エンブレム、最近MIATAにしました。
という話ではなく、例の五輪の話です。
ただし、かなり地元ネタになりますので、札幌近郊の方のみを対象としています。
最近、2020年の東京オリンピックのエンブレムが決定しました。自分としては、あまりピンとこないというのが正直な感想です。
かつての1964年大会のエンブレム(当時は「大会マーク」という呼び名だったと思います)は、日の丸の下に五輪という最高にシンプルで美しいデザインです。誰が見ても日本の大会で、国家行事なのだという印象を受けるでしょう。
これを超えるデザインは、もう作れないかも知れませんね。過去の夏冬全大会のマークと比べても、秀逸だと思います。
ところで私の住む札幌も1972の冬季五輪を開催しました。
札幌のマークは、①日の丸、②雪の結晶、③五輪マーク、という3要素の組み合わせで、東京に負けず劣らずグッドデザインです。
特に、大会のメイン会場であった南区の真駒内という地区には、住宅団地(当時の選手村)の壁面や記念碑などにマークが残されています。
この大会は単なるスポーツのイベントではなく、現在の札幌市民の暮らしにもかなり影響を及ぼしています。
大会によってつくられた施設といえば、真っ先に思い浮かぶのは、競技施設や選手村がありますが、もちろんそれだけではありません。
都心と競技会場を結ぶための移動手段として地下鉄南北線が作られ、電気・ガス・水道網といったインフラ整備も進められました。五輪で札幌の街は大きく生まれ変わり、今日の札幌のベースが作られたといっても過言ではありません。
そして、大会の最大の遺産といえるのが、道路です。
環状通・南郷通・豊平川通・創世川通・札樽自動車道etc・・・みなさんご存知の幹線道路のほとんどが、大会に合わせて作られています(菊水の円形歩道橋も!)。
それまでの札幌の道路は、細く曲がりくねっていて、場所によっては非舗装の路線も多かったため、当時急激に増えていた車が渋滞を引き起こしていたそうです。さらに、これらの道路には、今では当たり前になった街路灯が札幌でははじめて設置されたのですから、札幌の道は一気に近代化されました。言いかえれば、五輪のおかげで運転しやすくなったのです(たぶん)。→ここでやっと「みんカラ」的な方向に向かいました。
そんな五輪の頃の札幌の写真を見ると、北国特有の青い空に向かって伸びるポプラ並木を背景に、ハコスカや510ブルーバード、べレットなどが写っています。ああ、70年代っていい時代だな~。ファッションも音楽も、クルマも、今より素朴だけど魅力にあふれていた時代。(公害問題とかネガティブな要素も多々ありましたけど)
※私、札幌オリンピックの時はまだ生まれないので、想像で語っています。
さて、いつか2020年のエンブレムを見て、「あのころの東京は良かったね、ゴタゴタがあったけど、大会は盛り上がったよね~!」などと思い出を振り返る時代が来るかもしれません。
大会エンブレムには、その時代の記憶を引き出す要素もあるんですよ、という話でした。
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Posted at
2016/04/28 13:00:06