
埼玉県別格本山巡りの続きです♪
大光普照寺の後は近くにある金鑚神社へ行きます!

一の鳥居。

二の鳥居。

武蔵國二之宮金鑚神社(かなさなじんじゃ)は、埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮にある神社です。
式内社(名神大社)、武蔵国五宮(一説に二宮)。
旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社です。
ちなみにこの二宮とは?
神社には社格(ランキング)と呼ばれるものがあります。
その歴史は古く、平安時代から昭和二十一年にGHQによる神道指令によって廃止されるまで続いています。
今は制度としては廃止されましたが、その思想は現在でも受け継がれているそうです。
まずは「延喜式」と呼ばれる資料があります。
朝廷から幣帛(神への捧げ物)が奉献される神社を「官社」と呼びますが、「延喜式」にはその官社のリストが載っています。
延喜式に載っている神社の数は、2861社らしい。
これらの神社は「式内社」とも呼ばれ、格式の高い神社とされました。
延喜式に載っていない神社は「式外社」と呼ばれました。
官社の中でも、神祇官の管轄である「官幣社」と、国司の管轄である「国幣社」に分けられ、それぞれ大社と小社にさらに分かれています。
明治時代には近代社格制度が整えられました。
神社は官社と民社(または諸社という)に分けられます。
神祇官の管轄である官社は更に官幣、国幣、別格官幣社(官幣の小社と同待遇)に分類されました。
そして地方官の管轄である民社は府・藩・県社と郷社、村社、無格社に分類されました。
その他の神社の社格が次の通りです!
①一代一度大神宝奉献
「一代一度大神宝奉献」とは、新たな天皇が即位した際に50の神社に宝物を奉納することを言うそうです。
例えば、伊勢神宮、岩清水八幡宮、賀茂社、伏見稲荷神社などなど。関東では香取神宮、鹿島神宮。
②一宮
一宮とは、平安後期から中世にかけて行われた社格で、その国(令制国/律令国)で一番の神社のことです。
一宮制度が始まった経緯や目的などは記録史料が存在しない為、謎が多い制度でもあります。
全国一斉に始まったわけではなく、二宮、三宮まである国もあれば一宮しか無い国もあり、また選定基準も明確にはなっていません。
そういった理由から、一宮のリストには文献等によって差異があるそうです。
しかし有力な神社が選ばれていることには違いなく、全国の一宮を巡る「一宮巡拝」なども人気となっているそうです。
例えば一宮とは、関東では寒川神社、氷川神社、安房神社、香取神宮、鹿島神宮です。
長くなりましたが、
こちらはその二宮になります!
③二十二社
二十二社とは、都を守る為に特別の崇敬を受けた神社のことです。
当初は十六社だったものが徐々に増えていき、永宝元年(1081年)に二十二社で定まりました。
二十二社の中でも上七社、中七社、下七社と格付けによって分類されているようです。
関東には分類されている神社はありません。
④勅祭社
祭祀が行われる際、天皇によって勅使が遣わされる神社を勅祭社と呼びます。
ちなみに伊勢神宮は別格とされ、勅祭社には含まれていません。
関東では鹿島神宮、香取神宮、氷川神社、明治神宮、靖国神社です。
⑤名神大社
名神祭の対象となる神を祀る神社を、名神大社(みょうじんたいしゃ)と呼びます。
関東では、寒川神社、氷川神社、金佐奈神社、安房坐神社、玉前神社、香取神宮
、鹿嶋神宮、大洗磯前薬師菩薩明神社、静神社、筑波山神社、吉田神社、酒烈磯前薬師菩薩神社、稲田神社です。
(四季の美より抜粋、引用)
⑥明神大社
明神大社は、明神祭の対象となる神様を祭っている神社を示す社格の一つです。
つまり古来から農業に関する保護。
明神祭というのは、水不足・疫病・食糧不足など国全体の災厄が起こったり、起こりそうになった時に臨時的に行われる祭祀であり、まさに国を守る神様を祀る神社です。
明神神社の全てが式内社の官幣大社・国幣大社に名を連ねているため、明神大社と呼ばれているそうです。
(終活ねっとより抜粋)
⑦別表(べっぴょう)神社
旧の官国幣社や一部の規模の大きな神社について一般の神社とは別の表に記載した神社を別表神社といいます。
(Wikipediaから抜粋)
しかしながら、
埼玉県秩父の三峯神社は旧県社、現在は別表神社。
茨城県の御岩神社は村社。
群馬県の榛名神社は旧県社、現在式内社。
栃木県と茨城県の県境に位置する鷲子山上神社は郷社。
神奈川県の箱根神社は国幣小社別表神社。
千葉県千葉神社は村社。
長野県の戸隠神社は旧国幣小社。
素晴らしい神社なのに必ずしも社格が高いわけではないので結局個人個人が落ち着く癒しの場所を見つけることが良いのでしょう♪
かなり脱線しました(笑)
では、金鑚神社に戻ります!

三の鳥居。

新型コロナの影響で手水舎も使えません。

拝殿。

神楽殿。

末社、摂社。

中門。
こちらは本殿ではない。
社伝によれば、延暦20年(801年)に坂上田村麻呂が東北への遠征前に当社に戦勝祈願に参詣したという。
国史の初見は貞観4年(862年)で、正六位上の神階にある「金佐奈神」が官社に列したといい、神階は同年に従五位下に昇った。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、武蔵国児玉郡に「金佐奈神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。
『神道集』(南北朝時代)では当社を「五宮金鑽大明神」として「武蔵六所大明神(武州六大明神)」の一社に挙げるほか、本地仏を弥勒菩薩とする。
また『風土記稿』によると、永禄12年(1569年)銘の鰐口にはやはり五宮と刻銘があるという。
以上の史料から当社は武蔵国において五宮に列したと考えられており、
武蔵国総社の大國魂神社でも五宮として当社の分霊が祀られている。
一方で江戸時代の『武乾記』(安永元年(1772年))では当社は二宮と記され、地名や神社公称も二宮としているが、当社を二宮とする中世史料はなく明らかでない。
(Wikipedia抜粋)
式内社(名神大)、武蔵國五宮、旧官幣中社、現在別表神社。
つまり格式は高い、しかも素晴らしい神社なのですね!
非常に荘厳です♪
ちなみに社殿後背の御室山(御室ヶ獄)を神体山として祀る。
山を神体山とするため、社殿には本殿は設けないという古代祭祀の面影を残すことで知られるらしい。
少し歩くと御獄山の中腹にある「鏡岩」があり、国の特別天然記念物に指定されている。
御祭神
天照大神(あまてらすおおかみ)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
配祀神
日本武尊 (やまとたけるのみこと) 第12代景行天皇の皇子。
(Wikipedia抜粋)

ちなみに多宝塔がございます!
こちらは国指定重要文化財。

多宝塔。
室町時代後期の天文3年(1534年)の建立。
中世から近世の社務は別当寺の大光普照寺(金鑚寺)が担ったとされる。
それがこの前に行った天台宗別格本山大光普照寺ですね♪

御朱印です。
今はほとんどの寺社が書き置きですね。
以上、金鑚神社でした!
長くなりましたのでこの後は、埼玉県別格本山巡り③へ続く!