って何個あるんやろ?」
「60兆個やな」
「なるほど。・・なるほどなあ。」

この会話で2人はやはり同じ種類なんだと互いに思った。
60兆個というのは咄嗟に言ったんだけど、60兆個とは人間の細胞の数である。
そしてそれを。
アコは「なるほどなあ」と、そう言った。

そしてわたしの股間に挟まれたまま、アコの肩はかすかに震えていた。
わたしもそのまま黙ってタコの滑り台に寝転んで夜空を見上げた。
遠く、いて座が瞬いていた。夏の終わりの星座だ。

青春の日々は、夏を迎えるたびに子どものようにワクワクして、夏を越える度、大人になっていく。
日焼けした肌の皮を剥いては、だんだん、日焼けすることをこわがり傷つかないように生きる悲しい大人になっていく。

去年、大阪にお仕事で行った。
今は綺麗に大きくなった大阪駅だけど、三番街へはわたしはやっぱり新梅田食道街の埃っぽい路地を抜けていく。
ヤンマーのビルが見えたら、ふいにあの日のアコが後ろから飛びかかってくる気がした。「何してんねん、もっさい服着て!」と。

わたしは、あの日のアコを。
ひとりぼっちでこの街に置き去りにしてきた気がした。

アコはほんとはさびしかったのだ。
アコはモテまくってて、地元ではもはやスターのような扱いだった。
男の子はもちろん、女の子ですらアコが出ている雑誌にサインしてもらうのがせいいっぱいで、気安く声はかけられない存在だった。

でもアコは本当はさびしい女の子だった。
制服のスカートにいつも競馬新聞を挟んでいたが、ほんとは競馬なんか一度もしたことがない。
それなのに新世界のおっちゃんらと通天閣の路地にしゃがんで「その馬はあかん。皐月賞見た?1着やったけど最終コーナー回って最後の直線で足がもたついてんねん」などとどっかで聞いてきたことを言っておっちゃんたちを感心させてた。
「ねえちゃん若いのにすごいなあ。パンツ見えてるけど」
「そんなんなんぼでも見たらええがな。それより1着2着は確実にこの馬や」
「え?どれどれ?」

わたしもアコも、学校からも、いわゆるヤンキーたちからとも、遠い世界にいた。
クラスでもみんなと交われない。交わらない。
交わったら終わりだと思ってた。
わたしとアコだけのプライドをかけた夏の映画は、梅田を舞台にくり返された。

男の子も。女の子も。
青春の夏にとんがればとんがるほど、大人になって社会の壁は厚く、冷たい。
その壁は、大人の言う通りの道を何の疑問もなく素直に歩いてきたさえない子たちならあんなにかんたんにくぐり抜けていくのに。

それでもやっぱり。
わたしはあの夏のアコと、あの夏の自分が大好きだ。
そして、かなわない。

どの夏を選ぶのか。
それは教育とか環境じゃない。
その子自身の選択にかかっている。

今年の夏は暑い。でも。
女の子はゆるいパンツを履くな。
男の子はネクタイを緩めるな。
あの夏の君が見ている。

「時間は戻らない」とか「時代は変わった」とか。
勇気のない君たちがまた、哀愁を帯びた顔で小さく微笑む。
冗談じゃない。消えたりなんかしない。
あの夏はずっとずっとまだ君の中に生きている。生き続けている。
逃げ出す口実だけはうまくなった君がその夏を消そうとしている。

君が今目指してるものや欲しいものなんか、あの夏の君はちっとも羨ましくなんかないんだ。
青春の日々に、一日、一日、おとしまえをつけていけ。

8月の休暇でふるさとに帰って見上げれば、あの頃と同じ入道雲の空が、あの夏の君のことを君に語ってくれるだろう。






<おまけ 〜その後のアコ〜>

アコとは大阪と東京に離れて、もう長いこと会ってなかった。
それが30歳を越えた頃、仕事が終わる頃に突然アコから電話がかかってきた。
当時わたしは公務員になっていた。

すっかり大人になった声で「お忙しいところ申し訳ありません」なんてあいつが言う。
「今東京に来てるんですけど、ちょっと考えるところがあってご相談したいことがあるんです。今日お時間いただけますか?」

その声には追い詰められたような緊迫感があった。

「どこにいるの?」
「今は新宿です」

わたしは残業で片付けるつもりだった仕事を明日に回す算段を頭の中でしながら、片手はジャケットをつかんでた。

「行くわ。でも相談って何?」

「昨日の夜、光麺(こうめん)っていうラーメン屋さんに行ったんですよ。するとトッピングが色々あったんです。光麺玉子のせとか、光麺メンマのせとか、、、その中に光麺ぜんぶのせっていうのがあったんですよ。
よろしいですか?コーメンですよ?コーメン!全部のせですよ?
人間って悲しいもので、誰でも1文字くらいの言い間違えってあるじゃないですか。そこで理沙さんがうっかり間違えて大きな声でコーマ・・」

電話を切って残業に戻った。


Posted at 2024/08/08 11:16:46 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記
2024年07月12日 イイね!

音楽がわたしに教えてくれたこと

わたし高校生のときほんとに芸能界にデビューするとこだったのです。
これ、ネタじゃなくって、ほんとに。

芸能界と書いたのは、わたしはアーティストのつもりで自分の音楽ができると思ってたのに、大人たちの思惑はそうではなく、それは宣材写真撮影でレモンを持たされたことでわかった。
そもそも日本で一番レモンが似合わない女子高生のわたしに!
それで「持てません」と泣いてやめた。
泣いたっていうのは悔しかったんだ。
わたしの音楽って、世間ではひらひらしたミニスカートに負ける程度のものなのか、と。

その後わたしは曲を書き溜めて大阪とか京都のライブハウスで演奏活動を始め、東京にもタイバンで呼ばれたりしてました。
ほんとに「音楽」というものにかなり真剣に取り組んでいたのです。

小学校の低学年のときにイヤでやめたピアノも、高校生の頃は朝誰より早く登校し、音楽室のピアノ練習室にこもって弾きまくり、そろそろ授業が始まるだろうと廊下に出ると誰もいない。
「あれ?今日、日曜やったっけ?」と思ったら、なんともう夕方で、みんなが帰ったあとだったということもありました。(実話です)

高校1年生の文化祭がわたしの初ステージでした。
そのとき「ピアノの弦を引っ掻く」という奏法を、演奏中に思いつきました。
きっとハープのような効果が得られると思ったのです。

しかし、ピアノを弾く人はご存知と思いますが、ピアノの弦を引っ掻いても音は出ません。
ダンパーというものでミュートされているからです。
ペダルを踏むとダンパーは外れますが、それだと弦に手が届かない。
そこで鍵盤の上に内股でしゃがみこんで膝全体で押し込むことでダンパーを外し、ピアノの屋根の中に上半身をつっこんで弦を引っ掻きまわしたのです!
もちろんピックなんかでは歯が立たないので、ポケットに入ってたお家の鍵でがらんがらんかき鳴らしました。

もうそっこーで、舞台に上がってきた音楽教師に、わたしはピアノから引きずり降ろされ、職員室で「今後学校のピアノに触ってはならない」と担任から厳しく言われました。
音楽教師の怒りはそれでも収まらず、「あなたには校内だけでなく、もう世界中のピアノに触れてほしくありません!器物破壊行為ですよ!」とわめかれました。

そのときわたしは目をぱちくりして、両方の手のひらを見ながら、「芸術とは、破壊なんだ!」と岡本太郎のモノマネをして、担任に後頭部をバインダーでどつかれたのです。

あの奏法は、あれ以来、今もってなお、世界のどこでも演奏されていないでしょう。
そんなの、聞いたことがありません。
そう。時代は、まだ、わたしに追いつけないのです!
まだ高校生だったわたしに、世界が今もってなお追いつけない理由・・みなさん、わかりますか?

ふっふっふ
意味がないからです。
器物破壊行為だからです。

(でもなんかキース・ジャレットはやったらしいと最近聞いた。もしそれがほんとなら担任教師と音楽教師!おまえらキース・ジャレットの頭もバインダーでどついてくるんだろうなっ)

高校3年になる頃、わたしのバンドは、ライブだけではなく、なぜか関西ではないローカル局のテレビに出たり、わたしのオリジナル曲が東京のラジオ番組のテーマ曲になったりもして、大手のプロダクションにスカウトもされたんですけど、音楽を通して学んだことは今のわたしをかたちづくる重要な部品となっています。



(↑当時大阪のライブハウスにあった、使い込まれてはいたけど、この憧れのCP80をもらって、以後ずっとわたしの愛機だった。懐かしい)

コンピュータを覚えたのも音楽のためだし、自分達のコンサートのチケットやポスターをつくるために印刷の勉強もしたから、その後仕事でフライヤーとかを完全版下までつくってデジタル入稿できるのはそのおかげだし、そしてそしてなにより、ストイックにひとつのことを追いつづけることが身につきました。

クリスマスイブの夕方、手を繋ぐ同じ年頃の恋人たちをよけながら、重いシンセサイザーをかついでスタジオへ急ぐ自分が好きだった。

わたしの社会人としてのさいしょは、テレビ局のテクニカルのお仕事でしたが、これもけっきょく大学ではなく音楽活動がもたらしてくれたものでした。



日本の音楽シーンを語るとき、わたしは服部良一さんを忘れてはならないと思っています。
氏は、元々はクラシックの人だったはずですが、その後ジャズに傾倒していったようです。

「東京ブギウギ」「買物ブギー」「銀座カンカン娘」

戦争中の当時は楽曲のその演奏が禁止されるほど不謹慎でフザけた音楽とされました。(敵国の音楽ということもあっただろうし)
また、どんなに軍に圧力をかけられても「軍歌を1曲も書かなかった」作曲家でもあります。

そして戦後。
日本の歌謡界は古賀メロディが席巻します。
人生の悲哀を歌う楽曲は多くの人の心に染み入り涙を誘います。

「人生の並木路」「誰か故郷を想わざる」「悲しい酒」、、

当然のことながら商業主義のレコード会社は服部良一にこう言います。
「あなたも古賀メロディのような曲を書いてくれないかなあ」

これに対して氏は、静かにこう答えたのだそうです。

「そりゃあ人間は悲しいさ。でも、その悲しみにつけこむ歌は・・・卑怯だよ」

わたしはいつも思うのです。
人は、生きてることがもともと悲しい。
誰もが悲しみを背負って産まれてきた。
だから、涙とか、悲しみを訴えれば多くの人の共感を呼びます。
だけど、みんなで悲しみを共感して肩を抱き合い泣くことの、それが次の一歩のためにいったいなんの役に立つのでしょうか。

高校生の頃、服部良一という人のことはもちろん知らなかったけど、わたしもメジャーコードばかりで曲をつくったし、恋に破れて悲しいみたいな歌はほとんどない。
そして今も、リアルでも、たとえばこのみんカラのブログにしても、わたしは。

悲しみを綴りたくないのです。
下品だと眉をしかめられても、悲しい涙よりは、お笑いを書きたい。
肩を落として膝をついて慰め合うより、そこからいっしょに立ち上がる一歩を書きたい。
そして。走りつづければ、涙は風にかわくことを。

いつも明るく笑う人は、ただそれだけで尊い。
「あいつはお気楽なヤツだ」と人に言われてもいい。
明るければ、たとえそれが演技だってお芝居だってかまわない。
だって、明るく楽しいだけの人生を送れる人など、この世には一人もいないのです。


暗く重い人生じゃなく。
でも、明るく軽い人生ではなく。

「明るく、重く」わたしは生きてゆきたいのです。

Posted at 2024/07/12 23:00:13 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「自民党はガソリン減税法案には応じない構え 現場が混乱するという理由だけど 納税するかしないかだけで混乱なんかしない 仕入れの差損で1ヶ月くらいは厳しいかもだけど スタンドは倒産廃業ラッシュで10年前の約半分にまでなってる 参院選直前でこれだから今の与党でガソリン暫定税率撤廃はない」
何シテル?   06/17 12:51
身長 / 168センチ 体重 / 52kg  スリーサイズ / B:貧乳  W:ふつう  H:ふつう  年齢:そこらへんによくある ごくふつうの年齢
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234567
8910 11 12 1314
15161718192021
22232425262728
2930     

リンク・クリップ

かき氷器、禁断の改造。 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/06/05 22:03:39

愛車一覧

マツダ CX-5 CX-5 risaSpec Mode (マツダ CX-5)
納車しましたが、写真を撮影してから発表します。 <MOP> BOSEサウンドシステム ...
トヨタ ウィッシュ トヨタ ウィッシュ
2010年、新車で購入してずっとだいじに乗ってきましたが、2025年、新車に乗り換えるた ...

過去のブログ

2025年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2023年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation