前回のみんカラブログ更新から2か月も経過してしまった。
この間(かん)、みんカラの各コンテンツを更新することやクルマにもなかなか気が回らなかったのだが、このイベント、この日だけは、ずっと、ずっと前から、心待ちにしてきた。
それが、タイトルにもある首都高速神奈川7号横浜北西線(K7)・通称「きたせん」(以下、きたせんと表記)の横浜青葉ジャンクション~港北ジャンクション(以下、ジャンクション=JCTと表記)間の開通日。
この区間の開通は当初、2020年の東京五輪・パラリンピックに間に合うかも微妙だとされていたのだが、広義の意味で横浜市が地盤(選挙区)の菅義秀官房長官の命で、日中のみの工事作業から24時間体制での工事に切り替え、オリンピックに間に合わせようとしている、といった噂に近いような話も聞こえていた(注:未確定情報、但し途中から24時間体制の工事に変わったことは事実のようだ)。
そこから明確に開通日が決定したというアナウンスを知ったのは、何と僕の自宅に回ってきた回覧板を通じて、だった。

(昨年11月末に自宅に回ってきた回覧板から抜粋。つい嬉しくなり、にゃきおさんにこの画像をそのまま送ったのだった)
ほどなくして詳細の開通日が今年の3月22日16時になることも知り、今か今かと待っていた。
そしてついにやってきたその日、つまり昨日だが、開通時間に合わせてクルマを走らせ、横浜青葉インターあらため横浜青葉JCTに向かった。
少し説明しておくと、もともとこの区間は先行して港北JCTから生麦JCT間がちょうど3年前に開通しており、追って横浜青葉JCT~港北JCT間の開通が、昨日という計画になっていた。

(区間図。きたせんは、第三京浜と接続しながら東名と首都高横羽線を結んでいる)
今回のルートの開通は、横浜・みなとみらい方面や大黒、羽田方面など、自宅のある青葉区内から見て南西、南東方面のエリアを度々訪れる僕にとっては、ものすごく便利になることを意味する。ちなみに僕の自宅は、横浜青葉からクルマで2~3分という距離のところにある。
これらの方面にクルマで行く場合、これまでならば、一般道を通って港北JCTまで向かうか(下記、赤い矢印:藤が丘のあたりから南東に抜けていくイメージ)、
一般道を通って都筑インターに向かい、そこから第三京浜経由で港北から横浜北線に乗るか(下記、黒い矢印:江田或いは市が尾のあたりまで国道246号を進み、そこから南東に向かうイメージ)、
或いは環状4号線から保土ヶ谷バイパスに乗るか(下記、黄色い矢印:緑区・旭区方面に向かうイメージ)、

(なお、こちらのルートを使う場合、東名を横浜町田インターまで進んで保土ヶ谷バイパスに入るより、環状4号線を上川井のあたりまで進んで保土ヶ谷バイパスに入る方が早い)
といういずれかの選択肢があったが、割と交通量の多い道を通らなければならず、いずれも時間がかかることが多かった。
なお、公には、このきたせんを開通させるのは、とにかく多い保土ヶ谷バイパスの交通量を軽減させるため、災害時の物流の被害を少しでも軽減させるため、ということだそうだ。
さて説明はこのくらいにして、本題に戻ろう。
2020年3月22日16時、きたせん横浜青葉JCT~港北JCT間、遂に開通。開通ドライブ、開始‼️

この日のために洗車したようなものだ。

ピカピカのクルマで、いざ出発‼️

国道246号線(渋谷方面行き)から横浜青葉JCTへ。

道なりに進む。

電光掲示板には16時開通の文字が。この時点でほとんど16時。

「首都高」の文字が真新しい。左は東名用の料金所。

少し先に、先導する黄色いパトカーを発見。その後ろにぴったりくっついてるのは関係者のクルマのようだった。

スロープのような道を上ったと思ったら、今度は下り坂。結構な勾配だ。

すると、首都高用の料金所が現れた。料金所を過ぎると更に下り坂になる。高低差がかなり大きい。

料金所を過ぎたら沿道の住民が手を振ってくれていた。

トンネルの上にも「首都高」のユニフォームや旗を持った方々が。

全長4kmになるトンネルを進む。

トンネルを抜けると港北JCTまで1km表示。

所要時間を知らせる電光掲示板。

港北JCTまでもうすぐ。

左手側に第三京浜からこちら側に通じる連絡路がはっきり見えてきた。ほぼこの辺りまでが今回の開通区間、およそ7km。

港北JCTを過ぎ、そのまま大黒パーキングエリアまでドライブ。
以上が港北JCT(というか大黒)までの道のりだ。
僕は港北から生麦まで開通した3年前にも、開通日にドライブしている。今回はそれ以来の、開通日のドライブだ。
真新しい道路を開通初日、開通直後に通るのはやはり、ステキな体験だった。
今回のように沿道の方々が手を振ってくれるような光景に出くわしたのは、初めてだった。
また、残念ながら写真には納められなかったのだが、沿道の住民に加え、横浜青葉の料金所付近にも手を振ってくれた大勢の方々がいた。
この道路を開通へと導いたヒーロー、工事関係者だ。
皆さん、とてもステキな笑顔で、手を振ってくれていた。
今回開通した区間は、たかが7kmかも知れない。だが、工事の着工開始は、調べてところ2014年の11月。約5年半という、とても長い月日がかかっての完成だ。
新しい開通区間の大半はトンネルで構成されており、そのトンネルを掘り進めることも含めて工事期間中はきっと、大きな苦労も大変なことも、たくさんあったことだろう。それを乗り越えてのハレの日。
きっと、彼らの心のうちには安堵や、待ち望んでいたものがようやく完全したという達成感、もしかしたら感極まるような気持ちもあったかも知れない。いずれにせよ、とても晴れやかな表情に見えた。
そんなことを感じ取った瞬間に、僕はおもむろに運転席側の窓を開け、大きな声で言いながら、大きく手を振った。
「6年間、ずっと待ってました‼️皆さんのご尽力、ありがとうございました。」
6年前 ― それは僕が青葉台に引っ越してきたとき。その時既に、将来こうなるということを聞いていた。
あそこ(横浜青葉)から横浜方面に高速道路が開通したら絶対便利になるし、その暁には絶対自分のクルマでそこを通るんだ、開通日に。
そう、この日をあれから僕もずっと待っていた。
2020年3月22日。
この日、ここが開通したことを、そしてその日にここをドライブしたことを僕は忘れないだろうし、ここを通る度にそのことをふと、思い出すのだと思う。