この
倉庫の中には歴代の日産車が保管されている。
ダットサン210型
1958年に豪州ラリーに参戦させた名車である
当時の自動車産業はレースで勝ってなんぼの世界
無名な日本車がオーストラリアを一周するラリー「モービルガストライアル」に出場
惨敗を覚悟で出た初レースで、見事にクラス優勝してしまった。
実際のラリー車とは違うが、この車両は今でも、エンジンが一発で目を覚ますコンディションである。
1962年製
スカイライン・スポーツ クーペ
イタリアのカロッツェリア、ジョバンニ・ミケロッティにデザインを依頼した名車である。
日本車でロードスターの名称を初めて使ったのが、ダットサンロードスター1936年
ニッサンチェリー1970年
サニーの下に来る初の量産FF車
新たな販売系列として「チェリー店」が設立されることになる

ニッサンフェアレディー240ZG
廉価版のZが84万円、しかしこのパトカーは150万円以上。
なんとも贅沢なパトカーでした。
今回のレトロカーキングは、日本の名チューナー達
日本人特有の繊細さで、見事に旧車を蘇えさせる
職人でもある彼らは強い拘りもある、それぞれの匠たちのリポートTVです。
TA AUTOでは
Zのリストアでは右に出る者が居ない
こんな朽ちたZを見事に復元させる
とても上の車だったとは信じがたいw
こだわりは全て手作業
妥協は一切許さない
一年かけて新車同様に復活させる安藤氏
これら全てがTA AUTOの手によるものだ。
Rocky Autoでは現代の技術を投入し
壊れない車作りをめざしている。

右の赤いRがフルノーマルのレストア車
左がRocky Autoお得意のエンジンスワップ車だ。

フルレストアされたRは全てを純正品を使い、当時のそのままを体感出来る。
正直、現代のパワーからすれば力不足を否めない。
RB26のヘッドをのせ3000ccのエンジンを組んだ。左のR
シャーシから補強し別物のマシンへと仕上げる。
Rauh-welt BegriffNAKAI氏は、911の複数のモデルに大幅なカスタマイズを手がける
公道も走れるレーシングカー
キャタライザーはスイッチでオフに出来る。
NAKAI氏が考え出したフェンダーウイング
お気に入りのPORSCHE930
脅威のレスポンスを示す3.8Lプロモデットエンジン
Moon Auto
1954年型ベンツW196Rというレーシングカーとコルベットのフレームの二個一
直8気筒 2500cc 257ps
(W196R)モデルは、第二次世界大戦後Mercedes-Benzによって
始めて作られたF1レースカー)
跳ね上げ式どドアにし乗降性もよし
センターコンソールにはエアコンも装備、シャッターにて隠す事も出来る。
全て手作りの一点ものです。
ボディーカラーにもこだわりがあり、Moon Autoの車全てオリジナルカラー
車社会でのピカソと言われてる。
この車に一番似合う色はシルバー
何度も調合し自分なりに最高のシルバーが完成した。
レストア職人Officina Ishikawa
希少なアンティークカーを蘇えさす為に、日本中から依頼が舞い込む。
1935年型 LAGONDA RAPIER 生産台数500台
これは20年近くかけて生きを吹き返した。
Amilcar C6 750
当時のレーシングカーでは画期的なエンジン
ライバルはブガッティ
10台作られたうちの一台がこれだ!
スーパーチャージ付き直6 1000cc
最高速度は165km/hであった。
クラッシックブガッティ
アルファロメオ ジュリエッタ・スプリント(1954年)
クランクハンドルを回しAmilcar C6 750がついに蘇った
日本人は繊細で手先が器用、当時の形を再現出来る能力に長けている
要は好きなことを仕事にしているから出来るのでは
お終い!
今宵のパワープレーはシャーデー キッス・オブ・ライフ♪
Posted at 2012/12/21 18:39:40 | |
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