
CDやレコードだと「ジャケ買い」と言うらしいけど、
正に本のジャケ買い。 僕がこれを買わなかったら、
生沢徹を語る資格も無くなるとまで思われ・・・
一目見てから1秒後には手にとってレジに向かってた。
本の宣伝をするつもりは無いが、こういったストーリーを
今の若い人に知って貰いたいという思いは大いにある。
時代の背景、TNT(トヨタ・日産・タキレーシング)の
対決も興味深いが、何よりも生沢徹という人となりである。
記事の元は、今年10月25日ツインリンクもてぎで行なわれた
2008ヒストリックオートモービルフェスティバルの一イベントで、
行った人も多いんじゃないかな。
曰く、ウェルカムバックTETSU。
1968年日本グランプリで2位に入ったTETSUのポルシェ910が・・・、それはレプリカでも、
只の同型ということでもなく、正にTETSUが40年前にステアリングを握っていたあの
ポルシェ910そのものが再びTETSUの手によってツインリンクもてぎを疾走したのである。
TETSUの人となりについては、例えば、
’68年の日本グランプリには、コカコーラがオフィシャルスポンサーとして参加していたのだが、ペプシコーラは生沢や日産ワークスのプライベートスポンサーとして各チームをスポンサードしていた。
表彰式、当然のように表彰台の3人にはコカコーラが差し出された訳だが、皮肉にもペプシのスポンサードを受けている人ばかりになってしまった。
そして、日産の二人は差し出されたコカコーラを飲んだ。
生沢徹は、差し出されたコカコーラを拒否し、持参したペプシコーラを表彰台の上で飲んだ。
そこまでかたくなになる必要があったのか、取敢えず一口つけてからペプシを飲んでも良かったのでは、とか考え方は色々だとは思うけど、彼の個人スポンサーだったペプシを優先する事は当然の事として考えていただけのようだ。
僕が抱いていた、「2リッターで5リッターを打ち負かす」とか「プライベートでワークスを打ち負かす」巨人に立ち向かう小さな戦士みたいなものとは若干違うのは分かってる。
実際は、どうしようもない事情だったり、許される範囲内での最善策だったりした事が
裏事情として語られたりする。
僕が憧れた赤いV字ラインのついても
「あのカラーリング?俺のアイデアじゃないよ。どうせティーム・サーティースのマネしたんだろ?
ローラ=サーティースみたいな発想で。真ん中の線が無いだけで。センスないよ。
オリジナリティがない。俺ならあんな風にはしなかったな。
でもほら、俺は雇われの身だから・・・」 だそうです。
確かに、V字ラインはタキレーシングチームのカラーでこれ以降の生沢車でこのカラーリングは一切無いのです。
そう、はっきり言われるとちょっと悲しいのですが、あえて、最後の一文を
「でもほら、俺、憧れちゃったから・・・」
カーマガジン367号、是非読んでみてください。
Posted at 2008/12/23 01:27:38 | |
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