
1966開城当初とわ

殆ど変わってしまったFSW
初めて逝ったのはFSW開城僅か10年後の1976年F-1 in JAPAN
今更ですがレースファンなら当然知っているであろう当時の記録('◇')ゞ
敢えてボキの記憶を辿り記する(笑)
当時中学2年坊なボキ
近所の好き者おじさんに誘われて連れて逝ってもらえる事にヾ(≧▽≦)ノ
越後の田舎には本屋さんも無く
たまぁ~に連れってもらえる町へ出掛けた時に寄る本屋さんで買う自動車雑誌と
近所のPGC10海苔の別のおじさんから読み終えた雑誌を貰い読み耽る・・・それが唯一の情報源('◇')ゞ
その雑誌今も健在(笑)
そんな中坊には夢の様な お話ヾ(≧▽≦)ノウキャ
当然

de

当時は土曜半ドン(・_・;) 授業を終え帰宅後
おじさんの業務用サニーバンに4人で乗り込み出っ發
当然当時なので中央HIGHWAYや関越ROADなど皆無な時代
ひたすら下僕道を進み 途中直管にバーフェン貼った それらしき車達に
多数遭遇 同じ目的らしく同方向へ向かって逝く🚙
FSWに着いたのは夜中何時頃だったのだろうか…
多分12時間以上は確実に走ってたはず(。´・ω・)?
停めた🅿は270R外側 当然未舗装(笑)
この時初めてロータスヨーロッパを生で見た 低ッ(;゚Д゚)
多分未舗装駐車場内ではスタビ打ちまくっていた事でしょう(笑)

1976年10月24日 決勝当日は雨(>_<)
夜が明けて ゆるゆるな足元の中 向かった先はピット裏
ヘアピンの土手に陣取りスタート待ちしていたが
雨脚弱まる事無く降り続き 度重なるスタート遅延
その間 ハーレーパレードやらが模様されておったが
肝心のF-1は目の前を走る事無く
午后3時頃だったか 多少雨脚弱まるも 今度は霧が・・・(;゚Д゚)
そんな中 秋の夕暮れを考えれば時間的に限界と考えたんだろう

ようやくスタートが切られ

2周目でピットイン(。´・ω・)? 二度と走る事は無かったニキ

今は亡き たいれるロゴで走るデパイユ

ジョディシェクターVS星野
ドラミで
追い抜いて欲しい側の手を挙げろ と言われたとか(੭ु´・ω・`)੭ु⁾⁾
闘争心MAXな日本一早い漢

地元の利を生かし見事アウトからPATHするも 最後はレインタイヤを使い果たし涙のリタイア(T_T)

高原さん

エロいスポンサーが憑いてるへスケス

マカオじゃ有名な ティディイップ率いるセオドールレーシング durexコンドーさんメーカーらしい('◇')ゞ

クレイおじさん

元祖雨漢なモンツアゴリラこと ビットリオブランビラ🐵

タバコ対決(笑)

予選であわやポールかと思われた大島KE007
駄菓子菓子

予選2回目の300R出口で左フロントアッパーアーム破損からコースアウト
コンクリート壁にぶち当たり大破
哲也さ行でほとんど零から作り直し奇跡の復活したもののぶっつけ本番

アライメントも取れて無く 真っ直ぐ走らない大島さんを だましだまし完走した長谷見御大

マリオ優勝

1ポイント差で年間チャンプなロイジェームスハント
夕暮れ迫り 小雨続くも 雲の切れ間から夕陽が(;゚Д゚)
夕日に照らされて疾走するマシン達 その中でも蛍光オレンジな
M23は一際綺麗に見えたのを思ひ出す
昨年秋のバーツク エンデュランスにケン横山と組んでV50のハコスカ転がしてた

黒い稲妻 桑島さんはチームと財政面(。´・ω・)?で折り合い付かず
決勝DNQ 無念の念の念(T_T)
そんなこんなで 雨も上がったレース後に土手際をうろついてると・・・
ピット裏の金網に大穴ハケ~ン 当然逝くよねぇ~('◇')ゞ
今でいうところのAパドックをウロウロ(;゚Д゚)キョロキョロ
外人さん沢山闊歩する中でリジェの ジャックラフィー発見(*´ω`*)
握手を求めれば快く快諾ヾ(≧▽≦)ノ

日本語で
頑張ってね等と語りかける中坊のクソガキ( ̄◇ ̄)/~~~
おフランス語で何か喋ってたけどチンプンカンプンざんす(笑)
今思えば可笑しくて笑える(*´ω`*)
そんな ほんの40年前な記憶(笑)
そして祝50th

往年のレースカーやドライバー達が終結 記念行事が盛り上がる中

ボキは1人 友人が居たグランドスタンドとAパドックを逝ったり来たり('◇')ゞ
地下道には登り専用だったけどSカレーターまであってビックリドッキリメカ(;゚Д゚)
密かにこいつが走るのを楽しみにしていたけど・・・

間に合わなかったらしいですね(>_<)

現代の高周波なサウンドとは一線を画す

DFVミュージック♬堪能
M23

展示場でも
77

間近に見れたりして
312T2 77年仕様
KE007
カナダの石油王 狼WR1
でっぷり真希ちゃん(笑)

まるで漫画に出て来る様ないでたちから

スリムに削ぎ落され
更にその後

F-1らしい形になった物の戦力不足否めずF-1撤退の憂き目に(>_<)

一世を風靡したレイトン教授スポンサー成るTom's85LM

NOVA駅前留学512('◇')ゞ

シルビアクリステルという名のマーチ('◇')ゞ

MCS こちらも今は無きレイトン教授がスポンサー
47Fや
61TSの

箱達や
タイ産

GrC

ぶたいちょ他 東海の面々車輌も揃い踏み
OH‼ モーレツ 30°斜面経験組みな 7

デカイ羽根憑いてるから 左廻りの日本CANAM仕様か(。´・ω・)?
比較的新しい010
ミニカー影
これまた30°斜面を走った381

ブラバム
これも30°組みかな(。´・ω・)?

シェブロン
こりゃまた30°組

ローラT70

日本たばこ産業
等々
懐かしぃ車輌達に間近で逢う事がでけますた(*´ω`*)
他にも

跳競走馬の輸送用と見られる横たわる赤い箱(;゚Д゚)

73様

22様+しん〇さん
の姿や

ここは竹下通りかと見紛う様な人混みを経験しながら

たいちょのボンネットも支える事が でけたのれ

とても良い1日ですた
次の

50年後は

もう来れない㋧(笑)
せめて10年刻みにして下さい(*´ω`*)
※本文中には一部拝借した画像が含まれております。
問題ある場合は御連絡頂ければ直ちに削除致します。
Posted at 2017/03/17 02:52:47 | |
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