
軽トラが車検から戻った。
うちに来てからは3回目の車検。
車齢は32年、走行距離は10万5千キロ。
日常の足として、毎日働いてくれている。
6年前に走行距離3万キロ程度で購入したこの車。
最初のうちはトラブルがいくつかあったが、今のお店でメンテを見てもらうようになった6万キロ以降からは、ほぼ緊急メンテナンスフリーで過ごしている。
お店の腕がいいからだ。
そして車自体も、とてもシンプルで頑丈だ。
(とはいっても、ずっと走っていなかった車両を不安なく日常使用出来るようにするためには、走行距離がどんなに少ない車両であっても、40万は予算を取っておくべきだと思う。)
この車が数日手元になかっただけで、生活にぽっかり穴が空いて、別の世界に住んでいるかのようだった。
キーを捻ると、生き物の心臓のようなエンジンが動き出す。
犬を乗せ、重いハンドルを回して、夕方と深夜に2回山へ行く。
エクストラローギアも使って、狭く荒れた林道をジワリと登る。
たどり着いた先で稽古をする。
そのあと集落を往復して、ゴミを拾って回る。
生活に穴が空いたたように感じたのは、この2つが出来なくなるからだ。
こういうことは、
「軽トラが無いと無理だ」
自分はもうどこの武道団体にも所属せず、一人で稽古だけしている。
それらと関わっていると、日本刀を飾った部屋で天下国家を憂う、自分とは合わない人達とのかかわりが避けられなかったということは、今の形態になった理由の一つだ。
否定は全くしない。
天下国家を憂う気持ち、そしてそれに対し何をするべきか、そのあり方は人それぞれに違って当然だ。
だが自分にとっての士道はこういうことだ。
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての人、片山久安は自ら興した居合術、片山伯耆流を
「自臨之居合」
と称した。
「臨二居テ泰ヲ成ス」
「臨」は易の掛けの一つで泰平を示す掛け、「泰」に至ろうとする前段階。
自らを臨の状態において世の泰平を希求し、その維持に努める、そのための居合。
争いを止めるのではなく、起こらないように努めること。
その手段は様々だろうが、まずはこういうことからだろうと自分は思っている。
だから自分にとって、軽トラは「刀」だ。
Posted at 2017/11/07 01:57:00 |
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SUBARU KT2 | 日記