世界遺産登録が間近に迫る
富岡製糸場ぞなもし
富岡製糸場に続く道
警備員も配置され ただならぬ観光地を醸し出す
いかに世界遺産の影響力が大きいか
富岡市内も観光客相手のお店が増えるはず
この看板の前での撮影は
順番待ちが出来るほど
さあ~
500円を払い入場です。
さて~
この製糸工場の歴史からお話するぞなもし
1872年 明治5年
日本はまだ江戸時代末期の余韻が残る時代
粗製濫造(そせいらんぞう)
(要するに 質の悪い生糸しか作れぬ技術しか無かった)
その為に、官営日本初、世界最大規模の機械製糸工場をここ富岡に造ったのです。
それはそれは 国の大プロジェクト
一等工女を育て各地へ派遣させる為の研修施設
それが富岡製糸場

敷地面積は55,391.42 平方メートル
16.255坪
これは東繭倉庫
全長100m
フランス式のレンガ造り
柱は地元産の杉
地元自由民の反対もあったが
国全体が豊になると言い了解を得た経緯が
二階までの30X30X10000の通し柱だった野田。
レンガ職人がいない日本では
瓦職人が慣れない手で積み上げていった
その証拠にレンガの表面は凸凹
レンガ造りも瓦職人が行い レンガに屋号が刻まれてる野田。
使われたレンガは10万個
当時の現場監督さんは ちょん髷姿だったぞなもし
明治5年完成 総工費は現在の価値で600億円
東繭倉庫内は一般公開されており
歴史が勉強できる仕組みになっており
お土産屋さんも併設されとります。
開業に関わった人物だが
政府が5年間雇用でフランスから呼んだブリュナ氏
候補地の視察にも来ている。
この際に候補地として 武蔵国、上野国、信濃国を見て回り
条件は、
養蚕が盛ん
広い土地
外国人に理解がある地
水が豊富
石炭が近くで用達出来るか。
以上の条件から上州は富岡に決定
ブリュナ氏のワイン好きが
のちのち厄介な噂となり工女が集まらなかった野田。
それは調べてくれ
現代では笑い話な野田。

フランス式繰糸器

お蚕さんが吐き出す糸が繭になり
それ湯でほどき、糸繰り機で五本に束ねられ
一本の生糸となり輸出されます。
それはそれは、手先の器用な工女が
繭を注ぎ足す作業に慣れた工女しか出来ぬ技
それから生まれた日本の生糸は、世界で絶賛される事になったのです。
工女が集まらぬのは怖い噂が原因
当時の初代工場長 尾高惇忠は自分の娘に工女になるよう
頼み込んだ野田。
ここはガイドさんが無料で案内してくれます。
秘話も聞けて大変勉強になります。
キーストン
では、操糸工場へ
工場内には柱が無い
そう日本にはない建築工法で建てられております。
小屋組みはトラス構造
鉄骨組で見られる工法、工場内を広く使えます。
現在は昭和40年代に設置された、自動繰糸機が展示されてます。
繰糸場の長さは140.4m 幅12.3m 高さ12.1m
一部見学が可能です。
このお方 横田 英さんですが
当時の工女の日常日記を書いた人
今で言うブロガー的なお方で
富岡日記の著者であります。
工場内の診療所
当時の工女さんは外出に規制があり
自由行動は出来なかったとか
月給は 最高の人で25円
一方、ブリュナ氏は750円
当時の副総理と同じだったとか
ブリュナ館 建坪320坪
フランス人が家族と暮らしていた住居
この地下にはワイン倉庫もあります。
後に、夜間学校として利用されております。
工女の宿舎
ブリュナ館
ここ乾燥所が今年2月の大雪で崩壊
世界遺産登録前に切ない出来事でした。
ここ、富岡製糸場は片倉工業が昭和62年まで操業
115年間休む事なく 操業し続けた製糸場 素晴らしいの一言ぞなもし
ざっとこんな感じですが子供はツマラナイかも
お子様だけの座繰り体験があるので
挑戦してみては
タバコは何処も禁煙ぞな~もしかしてぃ☆☆☆
Posted at 2014/05/30 18:35:30 | |
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