
アウト・ソーシング・・・昨今よく聞かれる言葉だが,以前は時代の潮流やお題目として流行言葉だったが,今ではすっかり定着している。
手始めの分野は企業の情報処理であったが,そのエリアも,物流,製造,設計,デザイン,研究開発と徐々に拡がり,ここに来て本社スタッフ部門の仕事も定着しつつある。
信じられないかも知れないが,あるデザイナーとの酒席・・・と言っても大衆食堂で餃子つまみながら,ビールをガブ飲みだが・・・の話しでは,そこのデザイナーの半数は,派遣と契約社員に置き換わってしまったそうだ。
「そんなので大丈夫? まともなのができるの?」
「まぁ,何とか。マニュアル化が進んでいるので,それに従えば創れる。厭だが時代の潮流には逆らえない」
大手自動車メーカーでの話だ。
経営者にとってはコストダウン至上と短期利益の確保,有形固定資産,固定費の圧縮はいたしかたないが,不思議なことに「消費者とその購買力の創造」に言及している財界人は私の知る範囲では一人もいない。
自社の人件費は抑え,製造原価の低減は派遣奴隷や季節労働者でまかない,スケール・メリットを生かしライバルを駆逐しながら,大量に製造する。生産調整と従事者の増減は連動しており,失業の恐怖に怯えながらの就業。つまり自社の直接・間接雇用の従業員とその家族は,上客にはなりえない構造を自ら樹立し成長させているのだ。
「どっかよその待遇のいい会社の,従業員とその家族が買ってくれるだろう」
一社だけがそうなら良いが,経済界全体でこれをやるのだから,お互いにコスト・ダウン競争に明け暮れ,悪循環に陥る。
かと言ってやらなければ,市場からの退場を迫られるジレンマに悩まされる。
史上最高益を連発する企業も多いが,従来はそれが従業員に還元されていたが,今では一部の役員にのみに留まり,それもない。したがって購買力の上昇にも繋がらない。
ちなみにここ数年で大手高収益企業における,役員報酬の平均額は2倍になっている。ストック・オプションを加えればさらに膨れる。
またGDPや産業規模等の数値自体にもまやかしがある。請負や派遣の階層の多層化に伴い,重複が多く階層全体の総額と,最下層である現場の売り上げとは大きく乖離している。
かつてのゼネコン,建設業界の孫請け,ひ孫請け,夜叉孫・・・構造が,そのまま産業界全体に拡がっている。このままでは丸投げ企業と派遣斡旋企業の従事者の数が,直接労働者のそれを上回るのではないかとすら思えて来る。
当然ながらこの構造は生産と消費のいびつな関係を生み出す。
そして企業はさらなるコスト・ダウンとスリム化を求める。
そこで,どう出るか?
ずばり「お引っ越し」である。
一部の高付加価値製品を除き,製造手段はすでに海外に移転した。情報処理の下流工程は,中国,インドが主体になる。これも丸ごとアウト・ソーシングなら,上流工程も国内には不要だ。コール・センターも地方からアジアに・・・等々
そしてここに来て,流れからして当たり前だが,大企業においてはホワイトカラーの本丸にあたる,経理,人事部門においても,海外移転が進行しつつある。
人件費が1/5で済むなら,経営者にとってはバーゲン・プライス以外の何物でもない。何しろ養鶏場のような環境でも,黙々と仕事をこなしてくれる。
昔の日本の大企業には「計数部」という部署が必ずあった。広い部屋に長机が無数に並び,そこをびっしりと埋め尽くした集団就職で上京した若い女子社員が,朝から晩まで無言でひたすら算盤を弾いていた。
今,算盤をパソコンや端末に置き換えて,同じ光景が上海や大連で再現されている。処理能力は膨大でコスト・パフォーマンスでは,とても日本のホワイトカラーは太刀打ちできない。
「何でもっと早く気付かなかったのだろう」
という経営陣の声が聞こえてきそうだ。成功例が増えれば,一斉に「右へなれー」は必至だろう。いやもう既にそうなっているに近い。
「言葉の壁があるから,そう普及しない筈では?」
現地で高収入を得られる,日本語をマスターした中国人はジャンジャン増えている。それに製造から輸出,決済,ついでに消費までの全てをかの国で賄うなら,社内用語をあえて日本語にする必要性すら怪しくなる。英語や中国語のほうが却って都合がいい。
営業や物流は現場近くの国内にならざるを得ないが,営業はネット比率の上昇や,取引先の製造・オペレーション機能が海外に移転すれば,自ずから国内の比重も下がる。物流も国内市場を切り捨てれば,海外重視もありえる。
なにしろ,
国内には企業が求める「消費者」も「購買力」もなくなるのだから。
ごく一部の富裕層にのみ的を絞り,それ以外の旨みがない大衆は切り捨てればいい。マーケット・リサーチをすれば,さらに結果は明白だろう。
「自分は大企業のホワイト・カラーだから」
との安泰も,管理機能の海外移管に伴い,いつまで続くか分らない。
「まぁ,しょうがないか。時代の潮流だから」
「日本を離れたくないが,中国は物価が安いから,旨い物いっぱい食えるかも。子供の教育だけが心配だが,今より良い生活ができそうだ」
それは甘い。満州国はもうそこには無く,機能だけが「お引っ越し」をするのだ。
残念ながら「うちだけは生き残る」という経営者の奮闘が,この流れにさらに拍車をかける。
そうした後に日本に残るのは何か?
無数の「XXホールディングス」,高額資産運用と消費者金融に特化した都銀,コンサル会社,詐欺集団,OBが経営する社会不安を糧とする警備業,セレブ御用達産業,セレブ向けの無農薬で安全な農業,身売り少女・・・,そして無数の生活困難者。
そしてセレブ達は城壁で囲まれ警備の厳重な高級住宅街に住み,社会コストの高負担に眉を顰める。さらに日本にいる魅力とメリットが薄れれば,ホールディング・カンパニーと富裕層は海外へと流出して行く。
・・・取り越し苦労に過ぎなければ良いのだが。国体を企業のフレームワークに置き換えてみると,個を無視し国体の護持に専念した時代と,あまり変わっていない気がする。
以上かなり悲観的に極論を書いたが,こうなって欲しくないという願いが込められている。
昔は,市場に行けば専門店が並び,それぞれがビジネスとして成り立っていた。
ボタン屋,毛糸屋,うどん屋(玉のみを売る),卵屋,味噌屋・・・
今では絶対に成り立たない。全て駆逐され尽くした。
ふと,こんなことを思うことがある。
クローズした地域で,地域通貨が循環し,その範囲でなるべく自給自足し就業,生活できるコミュニティーがあれば,面白いと思う。一部の交換価値の高いもので,外貨にあたる通常貨幣を外部から得る。
中抜き,金利はご法度で,成果主義,目標達成,競争は,思い出の引き出しにしまっておいて互助の精神で。
「江戸時代に戻すつもりか!」
というお叱りは必至だろう。どうやら私はバッド・ルーザーのようだ。
画像は中国での風景。すでにホワイトカラー業務を,中国に移管を果たした日本企業はおよそ2,500社。「移管」なので日本人はお呼びでない。もちろん日本人による「監督」「指導」もお呼びでない。
Posted at 2007/08/31 16:41:14 | |
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