2020年12月07日
ここのところ、なんとなくテンション高めの日記が続いていましたが。
先日、今年73歳になった父が他界しました。
30歳前後で慢性腎不全を患い、それから40年以上も人工透析を続けていました。
透析患者の中でも最古参というのが本人の自慢。
1週間中一日おきに、車で30分以上かかるクリニックへ一人で通っていました。
もともと車での旅行が好きで、地方公務員を早期退職してからは、自分の兄弟を連れて全国に出かけていたようです。
歳をとるにつれ体の自由が利かなくなり、あまり出歩かなくなってからもクリニックへの通院は自分の運転で。
年齢も年齢ですから、私も含め周囲の人間が送迎タクシーの利用を勧めても頑として聞き入れてもらえず。
唯一自分の思い通りになる車の運転だけが、本人の心の拠り所だったのでしょう。
状況が変わったのは2019年3月末。
透析の帰り道、父は単独事故を起こしました。
どうやら父は、事故の数日前から肺炎を患っていたようで、事故当日もクリニックの医師から帰りはタクシーを使うように引き止められていたそうです。
それを振り切って自分の車で帰り、途中で意識がなくなったのかガードレールに衝突。
家まであと10分のところまできて、気が抜けてしまったのかもしれません。
左フロントが見事に潰れていました。
時刻は午後10時過ぎ、田舎の街道で歩行者や他の車がいなかったことは不幸中の幸いでした。
父は一命は取り留めたものの、事故の衝撃で脳挫傷と脊椎損傷など長期療養を余儀なくされました。
特に脳挫傷の影響なのか、嚥下能力がなくなってしまい、食物や水分の経口摂取ができなくなったのは致命的でした。
救急病院から療養病院に移ってからもリハビリを続けていましたが、残念ながら胃ろう処置に。
リハビリの先生方にはとても頑張っていただき、今でも感謝の念が絶えません。
慢性腎不全のこともあり、医師からはいつどうなってもおかしくないと告げられてから1年半以上。
子供が生まれた直後からCOVID-19の影響で面会禁止となり、孫に会わせられたのは結局3回きりです。
私は父にとって、決して良い息子ではありませんでした。
よくある家庭の問題から、私は就職して家を出るまでの10年以上、父に対してネガティブな感情しか持てずにいて。
20年、同じ家で暮らしていましたが、父とのいい思い出(というか家族の思い出)は小学生くらいまでで止まっています。
それでも、家を出て物理的に距離を取るようになってから、少しずつ向き合えるようになってきていました。
昔のことを思い出すと、今でも複雑な感情はわきあがります。
ですがそれも今更なこと。
今までありがとう、おつかれさま。孝行息子になれなくてごめんな。
Posted at 2020/12/08 01:22:32 | |
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雑記 | 暮らし/家族
2020年12月07日
わかる人にはわかっちゃいますかね。
Posted at 2020/12/07 01:22:04 | |
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