
先週末の連休、2泊2日(?)で鹿児島まで足を伸ばしてきました。何しろ土曜日は会社の営業日なので、1時間だけ早引けさせてもらって夕方4時半からの出発です。
今回はJALのマイレージポイントを利用しての旅です。IS購入時にクレジットカードから移行したポイントがまもなく3年の期限に達するので、それを急いで消化しなくてはならないこともありました。
いつもの岡山空港からの出発。鹿児島線を利用するのは今回初めて。そして36人乗りのプロペラ機、SAAB340にも初搭乗です!
天気はあいにく台風13号が近づいていることもあって西に向かうにつれ雨模様となりそうです。定刻どおりに岡山空港を出発したSAAB340・・・
も~、揺れること揺れること!
4900m程度の高度を飛んでるらしくて、雲の影響をモロに受けるみたいです。ゆえに機内サービスも一切なし!1時間20分のフライト中シートベルト装着サインが消えていたのは10分ほどでした。
帰りはマジで新幹線で帰ろうかと後悔しました・・・・
それでもどういうわけか定刻より10分早く鹿児島空港着。
ちょっと気分が悪い・・・
予約してあったレンタカー(写真:自宅にあるヴィッツと色も形も同じですね♪)を借りて、その晩は空港から10kmほどの霧島市(旧国分市)内のホテルに入りました。
翌日8時にホテルを出発。最初の目的地は南九州市(旧知覧町)にある「知覧特攻平和会館」

前々から一度行ってみたかった施設です。
太平洋戦争末期、陸軍の特別攻撃機が飛び立った基地としてあまりにも有名です。
今回の旅で初めてはっきりしたんですが、いわゆる「神風特攻隊」は海軍の特攻隊を指すものであって、陸軍の場合はそれぞれの編成に独自の隊名をつけてあったそうです。また当時の日本陸軍はこの海軍の「神風特攻隊」が陸軍に先行して行われたことに刺激されて、海軍への対抗心もあって組織的な「特別攻撃隊」を編成するに至った、ということも知りました。どうやら僕はどちらも混同して「神風特攻隊」と理解してたみたいです。
・・・1つ賢くなりました・・・
館内は一切カメラ撮影禁止ですので写真は撮影してません。有名な施設だけあって観覧者もすごく多いです。今回あまりに人が多すぎてじっくり展示してあるものを見れなかったのは残念ですが、余裕があれば2時間くらいは時間をとってみたいですね。
建物外には昨年公開された映画、「俺は、君のためにこそ死ににいく」で実際に使用された一式戦闘機「隼」が展示されてます。
僕は長年、海軍の艦載機「零戦」をなぜ「ぜろせん」と呼ぶのか深く考えてきたことがありませんでした。今回の旅でその疑問も氷解しました。
当時の陸海軍の航空機は紀元節の年号下2桁から命名することになっていて、「零戦」が実用化されたのが昭和15年。ちょうど皇紀2600年にあたる年です。そのため「零式水上艦載機」通称「零戦」と呼ばれてるわけです。
(ただどういう訳か陸軍は同じ年に実用化された爆撃機に「百式重爆撃機」と命名していて、陸海両軍で皇紀2600年の扱いは統一されてなかったみたいです)
激動の昭和の舞台となったこの場所に足を運べて、とても感慨深いものがありました・・・
ところで今週末20日(土)の夜フジテレビ系で放送されるドラマ「なでしこ隊」。この知覧の女学生が3週間、突然特攻隊員の身の回りの世話をすることになった際の日記をベースにした「陸軍特別攻撃隊」を扱ったドラマです。フジテレビのドラマゆえ考証がどうなるかちょっと心配ですが、見てみたいと思ってます。
下の写真は南九州市役所(旧知覧町役場)近くにある旧富屋食堂を同じ場所に復元した「ホタル館」。特攻の母として知られる「鳥浜トメさん」の資料館です。
先述のドラマでは鳥浜トメさんを薬師丸ひろ子さんが演じるみたいですね。
続いてもう1つ特攻隊関係の施設を訪れてみることにします。

南さつま市(旧加世田市)にある「万世特攻平和祈念館」。知覧の特攻平和会館の影に隠れてあまり知られてませんが、実は・・・

よく目にする「犬を抱いた少年特攻隊員」の写真。彼らは知覧から出撃したのではなく、ここ万世の飛行場から出撃していたのです。
万世飛行場は昭和20年、たった4ヶ月だけ使用された「幻の特攻基地」です。出撃できたのは全部で121機。日本三大砂丘の一つ吹上浜の南端に急造で作られたため滑走路が粗悪で、「固定足」の戦闘機しか使えない中途半端な飛行場でした。
展示資料の数だけでは知覧の平和会館にはかないませんが、実物展示が多く見ごたえのある展示内容でした。見学客も少なくて、時間の経つのを忘れて見入ってしまいました・・・
気がつくとすでに午後1時を回ってます。このあとの予定が苦しくなりそうなので急いで次の目的地へ。(おかげでこの日の昼食はコンビニおにぎりになっちゃいました(笑)
そしてもう1つの激動の時代、幕末を知る場所に向かいます。
まずは現在放映中の大河ドラマ「篤姫」。篤姫が幼少時代を過ごした指宿市の今和泉に行ってきました。

裏道のような場所なのに妙に新しい舗装がされています。観光客が押し寄せることを見込んで突貫で整備したのでしょうか?

道案内もいかにも手作り!

今和泉の屋敷跡は現在小学校になっています。海岸沿いにわずかに当時の名残の石垣が残ってます。
このときすでに午後3時を回っていました。どうやらこの日は予定していた施設をすべて回れそうにないことが確定。最後は鹿児島市内に戻って「維新ふるさと館」の見学です。

ここも内部撮影禁止なので、入口のカンバンだけ・・・(笑)
鹿児島中央駅から程近い場所にあります。
展示してある西郷隆盛の人形がちょっと不気味な動きをします(爆)
とりあえず閉館間際まで滞在して、ホテルにチェックイン。
少し休憩してお土産物あさりと夕食のため、近くの総合商業施設「ドルフィンポート」へ行ってきました。
ラッキーなことに、最近の大河ドラマの舞台になる場所にいつも設置される展示場がここの一角にありました。その名も「篤姫館」
一通り回ってから土産物買い込み。そして・・・・
↑鹿児島黒豚のトンカツ♪
これは美味かったです。
アルコールを少々一緒に頂いたら、すっかり回ってしまい・・・・・
ホテルに戻って早々に寝ちゃいました・・・・
(天文館に行く元気が残ってませんでしたorz)
翌朝、

部屋の窓からの桜島。この後雨が激しくなって見えなくなってしまいました。
8時すぎに出発。まずは昨日行く予定にしていた「仙巌園(磯庭園)」に向かいました。
ご存知、島津家の別邸として設けられた有名な庭園です。ここでも「篤姫」のロケが行われたそうです。

晴れているとこの向こう側に桜島が見えるらしいんですが、ご覧のように雲の中です。
このあともう1箇所「黎明館」を見学して(ここでもちょうど「天璋院篤姫展」が開催中。どっかで見た展示物だな~、と思ったら、春に東京の「江戸東京博物館」で特別展示されていたものをそのまま持ってきたものでした)、近くのフェリー乗り場から桜島に渡ります。

日中は10分おきに出発してる日本で有数の利用率を誇るフェリー。クルマで乗るときも乗船手続きも何もなく、そのまま船上に誘導されます。
料金の支払いは桜島側のみで、まるで有料道路のゲートみたいな方式で行われていました。

ちょうど乗船が最後の方になって、車止めをされてすぐの出航(笑)
しばらくデッキで写真を撮ってると、右舷側にいきなり・・・・
潜水艦出現!!
ホントは位置関係からして潜水艦の方が優先的に進めるはずなのですが、待っててくれました。
桜島に渡って、港近くの「ビジターセンター」で桜島のお勉強。
雨がますますひどくなってきて、まさに土砂降りになってきました。
(後で知ったところでは、この後鹿児島の南部中心に大雨洪水警報が発令されてたみたいです)
沿線の展望台に立ち寄っても桜島を見ることは全くできなくて・・・・

↑こんなものだけ撮影してきました!
長淵剛さんのコンサートを記念して作られたモニュメントだそうです。
そして最後はもう1つ、再び戦争の記録が残ってる場所へと向かいます。

海上自衛隊鹿屋航空基地資料館です。
ここは自衛隊の施設になりますので、入場料などはいりません。受付で住所氏名を記入するだけで入館できます。
ここには「神風特攻隊」で出発した兵士たちの遺品などが展示されてます。
それゆえほとんどが館内撮影禁止ですが、零戦の復刻版だけは撮影可ということで、
これは平成4年、錦江湾と吹上浜から引き上げられた機体の一部を使用して復刻させたものだそうです。

コックピット。見るからに狭いです・・・
時間も午後2時を回って、そろそろ鹿児島空港に戻らなくてはならなくなりました。ここからはひたすらR504を辿ります。
雨はますます激しさを増し、道路のところどころは冠水。排水溝のバーチカルからは水が噴出しています。
・・・無事帰れるのだろうか・・・・??
でも空港に着く頃には雨も小雨になりました。空も明るくなってます。
その後5時半には機上の人となり、岡山へと帰途につきました。
帰りのSAAB340、行きと違ってとても快適なフライトでした。眼下には雲が広がって地上は全く見えませんが、ほとんど揺れなく飛び続けました。
おまけに岡山空港着陸がホントに見事!車輪が滑走路に着いたのが全くわからないほどでした。これほど見事な着陸に遭遇したことは本当に久しぶりのことです。
こうして激動の時代の舞台を訪ねる旅も無事終了。久々の長文を最後まで読んでいただきありがとうございました。