
10/10の日曜日、今日は1日空いたんで再度訪れたいところに出かけました☆
最初の2ヶ所は以前ブログにあげているので写真だけ(笑)

臨済宗妙心寺派の名刹、東山雲巌寺です。

JR東日本の大人の休日倶楽部「黒羽の芭蕉編」にて取り上げられたお寺になります。

立派な山門です。

芭蕉の句碑。
俳聖松尾芭蕉は、この地で「木啄も 庵は破らず 夏木立」の句を残しています。

鐘楼堂。

平和観音。

本尊は釈迦牟尼仏(銅造釈迦如来坐像)。
開山は高峰顕日(仏国国師)、開基(創立者)は叟元和尚(寺伝)北条時宗。

創建年は1126~1131年。

仏殿(釈迦堂)。

開山当時は、筑前の聖福寺、越前の永平寺、紀州の興国寺と並んで、禅宗の日本四大道場と呼ばれていた。
山門の正面にある朱塗りの反り橋を渡って石段を登ると、正面に釈迦堂、獅子王殿が一直線に並ぶ代表的な伽藍配置となっている。

ちなみに私のLINEの背景画像はこちらになります(笑)

方丈(獅子王殿)。
雲巌寺は、禅の修行のための道場ですので一般の方は堂内に入れませんが、参拝は自由に許されています。
非常に厳格な寺院になります。
観光寺院ではなく修行道場なのですね。

いつ来てもとてもキレイな寺院です。
境内少し外れたところに熊野神社が鎮座しています。

裏門。

そして三仏搭。

仏光国師、仏国国師、仏応禅師の三祖の搭。

御朱印は書き置きです。
いつ来ても雲巌寺は良い☆
さて、更に車で20分ほど走ると見えてくるこちら。

駐車場にあるお蕎麦屋さん行こうと思ったらお休みだった(ToT)
気を取り直して。

栃木県大田原市、曹洞宗黒羽山大雄寺(だいおうじ)です!

石仏十六羅漢像。

山門。

経蔵。

総門。

応永11年(1404年)、余瀬村(現大田原市余瀬)に創建された。
後に戦乱で焼失するが、文安5年(1448年)に大関忠増により再建され、天正4年(1576年)に大関高増の居城が余瀬白旗城から黒羽城に移った際に大雄寺も現在地に移築された。
大関氏の菩提寺であり、山中には大関氏累代の墓がある。
(Wikipedia抜粋)

水琴窟。

鐘楼堂。

本堂。

座禅堂。

回廊。

大雄寺(建造物)9棟全て国指定重要文化財。
(本堂、禅堂、庫裏、鐘楼、経蔵(附:棟札1枚)総門、廻廊 3棟(北東廻廊、南東廻廊、南西廻廊)

本堂内部。

本尊は釈迦如来坐像。

法身舎利殿。

不動堂。

御朱印。
ここもいつ来ても良い☆
臨済宗の雲巌寺、曹洞宗の大雄寺。
どちらも禅宗。
さて、ここで禅宗について触れておこう。
もともと禅宗は中国に渡った南インド出身の達磨大師が開祖になります。
日本仏教における禅宗は臨済宗、曹洞宗、黄檗宗(おうばくしゅう)日本達磨宗、普化宗があります。
まず第一に禅宗とは宗派ではなく、禅を主体とした宗派の総称であり、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗などが宗派であるということ。
『日本達磨宗』
日本には、中国禅の教え自体は奈良時代から平安時代にかけて既に伝わっていたとされるが、純粋な禅宗が伝えられたのは、鎌倉時代の初め頃であり、室町時代に幕府の庇護の下で日本仏教の一つとして発展した。
日本の禅宗の最初は大日房能忍(平安時代末期~鎌倉時代初期)が多武峰(とうのみね、現在の奈良県桜井市南部にある山)で達磨宗(後に日本達磨宗と呼ばれる)を開いていた事実がある。
能忍が文治5年(1189)頃に建立した、檀林寺につぐ日本で2番目に建立された禅寺としてかつて三宝寺(大阪市東淀川)があり達磨宗の根拠地でしたが、室町時代末期に廃寺となってしまった。
『普化宗』
9世紀に中国で臨済義玄と交流のあった普化を始祖とするため、臨済宗(禅宗)の一派ともされる。
普化は神異の僧であり、神仙的な逸事も多く、伝説的要素が強い。虚無宗(こむしゅう)とも言い、虚鐸(尺八)を吹きながら旅をする虚無僧で有名である。
日本伝来の歴史としては1249年(建長6年)日本から中国(南宋)に渡った心地覚心が、中国普化宗16代目張参の弟子である宝伏・国佐・理正・僧恕の4人の在家の居士を伴い、1254年に帰国することで、日本に伝わった。
当初は16の派に分かれていたが、後に宝伏の弟子の2人(金先、括総)の派が盛んになり、他の派は滅びてしまったり、両派を触頭として支配下に入り存続した。
心地覚心の法孫にあたる靳全(金先古山居士)がでて、北条経時の帰依を受け、下総国小金(現在の千葉県松戸市小金)に金龍山梅林院一月寺を開創し、金先派総本山となった。
一方、括総了大居士は武蔵野国幸手藤袴村(現在の埼玉県幸手市)に廓嶺山虚空院鈴法寺を開創し、括総派総本山となり、一月寺と共に普化宗末寺120あまりの触頭となった。
普化宗を公称し、一つの宗派として活動するのは、近世に入ってからである。
江戸時代には虚無僧の入宗の資格や服装も決められるなど組織化され、諸国通行の自由など種々の特権を持っていたため隠密の役も務めたとも言われている。
しかし、江戸幕府との繋がりや身分制度の残滓が強かったため、明治になって政府により1871年に解体され、宗派としては失われている。
また、その後一月寺は日蓮正宗の寺院となり、鈴法寺は廃寺となった。
しかし尺八や虚鐸の師匠としてその質を伝える流れが現在にも伝わっており、尺八楽の歴史上重要な存在である。
『曹洞宗と臨済宗』
よく言われるのは、
「禅問答の臨済宗」
「只管打坐の曹洞宗」
どちらも禅宗ということで坐禅を大切にしている。
栄西が日本に伝えたのが臨済宗とされているけど、 実際は多数ある流派のうちの一つを栄西が日本に伝えたので、 臨済宗の祖という言い方は適切ではないらしい。
現在の日本臨済宗を確立したのは江戸時代に出られた白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師とも言われている。
臨済宗では「公案」という禅問答を手掛かりに悟りの境地を目指す。
煩悩で覆われた人間が問答を通して「見性(明らかに見る)」によって迷いから脱するという教え。
現在臨済宗には、建仁寺派、南禅寺派、妙心寺派、広島県では仏通寺派など、十四派があります。
鎌倉五山、京都五山で知られる通り、上層階級に広く浸透した。
一方、曹洞宗は道元を祖とする。 ただひたすらに坐禅を行うことを肝要とし、 坐禅をすれば悟りが開けるという他の禅とは異なり、 坐禅そのものが悟りの目的であるという。
道元の言葉に「坐禅は心身脱落なり。只管に打坐して初めて得べし」と言われるように、坐禅によって、自分の心の底が抜けて、自らの仏性を見つけ出すことができると考えられている。
ただ、道元禅師自身は自らの教えを「正伝の仏法」として、縄張り意識、派閥主義的な宗派を否定したため、弟子たちには自ら特定の宗派名を称することを禁じていた(禅宗の一派として見られることにすら拒否感を示していた)ようです。
曹洞宗の本山は福井県の永平寺、鶴見の総持寺で○○派といったものはない。
臨済宗が貴族や武士に広まったのに対し、曹洞宗は民衆に広まったようだ。
手法は異なるが、当然、お釈迦様の教えを体現する宗派である。
よって禅をもとにまとめると臨済禅は看話禅(公案を考えながら坐る坐禅)、曹洞禅は
黙照禅(心を無にして黙々と坐る坐禅)といわれており、わかりやすいのは、
⇒通路の方を向いて坐禅しているのは臨済宗の坐禅。
⇒壁の方を向いて坐っているのは曹洞宗の坐禅。
と思って、まず間違いないらしい(笑)。
『黄檗宗』
黄檗宗は日本仏教における伝統的な13宗派のひとつです。
開祖は隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師で、本山は京都にある黄檗山萬福寺です。
教義・修行・儀礼・布教は日本臨済宗と異ならないとされる。
黄檗宗の宗風の独自性は、日本臨済宗の各派が鎌倉時代から室町時代中期にかけて宋と元の中国禅を受け入れて日本化したのに比較して隠元の来日が新しいことと、明末清初の国粋化運動の下で意図的に中国禅の正統を自任して臨済正宗を名乗ったことによるとされる。
宗風は、明時代の中国禅の特色である華厳、天台、浄土等の諸宗を反映したいわゆる混淆禅の姿を伝えている。
江戸時代以後から次第に教勢が拡大し、萬福寺の塔頭は33ヵ院に及び、1745年の「末寺帳」には、1043もの末寺が書き上げられている。
明治7年(1874年)、明治政府教部省が禅宗を臨済、曹洞の二宗と定めたため、強引に「臨済宗黄檗派」に改称させられたが、明治9年(1876年)、黄檗宗として正式に禅宗の一宗として独立することとなった。
座禅を大事にする禅宗として、江戸時代に広まった黄檗宗の教義は浄土とは西方にあるのではなく、自己の中に浄土を見いだし、阿弥陀仏を発見しようという、禅と浄土思想の合致した念仏禅の教えであり、普茶料理、煎茶等独自の文化を弘めました。
おなじみの、お経にリズムを与える「木魚」は、江戸時代にこの黄檗宗と共に伝えられたといわれています。
ちなみに黄檗宗における読経は、現在も近世中国語の発音で行われており、これを「黄檗唐韻(とういん)」と呼ぶ。
時代背景をみると江戸時代、中国の明朝の動乱から逃れた多くの中国人、華僑が長崎に渡来して在住しており福州出身者たちによって興福寺(1624年)、福済寺(1628年)、崇福寺(1629年)(いわゆる長崎三福寺)が建てられ、明僧も多く招かれていたことから主要寺院は西日本、それも九州や中国地方に非常に多いことがわかる。
東日本では、私も良く行く、
群馬県高崎市の少林山達磨寺。
群馬県邑楽郡千代田町の眞福山宝林寺。
神奈川小田原の長興山紹太寺。
宮城県仙台市の伊達家の菩提寺である両足山大年寺が有名である。
(Wikipedia、神奈川県横須賀市浄楽寺HPより抜粋、引用、要約させて頂きました。)
さて、現在の日本仏教における禅宗を簡単に紹介してみました。
それぞれの宗派、寺伝による時代背景や歴史も踏まえた上で訪れるとまた楽しいものです♪
それでは②に続く(笑)