露助の戦車は燃やしてしまえ
昨日は舞鶴港へシベリア抑留者引き上げ船が最後に帰還してから50年と云う事です
シベリア抑留とは、第二次世界大戦後のシベリア捕虜収容所において、日本兵約60万人が強制労働を強いられた国際法違反行為の事です
大戦終結直前に卑怯にも日ソ不可侵条約を破棄し対日参戦したソ連は、武装解除した日本兵を早期に復員させることなく 、シベリアに抑留して自国の戦後経済復興手段として使役しました
日本は広島の原爆攻撃に対し降伏しなかったため、ソ連は8月15日に予定していた対日参戦を8月8日に布告し、9日未明中国東北と樺太で進撃を始めました
この作戦行動を関東軍はいち早く知り、満州開拓団、満州国国民を守りもせず一部防衛隊を除き、我先に撤退を始めます、取り残された日本開拓団民は露助、支那,朝鮮の族から虐殺,レイプ等悲惨な目にあった事は言うに及びません
ソ連が予定していた対日参戦を繰り上げたのは、アメリカの原爆攻撃の影響であったと言われます
Posted at 2006/12/27 01:07:13 | |
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