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2021年10月07日

栃木県下野市、寺社巡り♪~下野薬師寺跡、下野薬師寺歴史館、安国寺、龍興寺、下野八幡宮編☆

栃木県下野市、寺社巡り♪~下野薬師寺跡、下野薬師寺歴史館、安国寺、龍興寺、下野八幡宮編☆ 緊急事態宣言開けの初めての県外移動です♪

長かった!

新型コロナの感染防止に基づき自粛に自粛を重ね、たまのお出かけはひたすら埼玉県内の人気(ひとけ)のないマニアな寺社巡りだけをなんとか続けてきて、ようやく県外移動のお許しがお上から出ました(笑)

とはいえ遠く行くのも申し訳ないのでわりと近い栃木県下野市を訪れました!

ここは以前、下野薬師寺跡に来たものの歴史館がお休みだった為また来てみました!

まずは歴史館に顔を出しました!

車検中につき代車にて登場☆




まずこの下野薬師寺と言うものとは?


古来、日本仏教の伝来は、6世紀頃に伝わったとされています。

当時、日本には神道という独自の宗教があったため仏教の布教は前途多難だったが、仏教に帰依していた推古天皇が592年に天皇に即位したことをきっかけに、状況は変化し始めました。

仏教伝来から聖徳太子の時代までは、朝廷が飛鳥(あすか)に置かれていましたので、飛鳥時代と呼ばれている。

この時代は、いまだ蘇我氏などの豪族を中心とする仏教だった。

その後、大化の改新や壬申の乱を経て、天皇を中心とする律令制国家となっていく。

そして奈良時代には、仏教もまた天皇を中心として国家政策の一環として進められていった。

いわゆる「国家仏教」の時代。

この時代の仏教は、国家を鎮護するいわゆる『鎮護国家』の思想が目的で国家を中心に寺院が建てられ、経典の写経と読誦が行われました。

一方で、僧侶らも官僚の一部として管理され、その活動は制限されました。

聖武天皇は、国の安寧と平和を願って、全国に国分寺を建立し、さらに東大寺に有名な大仏を建立した。

また、唐とも遣唐使を通じて中国の諸宗派が伝来することにより、「南都六宗」が成立する。

南都六宗とは、三論(さんろん)宗・成実(じょうじつ)宗・法相(ほっそう)宗・倶舎(くしゃ)宗・律(りっ)宗・華厳(けごん)宗 の六つを指す。

後世の宗派と違って、いずれも学問としての宗派であり、僧侶らは自由に行き来し、各宗派の学問を学んでいました。

このうち、法相宗は興福寺が、華厳宗は東大寺が、 律宗は唐招提寺が中心となって活動し、現在に至っている。

律宗の唐招提寺は、鑑真(がんじん)が建立したことで知られている。

本来僧侶になるには、戒律を受けてそれを遵守しなければいけない。

しかし、当時の日本には、正式な受戒の儀式が伝わってなく、唐から授戒のできる人物を呼ぶことになります。

それが鑑真でした。

鑑真の来日により、日本でも受戒が可能となり、東大寺とその他の二カ所に戒壇(かいだん)が設置されます。

奈良時代では、僧侶は僧尼令(そうにりょう)によって管理され、出家するにも国の許可が必要だった。

僧侶の活動は制限があり、一般の人々に自由に布教することは許されていませんでした。

それに対して、国の許可を受けずに私的に出家する「私度僧(しどそう)」と呼ばれる僧侶らが現れます。

その代表的な人物が、行基(ぎょうき)です。

行基は、人々のために仏教の教えを説き、 各地に橋を設けるなど布教と社会奉仕活動に従事しました。

初めは行基の活動を禁止しようとしていた朝廷も、大仏の建立の際に、行基の助けを借りることになる。

行基は、日本で最初に「大僧正(だいそうじょう)」という一番高い僧侶の位についた人物になりました。

中世には密教が中心となりますが、それをもたらした空海もまた最初は「私度僧」の一人だったそうです。

そして平安時代へと入っていく…。

薬師如来を信仰する「薬師信仰」は、飛鳥時代までに伝来したと考えられている。

日本で薬師信仰が盛んになったのは聖徳太子が用明天皇の病気治癒を祈って薬師如来像を造立して以来、天武天皇9年(680年)11月に天武天皇が皇后の病の治癒を願って大和国に薬師寺を建立してからのことである。

大和国の薬師寺建立発願より4年後の天武天皇13年(684年)11月、日本全国の52氏が天武天皇より朝臣を賜姓され、下野国造家である下毛野君も大三輪君や大野君、上毛野君、中臣連、石川臣や櫻井臣等とともに朝臣姓を賜っている。

その数年後以内、直広肆下毛野古麻呂は下野薬師寺の創建に尽力した。

「下野」(当時は「下毛野」)の文字が六国史に頻出している。

下野薬師寺が建立されたのもこの天武天皇から持統天皇の御代と考えられており、『類聚三代格』には「天武天皇所建立地」とあり、『続日本後紀』には「下野国言、薬師寺者天武天皇所建立地也」と見える。

下野市では下野薬師寺は7世紀末に下毛野古麻呂が建てた寺と考えられるとしている。

現在でも「薬師寺」と名付けられた寺は全て天皇の意向によって建てられた寺ばかりであることから、下野薬師寺も奈良時代以前に当時の日本の中央政府の権力者が建立した寺とされる。

つまりは国として天武天皇自らこの今の栃木県下野市に下野薬師寺を建立する意向を示したことになる。

それはそれは凄いことであろう。

発掘調査の結果、出土した瓦が大和川原寺系の八葉複弁蓮華文の軒丸瓦と重弧文軒平瓦とであることから、7世紀末の天武朝の創建であると推定されているようだ。
(東京大学仏教青年会、青少年のための仏教入門より抜粋、引用)


話は長くなってしまったが、これが下野薬師寺とゆうものである。


この歴史館ではそういった話をDVDにて観ることができる。

それから歴史的価値のある数々の出土品も。

歴史館2階から当時の下野薬師寺跡が一望できる。


向かってみる。

そりゃ今見ればただの野原。
跡なのだから。


当時の下野薬師寺を再現したものがこちら。
(関東歴史旅行情報より引用OKのイメージCG画像)

発掘調査によれば寺域は東西約250m、南北約330m。

伽藍配置は一塔三金堂で、伽藍中央に塔、そしてその北に規格の違う東西金堂が確認され、回廊北に中金堂が取り付く配置。

一塔三金堂の例としては飛鳥寺が挙げられるが、堂塔の配置は異なっている。

なお、昭和40年代の発掘調査の時点では、伽藍の中央に金堂、その北東に塔、北西に戒壇が想定されていた。

また中金堂の北には講堂があり、さらにその北には僧坊があったことが確認されている。

さらに伽藍東には、伽藍内の塔が焼失した後に改めて建てられた塔があったことが確認された。
(Wikipedia引用)




そして一部当時の回廊を復元したものがこちら。





蓮華文鬼瓦、軒丸瓦、軒平瓦など忠実に再現されています。


図面等の関係資料が一切なく、発掘調査の成果、法隆寺や山田寺のデータ等を参考にして下野薬師寺跡に回廊を復元したようです。

こちらも歴史館のDVDで観ることができます。




こちらが戒壇堂(六角堂)です。
薬師寺の戒壇跡に立てられたものです。



安国寺六角堂内には薬師如来像、鑑真和上尊像を安置。

さて、戒壇とは?
当時、空海や行基のような立派な私度僧ばかりではなかった。
当時日本においても僧侶は労働、納税、兵役を免除されていたため、勝手に僧侶になる者が続出し、国家の財政を脅かす事態となった。そこで「受戒」といういわゆるテストを受けるシステムを作った。
そのテストを行う場所を戒壇という。

これが戒壇をイメージした模型です。
戒壇を作ったのが唐の鑑真和上です。








ここ、下野薬師寺は本朝三戒壇の1つで日本国内には3ヵ所しかなかった。

まずは中央戒壇奈良東大寺、そして西戒壇福岡の筑紫観世音寺、最後に東戒壇が下野薬師寺であった。

つまり下野薬師寺は絶大なる権威を誇っていたことになる。


宝亀元年(770年)、中央政界で権力をふるった道鏡が称徳天皇の死により左遷され、下野薬師寺の造寺別当(造寺司の長官)となった。

このように下野薬師寺は特別な役割を担う官寺であったと考えられている。

道鏡は772年にこちらで没し、龍興寺に墓が伝わっている。

しかし平安時代、比叡山での戒壇設置により衰退していく。

その後鎌倉時代、源頼朝の後援で慈猛上人にて戒律、真言密教道場として再興される。

室町時代には安国寺に改名された。

この場所自体が安国寺の所有になっている。
戒壇堂(六角堂)も安国寺のものである。

安国寺山門。





安国寺本堂。

現在の安国寺。
正式名称は真言宗智山派医王山安國寺である。

こちらの安国寺当時のものではなく戦国時代に焼失している。

近世になり安国寺と龍興寺が薬師寺正統を争うことになる。




真言宗智山派生雲山龍興寺がこちら。




十二支の守り本尊。




下野薬師寺の別院だけあって立派な山門である。





奈良時代の天平宝字5年(761年)、鑑真が唐の龍興寺の舎那殿壇の法を移し「生雲山龍興寺」として開基したと伝えられている。







自治医大付属病院聖霊殿。
こちらは医学教育発展の為に御献体された方々で引き取り手のいないご遺体を供養しているようです。

見返り観音。



金堂。

鐘楼堂。





龍興寺本坊。








金堂裏。


薬師寺の跡に建てられ薬師寺不動院の流れをひく安国寺と薬師寺地蔵院の流れをひく龍興寺との間で、天和元年(1681年)から享保4年(1719年)にかけて薬師寺の正統を争う訴訟を起こしている。

議論の末、天保9年(1838年)、に「安国寺は戒壇、龍興寺は鑑真墓所を守護す」という合意に達し現在に至っている。




道教禅師の墓所。

境内には道鏡の墓と伝わる円墳や鑑真和尚碑のほか、自治医科大学附属病院聖霊殿の納骨堂がある。


大慈大慈母聖観音菩薩。

五輪北極搭。



天庭。



講堂。

龍興寺は、かつて存在した薬師寺地蔵院の流れをひくといわれる寺院である。

安国寺と龍興寺、下野薬師寺の伝統を今も受け継いでいることだろう。


そして、最後は…。





薬師寺八幡宮である。

薬師寺八幡宮のケヤキ。

願掛け灯籠。






下野薬師寺鎮座、鎮守八幡宮。

祭神は誉田別命
玉依比売命
息長帯比売命。

社格等旧村社。

別名鎮守八幡宮である。

縁起は2つの説がある。

貞観17(875)年清和天皇の御勅定により京都の石清水八幡宮より勧請された説。

そして下野薬師寺の鎮守神として天平勝宝元(749)年に九州宇佐神宮より勧請された説。


拝殿。

祖霊社。

庚申様。

金精様。

摂社。
千勝神社、五條天満宮、稲荷大明神。

神楽殿。

至福神社。


八幡宮本殿。


八坂神社拝殿。

八坂神社本殿。


神輿殿。




そして八幡宮に隣接する雷電神社。




天狗山雷電神社。

下野市にある雷電神社は、その昔京都の賀茂別雷神社より勧請されたと伝えられる古社です。

はて?
板倉町の総社雷電神社とは関係ないのだろうか?

拝殿。



本殿。



相当長々書いてしまった(笑)
下野薬師寺。

奈良時代とゆう、今から1250年も前のお話。

そして奈良の東大寺と同様、関東以北の寺院を統括していた官寺として絶大な地位をこの地が確立していたことは素晴らしいことである。

しかも鎮護国家としての官寺。

下野薬師寺の歴史。

安国寺と龍興寺がその当時の礎を今でも受け継いでいることだろう。
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Posted at 2021/10/12 01:20:30

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この記事へのコメント

2021年10月12日 11:39
Hiro.Yさん、こんにちは。
またまたいい所をお教えくださり、ありがとうございます。
ぜひ訪れてみたいと思います!
また、人気(ひとけ)のない所をご紹介ください。(笑)
コメントへの返答
2021年10月12日 11:46
こんにちは!
いつもありがとうございます☆
いえいえ(笑)
やっと県外行けそうなので北関東にくり出そうと思います♪
2021年10月17日 13:52
お久しぶりです^^;
寺社ブログ、論文並みに進化してますね(´⊙ω⊙`)!!!

龍興寺の仁王像、好みの造形です(*´◡`*)
はて?阿形の左手は金剛杵を握っていても良いと思いますが、
何故持たせなかったんだろう???

栃木シリーズ、うれしい!たのしい!大好き!です!!
コメントへの返答
2021年10月18日 14:02
お久しぶりです(笑)
コメント遅れましてすみません(..)
というのも龍興寺の仁王像について片っ端から調べてみたところ結局わからないとゆう(笑)
確かに金剛杵を握っていない密迹金剛像もあるものの、その違いに明確な理由を見いだせず(笑)
龍興寺山門は東大寺南大門様式で再建されているが仁王像は金剛杵を握っていないし(笑)
鑑真和上開基ということで唐招提寺南大門とも考えたが仁王像はおいていない(笑)
薬師寺の流れを受け継いでいるとはいえ薬師寺は二天王像だし(笑)
どちらかと言えば興福寺に近いのかも!
人間国宝西岡常一から弟子西岡清等を調べてみたがやはりわからないとゆう結果でした!

すみません(..)

まだまだいろいろ行ってますがなんせブログがエスカレートして時間かかりますのでまた見ていただけたら幸いです(笑)

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何シテル?   01/28 00:29
Hiro.Yです。よろしくお願いします。 R2に乗ってる親友の紹介で、参加しました。 愛車のワゴンRちゃんで趣味のお寺詣り、神社詣りに勤しんでます。マナ...
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