推奨BGM The lady wants to know
カラマツ林の中に静かなたたずまいを見せる明治の洋館。

当時は「軽井沢の鹿鳴館」としてその名を馳せた。

国の重要文化財でもある建物と、周囲の木々の新緑とのコントラストがお見事です。

内部公開は1983年4月から行なわれているが

入館したのは今回が初

噂によると、館内は薄暗く カビ臭く 重い雰囲気との噂が
今回は、
EyeSight presents恋するドライブという番組で紹介され

美しい場所と思い訪れた次第ぞなもし

噂とは打って変わって、とっても明るい雰囲気に変わっていること

修繕されたのか館内はピカピカ、素敵な空間・旧ホテルに変わっていた野田。

ホテルは1905年(明治38年)に竣工

日本人 (岡田時太郎氏)の設計による純西洋風木造建築

西洋風建物なんて建てた事がない大工さんも日本人

そこは器用な日本人

建築様式はアメリカのスティックスタイル
扉はイギリス風

窓の太い縁どりが印象的

晩餐会写真
名前をみると、三笠ホテルを建設した
山本直良氏の名前が
このお方、家系図をたどると指揮者の故山本直純の名前が
どうやら お爺さんにあたるもよう
「
大きいことはいいことだ…森永エールチョコレート」を想い出した野田。
徳川慶久氏(
公爵・貴族院議員)の名前も
彼は近くに別荘を所有してた模様
今も残る別荘があるとの
HPがあったので興味のある方はご覧あれ
下見板はドイツ風

ホテル営業は1906年から

客室は30室、定員は40名、宿泊料は一等が12円、二等が8円、三等が5円。

現代でいう、三等で10万円程の宿泊代だと思われる野田

そんなわけで当時のお客様は外国人

その後は財界人が訪れ、館内には写真が展示されている

その後ホテルは山津波で流されたり

戦後は米軍駐隊ホテルとして使われ別館が火事で消失

米撤収後は三笠ハウスと改称し

1970年に64年の歴史に幕を閉じ廃業

その後銀行が買収し

現在の場所に移築、保存、修理され

軽井沢町に寄贈された

1980年に国の重要文化財に指定され現在に至る

軽井沢は湿気が多いので外部塗装など修理工事が数年置きに行われ

英国製タイルを張った水洗トイレ

当時の最先端設備だった

電灯によるシャンデリア照明

階段手すりも棟梁たちの手作り

木製で湾曲したブラケットが建物の特徴
保存、修理工事で現在も美しい姿で保存されている野田。
歴史に興味ある方はぜひ訪れてみて欲しい
館内は写真撮影OK
暗いので明るいレンズが必要ぞな~もしかしてぃ☆☆☆
Posted at 2015/05/16 03:45:04 | |
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