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Hiro.Yのブログ一覧

2026年07月26日 イイね!

東北を巡るちょっと仕事の旅プラン⑨〜完結編

東北を巡るちょっと仕事の旅プラン⑨〜完結編仕事の出張に託(かこ)つけて東北観光したるぞープランはとうとう最後になります😃

水戸での出張では、お昼にお蕎麦を食べたり✨



舞茸の天ぷら御膳

とても美味しかったです😊

夜は、ちょっと高級な、チェーン店寿司に行ったり✨







もうおじさんなんでそんなに食べられない😅

ちゃんと職人さんが活きのいい新鮮なネタ握ってくれてめちゃくちゃ美味しかったです😊✨

一応、ちゃんと仕事もしております笑

7/26仕事を19時過ぎに終え埼玉のお家に帰りました。



無事、事故もなく故障もなく帰って来れました😅



この度、7/16から7/26までの長旅兼仕事になりました✨


スケジュールと訪れた場所は、

1日目(7/16)
山形県米沢市で上杉家ゆかりの地を巡り新庄市に1泊。


①米沢牛ステーキレストラン牛毘亭
②松が岬公園
③上杉神社
④松岬神社
⑤米沢市上杉博物館
⑥上杉記念館
⑦春日山林泉寺
⑧幸徳院笹野寺
⑨グリーンホテル


2〜4日目(7/17〜20)
秋田市内で仕事。
その間、車は秋田市内の民家の駐車場1日400円×4日間を借りる。
7/20は岩手県盛岡市内にて1泊。


①イーホテル秋田アネックス
②佐藤養助
③秋田食堂やまと
④千秋公園
⑤盛岡ニューシティホテル
⑥らーめんおっペしゃん


5日目(7/21)
岩手県盛岡市内の神社仏閣巡りから南下し、奥州市、そして平泉町の神社仏閣巡りをし、岩手県釜石市内で1泊。


①盛岡八幡宮
②岩手護国神社
③盛岡天満宮
④瑞鳩峰山報恩寺
⑤花巻東高校 花巻ゆかりのメジャーリーガー記念モニュメント
⑥奥州アテルイの里 田んぼアート
⑦陸中一之宮駒形神社
⑧泉橋庵
⑨関山中尊寺
⑩医王山毛越寺
⑪ホテル釜石リバーサイド店


6日目(7/22)
岩手県釜石市から海沿いを南下し東日本大震災の被災地巡りをし、福島県南相馬市で1泊。


①大船渡市津波がここまで来た碑
②陸前高田市東日本大震災津波伝承館
③高田松原津波復興祈念公園
④陸前高田市下宿定住促進住宅(震災遺構)
⑤陸前高田市東日本大震災追悼施設
⑥気仙沼市東日本大震災遺構·伝承館
⑦海鮮屋 はじかみ
⑧南三陸町311メモリアル
⑨南三陸町震災復興祈念公園
⑩南三陸町旧防災対策庁舎(震災遺構)
⑪南三陸町ブライダルパレス高野会館(震災遺構)
⑫石巻市南浜津波復興祈念公園
⑬石巻市みやぎ東日本大震災津波伝承館
⑭石巻市門脇小学校校舎(震災遺構)
⑮ビジネスホテルレスト·パル


7日目(7/23)
福島県伊達市に移動し伊達氏ゆかりの地を巡り福島市、郡山市の神社仏閣も巡り茨城県水戸市内で1泊。


①梁川八幡神社
②八幡山龍寳寺
③梁川天神宮
④梁川城跡
⑤梁川浅間宮
⑥中野山大正寺
⑦文知摺観音·普門院
⑧柏屋食堂
⑨安達太良神社
⑩岩角山岩角寺
⑪開成山大神宮
⑫水戸第一ホテル別館


8〜10日目(7/24〜26)
水戸市内にて仕事。
26日仕事終わり次第埼玉県の家まで帰宅。


①ホテルサトー
②常陸秋そば泉
③千両水戸堀町店


非常に充実した旅だったとともに東日本大震災の被災地をまわれたのも良かったと思います。


今回の総走行距離始まり

今回の総走行距離終わり

総走行距離は1670キロでした😊

いつの間にか総走行距離が36万キロオーバーしました✨

今回の移動で92.4リットル、ハイオクで15.938円分ガソリン入れたんですが、1670キロ走り、多少誤差あるとしても、リッター辺り18.1キロとゆうおかしな燃費計算が🤔


ワゴンR MC21S 燃費

しかし、弄ったバカみたいな車なんで、今まで燃費なんて気にしたこともなく、エンジン載せ替えてはいるものの、28年前の車でエアコンガンガンかけていて高速走行は2時間ほどであとは一般道。
なんぼ空いてはいたとしてもこんな驚異的な燃費になりますかね笑😆

ちょっとびっくりしました😊

とにかく無事に帰ってこれて良かったです。
今元気に生きていることに毎日感謝しながら長い長いブログを終了しようと思います✨



改めてこの度の令和8年熊本地震により、お亡くなりになられた方々に謹んで哀悼の意を表しますとともに、被災された皆様及びご家族、ご関係の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
被災された皆様、被災地の一日も早い復旧・復興を心よりお祈り申し上げます。

Posted at 2026/08/04 01:29:16 | コメント(1) | トラックバック(0)
2026年07月23日 イイね!

東北を巡るちょっと仕事の旅プラン⑧

東北を巡るちょっと仕事の旅プラン⑧仕事の出張に託(かこ)つけて東北観光したるぞープラン、7/23(木)の続きになります😅

福島県本宮市にてソースカツ丼を食べたあとは、こちらへ移動しました笑



福島県本宮市、安達太良神社になります。



久安2年(1146年)、安達太良山と大名倉山に鎮座されていた諸神を、両山を望むここ「菅森山」に合わせ奉ったのが安達太良神社の始まりです。

この時、それまでの本目村を「本宮村」と改めたと伝えられており、本宮の歴史の起点ともいえる場所だそうです。

石段マジきつい😭

見えてきました。

手水舎

拝殿



1868年の戊辰戦争の際に起きた激しい銃撃戦の弾痕(銃弾あと)が今も残っているそうです。
当時、新政府軍の進軍ルートにあたり、激戦地となった歴史の生々しい傷跡を伝える貴重な遺構となっている。

とはいえ、見逃してしまいました😅

古来より安達郡の総鎮守として、安達太良大明神を仰ぐ人々の深い信仰を集めてまいりました。

飯豊和氣神をはじめとする安達太良の神々と、高皇産霊神・神皇産霊神の産土神を合わせ祀る祈りの聖地として、今も変わらず地域の平穏を見守り続けています。

神楽殿



自然に包まれた境内で、悠久の歴史を感じながら、時を過ごすことが出来ました笑

御朱印



続いては、



福島県本宮市にある、仁寿元年(851)に開基された天台宗岩角山岩角寺です。

岩角山は全山が福島県の天然記念物に指定されている名勝になります。



岩角山(いわつのさん)は天台宗総本山比叡山延暦寺の直末寺で、正式には”和田山常光院岩角寺(わでんさんじょうこういんがんがくじ)と言います。

しかし古くから「岩角山」という俗称で親しまれ、その名で知られて来ました。

 開山は人皇55代 文徳天皇 の御代、仁寿元年(西暦851年)。
天台宗第3祖慈覚大師が開基された霊場です。

岩角寺は昭和47年天台宗総本山比叡山延暦寺より「一隅を照らす運動」の修練道場として第一番目の指定を受けました。
ここでは会社員・学生・一般信徒等が精神修養のため座禅(止観)を組んだり、写経を行い厳しく自己を磨いているそうです。

また山内は身体の鍛錬道場としても利用されております。



岩角山の仁王像は明和4年(西暦1767年)9月に建立されています。



本堂

さて岩角山、奥の院まで行きます。

岩窟弁天

岩角山起名の場所であり、慈覚大師が当山開基の際この岩窟の中に一本の石角が突出していたことから岩角山の名が生まれたと伝えられています。

長さ75センチメートル、太さ15センチメートルで、現在は寺宝として保存されています。

大師がこの岩窟を草庵として風雪を避けて毘沙門天像の彫刻をされたものと伝えられています。
昔は角をもぎ取った跡や焚き火の形跡などを窺い知ることも出来たと言われております。



修験道のお寺と言われるだけありめちゃくちゃヤバい道のりです。



山中のいたるところに露出した巨岩・奇岩には800余躰の仏が線刻されており、神秘的な雰囲気に包まれています。

舗装されている道や石段や木の階段ではないため、めちゃくちゃキツいです。



特に雨で足場が濡れているためホント滑るし危ない感じではありました笑

だいぶ登りました。

那智堂

ここに安置されているのは如意輪観世音菩薩です。
はるばる紀の国 那智山青岸渡寺(西国33ヶ所 第1番札所)より如意輪観世音の分霊を勧請して安置した尊像であると伝えられております。

毘沙門堂
(写真はホームページより)

毘沙門堂は引長元年(1261年)に建立されましたが、その後、最明寺 時頼入道が西方3キロの花水山に堂宇を建て毘沙門天王を御遷して守本尊として奉祀しましたが、時は流れ、堂宇も老朽化して傾き、狐狸の巣となってしまいました。

元禄6年(西暦1693年)9月、当時の領主 丹羽左京大夫藤原光重朝臣が領内を巡視した折り、岩角山の景勝を賞観され、また尊天の由緒来歴を聞き、その後広壮な堂宇を当山に建立し再び毘沙門天王を遷し奉り、天下泰平・国土安穏緒願成就の一大祈願道場とされました。
このとい建立された堂宇は、災害に遭い、現在のものは文久2年(西暦1862年)の建立と記録されています。
回廊共五間四面で25坪の総欅造りで緻密な彫刻が施されており、見事なものです。

堂内は拝殿・護摩壇・内陣に分かれていて、天井は150の合天井から成り、四季の花木が描かれています。
これらは全て狩野派の筆によるものと伝えられています。

屋根は昭和9年に銅版に葺き替えられました。
毘沙門天王は堂宇裏の耐火建築の奉安堂に安置されています。奉安堂は昭和37年に文化財保護法により、県・村の援助と信徒の浄財により築造されたものです。

山中に点在する露出した岩石には、それぞれに即した名が付けられ、その岩肌には江戸時代に西国より移し線刻された西国霊場33ヵ所の観世音や菩薩、天王、天神などの808躯が刻まれています。

階段は登りやすい笑

西国三十三観世音の霊場巡り

江戸時代、観音霊場巡礼は民間信仰と民衆のレクリエーションであり、心の安らぎでもありました。
しかし西国までの巡礼の旅は誰もが出来るものではなかった為、当時岩角山を唯一の祈願寺としていた二本松城主 丹羽公が、名僧とうたわれた住職 豪伝和尚と力を合わせ当山を再興し、線彫仏 造立に心血を注ぎ、西国三十三観世音の霊場から御分霊を岩角山に勧請して、巡礼者のための便宜を計ると共に信仰の中心としたものです。



鐘楼堂

梵鐘は日本三鐘の一つに数えられる名鐘で、四面鐘と言う特徴を持っています。
元禄9年花水山にて鋳造されました。
当時の領主丹羽左京大夫藤原光重朝臣が時を知らせる鐘として造ったと伝えられています。
加えて、鐘の刻銘を見ると、福縁功徳を願って鋳造されたものと分かります。

鋳造の際、奥女中の簪や指輪などの金銀が投入されたため、その音は清く爽やかにして余韻たおやか、遠く数キロ先に及ぶ名鐘です。

愛宕堂

奥の院の前にある小さな御堂は愛宕堂と呼ばれ、愛宕将軍地蔵尊が祀られています。
馬に乗った怖い顔の地蔵尊が将軍地蔵尊です。

奥の院

山頂には阿弥陀如来を安置してある堂宇で、いつの時代に建てられたのかは明確ではありません。
この堂宇は駒組建築法と言う珍しい古代建築方法で、当山最古のものと言われております。雨覆は明治16年に、保存のために建てられました。
阿弥陀如来尊は西方浄土の能化にして48の誓願をたてられ、衆生の願いを叶えてくれるという如来様です。

この阿弥陀堂裏の岩石面にはキリークという梵字が刻まれており、慈覚大師 岩角山開山の印とも推察されます。

もうへとへとです笑





相当キツイですが、岩角山の清浄な空気は心を清々しいものとしてくれます。







巨杉
風神·雷神









元禄3年(西暦1690年)当山に篤く帰依していた時の二本松藩主(丹羽左京大夫 藤原光重朝臣)が、霊夢のお告げによって刻まれたのが聖観音です(観音様のお顔が丹羽公に似ていると言われています)。





地蔵菩薩

いのちの水







大黒天

山内には七福神もいます。

七福神の尊天の一つ、大黒天が御祀りしてあり、信仰すれば家運繁盛、幸福来福の神様です。
(ホームページより適時内容抜粋)

御朱印

いや〜久しぶりにめちゃくちゃキツい参拝になりましたが、心なしか達成感が得られたことと身が清められた気がしました笑


さぁ、時間も押し迫ってまいりました。
帰り際にもう1箇所寄りました😅


福島県郡山市に鎮座する
開成山大神宮です。





手水舎

拝殿

神楽殿

福島県郡山市にある「東北のお伊勢さま」と呼ばれる神社で、天照大御神などを祀っています。

明治9年(1876年)に安積開拓の人々の心のよりどころとして伊勢神宮の御分霊を祀って作られました。

ご祭神:天照大御神、豊受大神、神倭伊波禮彦命(神武天皇)


御朱印


さぁ、過密な全スケジュールが終了しました😊

明日から仕事ですのでこれから水戸市に向かいました笑





本日の走行距離は272キロです。


水戸市内のホテルに到着しました😊

あとは3日働いて帰ります😅


















Posted at 2026/08/03 23:11:39 | コメント(0) | トラックバック(0)
2026年07月23日 イイね!

東北を巡るちょっと仕事の旅プラン⑦

東北を巡るちょっと仕事の旅プラン⑦仕事の出張に託(かこ)つけて東北観光したるぞープランも終盤になってきました😊

米沢市に始まり、秋田で仕事をし、盛岡市から奥州藤原氏の中尊寺、毛越寺を巡り釜石市から東日本大震災の震災遺構および震災伝承施設をまわってとうとう福島県に入りました😃


走行距離も新たに287キロ走りました☆

今日は福島県南相馬市からスタートし、福島県伊達市方面に向かいます😀


まずは伊達政宗のゆかりの地を巡ります😃

何より良かったのが天候に恵まれたところでした。

旧梁川亀岡八幡宮並びに別当寺境域(八幡神社)(きゅうやながわかめおかはちまんぐうならびにべっとうじけいいき(はちまんじんじゃ))





文治(ぶんじ)5年(1189年)、奥州合戦(おうしゅうかっせん)での手がらにより源頼朝(みなもとのよりとも)から伊達郡を賜(たまわ)った中村朝宗(ともむね)は、常陸(ひたち)の国からこの地にうつり住み「伊達氏」を名乗るようになります。

朝宗は現在の保原町高子(たかこ)に住み、敷地(しきち)内に亀岡八幡宮をまつり、鎌倉の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)から分霊(ぶんれい)【神社の神様の霊を分けること】をうつしました。以後、八幡神社は伊達家の神様として信仰(しんこう)されます。

室町時代のはじめに伊達家が梁川にうつると、八幡神社も梁川の現在地にうつされ、天文(てんぶん)元年(1532年)ごろ、伊達稙宗(たねむね)の代に桑折へうつると、八幡神社も桑折にうつされ、伊達家の領地(りょうち)がうつるたびに、八幡神社も各地を転々としました。

天正(てんしょう)10年(1582年)には、伊達政宗(まさむね)が梁川の亀岡八幡神宮に戦勝祈願(せんしょうきがん)のお参りをしました。

八幡神社の周辺(しゅうへん)は福島県の史跡(しせき)および名勝(めいしょう)として指定を受けています。
(ホームページより)







八幡神社本殿

伊達政宗初陣祈願の


御朱印

ちなみに隣接して龍寶寺がございますのでこちらも参拝します。



八幡山龍寳寺は福島県伊達市梁川町八幡字堂庭に境内を構える真言宗豊山派の寺院です。

龍寳寺の創建は不詳ですが、延暦年間(782~806年)に坂上田村麻呂(征夷大将軍)が東夷東征の際、観世音菩薩に戦勝祈願した所、見事勝利した為、感謝の意から観音堂を建立、後に空道上人が草庵を結び堂守としたの始まりとされます。

当初は光明院と称し、平安時代後期の永観年間(983~985年)に勧請された梁川八幡神社の別当にもなり近世に入り亀岡寺、後に龍寳寺と寺名を改名しています。

特に梁川城の城主だった伊達氏との関係が深く、米沢城(山形県米沢市)、岩出山城(宮城県大崎市岩出山)、仙台城(宮城県仙台市)と伊達氏が居館を変える毎に同名の寺が随行し仙台では大崎八幡宮の別当となりました。

梁川に残った龍寳寺は伊達66郷の総社であった梁川八幡神社の別当だけでなく信達三十三観音霊場結願札所の観音堂(鬼石観音)の堂守として周囲から信仰され、明治維新初頭に発令された神仏分離令後は梁川八幡神社から分離しています。
(ホームページより)

鐘楼



龍寳寺本堂


こじんまりとしておりますが歴史を感じますなぁ。

少し市内を移動します。


続いてやってきたのが梁川天神宮です。

菅原道真公を祀る歴史ある神社で、伊達氏ゆかりの地、学問の神様として知られております。

手水舎

撫牛

拝殿

神楽殿

本殿

伊達氏の遠祖が城の守りのために建立したと伝えられています。
松前藩の家老が贈った石灯ろうや、明治時代に奉納された絵馬があります。






御朱印

さらに同じ伊達市内を移動。






梁川城跡は、伊達氏11代持宗から14代稙宗まで伊達氏の本拠として整備されました。
大永2年(1522)に稙宗が陸奥国守護に補任され、梁川城跡は、南奥州における政治的中枢をになう場となっていきます。
稙宗が、桑折西山城跡(伊達郡桑折町)に本拠を移してからも梁川城跡は、その役目を終えることなく政治的に重要な役割を果たしたと考えられています。

伊達氏が本拠を米沢に移してからの梁川は、蒲生氏を経て上杉氏の領地となります。
上杉氏支配の段階に梁川城跡は、上杉景勝と軋轢を増す伊達政宗への対策として大規模な改修が加えられました。

梁川の地はその後、尾張藩主徳川光友の3男松平義昌が梁川藩3万石を立藩しました。
梁川藩は、2代義方、3代義真と続き、4代通春(徳川宗春、尾張藩3代藩主徳川綱誠の19男)が尾張本家を継いだため廃藩となりました。

その後、天領(幕府直轄地)などを経て、幕末には松前藩領となり明治維新を迎えることとなります。 
現在、梁川城跡の一部は、伊達氏梁川遺跡群として国の史跡に指定されています。
(ホームページ抜粋)




その梁川城跡に北東部に鎮座するのが梁川浅間宮です。



本殿

天和3年(1683年)の棟札によると、伊達氏の租、伊達朝宗により創建されております。
文治年間(1185年~1189年)、伊達朝宗が鶴ヶ岡に梁川城を築いた時に城中の池の龍頭に宮社を建て、城中鎮護の神として富士権現を祀りました。
梁川浅間神社は伊達氏の後、蒲生氏、上杉氏などの領主に庇護され、明暦2年(1656年)に梁川城代須田秀満、天和3年には奉行の山田喜右衛門尉が社殿を修営し、前述の棟札を納めました。
明治時代になると梁川浅間神社に隣接する梁川城跡は公園になりましたが、明治33年(1900年)に梁川小学校が建築され、昭和46年(1971年)の小学校体育館校舎改築整備により西向きだった社殿を南面に改築し、参道を東側に移しました。
(ホームページより)

御祭神は木花開耶姫命。


御朱印

なお御朱印は梁川天満宮にて梁川三社巡りとして頂けます。


伊達氏ゆかりの地として伊達市を巡ったあとは、福島市に向かって南下いたしました。

着いたのは、

福島県福島市、曹洞宗中野山大正寺です。

祈祷殿

福井県の曹洞宗大本山永平寺の直末寺であり、日本三大不動尊のひとつに数えられる。

中野のお不動様として古くから信仰を集めていた聖地で、日本における六三除けの祈祷発祥の地と伝えられている。

1179年(治承3年)春、恵明道人が1匹のカモシカに導かれ当地に入山し、未踏の地であった中野の山中に洞窟が人々により長きに渡り掘られ、各施設が建立され寺院として整備されていった。

1903年(明治36年)に永平寺64世貫首の森田悟由の手により、中野不動尊本堂の大正寺を建立。
これまでの修験道から曹洞宗に改宗され、永平寺の直末寺となる。

大日堂

境内には本堂の「厄除不動明王」、祈祷殿の「眼守不動明王」、奥の院洞窟内「三ヶ月不動明王」の三不動明王が祀られており、真剣な願いであればどんなことでも叶えられるとして信仰されている。

毘沙門天



たにしが池

不動滝



顕霊門

奥の院です。

参拝コースとして巡ることができる「奥の院」の洞窟では、今も「不滅の燈明」が燃え続けています。

『大日堂』より奥に続く洞窟とその東側の崖から流れ落ちる不動滝周辺が『奥の院』です。

七つの洞窟があり
三十六童子が安置されています。

三ヶ月不動明王

八大童子

密教の経典に基づき、不動明王に仕える代表的な8人の童子がいます(高野山金剛峯寺の運慶作・八大童子立像などが有名です)。

三十六童子(さんじゅうろくどうじ)

さらに細かく、36人の童子が不動明王の眷属として信仰されています。

寂光門



あんど釜







いろは石段

本堂

とげぬき地蔵

中野不動尊は不動明王様のパワーを頂ける上に、滝によるマイナスイオンに洞窟内の涼しさと、かなりオススメの場所でございました😊

御朱印

さぁ、過密スケジュールは更に進みます笑





鐘楼堂

宝永6年(1709)再建、四世恵禅和尚は享保13年(1728)鐘楼堂(後、昭和19年軍に供出)を建立。

文知摺(もちずり)観音・普門院です。

もともとは、曹洞宗香澤山安洞院と称す。
開基は度重なる火災により不詳。

しかし、寺に伝わる開基位牌には、香澤院殿成案現公大居士と識されており、戒名から思量すると戦国の武将であったものと思われる。

文知摺観音は平成28年10月に曹洞宗・普門院として新たな法人格を取得し、独立した宗教法人になる。









観音堂

多宝塔



八世光隆和尚は名工、藤原右源次義高をして、現在重要文化財指定の多宝塔を文化9年(1812)に建立。













小倉百人一首の歌枕や源融と虎女の悲恋伝説で知られる。

境内には「もちずり石」や日本最北端とされる多宝塔、秋の「床もみじ」で人気の水月庵があります。













もちずり石: 想い人の姿が浮かぶと言われる伝説の石





御朱印

紅葉時は床もみじで大変混雑するらしいですが、逆に今ゆっくりと観ることが出来て良かったです✨


さて、福島県福島市を離れ本宮市に移動。

昼食です。

柏屋食堂さん

明治30年代に開店し、創業は100年以上とのこと。

名代ソースカツ丼

素材にこだわり、肉は柔らかく旨みのあるもち豚。

味の決め手でもある秘伝のソースは継ぎ足して使っているらしく、甘みのあるクセになる味わいでした。

安いしとても美味しかったです😙


午前中だけで長くなってしまった😅


後半に続く。。。
Posted at 2026/08/02 19:07:42 | コメント(0) | トラックバック(0)
2026年07月22日 イイね!

東北を巡るちょっと仕事の旅プラン⑥

東北を巡るちょっと仕事の旅プラン⑥仕事の出張に託(かこ)つけて東北観光したるぞープラン😀も折り返し点に入って来ました。

この旅のメインテーマは東北地方における東日本大震災の被災地を巡ることが1番の趣旨でありました。


こちらのブログは当然旅行から帰ってきてから作成しております。


今までもブログに書いてはおりますが全ての場所ではないにしろ、被災地にて当時の様子やその町やそこに住む人々の復興への想いや意思を私なりに感じ取って来ましたが、帰ってきた途端大変なことが起きました。

2026年(令和8年)7月28日16時27分に熊本県で地震が発生致しました。

地震の規模は気象庁マグニチュード(Mj)7.1、震源の深さは16 kmで、熊本県の宇城市と八代郡氷川町で最大震度7を観測しました。

国内で震度7を観測する地震は2024年1月1日に発生した令和6年能登半島地震以来2年6ヶ月ぶりです。

また、熊本県内では平成28年熊本地震(2016年4月14日・16日)以来、10年3ヶ月ぶりに震度7を観測し、熊本県内で3回目の震度7を観測する地震となりました。

テレビにて被災された方々の様子が毎日流れており心を痛めております。

7/30、イオンモール熊本店の爆発において朝のワイドショーのコメンテーターが相変わらずの知ったか発言で原因に対して言及しているのを観て違和感を感じました。
被害者がいる中で、しかもまだ捜索をしている段階。
警察、消防、その他関係者が命をかけて捜索活動をしている。
まだ現場検証もされていない段階での毎度毎度の知ったか憶測発言。

被災地では警察、消防、行政機関、医療機関、その他各関係者が命をかけて作業をしているのです。
これらの方々も同じ被災者なのです。
今は被災地の方々の安否や生活が大事なのであって、爆発の原因を憶測で語る場ではない。

しかも震災発生時にマスコミは取材に被災地に入る。
そのテレビクルーの1台や2台の車も混乱している地元の町の渋滞を引き起こしていることに気が付かない。

以前にも被災地にヘリを飛ばし騒音で救助の妨げになったこともある。
撮れ高と視聴率しか考えないマスコミは邪魔でしかないと私はいつも思う。

話が脱線してしまった。。。



改めてこの度の令和8年熊本地震により、お亡くなりになられた方々に謹んで哀悼の意を表しますとともに、被災された皆様及びご家族、ご関係の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
被災された皆様、被災地の一日も早い復旧・復興を心よりお祈り申し上げます。



今回、岩手県釜石市に泊まりましたのも東日本大震災での震災遺構施設や伝承施設を数多くまわれたらなぁ〜と思ったところからです。



なかなか時間の都合上全てを巡ることはできませんでしたがとても考えさせられる時間を作れたことに感謝をしています。

まずは釜石市にある『いのちをつなぐ未来館』に行きたかったのですが調べたところ定休日のようでしたので南下することにしました。

途中、大船渡市を通りました。

大船渡では山火事の様子もニュースで拝見していた為にホントに心が痛みました。

そしてまずはじめに立ちよったのが、



岩手県陸前高田市にある東日本大震災津波伝承館に寄らせて頂きました。


施設概要

こちらは流失した気仙大橋

被災した消防車

地震、津波の概要

東日本大震災の犠牲者は全国で22252名、そのうち岩手県で6255名。
死因に関して溺死が90%にも及びます。
全国での最大被災者数は47万人。
そのうち岩手県で54429人。
建物の全壊及び半壊が岩手県だけで25000棟にも及びました。


ガイダンスシアター

約12分の映像ですが岩手県内の震災発生時の映像等がおさめられています。

高台に避難したところから津波により多くの自宅がどんどん流されていく、故郷が津波にのまれていく様子をどんな思いでみていたのかを考えると胸が張り裂けそうになります。


逃げる、助ける、支えるなど、東日本大震災津波の時の人々の行動をひもとくことで、命を守るための教訓を共有できます。


高田松原津波復興祈念公園

東日本大震災による犠牲者への追悼と鎮魂、震災の記憶と教訓の後世への伝承とともに、国内外に向けて復興に対する強い意志を発信するため、国、岩手県、陸前高田市が連携して整備した、復興の象徴となる公園です。



海をみるとそれはそれは穏やかで、津波が押し寄せたとは到底思えない景色が広がっております。



心より追悼をこめて。


奇跡の一本松(震災遺構)

津波により高田松原の約7万本の松が流された中、唯一耐え残った復興のシンボル。震災の翌年に枯死が確認されましたが、モニュメントとして保存しています。


タピック45(旧道の駅高田松原)(震災遺構)

3名の避難者が14.5mの津波から難を免れたこの建物は、最上部をわずかに残して水没し、内部は激しく破壊されました。




下宿定住促進住宅(震災遺構)

鉄筋コンクリート造5階建ての建物は、津波で1階から4階が完全に水没。5階のベランダの化粧パネルだけが残り、一見して津波が到達した高さがわかります。


場所を移動します。




陸前高田市東日本大震災追悼施設

東日本大震災で犠牲になった陸前高田市民等を追悼するものとして供用開始されました。
刻銘碑には遺族が刻銘に同意した市民等1709人の名前が刻まれています。

黙祷。



続いてやってきたのが

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館です。

2011年3月11日発生の東日本大震災による大津波とその後の大規模な火災は、死者1,143人(震災関連死を含む。)、行方不明者212人に上る最大級の悲劇を気仙沼市にもたらしました。

こちらは、「宮城県気仙沼向洋高等学校旧校舎」を震災遺構として地震と津波の爪痕を当時のまま残しています。
(ホームページより抜粋)


館内案内



あの日、あのままの状態で現存しています。



津波が容赦なく校舎に襲いかかりました。





校舎3階「津波で流されてきた車」





4階まで津波が押し寄せた校舎の内部を歩き、被災の痕跡を直接見ることができます。




校舎屋上から海が見えます。

この日も海は穏やかでとてもとても津波が押し寄せて来たとは思えない風景です。





こちらは体育館。
屋根は津波で流失。





中庭







折り重なった車も現状のまま保存されております。

体育館



4階付近の冷凍工場激突跡

旧校舎内には思い出の写真が掲載されております。

どこにでもある日常の学校生活の中で地震と津波がその日常生活を一変させました。



思い出の校舎がこんな形で残るとは思いもしなかったことでしょう。







貴重な校舎見学になりました。

こちらも映像シアターがあります。

3話の映像を繰り返し放映しておりますがマジで泣いてしまいます泣
いかに大変な震災だったか。。。

これは能登の地震も今回の熊本地震も変わりません。

また考えさせられる貴重な体験になりました。


ここで地元にてお昼ご飯にします。


海鮮屋 はじかみさん

ヒラメとマグロとイクラの海鮮丼です😊
2400円の海鮮丼は売切れでした💦

新鮮でめちゃくちゃ美味しかったですよ✨

気仙沼から移動します。





南三陸町の南三陸311メモリアルです。


南三陸町の死者、行方不明者831名
死者620名、行方不明者は211名

こちらも被害は相当なものでした。



全ての被災地でこれだけ復旧、復興がなされてきたと思うと町の活力はホントに凄いと思います。




南三陸震災復興記念公園



旧防災対策庁舎

1995年(平成7年)、志津川町の町役場の行政庁舎の1つとして建設された。

志津川町におけるチリ地震の浸水深2.4メートルに対し、防災対策庁舎は海抜1.7m、海岸から約600mの地点に建つ鉄骨造ほか3階建てであり、地上から高さ約12メートルの屋上に避難場所があった。

2005年(平成17年)10月1日、志津川町と歌津町が新設合併して南三陸町となった。

防災対策庁舎は南三陸町役場の行政庁舎の1つとなった。
町役場の本所には、行政第1・第2庁舎、そして防災対策庁舎が隣接して建っていた。


まさに防災の対策の為に建てられた庁舎である。

2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う15.5メートルの津波により、第1庁舎および第2庁舎は流失し、防災対策庁舎は骨組みと各フロアの床および屋根等を残して破壊された。

当初の6mという津波予想のため、庁舎に留まり避難しなかったのが、犠牲者を大きくする一因となった。

2階に危機管理課があり、町災害対策本部が置かれた。
本庁舎では津波来襲の15時25分頃まで、防災無線放送で繰り返し住民に避難を62回に渡り呼びかけ続けた。

本庁舎から発信された約30分間の防災無線の放送音声は全て録音されている。

危機管理課の女性職員・遠藤未希は繰り返し避難を呼びかけ続けたが、波の高さについては「最大で6メートル」という放送が続き、最後の4回のみ「10メートル」と放送した。

音声は、放送を続けようとする遠藤の声を遮るように「上へ上がって 未希ちゃん 上がって」という周囲の制止の声を最後に放送が途切れている。

遠藤は津波に飲まれ殉職した。


最期まで防災無線で避難を呼びかけ続けて犠牲になった遠藤の行動は、「多くの命を救った命懸けのアナウンス」と大きく評価され、埼玉県の公立学校で2012年の4月から使われる道徳の教材に掲載された。

当初、津波の高さの予想は最大で6メートルだったため、当時、行政庁舎で勤務していた130名のうち、53名がこの3階建の防災庁舎の屋上に避難した。

しかし津波は予想の高さを超え、庁舎の屋上床上約2メートルの高さまで押し寄せた。その水圧と流れにより、屋上に避難していた人々の多くが津波に流され、犠牲になった。

生還したのは、佐藤仁町長ら11名。

彼らは庁舎の屋上中心に立っていた高さ5メートルのアンテナのポールや、屋上へ向かう鉄骨製階段の手すりにしがみついたことで生還することができた。

屋上で写真を撮影していた職員(この職員は津波に飲まれ気絶したが、副町長が腕を掴み続けていたので、無事生還している)のデジタルカメラの本体は壊れてしまっていたが、データは無事で、津波が来る前から屋上が水没する瞬間までを捉えた様子が写っており、写真の一部は南三陸町のホームページに掲載された。

また、堅牢な建物であり2階の電算室で各種行政システムを管理していたが、サーバ及びバックアップテープも滅失した。

その悲劇により、防災対策庁舎は震災遺構とみなされている。
(ウィキペディアより)


謹んでご冥福をお祈りすると共に、手を合わさせて頂きました。



こちらも震災遺構施設です。

ブライダルパレス高野会館

当時の高野会館のスタッフ等の判断により、327名の高齢者や近隣の人と犬2匹の尊い命が助かった。
当時の地上レベルや津波浸水高を実感でき、屋上からは南三陸町の復興状況を一望できる。

これまで皇室関係者、官僚等はじめ国内外から35万人以上の人が来館し自然災害の脅威や防災減災の大切さを伝承している実績がある。

尚アスベスト保有建材は全て撤去済みである。
(ホームページより)

当時の津波の凄さを目の当たりにする施設になります。




この日の南三陸の海の様子です。

ホントに津波なんか来たのかと思うくらい穏やかな海の景色です。

改めて自然の脅威を感じました。



最後は宮城県石巻市に移動しました。
石巻南浜津波復興祈念公園です。

公園内にある、みやぎ東日本大震災津波伝承館を見学しました。



宮城県においても死者1万566人。
行方不明者1219人。





こちらの施設でも映像シアターの観賞とパネルにて震災、津波の恐ろしさから防災に対する心構えを勉強させて頂きました。


近くには、

震災遺構 
門脇小学校校舎

本校舎は、津波と津波火災の状況を残している全国唯一の震災遺構です。外部通路から見学できます。1階は、津波と津波火災。2階、3階は津波火災の被害の状況を見ることができます。
上階へ逃げる「垂直避難」にも危険があるという事を伝えています。
(ホームページより)




こちらの見学は時間的に間に合いませんでした💦


『自助 共助 公助』の考え方




以上、駆け足ではありますが、東日本大震災の被災地まわりをさせて頂きました。









夕食

朝食

ホテルは南相馬市で夕食、朝食付き3135円という破格の値段のホテルにしました✨

明日が最後の1日旅行になります😀




この度、岩手県から宮城県にかけて東日本大震災の震災遺構施設、また震災伝承施設をまわらせて頂きました。

いろいろ考えさせられることも多く、それより何より日常においていつ自然災害が訪れるかわからない今の世の中で、ただ、ただ、今を生きていることに感謝しなければいけないって言うことに1番気付かされた気がします。

東日本大震災の被災地をまわらせて頂いた直後に、すぐに起こったこの度の熊本地震にただ、ただ、驚きを隠せません。



改めてこの度の令和8年熊本地震により、お亡くなりになられた方々に謹んで哀悼の意を表しますとともに、被災された皆様及びご家族、ご関係の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
被災された皆様、被災地の一日も早い復旧・復興を心よりお祈り申し上げます。





Posted at 2026/07/31 00:07:45 | コメント(0) | トラックバック(0)
2026年07月21日 イイね!

東北を巡るちょっと仕事の旅プラン⑤

東北を巡るちょっと仕事の旅プラン⑤東北を巡るちょっと仕事の旅プランは、7/21(火)岩手県盛岡市からスタートし、花巻、奥州市と通過して平泉町に到着しました😊

まずは、駐車場に停めてご飯にしました。




前沢牛の牛丼とお蕎麦セットです😊
ご馳走様でした✨

さて、世界遺産平泉から仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群を巡ります。

中尊寺は20年ぶりくらいの2度目になります。


月見坂です。
本堂へと続く、樹木に囲まれた参道です。

この最初の登り坂がホントキツかった💦

まずは本堂中尊寺へ。







本堂

850年に慈覚大師円仁が開山しました。12世紀初頭に藤原清衡が、戦乱で亡くなった人々の霊を慰め平和な社会を築くために大伽藍を造営しました。

鐘楼堂



御朱印





願成就院


大日堂



梵鐘

阿弥陀堂

中尊寺(ちゅうそんじ)は、岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗東北大本山の寺院。

奥州三十三観音番外札所。

山号は関山(かんざん)、本尊は釈迦如来 。
寺伝では円仁の開山とされる。
実質的な開基は藤原清衡。

奥州藤原氏三代ゆかりの寺として著名であり、平安時代の美術、工芸、建築の粋を集めた金色堂をはじめ、多くの文化財を有する。

境内は「中尊寺境内」として国の特別史跡に指定されている。

2011年(平成23年)6月26日、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産の一つとして世界遺産に登録された。

平泉毛越寺、松島瑞巌寺、山形立石寺と共に「四寺廻廊」という巡礼コースを構成している。
(ウィキペディア抜粋)


さあ、こちらで拝観料を払います。

なお、現在、落慶900年と世界遺産登録15周年を記念し、10年ぶりとなる秘仏「一字金輪仏頂尊坐像」の特別御開帳が開催中です。

期間は2026年7月17日から11月15日まで、場所は境内のお仏像などを収める讃衡蔵の秘仏室です。

皆様是非行ってみてください。




弁財天堂



釈迦堂

峯薬師堂

能楽堂



金色堂へ向かいます。


こちらは以前東京国立博物館の中尊寺金色堂展に行った時の写真です😊



写真はホームページより

中央・左右の3つの須弥壇にそれぞれ阿弥陀三尊像を本尊とし、六体地蔵菩薩、二天王(持国天・増長天)が脇侍として配される、全国にも類を見ない構成となっています。

阿弥陀三尊像(中央・左・右の各壇)各壇の中央には阿弥陀如来坐像が鎮座し、左右に観音菩薩立像、勢至菩薩立像が並ぶ全身金色の三尊です。
平安時代の一級の仏師によって制作されたとされ、ふっくらとした穏やかで優美な表情が特徴です。

六地蔵菩薩立像三尊を取り囲むように安置されている6体の地蔵菩薩像です。
地獄から極楽までの6つの世界(六道)で人々を救う存在として配置されており、非常に珍しい組み合わせです。

二天王立像(持国天・増長天)堂内の四隅、あるいは前方に配されている仏法の守護神です。


いつみても、きらびやかなで華やかで圧倒されます✨


金色堂旧覆堂

芭蕉句碑

開山天満宮


金色堂覆堂



このお堂の右側にて秘仏「一字金輪仏頂尊坐像」を公開しております。

お坊さんの解説付きで拝仏出来ました😃


御朱印


戻ります。

不動堂

観音堂



薬師堂

地蔵堂






中尊寺の奥州藤原氏といえば、やはり義経と弁慶の逸話です。

幼少期に父を亡くした義経(牛若丸)は、1174年に平泉へ下り、奥州藤原氏の3代・藤原秀衡の庇護を受けて元服しました。

兄・源頼朝と対立したのち、再び平泉の秀衡を頼って戻り、最期を迎えることとなりました。


弁慶堂





八幡堂


ちょっと暑かったですが、じっくりみることも出来ましたし、とても良かったです。

だいぶ時間がなくなり義経ゆかりの地、高館義経堂(たかだちぎけいどう)」だけ参拝出来ませんでした😭

義経が最期を迎えた衣川館があったとされる終焉の地です。

残念💦

中尊寺を後にし最後は、こちらです。


天台宗別格本山医王山毛越寺です。



毛越寺(もうつうじ)は、岩手県西磐井郡平泉町(創建時は陸奥国磐井郡平泉)に所在する、天台宗の寺院。
現在の本尊は薬師如来立像(平安時代後期の作。
脇侍は日光菩薩・月光菩薩)。
建築は平安様式。



本堂


2011年(平成23年)6月26日、「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-」の構成資産の一つとして世界遺産に登録された。
(ウィキペディアより抜粋)

宝物殿

南大門跡

寺伝によれば嘉祥3年(850年)、中尊寺と同年に円仁が創建。その後、大火で焼失して荒廃したが、奥州藤原氏第2代基衡夫妻、および、子の第3代秀衡が壮大な伽藍を再興した。

奥州藤原氏の滅亡後も鎌倉幕府に保護されたが、嘉禄2年(1226年)に火災に遭い、さらに戦国時代の天正元年(1573年)には兵火に遭って衰微し、長年の間土壇と礎石を残すだけとなっていた。

毛越寺の延年 - 重要無形民俗文化財
および記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財

あやめ園

開山堂



嘉祥寺跡

講堂跡



大金堂円隆寺跡

鑓水



常行堂



鐘楼堂

常行堂跡

法華堂跡



東門跡

境内は「毛越寺境内 附 鎮守社跡」(もうつうじけいだい つけたり ちんじゅしゃあと)として国の特別史跡、庭園は「毛越寺庭園」(もうつうじていえん)として特別名勝に指定されている。

天気も良いのもありそれはそれは綺麗な浄土庭園でした😃


御朱印

以上が奥州藤原氏の平泉参拝になります。

若干過密スケジュールにより大変でしたが秘仏「一字金輪仏頂尊坐像」も拝仏出来ましたしとても良かったです😃

ここから移動し、岩手県釜石市に向かいました。

ホテル笑

ちなみに近くのイオン行ったらクマ対策が施されていました💦


ちなみに秋田市内から334キロ走行しました😊

明日は釜石市からのスタートになります😃


それではまた😅













Posted at 2026/07/30 10:44:40 | コメント(1) | トラックバック(0)

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