
仕事の出張に託(かこ)つけて東北観光したるぞープラン😀も折り返し点に入って来ました。
この旅のメインテーマは東北地方における東日本大震災の被災地を巡ることが1番の趣旨でありました。
こちらのブログは当然旅行から帰ってきてから作成しております。
今までもブログに書いてはおりますが全ての場所ではないにしろ、被災地にて当時の様子やその町やそこに住む人々の復興への想いや意思を私なりに感じ取って来ましたが、帰ってきた途端大変なことが起きました。
2026年(令和8年)7月28日16時27分に熊本県で地震が発生致しました。
地震の規模は気象庁マグニチュード(Mj)7.1、震源の深さは16 kmで、熊本県の宇城市と八代郡氷川町で最大震度7を観測しました。
国内で震度7を観測する地震は2024年1月1日に発生した令和6年能登半島地震以来2年6ヶ月ぶりです。
また、熊本県内では平成28年熊本地震(2016年4月14日・16日)以来、10年3ヶ月ぶりに震度7を観測し、熊本県内で3回目の震度7を観測する地震となりました。
テレビにて被災された方々の様子が毎日流れており心を痛めております。
7/30、イオンモール熊本店の爆発において朝のワイドショーのコメンテーターが相変わらずの知ったか発言で原因に対して言及しているのを観て違和感を感じました。
被害者がいる中で、しかもまだ捜索をしている段階。
警察、消防、その他関係者が命をかけて捜索活動をしている。
まだ現場検証もされていない段階での毎度毎度の知ったか憶測発言。
被災地では警察、消防、行政機関、医療機関、その他各関係者が命をかけて作業をしているのです。
これらの方々も同じ被災者なのです。
今は被災地の方々の安否や生活が大事なのであって、爆発の原因を憶測で語る場ではない。
しかも震災発生時にマスコミは取材に被災地に入る。
そのテレビクルーの1台や2台の車も混乱している地元の町の渋滞を引き起こしていることに気が付かない。
以前にも被災地にヘリを飛ばし騒音で救助の妨げになったこともある。
撮れ高と視聴率しか考えないマスコミは邪魔でしかないと私はいつも思う。
話が脱線してしまった。。。
改めてこの度の令和8年熊本地震により、お亡くなりになられた方々に謹んで哀悼の意を表しますとともに、被災された皆様及びご家族、ご関係の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
被災された皆様、被災地の一日も早い復旧・復興を心よりお祈り申し上げます。
今回、岩手県釜石市に泊まりましたのも東日本大震災での震災遺構施設や伝承施設を数多くまわれたらなぁ〜と思ったところからです。
なかなか時間の都合上全てを巡ることはできませんでしたがとても考えさせられる時間を作れたことに感謝をしています。
まずは釜石市にある『いのちをつなぐ未来館』に行きたかったのですが調べたところ定休日のようでしたので南下することにしました。
途中、大船渡市を通りました。

大船渡では山火事の様子もニュースで拝見していた為にホントに心が痛みました。
そしてまずはじめに立ちよったのが、

岩手県陸前高田市にある東日本大震災津波伝承館に寄らせて頂きました。

施設概要

こちらは流失した気仙大橋

被災した消防車

地震、津波の概要

東日本大震災の犠牲者は全国で22252名、そのうち岩手県で6255名。
死因に関して溺死が90%にも及びます。
全国での最大被災者数は47万人。
そのうち岩手県で54429人。
建物の全壊及び半壊が岩手県だけで25000棟にも及びました。

ガイダンスシアター
約12分の映像ですが岩手県内の震災発生時の映像等がおさめられています。
高台に避難したところから津波により多くの自宅がどんどん流されていく、故郷が津波にのまれていく様子をどんな思いでみていたのかを考えると胸が張り裂けそうになります。

逃げる、助ける、支えるなど、東日本大震災津波の時の人々の行動をひもとくことで、命を守るための教訓を共有できます。

高田松原津波復興祈念公園
東日本大震災による犠牲者への追悼と鎮魂、震災の記憶と教訓の後世への伝承とともに、国内外に向けて復興に対する強い意志を発信するため、国、岩手県、陸前高田市が連携して整備した、復興の象徴となる公園です。

海をみるとそれはそれは穏やかで、津波が押し寄せたとは到底思えない景色が広がっております。

心より追悼をこめて。

奇跡の一本松(震災遺構)
津波により高田松原の約7万本の松が流された中、唯一耐え残った復興のシンボル。震災の翌年に枯死が確認されましたが、モニュメントとして保存しています。

タピック45(旧道の駅高田松原)(震災遺構)
3名の避難者が14.5mの津波から難を免れたこの建物は、最上部をわずかに残して水没し、内部は激しく破壊されました。

下宿定住促進住宅(震災遺構)
鉄筋コンクリート造5階建ての建物は、津波で1階から4階が完全に水没。5階のベランダの化粧パネルだけが残り、一見して津波が到達した高さがわかります。
場所を移動します。

陸前高田市東日本大震災追悼施設
東日本大震災で犠牲になった陸前高田市民等を追悼するものとして供用開始されました。
刻銘碑には遺族が刻銘に同意した市民等1709人の名前が刻まれています。
黙祷。

続いてやってきたのが

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館です。
2011年3月11日発生の東日本大震災による大津波とその後の大規模な火災は、死者1,143人(震災関連死を含む。)、行方不明者212人に上る最大級の悲劇を気仙沼市にもたらしました。

こちらは、「宮城県気仙沼向洋高等学校旧校舎」を震災遺構として地震と津波の爪痕を当時のまま残しています。
(ホームページより抜粋)

館内案内

あの日、あのままの状態で現存しています。

津波が容赦なく校舎に襲いかかりました。

校舎3階「津波で流されてきた車」

4階まで津波が押し寄せた校舎の内部を歩き、被災の痕跡を直接見ることができます。

校舎屋上から海が見えます。

この日も海は穏やかでとてもとても津波が押し寄せて来たとは思えない風景です。

こちらは体育館。
屋根は津波で流失。

中庭

折り重なった車も現状のまま保存されております。

体育館

4階付近の冷凍工場激突跡

旧校舎内には思い出の写真が掲載されております。

どこにでもある日常の学校生活の中で地震と津波がその日常生活を一変させました。

思い出の校舎がこんな形で残るとは思いもしなかったことでしょう。

貴重な校舎見学になりました。

こちらも映像シアターがあります。
3話の映像を繰り返し放映しておりますがマジで泣いてしまいます泣
いかに大変な震災だったか。。。
これは能登の地震も今回の熊本地震も変わりません。
また考えさせられる貴重な体験になりました。
ここで地元にてお昼ご飯にします。

海鮮屋 はじかみさん

ヒラメとマグロとイクラの海鮮丼です😊
2400円の海鮮丼は売切れでした💦
新鮮でめちゃくちゃ美味しかったですよ✨
気仙沼から移動します。

南三陸町の南三陸311メモリアルです。

南三陸町の死者、行方不明者831名
死者620名、行方不明者は211名

こちらも被害は相当なものでした。

全ての被災地でこれだけ復旧、復興がなされてきたと思うと町の活力はホントに凄いと思います。

南三陸震災復興記念公園

旧防災対策庁舎

1995年(平成7年)、志津川町の町役場の行政庁舎の1つとして建設された。
志津川町におけるチリ地震の浸水深2.4メートルに対し、防災対策庁舎は海抜1.7m、海岸から約600mの地点に建つ鉄骨造ほか3階建てであり、地上から高さ約12メートルの屋上に避難場所があった。
2005年(平成17年)10月1日、志津川町と歌津町が新設合併して南三陸町となった。
防災対策庁舎は南三陸町役場の行政庁舎の1つとなった。
町役場の本所には、行政第1・第2庁舎、そして防災対策庁舎が隣接して建っていた。
まさに防災の対策の為に建てられた庁舎である。

2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う15.5メートルの津波により、第1庁舎および第2庁舎は流失し、防災対策庁舎は骨組みと各フロアの床および屋根等を残して破壊された。
当初の6mという津波予想のため、庁舎に留まり避難しなかったのが、犠牲者を大きくする一因となった。
2階に危機管理課があり、町災害対策本部が置かれた。
本庁舎では津波来襲の15時25分頃まで、防災無線放送で繰り返し住民に避難を62回に渡り呼びかけ続けた。
本庁舎から発信された約30分間の防災無線の放送音声は全て録音されている。
危機管理課の女性職員・遠藤未希は繰り返し避難を呼びかけ続けたが、波の高さについては「最大で6メートル」という放送が続き、最後の4回のみ「10メートル」と放送した。
音声は、放送を続けようとする遠藤の声を遮るように「上へ上がって 未希ちゃん 上がって」という周囲の制止の声を最後に放送が途切れている。
遠藤は津波に飲まれ殉職した。
最期まで防災無線で避難を呼びかけ続けて犠牲になった遠藤の行動は、「多くの命を救った命懸けのアナウンス」と大きく評価され、埼玉県の公立学校で2012年の4月から使われる道徳の教材に掲載された。
当初、津波の高さの予想は最大で6メートルだったため、当時、行政庁舎で勤務していた130名のうち、53名がこの3階建の防災庁舎の屋上に避難した。
しかし津波は予想の高さを超え、庁舎の屋上床上約2メートルの高さまで押し寄せた。その水圧と流れにより、屋上に避難していた人々の多くが津波に流され、犠牲になった。
生還したのは、佐藤仁町長ら11名。
彼らは庁舎の屋上中心に立っていた高さ5メートルのアンテナのポールや、屋上へ向かう鉄骨製階段の手すりにしがみついたことで生還することができた。
屋上で写真を撮影していた職員(この職員は津波に飲まれ気絶したが、副町長が腕を掴み続けていたので、無事生還している)のデジタルカメラの本体は壊れてしまっていたが、データは無事で、津波が来る前から屋上が水没する瞬間までを捉えた様子が写っており、写真の一部は南三陸町のホームページに掲載された。
また、堅牢な建物であり2階の電算室で各種行政システムを管理していたが、サーバ及びバックアップテープも滅失した。
その悲劇により、防災対策庁舎は震災遺構とみなされている。
(ウィキペディアより)
謹んでご冥福をお祈りすると共に、手を合わさせて頂きました。
こちらも震災遺構施設です。

ブライダルパレス高野会館

当時の高野会館のスタッフ等の判断により、327名の高齢者や近隣の人と犬2匹の尊い命が助かった。
当時の地上レベルや津波浸水高を実感でき、屋上からは南三陸町の復興状況を一望できる。
これまで皇室関係者、官僚等はじめ国内外から35万人以上の人が来館し自然災害の脅威や防災減災の大切さを伝承している実績がある。
尚アスベスト保有建材は全て撤去済みである。
(ホームページより)
当時の津波の凄さを目の当たりにする施設になります。

この日の南三陸の海の様子です。
ホントに津波なんか来たのかと思うくらい穏やかな海の景色です。
改めて自然の脅威を感じました。

最後は宮城県石巻市に移動しました。
石巻南浜津波復興祈念公園です。

公園内にある、みやぎ東日本大震災津波伝承館を見学しました。

宮城県においても死者1万566人。
行方不明者1219人。

こちらの施設でも映像シアターの観賞とパネルにて震災、津波の恐ろしさから防災に対する心構えを勉強させて頂きました。
近くには、

震災遺構
門脇小学校校舎

本校舎は、津波と津波火災の状況を残している全国唯一の震災遺構です。外部通路から見学できます。1階は、津波と津波火災。2階、3階は津波火災の被害の状況を見ることができます。
上階へ逃げる「垂直避難」にも危険があるという事を伝えています。
(ホームページより)
こちらの見学は時間的に間に合いませんでした💦
『自助 共助 公助』の考え方
以上、駆け足ではありますが、東日本大震災の被災地まわりをさせて頂きました。

夕食

朝食
ホテルは南相馬市で夕食、朝食付き3135円という破格の値段のホテルにしました✨
明日が最後の1日旅行になります😀
この度、岩手県から宮城県にかけて東日本大震災の震災遺構施設、また震災伝承施設をまわらせて頂きました。
いろいろ考えさせられることも多く、それより何より日常においていつ自然災害が訪れるかわからない今の世の中で、ただ、ただ、今を生きていることに感謝しなければいけないって言うことに1番気付かされた気がします。
東日本大震災の被災地をまわらせて頂いた直後に、すぐに起こったこの度の熊本地震にただ、ただ、驚きを隠せません。
改めてこの度の令和8年熊本地震により、お亡くなりになられた方々に謹んで哀悼の意を表しますとともに、被災された皆様及びご家族、ご関係の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
被災された皆様、被災地の一日も早い復旧・復興を心よりお祈り申し上げます。