
東京寺院巡り第2弾をまた親友のT.OHTANI君に案内してもらいました(*^^*)
今回は大本山巡りです♪
また親友T.OHTANI君の地元までマイカーで行き駐車場に車を停めて親友の車で私は助手席の旅☆
いつもありがとうございます!
まずは大本山日蓮宗池上本門寺です!
ちなみに日蓮宗祖山(総本山)は身延山久遠寺です♪

八王子に住んでいた頃は山梨県や静岡県も行けましたが最近はしばらく行っておりません(T_T)
どうやら最後は8年前のようです(-_-)
そして大本山のうち、誕生寺(千葉)、清澄寺(千葉)、中山法華経寺(千葉)は以前参拝しました!

残りの大本山、北山本門寺(静岡)、池上本門寺(東京)、妙顕寺(京都)、本圀寺(京都)のうち今回は東京の池上本門寺に向かいました☆
今日は台風も近づいているあいにくの雨(T_T)
1人ではないので躊躇しましたが親友が快く案内してくれました☆
雨は最悪だ!
って思うでしょ。
仏教には、「甘露の法雨」という言葉があります。
これは、仏様の教えが多くの人々の苦悩を取り除き救う様子を乾いた大地を潤す雨に例えた言葉です。
お釈迦様が誕生した際、天からお祝いの甘露の雨が降ったと言われています。
ですから、お釈迦様の誕生を祝う『花まつり』では今でも「甘茶」をそそぐ習慣があるそうです。
もちろん台風や水害がもたらす自然災害は脅威で日本では毎年たくさんの方に被害をもたらせていることも事実なので一概にいえませんが!
ただ、雨を憂鬱な気分にさせるものではなく、少し良い意味に捉えることも大事では?と。
簡単に言えば物は言い様ではないかと(笑)
まっ、そんな悟りの世界のプラス思考、全てに出来ませんが(笑)
さて、雨の中着きました☆
東京都大田区池上にある日蓮宗大本山池上本門寺です!

此経難持坂(大田区指定有形文化財)。
総門を抜けたら石段があります!
こちらの石段、加藤清正の寄進によって造営されたものです。

仁王門。
大堂正面に建つ二重門。旧国宝の山門は、1945年(昭和20年)空襲で焼失。仁王門として1977年(昭和52年)に再建された。門内には彫刻家圓鍔勝三が、アントニオ猪木をモデルに制作した仁王像が安置されたが、近年修理を機に本殿内に移設。新たに仏師原田佳美作の仁王像が2001年(平成13年)10月に開眼供養が行われ奉られている。
(Wikipedia抜粋)

大堂(祖師堂)。

本尊は三宝尊。

日蓮宗大本山長栄山大国院本門寺♪
こちら、日蓮入滅の霊場として日蓮宗の十四霊蹟寺院のひとつとされ、七大本山のひとつにも挙げられています。
弘安5年(1282年)9月8日、病身の日蓮は身延山を出て、湯治のために常陸(茨城県)へ向かう。
9月18日に武蔵国池上郷(東京都大田区池上)の池上宗仲の館に到着。
生涯最後の20数日間を過ごすこととなる。
同年同月に、池上氏館の背後の山上に建立された一宇を日蓮が開堂供養し、長栄山本門寺と命名したのが池上本門寺の起源という。
同年10月13日に日蓮が没すると、池上宗仲は法華経の字数(69,384)に合わせて六万九千三八四坪を寺領として寄進し寺院の基礎が築かれ、以来「池上本門寺」と呼びならわされている。
その後は日蓮の弟子・日朗が本門寺を継承した。
池上氏館の居館部分は本門寺西側の谷の一帯にあったと考えられており、現在は、1276年(建治2年)建立された池上氏館内の持仏堂(法華堂)を起源とする本門寺の子院・大坊本行寺の境内となっている。
こちら本行寺。

本堂。
日蓮宗本山 池上 大坊 本行寺は、日蓮宗の宗祖である日蓮聖人がご入滅(にゅうめつ)、すなわちご臨終された地(ご霊場)。
「ご臨終の間」は、日蓮聖人がお亡くなりになられた池上宗仲公邸の仏間であったお部屋の跡に建てられたお堂です。

ご臨終の間。

本堂の彫刻☆

本堂内裏手のお庭がキレイです♪

御硯井戸。

こちら本行寺御朱印。
さて、池上本門寺に戻ります!
本門寺は、鎌倉・室町時代を通じて関東武士の庇護を受け、近世に入ってからも加藤清正や紀伊徳川家等諸侯の祈願寺となり栄えた。
江戸時代、不受不施派を奉ずる本門寺は、身池対論を経て久遠寺の傘下に収まった。第二次世界大戦の空襲によって五重塔、総門、経蔵、宝塔を除く堂宇を焼失したが、戦後順次復興した。
(Wikipedia抜粋)

日朝堂。
ここに祀られる日朝は身延山11世で、61歳の時に失明したが後に視力を回復したことから、眼病平癒、学業成就の利益があるとされている。
(Wikipedia抜粋)

五重塔(国の重要文化財)。

鐘楼堂。

長栄堂。

経蔵(大田区指定有形文化財)。

そして少し離れたところに、本殿、霊宝殿、宝塔があります。

宝塔(国の重要文化財)
日蓮聖人「入滅の地」池上本門寺。
荘厳な雰囲気のある寺院でした。

御朱印です♪
ちなみに大本山のほとんどはご首題帳がなければお題目は頂けないのが現状です!
大本山誕生寺や一部本山では普通の御朱印帳にお題目を頂けることもあります☆
さて、続いては東京都港区芝公園にある増上寺です♪

旧総門。
なお、この付近の町名(芝大門)や地下鉄の駅名(大門駅)に使われている「大門」(だいもん)とは、増上寺の旧総門のことを指す。
現在の大門は昭和12年に東京市が市民の寄付を募って改築したコンクリート造のものである。
(Wikipedia抜粋)

三解脱門(重要文化財)。
戦災を免れた建物の1つで、元和8年(1622年)建立の二重門(重層で、各層に屋根が付く門)。この門をくぐると、三毒(3つの煩悩、即ち貪、瞋、癡)から解脱できるとされる。内部には釈迦三尊像と十六羅漢像が安置されている。
(Wikipedia抜粋)
これはテレビで観たことがあるが素晴らしいものです!

東京のシンボル、東京タワーのすぐ側の大本山。
なんとも都会ならではの素敵な光景です♪

水盤舎。
今、手水舎は新型コロナの影響でほとんどの中止です(T_T)
塗香持ち歩かないといけないなぁ♪

大梵鐘。

大殿本堂。
ちなみに大門から大殿本堂に至る道程は、穢土(えど・我々の世界)から極楽浄土に至る世界を表しています。
三門をくぐり、煩悩を解脱して、大殿へと向かうと、ご本尊である阿弥陀仏が鎮座し、西方極楽浄土の如き、西に位置している点が特徴だそうです。
東京都港区芝公園四丁目にある浄土宗三縁山広度院増上寺(さんえんざん こうどいん ぞうじょうじ)。

光摂殿。
9世紀、空海の弟子・宗叡が武蔵国貝塚(今の千代田区麹町・紀尾井町あたり)に建立した光明寺が増上寺の前身だという。
その後、室町時代の明徳4年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)の時、真言宗から浄土宗に改宗し、寺号も増上寺と改めた。この聖聡が、実質上の開基といえる。
開基聖聡の弟子には、松平氏宗家第三代松平信光開基の信光明寺開山釋誉存冏(そんげい)や、松平氏宗家第四代松平親忠開基の大恩寺開山了暁(りょうぎょう)慶善がいた。
また松平親忠の第四子で、浄土宗総本山知恩院25世の超誉存牛や、徳川将軍家菩提寺大樹寺開山の勢誉愚底(せいよぐてい)はいずれも聖聡の孫弟子であり、中世から松平氏や徳川氏とのつながりが深かった。
中世以降、徳川家の菩提寺となるまでの歴史は必ずしも明らかでないが、通説では天正18年(1590年)、徳川家康が江戸入府の折、たまたま増上寺の前を通りかかり、源誉存応上人と対面したのが菩提寺となるきっかけだったという。
貝塚から、一時日比谷へ移った増上寺は、江戸城の拡張に伴い、慶長3年(1598年)、家康によって現在地の芝へ移された。
風水学的には、寛永寺を江戸の鬼門である上野に配し、裏鬼門の芝の抑えに増上寺を移したものと考えられる。
また、徳川家の菩提寺であるとともに、檀林(学問所及び養成所)がおかれ、関東十八檀林の筆頭となった。
なお、延宝8年(1680年)6月26日に行われた将軍徳川家綱の法要の際、奉行の一人で志摩国鳥羽藩主内藤忠勝が、同じ奉行の一人で丹後国宮津藩主永井尚長に斬りつけるという刃傷事件を起こしている(芝増上寺の刃傷事件)。
なおテレビドラマ『水戸黄門・第17部』においては、この一件が水戸光圀の旅立ちのきっかけとして描かれている(光圀の諸国漫遊はフィクション)。
また元禄14年(1701年)3月に江戸下向した勅使が増上寺を参詣するのをめぐって畳替えをしなければならないところ、高家の吉良義央が勅使饗応役の浅野長矩に畳替えの必要性を教えず、これが3月14日の殿中刃傷の引き金になったという挿話が文学作品『忠臣蔵』で有名である。
畳替えの件が史実であるかは不明。なお、長矩は内藤忠勝の甥である。
(Wikipedia抜粋)
後、増上寺は徳川幕府の崩壊とともに縮小。

経蔵。

慈雲閣。

徳川家霊廟。

安国殿安置の「黒本尊阿弥陀如来」は、かの徳川家康公の念持仏です。
家康公出陣の際は、戦勝を祈願し共に戦場に赴いたと伝えられています。幾多の危難を逃れ家康公が勝利を得ることができたのも、黒本尊の功徳の賜物でした。
以後、黒本尊阿弥陀如来は「勝運黒本尊」として、徳川家のみならず、現在に至るまで人々の信仰を集めているそうです。
(ホームページ抜粋)
浄土宗7大本山の1つ、増上寺。浄土宗正統根本念仏道場として創建され徳川家の菩提寺として栄えました。
その偉大さは別格です!
しかし、徳川幕府崩壊以降の増上寺は数々の困難を迎えたそうです!
それはこの次のブログで(笑)

滝と東京タワー。
やはり東京タワーは良い!
とゆうわけで今回は東京大本山巡り。
日蓮宗大本山池上本門寺と浄土宗大本山増上寺に親友のT.OHTANI君の案内で来ました!
また、駐車代等お世話になりっぱなしの旅でした♪
次回は上野寛永寺編です!
それでは。