
※ 核心部分のネタバレを容赦なく含みます。
封切りから5ヶ月経ち、今更ながら観に行ったアニメ映画『君の名は。』ですが(
1月9日のエントリ参照)、みんカラを検索してみたところ、私と同じ日に「今更ながら初めて鑑賞した」という方も大勢おられた様子。他の方のエントリを見たところ、この日の時点で8割の客入りだったのは私が行った映画館だけでなく、どうやら全国的な傾向だったみたいですね。まあ、この映画については既に語り尽くされていて、今更になって感想を書いても本当に今更なのですが(中国では12月、韓国では1月に公開されたばかりですけども、あいにく自称サヨクの私にも、映画の話題で語り合えるような海外の知り合いはいません)、それでもようやく観に行くことができたので、先に観に行った方々の感想なども、自分が見た印象と照らし合わせて読めています。
この映画、見に行く前に「あの新海監督が売れ筋に走った」という評価もちらほら見かけていたので(それに対する
新海監督の辛辣な反論もありましたけれど)、私も漠然とした先入観として、
「今まで
“世界の命運を巡る事件の渦中に巻き込まれた男女が、色々あって物悲しいすれ違いに終わるお話”ばかり作ってきた新海監督が、なんかトレンディーでおしゃれな一般向けの映画を作ったらしい?」
……という印象も抱いていたのですけど、全然全然そんなことなくて、思った以上に
セカイ系っぽい文脈でのセカイの命運あり、新海監督得意のすれ違いもあり、泣きゲー的な「
萌やし泣き」あり、濃すぎて軽く引くフェティッシュなネタもありと、「新海誠=元祖セカイ系」の面目躍如といった趣の映画。いや、私も新海監督の作品をちゃんと見たのは『
ほしのこえ』(ほぼ新海監督が個人で制作した、2002年公開のロボットアニメ映画)以来なので、あくまでバイアスのかかった先入観の話ですけど、『君の名は。』は思っていたよりずっと、個人的には好ましいという意味で、根がオタク映画っぽかったですし、新海監督のファンならニヤリとする小ネタも色々あった様子(私も山頂の御神体の『イース』ネタは分かりました)。世間で恋愛映画として見られている割には、主人公ふたりが惹かれ合って仲を深めていく描写はサラッと流され、その割には物語終盤でセカイの危機を乗り切った後のふたりが、なかなか再会できず、一度はすれ違ってしまうまでの場面に長い長い尺が取られている辺りは、結末を知っているのにハラハラしましたし、そういうお話ばかり作ってきた監督の抑えがたい個性が出ていたように感じました。
で、一部のファンからは何が「売れ筋に走った」と受け取られているのか、実際に映画を見てきた印象を踏まえて、改めて感想サイトなど見てみると……ざっくり言って、物語の底辺に流れる諦観のような情緒が失われ、ふたりが物語の結末でハッピーエンドを迎えるという辺りが「新海らしくない! 妥協した!」と受け取られている模様(やや語弊あり)。いや、いやいやいや、新海ワールドのヒーローとヒロインは、前世でも前前世でも前前前世でもすれ違い続けているのだから(そういえば、挿入歌「前前前世」の歌詞中にある「何光年でも」というフレーズも、どこか8.6光年の距離に引き裂かれた『ほしのこえ』のミカコとノボルを連想させるものがあります)、たまには結ばれてやれよ! という声もありそうなものですが、私と違って『ほしのこえ』以降もずっとファンを続けていて、作風の推移と変わらない展開を見続けていた人にとっては、様式美と違うことをされても違和感があるんでしょうかね……。もっとも新海監督としても初期の構想では、やはり今回もすれ違ってしまう予定だったのだと聞きますし、その方が自然な展開になったのでは、と思わせる部分も確かにあります。まあ、この話を「死に別れたふたりが神様の計らいによって、来世(=改変後の世界)でやり直す話」のバリエーションと解釈するなら(三葉は隕石の直撃により、一度は「前前前世」の歌詞通り「全然全部なくなってチリヂリに」なってしまったし、瀧くんが神様に救いを求めた御神体の社のある場所も、意図的に三途の川を渡った先の世界のように描かれていますし)、バッドエンドにしたかった人は終盤の展開を全部、瀧くんが口噛み酒で酔って頭を打って死ぬ寸前見た幻なのだ、とでも思えばいいし、そう思わない人は、神様(新海監督)は実際にはそのように描くこともできたのに、ふたりをそのような結末にはしなかったのだから、これは間違いなくハッピーエンドなのだと素直に受け取ればいいんじゃないですかね。そういう問題ではない?
ところで、本作のあらすじを「不思議な出来事を通じて知り合った、3年後の未来に住む少年と3年前の過去に住む少女が、少年にとっては3年前の相手の身に降りかかった / 少女にとっては今から自分たちの住むセカイに降りかかる、破滅の運命を知り、ふたりで歴史を変えようとする」話と要約すれば、まさにセカイ系のあらすじであることは論を待たないと思います。近年ではすっかり陳腐化し、
昨年も右派から「左翼の想像力=セカイ系」などといった揶揄に使われたりと、オタクの社会性の希薄さを嘲笑するネガティブな形容に甘んじてきた「セカイ系」(≒新海作品風)ジャンルですけど、本気を出した本家のパワーは流石の本家でしたね。東京から見たら3年で忘れ去られる程度の出来事でも、住んでいる住人から見ればセカイの終わり、という匙加減には現実味もありました。「いわゆるセカイ系=新海作品みたいな作品のこと」という定義を作った評論家の東浩紀氏が、なにらや自分で枠組みを作ったセカイ系の定義で
自縄自縛に陥っているように見えますけれど、どうなのかな? かつてゼロ年代には激しく対立していた「リア充」と「オタク」ですが、それぞれ好まれるコンテンツは「泣けるケータイ小説」と「泣きゲー」のように、一見正反対でも主人公の性別を入れ替えれば、好まれているストーリーの構造は似たり寄ったりってところもあったので(……いや、みんカラ的に例えると、同じベース車の痛車とVIPカーを括る程度には暴論かも?)、そこに「主人公の性別が入れ替わる」というギミックがうまくハマって、普遍的に支持される作品に繋がっただけという気もしなくもないです。もちろんゼロ年代前後と今とでは社会情勢も異なりますけれど、変に捻ったり穿ったりよじれたりしない、王道のセカイ系としての面白さは、世間で思われているよりも、案外普遍的なものだったのかも知れません。
……といったことをつらつら考えてみたものの、同じような感想を抱いたのは私だけではない様子ですし、何を書いても、まあ今更ではあります。自分ではイケてると思っていたけど世間一般にはなかなか浸透できずにいたものが大ブレイクするのは痛快なことですけれど、まあ結局のところ私も、この映画に関しては完全に後追いですし、いざ語ろうとしてもボロが出てしまうような薄いファンでしかないわけで。ただ、もう少しこの映画の余韻に浸ったり、魅力的な登場人物たちの存在を感じていたくなったので、勢いで楽天やAmazonでポチポチして、関連小説とCDを購入してしまいました。
・ RADWIMPSによる主題歌、挿入歌、劇伴曲を含む
サウンドトラックCD
・ 新海監督自身による、映画の内容を文章化したノベライズ版『
小説 君の名は。』
・ 加納新太氏による外伝小説『
君の名は。 Another Side:Earthbound』
ついでに(ここは車ブログなので、本来はこちらが本題なのですが)、一緒に注文すれば送料が安くなるからという理由から、車のパーツも色々とポチポチ。今月の出費は控えようと思っていたのですけれど、なんだかんだで散財してます。
『君の名は。』は大ヒットしてロングラン上映が継続中なので、Blu-ray/DVDの発売はまだ先になりそうですね。『千と千尋の神隠し』などのジブリ映画だと、封切りから1年後くらいになるのが前例のようですし、この様子だと夏頃になる可能性も高そうに思えます。ちなみに
イギリスでは2017年10月にBlu-ray/DVDが発売される予定らしいですが、日本での発売はまだ未発表。でも、もう一度くらいは観たいかな。
Posted at 2017/01/21 14:19:52 | |
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