
パーツレビュー200個目が憲法記念日に購入した
赤旗(保安用信号赤旗)だったので、今回は普段封印している左翼ネタです……というネタを以前から準備していたものの、色々あって機を逃してしまい、既にレビューから1か月、購入から2か月も経過してしまいました。ですが最近の世の中の情勢を見て思うところもあり、今日はやっぱり左翼ネタにします。カーライフと関係ない話題ですみません。
さて私は学生の頃、ちょっとゲームの製作に興味を持っていた時期がありまして、その頃に購入した本の中に、モートン・D・デービス著『
ゲームの理論入門 チェスから核戦略まで』講談社〈ブルーバックス〉という書籍がありました。
いや実のところ、この書籍自体は
野球マネージャーがうっかり間違えてドラッガーの『マネジメント』を買ってしまう程度には、ゲーム製作の参考書としては的外れな本だったのですが(要するに応用できる内容も多いけれど、基本的には畑違いということです)、しかしながら自分にとっては、新しい世界を見せてくれた印象深い本でした。
この本で扱われる
ゲーム理論というのは、別にテレビゲームやギャンブルとかのことではなく、政治や戦争、経済学の分野における、人間同士の駆け引きをシミュレーションするために単純化された図式、という位置づけです。もちろんゲーム製作においても色々示唆に富んだ内容ではあるのですが、この本の趣旨自体は娯楽としてのゲームとはあまり関係なくて、現実の問題を解く手段としての理論に置かれています。その中でも、当時の私を強く惹きつけたのが、「
囚人のジレンマ」のモデルです。
このモデルが「囚人のジレンマ」と呼ばれるのは、このモデルを定式化したA・W・タッカーが、ジレンマの具体例として2人の囚人のたとえ話として挙げたためであって、実は必ずしも囚人に例える必要もないのですが、私なりの解釈でざっくり説明すると、こういう話です。
- 完全犯罪を成し遂げた2人の犯罪者。二人は逮捕され身柄を拘束されるが、決定的な証拠は何もなく、このまま黙秘を貫けば無罪になる見込みが高い。しかし、そんな2人にそれぞれ司法取引が持ちかけられる。
- 「このまま裁判で争っても、判決が出るのは1年後で、それまでは拘置所暮らしだ」
- 「だが、そこは取引だ。君が捜査に協力し、君の共犯者が犯行に及んだ証拠を証言してくれれば、犯行に関わった証拠のない君はすぐにでも保釈してやろう。共犯者は懲役20年の刑になるだろうが、それだけの時間があれば君が行方をくらますのも容易なはずだ。復讐の心配もあるまい」
- 「それに、もし君が黙秘を貫いても、共犯者が保釈目当てに全ての罪を君になすりつけてしまえば、逆に君が懲役20年だ。共犯者はそんなに信用に値する人物かい? だが、もしも君が捜査に全面的に協力してくれるのなら、例え共犯者が君の罪状を洗いざらい自白してしまったとしても、正直さに免じて減刑の余地ありと見なされて、双方共に懲役は5年で済むだろう。
- 「いいかい、もう一度まとめるよ? 君が自白しなければ、最低でも1年の勾留、共犯者が裏切れば20年な懲役だ。けれど、君が捜査に協力してくれるのなら、良ければすぐに釈放、悪くても5年だ。どちらに転んでも、自白は君にとって損にならない。悪くない取引だと思うが、どうかな?」
- ……このとき2人が同じくらいに賢明で、互いに合理的な判断をして取引に乗れば、結果的に罪を暴露し合うこととなり、共に5年の刑を受けることに。
- ……けれど、このときジレンマが。両者は完全犯罪を成し遂げたのだから、5年の刑を受けるよりも、互いに黙秘を貫いて1年の拘置を受け入れる方が得なのでは……?
あくまで例え話なので、法律的な手続きの誤りについてのツッコミはご容赦を。ともかく2人が協力することが必ずしも最善手ではない状況で、両者が自らの利益が最大になるように行動すると、結果として協力した時よりも損をしてしまうのが、「囚人のジレンマ」です。詳しくは
ウィキペディアなどに説明が載っているので、そちらの説明の方が分かりやすいかも知れません。他にも、似たような囚人のエピソードが
漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の第6部冒頭に出てきますね。
ただし、このモデルは囚人の状況に限らず、株式や戦争など、幅広い分野に当てはめることができるもので、例えばトランプ氏の政策やイギリスのEU脱退問題などの時事ネタに絡めることもできますし、
のように書くと、一気に安保ネタっぽくなります。
A国、B国という国名に日本と韓国や中国を置き換えても良いですし、北朝鮮とアメリカ、のような他国の名前を入れても良いです。この例では、敵国が攻めてくるのなら軍隊は必要だし、攻めてこないときにも軍隊があれば相手を威圧させられるので、戦争中であろうと平和であろうと常に非協力的な態度を貫き、軍事力による威圧をかけることが、より正しい選択肢となります。けれど、それは相手国にとっても同じことなので、双方が同程度に賢明な判断をすると、互いに威嚇し合った末に破滅してしまう……というジレンマに陥ります。
もちろん現実の戦争はこのような単純なものではなく、数多くの段階を踏みますが、もう少し複雑になっても同じことです。
隣に弱くて威張っていて目障りな国あるのなら、そんな相手と協力するよりも、軍事力で脅かすのが手っ取り早いです。攻め込まずとも、その威圧感だけで十分です。あるいは自国と敵国との間で軍事力が拮抗していて、領土が脅かされている状態でも、もちろん防衛力を強化した方が安心です。いつでもより強い兵器と、軍事力が必要になります。だけど、それは双方にとって同じであるために、対立が際限なくエスカレートしてしまうことがジレンマです。
日本の状況に例えると、「日本は過去に悪いことをした」と教育されている国々の国民にとっても、また「日本は周辺国から不当に脅かされている」と信じ込んでいる右側の人々にとっても、双方が滅亡するまで滅ぼし合うことが最善手になってしまうということです。いや、右側の人たちの間では「日本が平和憲法を破棄して世界の抑止力となる軍隊を持てるようになれば、中国や韓国も身の程を弁えて平和指向になるだろうから、アジアは全て良くなるに違いない」と信じられているみたいなんですけど、そもそも中国は核持ってるインドとも友好な関係を築いているとは言い難いですし、日本人だって「北朝鮮が核武装しているので、北朝鮮と仲良くするようにしよう」という言説は受け入れられないはずです。両国が同じように最前手を尽くす限り、この図は右下の破滅へと進んでいくことでしょう。誰だって、自国が一方的に核兵器で滅ぼされるくらいなら、死なば諸共、せめて相手にも一矢報いなければ納得できないはず。撃たれるくらいなら撃つでしょ?
つまりこの図から導き出される結論を短絡的にまとめると、仲良くできない二つの国が、双方にとっての究極的な最善を目指すなら、核兵器を撃ち合って共に滅びるのが合理的である……ということです。まあ仲の良い国同士でも、一方を植民地化した方が益になるなら同じことになるので、仲の良さはあまり関係ないかも知れません。人間の直感に反した論理の飛躍のように見えるかも知れませんが、例えばこういうとき、コンピューターなら合理的な判断をするかも知れません。最近、こんなニュースもありました。
人類終了のお知らせ AIロボットがついに「人類を滅亡させる」と発言 - ねとらぼ
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1603/30/news059.html
人間の行動原理をディープランニングで学習させれば、AIの政治家がそういう答えを出してしまうような未来も、SFだけの話ではないかも知れません。まあ人間はロボットに対して本能的な不信感を抱いているので(「ロボット」の語源となった戯曲『
R.U.R.』からして、ロボットが人間に反乱を起こす物語でした)、AIが軍事の全権を掌握するような世の中は来ないでしょうけれど、究極的な最善手が人類滅亡であるということ自体は、AIが指揮しても人間が指揮しても変わらない事実です。それは愚かな結末ですが、合理的であることと愚かであることは必ずしも矛盾しません。
ところで、こうした「囚人のジレンマ」的な状況では、愛国のためには一切の妥協をせず、利得を最大にするために右下へと突き進んでいくような最善手を「ナッシュ均衡」、妥協をして両国の利得が最大にになるような道を模索する最善手を「パレード最適」といいます。つまりイデオロギーによって2種類の最善手があるわけです。
基本的にパレード最適は、対立する相手が裏切らずに協力してくれることを信じていなければ成り立ちませんから、こちらに不信感を抱いている相手の不信感を解くためには、対立する意志がないことを態度で示す必要があります。例え両国の対立を煽っていた政権が倒れるようなことがあったとしても、隣の国が憎悪丸出しでヘイトスピーチを向けてくる国だったり、過去の怨念を蒸し返し続けているような国であるなら、仲良くしようと思わないのが当たり前でしょうから、不信感を抱いている相手の警戒を解くには相応のことをしなければなりません。しかし、例えば敵意がないことを示すために軍縮を行うとか、様々な外交上の譲歩をするとか、友好ムードを広めるとかいった行動は、友好的な相手だけでなく裏切るための隙を伺っている敵をも利する、リスクの高い手段です。両国の和解に向けて動いている同志の中には、自国を油断させて敵国に利をもたらすためのスパイや売国奴がいるかも知れない。「囚人のジレンマ」において、隙につけ込まれることは破滅を意味しますし、それが相手国にとって同様です。
一方でナッシュ均衡を目指している人にとっては、相手がどのような態度であれ敵対一択ですから、軍縮を進めてわざと隙を作っているような勢力を、スパイや売国奴の類と区別する必要はありません。全て敵です。けれど、それは相手国にとっても同じですし、両国がナッシュ均衡を目指す限り「ちょっと脅せばそれで済む」というような均衡にはなりません。憎しみを持って向かってくる相手にはより大きな憎しみで対抗するのが最善手である、というロジックの元、一方または双方が全滅するまで潰し合うのが「均衡」の結果になります。武力は最善手かも知れないけれど、何でも解決できる訳ではないです。
結局、それぞれ穴のある最善手が二極に分かれている以上、左から見た右の人は、目先のことに囚われてその先のが見えていないように見えてしまいますし、右から見た左の人は、理想ばかり語って目の前のことが見えていないように見えるのでしょう。結果として互いに相手が愚かに見えるわけです。こうした図式は、右や左に分かれる人々の構図の一端も示唆してくれます。
さて実のところ、「囚人のジレンマ」的な状況において、人間は往々にして協力できない傾向にあることが分かっているそうです。手を変え品を変えて、被験者を集めてこのような構造のシミュレーションを実験しても、どうしても足を引っ張り合ってしまう結果になりやすいのだとか。また、エントリの冒頭で触れた書籍『ゲームの理論入門』にも、このような状況のシミュレーションで相手と協力して高得点を得たプレイヤーも、なんだかズルをしているような後ろめたい気分を味わうことになった、というエピソードが紹介されています。そもそも利害が対立する者同士が妥協の元で協力するようなことが、常に正義であるとは限りません。例えば「公益のために個々が妥協する」という発想は全体主義にも繋がりますし、ライバル企業同士の協力はカルテルやトラストにも繋がります。
結局、平和の本質はズルや妥協の上に成り立っているものなのでしょう。だからこそ学校は「平和は尊い」という幻想を子供に植え付けて、守らせようとするけれど、情報が溢れていて、人間がどんどん賢くなっている現代においては、「平和は尊い」という虚構は見破られてしまうのかも知れません。個々の人々が、尊重されるべきだと考えていること、祖国の肩を持ち、真実だと思うことを自由に信じ、一面的な見方であっても正義と信じたことを貫くこと……など、自分の最善を追求するような振る舞いを「利己主義」だとして押し殺し、自分とは利害が一致しない集団が得をすることを、平和だ、価値あることだと定義することが、自分にとってなんの得にもならないインチキだと気がつき、それを許容できない人が、右翼的な価値観に矛盾のない正義を感じてしまうのかも。
けれど、それは潔癖から別の潔癖に走っただけでは?
私はサヨクなので、平和がズルの上に成り立っているものだからこそ、敵失でも押し付け憲法でも何でも利用してほしいと思っています。自分の国には後戻りの道を自ら断ってしまうような道を歩んで欲しくないし、そのためには下げたくない相手に頭も下げるし、友好を望んでやったことを逆手に取られてつけ込まれても、罵られてもへこたれない、泥臭い粘り強さが求められている……と考えています。今の国際情勢では、本音と建て前をうまく使い分ける外交が必要で、難しい綱渡りを強いられる状況でしょうけれど、相手が矛先を引いてくれる絶好の機会を逃さないためにも、「話の分かる相手」だと思ってもらうためのポーズは必要で、そのような勢力が日本の世論の一角を占めていると思わせるために、リベラルな勢力はその存在感を世界に示し続ける必要がある……と考えています。もっとも、これは存在感を示しすぎると転覆するので、保守もリベラルも左右のバランスを取りつつ互いに頑張ろう、という意味でもあります。
んー、やはりこういう話はちょっと苦手です。すみません。ちなみにここはみんカラなので、無理矢理カーライフに結びつけてお茶を濁しておくと、前述の書籍『ゲームの理論入門』の裏表紙には「トヨタと日産はなぜ値下げ競争をしないのか」という例え話も出てきたりします。
既に絶版になっているはずの古い本ですし、翻訳も読みづらくて難しくい内容ですが、「囚人のジレンマ」意外にも色々なモデルが紹介されているので、興味があれば図書館で探してみてください。ちなみにこの書籍自体は、右にも左にも与する内容ではないです。
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2016/07/10 01:14:48