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kisuke_akaneのブログ一覧

2007年03月17日 イイね!

これつくろ 九七式チハ改

これつくろ 九七式チハ改九七式中戦車チハ改

駄文書くのに調べてたら作りたくなった
硫黄島戦車26連隊鹵獲車輛

砲口栓もつけらたままの無傷
たぶんダックインされたままの状態で
鹵獲されたか、この後アバディーンへ輸送


ジャッキが左側機関蓋板の上
砲塔横に廃土板を上げ下げする為のワイヤーロープをかけるフック
第一転輪と第二転輪の間にある取り付け口から
廃土板装備の相模造兵廠製
(砲塔を回転させる事により廃土板ドーザープレートを上下させる)

後ろに作業着姿の東洋人は
別写真では海兵と話をしている写真もあるので
米軍徴用の中国人か

下記カラー写真は現在アバディーンに野晒し展示の上記画像の硫黄島鹵獲の九七中戦車改
この迷彩塗装は不本意



Posted at 2007/03/17 01:06:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧日本軍車輛 | 日記
2007年03月14日 イイね!

玉砕

玉砕ロケット砲
日米両軍とも使用
日本軍は20cmと40cmの噴進砲
20cm型は細い金属筒から打つ迫撃砲スタイル
40cm型はA字型に組んだ木の枠の上を滑らせて打つ
簡易発射台を使用
一方アメリカ軍は直経11,4cmの細いロケット弾を
2,5tトラックの12本のレールの上に乗せ
発射、素早く移動   
ソ連軍カチューシャのアメリカ版
揚陸艇からカタパルトで発射する型も在った

Photo by Lou Lowery. 10AM, Feb. 23, 1945

スクリーミング・ミーミー
ロケット砲の発射音は怖いね 蝉の鳴き声ではないわな
蝉の泣き声を雑音としか聞きとれない 人種が考えたニックネームやね
弾着点も広範囲で予測不可 逃げ場ないのよね 死ぬね絶対

2月23日
パイプ山,擂鉢山に星条旗あがる、この光景は軍 隊内雑誌 レザーネック のカメラマン
ルイス・ロウリー軍曹撮影 今に残る、ローゼンソール写真はボブ・キャンベル写真のフェイク 二番煎じ

3月13日
アメリカ軍が戦車部隊に対して「オリンピックの英雄、バロン・ニシ 君は立派に責任を果たした、君を失うのは惜しい」と投降を呼びかける?日本人好みの作り話か?
サイパン、グァムなどの捕虜になった日本兵がアメリカに協力して呼びかけた可能性
栗林中将も西中佐もまず知らないと

3月14日
西中佐以下300名 払暁にアメリカ軍陣地に斬り込み、以降行方不明

3月17日
栗林中将 東京に決別電報を打ち 玉砕

米軍占領以降
坑内にはまだ二千名以上の兵・負傷兵・軍属が耐え忍んでいた
その後も中将命令によりゲリラ戦・斬り込みなど行い
米軍資料では千六百名以上の戦死者の記録が残されている


戦闘体験記  元陸軍工兵伍長  勲八等  高橋利春殿
工兵・砲兵・兵の苦労、親子爆弾 斬込 
傷を負い、内地に帰還してからの悲しみ・・・


Posted at 2007/03/14 00:14:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧日本軍車輛 | 日記
2007年03月13日 イイね!

ひとまる まるまる

ひとまる まるまる2月19日 10時頃
日本軍反撃開始 南地区では独立連射砲弟8大隊の一式速射砲がLVT4アリゲーター20輌あまりを浜辺で擱座さす
戦車を載せ浜辺に乗り上げてきた中型揚陸艦LSMを3隻撃破、この武勲で独立連射砲弟8大隊は栗林中将より感状を授与される

陸上戦の兵力差は一個師団対三個師団の兵力差、栗林中将は司令部を島の北部に置き、南から北上する第4軍に備える
翌20日中将は西中佐に部隊を4個の中隊に分けそれぞれの地区で戦闘に参加するように命令
90式野砲も1個小隊2門ずつ本体、西、南、予備に分ける(90式野砲はゴムタイヤで移動が比較的容易)
この時点で千鳥飛行場はアメリカ軍に占拠される

中央部の元山飛行場敵来襲の伝令、
予備部隊とダックインで砲撃していた九七式中戦車 1個中隊を正面に投入
海兵隊はシャーマンを戦闘に立てジリジリと攻撃開始、対して日本軍は47mm速射砲と75mm野砲、地雷や対戦車壕を巧みに使い8輌のシャーマンを撃破

戦車壕構築など困難を極めた硫黄島の土だが、砂は鉄分を多く含み、アメリカ軍の磁気地雷探知機が効果少なし

2月26日
アメリカ軍海兵隊1個大隊を撃破、シャーマン3輌炎上
日本軍も九七式戦車2輌を失い歩兵1個大隊も半分の戦力になる
この頃になると当初ダックインで砲撃していた
九七式中戦車も移動しながらヒットエンドラン攻撃
第3海兵師団上陸

2月28日
二段岩の戦い
弟3海兵師団のM1/155mm榴弾砲一斉射撃
戦場は元山滑走路東、9時をもって日本戦車突撃開始
九五式軽戦車主体の第3中隊を先頭に九七式中戦車保有の第1中隊が二輌一組で後に続く
弟3海兵師団は57mm・37mm戦車砲で応戦
この時七ヶ月前にグァム島で弟29師団(雷師団)との戦闘経験のある大尉が
火焔放射器とバズーカ砲を呼び集め応戦

バズーカ
この時、使用のバズーカは初期タイプの60mm M1型ロケットランチャー(1918年アメリカ人科学者ゴッタードにより発明された原理を応用、1941年に完成される、翌年には量産・その後改良型M1A1完成、北アフリカで鹵獲したM1A1を見本にドイツ軍がパンツーシュレッケを作る)
ヨーロッパ戦域では二年前から、太平洋戦域でも1年ほど前から使用されていた武器だが、
硫黄島守備隊はこの最新兵器の概念すらなく恐ろしさを知らない、M1は命中精度は余り良いとは言えず、初心者が打つと弾体を回転させ効果が無い事が多い、携行弾6発発射して1発命中する程度だが、日本戦車の砲塔など余りにも装甲がうすくHEAT弾ですら貫通してしまう 

上空から戦況を見ていたカーチスSB2Cヘルダイバーにより20mm機関砲の射撃で2輌の戦車が炎上   続く


吹いているのがバズーカ


Posted at 2007/03/13 00:12:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧日本軍車輛 | 趣味
2007年03月12日 イイね!

硫黄島の黒い砂 続き

硫黄島の黒い砂 続き 第109師団長兼小笠原地区集団長

硫黄島の最高指揮官は栗林忠道中将(大将)
中将も西竹一中佐と同じく騎兵出身
陸軍省の馬政課長時に今も残る愛馬進軍歌
の歌詞の選者 

硫黄島部隊の総指揮官であり小笠原兵団長を兼務
長野県出身 55歳 陸士26期生
アメリカ・カナダ駐在経験があり弟23軍参謀長として南中国で作戦




硫黄島
小笠原諸島から270km南にある島
弟109師団(膽兵団)の約13900名が守備していた
師団砲兵は三八式榴弾砲120mm4門、野砲9門75mmよりなるが
アメリカ戦車と対決するため大本営は5個大隊の独立速射砲隊を送り込む
(2400名 一式機動速射砲47mm 60門)
さらに当時特殊兵器であった九八特殊臼砲330mm12門を操作する独立臼砲弟20大隊
独立臼砲弟20大隊は他九四式軽迫撃砲90mm28門装備 兵員400名
他 司令部直属の中迫弟3大隊413名は九六式中迫撃砲150.5mm10門 
九四式軽迫撃砲6門

海軍も井上左馬二大佐の硫黄島警備隊約6000名が陸軍の指揮下にあった

 
横浜港出航
硫黄島に向う戦車弟26連隊が乗船した船舶は
松岡汽船の利根川丸(4997t)と
日産汽船の日秀丸(7785t)

利根川丸には12輌、日秀丸には24輌の戦車を搭載して横浜港を出航
1944年7月14日南下した船団は海防艦代号の護衛するなか
7月18日、小笠原諸島・父島付近でアメリカ潜水艦コピア号に日秀丸が撃沈される
西中佐は一旦本土に帰還、戦車を補充して無事硫黄島に着任

地面を掘るとやっと出る地下水はマグネシウムと流黄が含まれ、呑むと下痢を起こす、またパラチフスに悩まされ続ける
ほぼ毎日のような空襲爆撃、火山ガスと地熱、食糧難、栄養失調、伝染病
そのような状況でも、あれだけの地下杭道と450箇所以上の砲台やカムフラージュした機銃座を巧みに設営
その体力・精神力は神の領域

アメリカ船団出航
アメリカの海兵師団の乗船した大船団がハワイを出航したのは1945年1月27日
指揮官のターナー中将は商船を改造したエルドラード(7430t)より攻撃命令を下す

2月18日
早朝海面いっぱいに軍艦現る
地上にある物資を地下に運ぶ 不可解なアメリカ 一日の猶予 嵐の前の静けさ

栗林中将 全部隊に命令
「諸士待望の敵来る、諸士は太平洋の防波堤となり最後の一兵たりとも尚ゲリラとなりて敵をなやますべし」

艦砲射撃と爆撃
猛烈な艦砲射撃と空襲攻撃、南海岸より2月19日早朝上陸開始
北岸に第4海兵師団、南岸に第5海兵師団が上陸
後詰めの第3海兵師団は沖合いに待機

上陸後アメリカ軍は奥地の千鳥飛行場を占領する為西進を開始
硫黄島には南の千鳥・中央の元山・建設途中の北飛行場がある。飛行機は今は無し  
続く


Posted at 2007/03/12 01:17:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧日本軍車輛 | 趣味
2007年03月10日 イイね!

硫黄島の黒い砂 続き

硫黄島の黒い砂  続き弟26戦車連隊
日本には終戦までに52個の戦車連隊が編成されていた

連隊番号は新しく順番に編成されていく
中国大陸での作戦時には2個連隊で1個旅団の編成、2個旅団で1個戦車師団

太平洋戦域では連隊単位での使用が主に

弟26戦車連隊の将兵は、1944年6月、満州の牡丹江を出発、
任地のサイパンへ向うが、朝鮮の釜山まで南下した時に、
サイパン上陸は犠牲が多いとの判断で中止
独立臼砲弟20大隊とともに一月ほど待機の後、横浜経由で硫黄島へ向う

戦車弟26連隊は戦車第1師団捜索隊を連隊に昇格した部隊
連体長は西 竹一中佐
西中佐は鹿児島県出身 1902年生まれ 当時41歳
陸軍士官学校1924年7月卒業 36期生
父は外務大臣の男爵家 専攻は騎兵 捜索隊長の歴任多数




西 竹一中佐は1932年・昭和7年の ロサンゼルスオリンピックに出場
大賞障害飛越での金メダリスト、この時の愛馬ウラヌス号の鬣を切って紙に包み、
ポケットに入れ硫黄島に着任する  
続く



硫黄島 戦車弟26連隊 
連隊長: 西 竹一中佐 将兵755名 戦車23輌

連隊本部  九五式軽戦車×2輌 
第1中隊  九七式戦車×5輌 軽戦車×2輌
第2中隊  九七式戦車×4輌 軽戦車×3輌
第3中隊  九七式戦車×2輌 軽戦車×5輌
歩兵中隊
砲兵中隊  九〇式7.5cm機動野砲×8門
整備中隊
工兵中隊

海軍所有の自動車  陸戦隊 航空部隊合わせ
トラック・・・・・・・・・・・20台
機動付きトラック・・・・・・3台
作業者・・・・・・・・・・・・・・8台
牽引車・・・・・・・・・・・・・・2台
撒水車 飛行場用・・・・・4台
燃料車 飛行場用・・・・14台

武器
陸軍の小口経砲
・九二式7cm大隊砲・・・・・・・・・24
・九四式37cm速射砲・・・・・・・・・15
・九八式20cm高射機関砲・・・・・・4
・二式12cm迫撃砲・・・・・・・・・・・・4
・九七式81cm曲射砲兵砲・・・・・70
 九四式90cm軽迫撃砲   
・八九式50cm重擲弾筒・・・・・380
・火焔放射器・・・・・・・・・・・・・・・61
・九二式7.7cm重機関銃・・・・・350
・軽機関銃・・・・・・・・・・・・・・・・480
・20cm噴進砲 ロケット砲・・・・40
 40cm噴進砲 ロケット砲
・三式手投爆雷 対戦車     多数
・九七式破甲爆雷 対戦車    多数
・自動車・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8

海軍の装備火砲
・四一式40口径15cm砲・・・・・・・・4
・三年式50口径14cm砲・・・・・・・・4
・四一式40口径12cm砲・・・・・・・・7
・短12cm砲・・・・・・・・・・・・・・・・・・8
・三年式40口径8cm砲・・・・・・・・・5
 高角砲より転用
・十年式45口径12cm高角砲・・・・・18
・八八式50口径10cm高角砲・・・・・・4
・三年式40口径8cm高角砲・・・・・・・4
・八八式7.5cm野戦高射砲     多数
 陸軍より
・20cm噴進砲 ロケット砲・・・・・・30
・ビカーズ式40cm機関砲・・・・・・・・・4
・九六式25cm機関砲・・・・・・・・・・213
・九三式13cm機関砲・・・・・・・・・・168
Posted at 2007/03/10 00:10:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旧日本軍車輛 | 趣味

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ちょっと古い好きな車と自作の戦車模型画像、製作模様を主にした日々の航海(後悔)日誌です
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