この話も、現在のみんカラ内においては、極めて肯定のリアクションがしにくい話だと思います。
危険だとも思います。
ですので、「あぁそうだな」と思われた方には、自分なりの伝え方で、表現して頂けたら幸いです。
広島生まれの松田君、彼は最近学校の同窓会だか、親戚の集まりだか、とにかく古い馴染みの集まりに出席しました。
最近彼は独自の研究と、それを生かした商品の開発に成功し、仕事は順調です。
この日は、これまでの自分の仕事に胸を張り、スーツを着こなし参上です。
「皆自分の成長を認めて喜んでくれるのでは」
という期待の気持ちも、これまで苦労も多かった松田君には、やはりありました。
ところが出席者の反応は、彼の期待とは違っていました。
「おー、いいスーツ着て・・・。・・・立派になったもんだな」
「仕事上手くいってるそうじゃん。・・・いや良いことだと思うよ。・・・でもなぁなんつうか・・・」
「オレは昔のお前の方が好きだったね!」
「オレも、オレも!」
「お前昔よく足が4本の偽物のプーマのジャージ着ててさ、それで『チーター』って呼ばれてたよな」
「そうだ!そうだ!その格好でハンドルをひっくり返してドロップハンドル風にしたママチャリに乗って土手をかっ飛んでたよな!」
「そうそう、あのころのお前の方が良かったよ!」
「こんなスーツなんて似合ってないって!」
「またジャージ着てさ、オレと一緒に土煙を上げて土手を走ろうぜ!」
こう言われ、背中をバシバシと叩かれた松田君は、心の底から悲しみ、二度とその集まりには顔を出しませんでした。
あなたが松田君でも、きっと同じ反応をすることでしょう。
もちろんお分かりでしょうが、これはみんカラでよく見かける
「最近のマツダの車は高いよね?」
という記事に対する私の感想です。
「最近のスバルの車はでかい」
「今度のシビックタイプR何あれ?」
「最近の日本車は高い、これじゃ若者の自動車離れが進むってもんだ」
などもそうですね。
自分が愛着を持っていたものが、変わっていってしまう、その辛さ、不安。
「安い車ならほかにあるんだから、それに乗りゃ良いじゃん」
「いや、そういうことではないのだ!」
ということは分かります。
しかし松田君が自分で決めた道です。
応援して一緒に走るなり、気持ちよく送り出してあげて良いのではないでしょうか。
愛する者の変化に対する不安。
これは昔からの悩み深いテーマでありますが、シンプルに考えれば、
「自分がおいていかれてしまうことへの不安」
が根底にあることは明らかでしょう。
しかし、この状態で、相手の変化を否定し、現状に執着すれば、相手の心は必ずより遠くへ離れて行きます。
精神世界では、
「あなたが求めるものほど、あなたは持てない」
という表現がしばしば用いられるのですが、それがまさにこの状態です。
繰り返しになりますが、松田君のためにも、自分のためにも、ここは松田君を気持ちよく送り出すか、オレも一緒に走ると決意し、実行するべきです。
つまり今までよりコストを掛け、その分品質が上がったマツダの車を、これまでと変わらず愛好してあげることです。
松田君の儲けが多くなるのであれば、それも喜んであげれば良いのです。
その姿勢が、あなたにも「儲け」をもたらします。
そうではなく、「最近のマツダ高くね?」という記事に対し、
「イイね!」
と言っていれば、
意識的であれ、
無意識、つまりほとんど反射的な判断だったとしても、
あなたが今より豊かになっていくことは困難でしょう。
何故なら、マツダが豊かになることを、あなたは許さなかったのですから。
自分が豊かになることも許せず、豊かにならない判断を続けるでしょう。
マツダが、他者が豊かになることは許さず、
「しかし自分は豊かになろうとする」
ことを自分に許すような、そういった心根の持ち主は、それはそれでみんカラには少ないからです。
そう思ってもいるからこそ、こちらも書いているのです。
全ての行動に、意識的であってください。
その判断の一つ一つが、心に入ったものと同じように、あなたの現実を作っていくのですから。
Posted at 2015/07/03 22:09:43 |
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