プレデターもこれほどの殺戮は行わない
1945年4月30日のヒットラー自決以後も戦闘は続けられ、ドイツ軍第56機甲軍団司令官ヴァイドリング大将がベルリンで、ソ連第8親衛軍司令部に降状を申入れたのは5月2日、その後も各地で戦闘は続きます
1945年4月16日から5月8日 間の
(スターリンはメーデー5月1日に戦勝終結が望みでした
)ベルリン作戦に従事したソ連軍の損害は、当時のソ連運の公表ではソ連兵戦死・行方不明者数
30万4887名、この人数は少なく見積もっている可能性が大きく 先に述べた戦死者数の1,3倍くらいの人数になると思われます、このベルリン市街攻防戦の
ソ連兵戦死者数は
アメリカ一国の
太平洋戦域、
ヨーロッパ戦域の
戦死者数を
上回っています、またベルリンにはドイツ兵戦闘員の他に一般市民も犠牲になっています
話は変わって極東日本のアメリカ軍は、 ベルリン攻防戦ソ連兵死傷者数を踏まえ、 アメリカ軍が太平洋戦域、硫黄島、沖縄本島で経験した多大なる自国兵戦死者数と攻略日数の誤算、、ソ連の
日ソ不可侵条約の
破棄 による日本侵攻 フィリピン同様にアメリカ一国で占領したい思惑、アメリカ軍戦費の欠乏、ヨーロッパ開放の安堵感からの早期終戦への熱望、黄色人種への見下し、それらが複雑に絡み合い原子爆弾投下に繋がります が 一番の理由は至上最強武器を開発すれば試したい単純明快な人間の本能 プレデターの様に武器を持た無いものに対する憐憫はヨーロッパ大陸から弾き出され、アメリカ原住民を殺戮して形成された白人集団にはひとかけらもありません
日本の誤りは占領地フィリピンの陥落の時点でアメリカに対して全面降伏すればアメリカの権威によりソ連の日ソ不可侵条約の破棄による侵攻も躊躇され 太平洋戦域の日本兵病死・餓死者、及び現住島民、沖縄市民、広島、長崎の爆死者、被爆者、東京 大阪、名古屋日本各地の無差別絨毯爆撃による死傷者、満州、中国、朝鮮半島の日本国民、シベリア抑留 千島列島住人の多大なる不幸を防ぐ事は可能であったと思います
私見です 間違いがあればお許し下さい
Posted at 2006/11/13 12:01:34 | |
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