

宮城県の真ん中にある自宅から海沿いに、高速無料区間(石巻から青森まで無料です)を北上します。走り出して約1時間、気仙沼市で朝食……長居せず直ぐ出発!今回は、2004年インドネシアのスマトラ島沖地震以来、ずっと行ってみたかった所に向かいます。

岩手県海沿い真ん中の「田老町」です(現在は宮古市に合併)。
明治・昭和・平成の津波の記録があるところです。
バイクと崖の看板を比較してみて下さい。凄過ぎる

明治29年=15m
昭和 8年=10m
そして平成23年の東日本大震災の時には=17.3m
津波で、ここまで浸水した……恐ろしいばかりです。

東日本大震災の震災遺構として、町の大きなホテルが有ります。

そこには、「田老の基点が2.18m移動した」と書かれていました。
更に「宮城県牡鹿半島では5.30m移動した」と………

これは、残った旧堤防の一部です。
昭和8年の三陸津波以来、防波堤が作られ続け、昭和54年に高さ10m、長さ約2.4kmの東洋一巨大で「万里の長城」と呼ばれた防波堤ができました。

しかし、平成23年……………
高さ10mの防波堤は破壊され、低い旧防波堤だけ残っていました。

上に登ってみると、近くは全て更地です。
穏やかな写真になってますが……

ネット上に、やや同じ場所から撮った写真が有りました。
残ったのは、震災遺構のホテル(右側)とコンクリート造の体育館(左側)だけでした。

でかい!高い!
これが現在の「津波から住民を守る要塞」です。

東洋一の旧防波堤を後学の為に拝見しかったのですが、2011年東日本大震災以来、行けなくなり、その後はなんとなく遠のいていました。しかし、今回来て見て良かった。
色々発見できました。また無料道路を使って来ますね。
明治三陸=人口2248人中1867人が死亡(83%)
昭和三陸=人口2773人中911人が死亡・行方不明(32%)
平成三陸=人口4434人中200人近い死者・行方不明者を出した。
ウィキペディアより
Posted at 2021/07/04 23:49:32 | |
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