
4/24~4/30の期間、1年半ぶりの海外出張。
しかも、この不景気の煽りを受け、この期間では絶対無理といっているのにもかかわらず、上司は『気合で、やれるだけやってこい。』と(笑)。
そうっすかぁ~。
で、通常は工場からクルマで1時間くらいの市内に宿泊するのだが、工場敷地内のスタッフハウスを宿泊場所を指定。
休日なし、よって、ダイビングも封印。
仕事の終わりは22:00、23:00(現地スタッフが帰ったあとも1人でコツコツ)を続け、最終日は徹夜。
徹夜明けの帰国、機内は勿論爆睡(笑)。
そんだけやっても、予想通り、仕事はおわらなっすわねぇ~。
しかし、不具合原因を全て特定し、対策を明確にすることができたので、それが唯一の救いだった…。
写真は、機内での食事の時間にパシャリ。
帰国後、成田エクスプレスの中から、大切なあの人に帰国メール。
返信ないべなと思いつつも…。
成田空港駅で切符を買う段階で、新幹線のダイア(?)に人身事故の影響が出ていたのだが…。
回想
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人身事故って、あれだよな~。
いったいその人はどのような理由でそういう結末を選んでしまったのか?
そういう結末を思いとどまることは出来なかったのか?
知人の知人が事故を起こし、人を殺めてしまい それを苦に命を絶ったという話をきいた。その話を聞いたとき、それはずるいと思った。本当に殺めてしまった遺族に申し訳ないと思うのであれば、罪を背負って生きていくべきたと思う。
遺族の怒りのやりばをなくては、遺族に対して申し訳ないと思わなかったのだろうか?
やりばのなくなった遺族の怒りが、自分の身内に向けられるかも知れないと考えられなかったのだろうか?
それに、誠心誠意謝罪をすれば、遺族も心の整理をつけることができ、憎しみをうすくしていくことが出来るかもしれないのに。
それから、いくらでも人生のやり直しは出来るだろうに…。
憎まれて生きていくのは辛いだろうが、憎しみを抱き続け生きていくのも詰まらない人生になるのに…。
これは、逃げだと思う。
もし、こういう考えに至れば、その人は自ら命を絶つことはなかっただろうに…。罪を背負って生きていくということは、全ての自分の幸せを犠牲にしなければならないということにはならない。罪は罪で償えばいいだけの話。その後で幸せを築けばいい。罪を償うをいうのは、刑罰を受ければいいってことではなく、心から謝罪すること。刑罰があるのは、そういう心からの謝罪が出来ない人(人の気持ちを考えられない人)がいるから被害者を守るためのものであり、逆に必要以上に罪を攻める人(自分さえよければよいと考える人)がいるから加害者を守るためのものである。
世の中の人が全て、人を思いやれるようになれば、刑罰なんて必要のないものだと思う。
いじめを苦に命を絶つひと…。
まぁいないと思うけど、それを考えている人がいるならその人に言いたい。
きっとあなたは優しすぎるのだと思う。
命の重みは自分の命も、いじめている奴の命も同じ重さなのだ。
だから、自ら命を絶つ行為も、いじめている奴の命を奪うことも同じことなんだ。
自らの命を絶つ覚悟があるってことは、いじめている奴をやる覚悟もあるはずなんだよ。
つまり、やる気になれはいつでも いじめている奴をやれるんだよ。
相手が喧嘩が強いとしたら、負けないように武器を使えばいい。
卑怯と思うかもしれないけど、そんなの関係ない。
虎に素手で立ち向かう人は誰もいないだろう?
それと同じこと。
どうだい?気が少し楽にならない?
えっ!?『自分が犯罪者になったら、身内に迷惑がかかるから出来ない…。』
そんなの関係ねぇ~!
いじめている奴は『悪』『犯罪者』なんだよ、しかも、狡猾にも法に引っかからないような手を使って、自分のことだけ優先する、最悪なやつなんだよ。
そんな奴は、あなただけではなくきっと他の誰かをも不幸にするよ。
そんな不幸な人を出さないように、あなたが罰を下してやればいいんだよ。
正義のために、自分が罪を背負う。美しい話だと思わないかい?
どう?気が楽になってこない?
もし、そう思えるようになったら、締めたもの。
勇気が出てきた証拠だよ。
(今まで言ってきたのは、極論であってやっぱり、どんな最悪なやつであっても、命を奪っちゃだめだからね。)
おいらの経験からいくと、いじめっこって、結構、強そうに見えるけど、意気地のない泣き虫がおおいんだよ。他人を傷つけることには非常に鈍感で、自分の痛みには非常に弱い。
勇気が持てたなら、こんどやられたら。
まず、一発鳩尾に思いっきり一発パンチをいれて、蹲ったところに思いっきり蹴りを入れる。
少し間(2,3秒)をあけて、2、3発蹴りを追加。
間を空けるのは、相手に今どういう状況かを理解させるため。
しかし、反撃される恐れがあるから、鳩尾と一発目の蹴りは確実に2、3秒動けないダメージを与えておくことね(^^)。
これで、二度といじめられることはなくなったよ。まぁ、無視はされたけど(笑)。
でもなぁ~、今は身体的ないじめより、精神的ないじめが多そうだから、実力行使の前に、いじめの証拠を押えておくことが重要だね。
暫くの間、やられた『場所』『時間』『周囲にいた人の名』『そのとき感じた悔しさ』のログをとることだね。その証拠を用意した上で、鳩尾ね(^^)。
証拠を用意しておかないと、あべこべに自分がいじめっこにしたてられる可能性があるからねぇ~。
もし、そのことで、先生が『暴力を振るったお前が悪い』というようなことをいいやがったら、そのいじめの証拠を持って、第三者の警察へ行きましょう。
自ら命を絶つことを考え、相手の命を絶つことまで考え、でも、それはやってはいけないことだから出来なくて、どうしようもなく自分の心を守るため実力行使したなのに、先生は理解してくれない…。これでは、もう、やるしかない…。と、切々と訴えましょう。
警察としては、犯罪予告されたみたいなものだから、適当にあしらうこともできないんじゃないかなぁ~。もし、適当にあしらわれたら、『わかりました。どちらかの命を絶つしかないんですね…。すみません、最後にお名前教えてもらってよろしいでしょうか? 遺書に、わたしの生きた証として、これまでの経緯を残しておきたいんです。そこに、おまわりさんの名前も残しておきますので…。』と。
先生はPTAとかいろいろと柵があって、第三者ではなくなっているから、自分の保身のための考え(事なかれ主義)が入る可能性がある。
それに、今時の先生には、いじめっこを罰する権力もないだとうからねぇ~。
おいらが学生のころは、先生に権力あったし、それに対してPTAがうだうだいうこともなかったからねぇ~。
先生に、ビンタや蹴りを食らうのは良くあることだったし、そもそもそれは、おいらが悪いことをしたからなんだけどね(笑)。
ここまで言っていてなんだけど、これって、おいらの経験と推測であって、想定を超えているかもしれないので、100%の自信を持って勧めることは出来ないんだけど、これからいうことは自信を持っていえることだよ。
1、
命を絶つことは、自分のものであっても、他人のものであっても 本当にどうしようもなくなったときにすることだからね。その前にやれるだけのことをしましょう。
『命がこの世で一番尊いものである』
2、
善悪の判断をきちんとできるようになりましょう。いじめは、なにをどう考えたって『犯罪=悪』で、やってる奴は『犯罪者=悪人』だからね。
法に触れないから『善』ということにはならないんだからね。
善悪の判断はどうするのかって?それは、自ら命を絶つことまで考えたあなたなら、簡単だよ。そこに至るまでに、『なんであいつは、わたしをいじめるんだろう?』『どうして、まわりの人は見て見ぬふりをするんだろう?』『どうして先生は助けてくれないんだろう?』とかとか、人の気持ちをしこだま考えたことでしょう。つまり、あなたは、人の気持ちを想像できるってことなんだよ。
例として、いじめについて言えば、
自分が相手の立場だったらと考える。
そして自分だったら、どうするだろうと考える。
もし、そこで、自分も同じことをすると思うなら、相手のとっている行動は『悪』ではない。
つまり、それは自分に原因があることだから、それに対しては、自分だったら許せるってところまで、改善すればいいし、謝罪をすればいい。
(但し、身体的特徴だったり改善出来ないことを理由にいじめることは、即『犯罪=悪』。)
それでも、相手がいじめをやめないなら、どうしてそういうことをするのかを理由を訊く。で、また、相手の立場になって、自分だったら、その理由でそういう行動を取るかを考える。もし、自分ならそういう行動を絶対に取らないって思うなら、それは『悪』ということになる。
つまり、自分の非(身体的特徴は除く)を全て無い状態でも、相手がいじめ(精神的、身体的暴力)をするなら、それは『悪』となる。
『因果応報。自分がされて嫌なことは人にするな。人にしたことを自分がされそれ嫌な思いをしたとしても、自分にそれを責める資格はない。この覚悟があれば、強くなれる。』
3、
苦労、苦痛を経験した人が、多くの幸せを見付けることが出来る。
苦労を知らない人は、自分が十分に恵まれている環境にいても、決して、幸せを感じることはない。
命を絶つことを考えるまでの苦痛を経験したあなたは、この先の人生、周りの人たちより、沢山の幸せを見付けることができる。
『苦しいときは、幸せを貯金しているときだ』という言い方もある。
『幸せは、絶対値ではなく相対値である。』
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とまぁ、こんなことを考えているうちに、東京駅に到着。
指定席券を買おうとおもっているところへTEL。
うっ、会社からか… と思って出てみると大切なあの人からだった。
なんか、暗いことを考えていた後だったし、期待していなかったことだったので、いや、正確には期待していたけど、それは過ぎた望みと自分に言い聞かせていたことだったので、余計に嬉しかった。
『今どこなの?』
『東京駅だよぉ~』
『えぇ~、もう東京までいっちゃったのぉ~。寄っていけが良かったのにぃ~。』
その言葉だけで、十分に幸せっす。
気持ちとしては、金なんかなんぼかっても構わない!!直ぐにでも引き返して会いに行きたい!!
でも、たとえ親友だとしても、そうは思わなかっただろう。
実際は往復でも\6,000も掛からないから、会いに行っただろうけど。
想いを寄せる女性だからなによりも会うことを優先的に考えたんだと…。彼女が山形を去ったのち暫くして、彼女より、関係を終わりにしましょうというようなことを言われた。友達としてでも繋がりを続けることはでないだろうか?
と食下がったおいら。それを受け入れてくれた彼女。
決して、おいらの気持ちを言葉にしてはいけない・・・、悟られてはいけない…、おいらが言い出したルール、約束事…、自ら破ることは出来ない…。
これが、今でも繋がっていれる代償なのだから…。
それに、彼女にとっておいらが、ただの友人の1人だとしたら、社交辞令でそういうことだって、ありうることだし…。おいらが行くことで、迷惑を掛けるかもしれない…。
例え、社交辞令だとしても構わない、そう言って貰えたことだけを素直に喜びとしよう…。
『行こうっかなぁ~、あははぁ~』
おいらに言えたのは、これだけ…。
『変わりなく元気でやってる?』
と聞くと、
『いろいろあるよぉ~。帯状疱疹がでたのと、喉にポリープ出来て取らなきゃいけないのよ。あははぁ~。6月いっぱいは仕事も忙しいのよねぇ~。』
『ボロボロじゃん、あははぁ~』
おいおい、相変わらず体弱いなぁ~(苦笑)。
不整脈、気管支狭窄という持病を持ちながらも、強い意思をもって自らの意思で人生を選択し、明るく生きている彼女。感情移入し易く、涙もろい彼女。
おいらにはない意思強さがあり、尊敬できる彼女。
そんな彼女と出会え、未だに、繋がりを持ち続けられる幸せ。
自分よりも大切と思える人がいる幸せ。
つらい仕事がいくら辛くとも、眠る前に彼女の名を心の中で唱えれば、心があたたかくなる。何度も、救われてきた。
彼女の存在に、感謝です…。
新幹線に乗り込んで、回想…。
自ら命を絶とうという考えに至った人たちには、おいらにとっての彼女のような人は居なかったのだろうか…?
また、爆睡。