この青年

尾崎裕哉さん 26歳
そう
あの尾崎豊の息子さんです。

こうやって並ぶと 少し面影ありますね
何だか...ちょっとだけ 尾崎豊について書いてみたくなりました。
好き嫌いはあると思いますが、
彼の駆け抜けた音楽人生に少しでも影響を受けた方がいらっしゃればお付き合い下さい

尾崎豊(享年26歳)
そう、僕らの世代には忘れる事のない
伝説となってしまったミュージシャンでした。

余りにも早すぎる26歳と言う若さでこの世を去った伝説は今も我々の記憶に残り、当時の僕らの教祖的存在でもあったカリスマ性と圧倒的な歌唱力や表現力で10代の代弁者だった
尾崎豊がデビューした時
僕は高2で ちょうどベースを弾き始め一日8時間くらい練習して先輩のバンドに誘われ
当時流行ってた浜田省吾のコピーバンドを始めていた頃だった。
親友から「これ聴いてみて」って渡された尾崎豊のデビューアルバムを聴いて浜田省吾とはまた違う新鮮な感じや歌詞の内容が自分達の気持ちにドンピシャに響く事に いつしか
浜省よりもカッコよく身近に感じていた。
高3の時に初めて地元長崎の小さな会場(長崎平和会館)で彼のライブを観ました。
その後は多分長崎に来る事は無かったと思うので今となっては貴重な思い出となりました
舞台の上で全力で走り回り 全身びしょ濡れになるほど汗まみれになりながら熱唱する尾崎
あんなに叫ぶように歌って なぜ声が潰れないのだろうか? 初めてシャウトする歌手を見た
でもバラードはアルバムと変わらない優しい歌い方で僕の周りの人たちが涙を流している

MCがドラマのセリフみたいにカッコいい
高3の僕にはただそんな程度の理解しか出来ず
とにかく初めて観たカッコいいアーティストにただ衝撃を受けていただけでした

当時好きだった曲「Driving all night」のPV
録画して毎日観ていました。

ある日、このペイズリーのジャケットとほとんど同じ柄の物を母親がたまたま見つけて買って来てくれ あまりの嬉しさにバンド練習には必ず着て行った思い出が...

尾崎豊直筆の歌詞
わかる人にはフレーズの順番や歌詞の変更が
当時の彼の名曲を生む苦労として理解出来ますよね

今の若い子達には違う音楽環境や世代だけど今もいろんな場面で彼の名曲は生きています
(この曲は映画ホットロードで使われました)

天才的なセンスと10代らしからぬ歌唱力
この部屋で彼は僕らへのメッセージをたった一人で全力を注いで作り続けていた

しかし、ほんの一瞬で駆け上がり 10代のカリスマになった彼の先には苦悩が待っていた。
10代で3枚のアルバムを出すミュージシャンに成長した彼は常に次のプレッシャーに悩む
デビューアルバムを越える事が出来ない...
関係者に常に漏らしていた彼の言葉だった
彼が世に送り出した71曲の楽曲全ては彼の短いミュージシャン人生の全てを注いだ命と引き換えにした生み出したように思います。
年齢を重ねるごとに
いつまでも10代のカリスマでいられる訳もなく、先の事を常に考えてたストイックな彼の音楽に向かう真剣な姿勢には不安とプレッシャーしか無かった事を思うと胸が苦しくなります
行き詰まった彼は20歳で活動休止し渡米
そして帰国後、覚醒剤で逮捕されました。
当時の報道でのファンへのインタビューは
みな口を揃えて「裏切られた...」って言ってました。
行き詰まったとはいえ当時薬物に対する世間の目や批判と制裁は今より遥かに厳しかった
僕は裏切られた気持ちは一切なく ただ
「あぁ、尾崎は終わっちゃったのか...」
って思って居ました。
その当時 上京して音楽学校に進んでいた僕は相変わらずベースを毎日弾いてたけど
尾崎豊の音楽から次第に離れて行きました。

そして世の中もバンドブームの時代へ流れて行きました...

釈放された報道の僕らのロックスターの姿にその面影はありませんでした。
悲しい気持ちでしか見れませんでした。
当然の事のようにしばらく活動を自粛...
そして、それからしばらく時が流れて
頑なにテレビ出演を拒んだ尾崎豊がTVに登場すると言う事で僕はアパートのテレビの前で正座してその瞬間を待ちました。

当時の代表的な音楽番組
”夜のヒットスタジオ”
彼の生涯でたった一度のTV出演となりました
ほとんど喋らずにファンのみんなへの謝罪とこれからまた音楽に真剣に向かうメッセージだけの言葉...

歌った曲は ♫太陽の破片
僕らの気持ちを代弁してくれていた10代のカリスマから脱皮した彼は今の彼自身を歌で精一杯表現していました。

僕は瞬きもせずに ただ見守っていました。
僕自身も少し大人になり 彼の苦悩や今の姿を伝えようと表現した歌詞の内容に勝手に涙が出ていました。

最後の全力で叫ぶ彼の姿に
ただ僕はボロボロに泣きながら観ていました
高校生の時観たライブで受けた衝撃は
ただもの凄くて カッコいいとしか理解出来なかったけど この瞬間に尾崎豊の本当の凄さがやっと理解出来たと思います。
僕は今でも人の歌や楽曲の演奏を聴いて勝手に涙を流す事は多々ありますが、最初のきっかけはこの曲を歌う尾崎豊の姿です。
YouTubeにこの時の動画がありますが、未だに毎回泣けてしまって まともに観れない

彼は無事に復活する事が出来、自ら社長となり会社を立ち上げ また真剣に音楽に向かう
音楽性も10代へのメッセージから大人の音楽へ変わって行きました。
家庭では普通に幸せな環境を過ごし
裕哉氏の父親としてしっかり生きようとしていました。
でも、そんな細やかな幸せは長くは続かず
突然彼は 僕らの前から永遠に姿を消してしまいました...

あまりにも突然過ぎる死の報道
彼が最後に発見された現場の事や 訪れるファンの為に解放された部屋のニュースを僕は受け入れる事が出来ませんでした。
友人から発見現場や葬儀会場に一緒に行こうと誘われましたが、行く気力すらない程 僕の中にぽっかり穴が開いてしまった...
後に自分の母親が亡くなった時に初めてその当時の自分が同じだった事を思い出しました
人間って本当に悲しい時は何も表現出来ない程無気力になるんだって...
少し時間が経って、いろんな事を教えてくれた彼の音楽や生き様を振り返り
僕は自分なりに真剣に音楽に向かう決意をしていたと思います。
そんな思いからか?大都会の中で僕は後に有名な歌手になる人物と運命的に出会ったり、音楽の世界で働く事が出来ました。
今の僕や仕事を知ってるミン友さんは
なるほどね って思ってくれるでしょうか?
ある意味僕はあの頃から成長していないと思います。
僕は裏方になり、今は息子達がベース弾いて 僕の夢を追いかけてくれています。
コレが今の僕の細やかな幸せの一部です。
今、天国の尾崎もきっと同じだと思いたい
彼が亡くなった26歳に成長した裕哉くん

今年から積極的にソロ活動を開始しました
偉大な父親の背中を追う事に最初から重圧を感じているコメントは無理もありませんが

どうか自分なりの素直な音楽で表現して下さい
尾崎豊の遺伝子を持つあなたなら
きっと人を感動させる力を備えています
今日、初めてTV出演されますので
(TBS系音楽特番「音楽の日」)
僕は静かに応援させて頂きます。
多分、父親目線の変な感覚で観てるかもしれませんが、きっと天国のお父さんも同じ気持ちで優しく見守ってると思います。
僕なりの尾崎豊に学んだこと
最後までお付き合い下さって
ありがとうございました。