
毎年、この時期には被災地を訪れておりますが、新型コロナによるまん延防止等重点措置により近場しか行けないので今年は3/10に千葉県旭市の方に行かせてもらいました。
その前に寺社巡りも兼ねております。
まず訪れましたのはこちら。

千葉県旭市成田山真福寺です♪
ただ、真言宗智山派の成田山の山号で勝手に勘違いしてましたが、新勝寺の別院ではありませんでした(笑)

この辺の地名は成田と呼ばれていたそうです。

鐘楼堂。

本堂。

開基等、いまいち調べても出てこず、詳細は不明です(..)

大師堂。

ちなみにこちらは幼稚園と公園、神社が併設されておりました。

千葉県旭市西宮神社♪

拝殿。
祭神は事代主命(おえびすさま)のようです。

開基は応永2(1395)年。

御神木、大杉。

本殿。

恵比寿さま。

護国の塔。
そしてさらに公園が隣接しており、金網の中に蒸気機関車がありました☆

C58(シゴハチ)の愛称で知られる旧国鉄車輌らしいです☆
ちょっと真福寺の詳細は不明ですが静かな良いところでした☆

さて、復興支援とゆう名のお食事ですよ☆

ちょっと時間が2時過ぎでなかなかお店がやってなく、探し出しましたのがこちら!
飯岡の味処、幸喜 さんです☆

お刺身の盛り合わせ☆

平目天丼☆
九十九里で水揚げされた新鮮な魚は非常に脂の乗った厚みのあるお刺身に珍しいヒラメの天丼を頂きましたよ♪
平目天丼は身がホクホクで甘みがありどちらもとても美味しかったです☆

ご飯を終えて次に訪れたのは旭市飯岡の玉崎神社♪

竜王の碑♪
日本武尊の東征の折、海上平安、夷賊鎮定のために、玉の浦の東端「玉ヶ崎」に、海神の娘であり神武天皇の母である玉依姫尊を祀ったと伝えられていて、後世「玉ヶ崎」を「竜王岬」と言うようになったのも、海神を竜宮の神に付会して「竜王の鎮まり坐す崎」としたためという。
(Wikipedia引用)

拝殿。
下総国二宮(論社)の由緒ある神社で旧社格は郷社です。
下総国二宮とする説は、上総国一宮である玉前神社が戦火を避けて神体を移したとも伝えられているからでもある。

社伝によると、景行天皇40年の創建。
玉依姫尊を主祭神とし、日本武尊を配祀する。

中世には、三崎庄横根郷玉ヶ崎大明神、玉の浦総社玉ヶ崎大明神等と称せられ、武人の崇敬厚く、平貞盛、源頼義、源義家、源頼朝、日野俊基、千葉常胤等が参拝し、それぞれ祈願や報賽のために報幣や社殿の造営にかかわったとされる。
江戸時代に入ってからは、武人の崇敬はもとより、平田篤胤、平田鐵胤、斉藤彦麿、高田与清、大国隆正のような文人が参詣している。
享保14年(1729年)には、地頭らが祈願したところ神験あらたかで浜は大漁にわいた。そこで、時の神祇官領従二位卜部朝臣兼雄に告げて宗源の宣旨を乞われ、神階正一位を賜った。
拝殿内の扁額はその時のもので、将軍徳川吉宗の筆と伝えられている。
(Wikipedia抜粋)

本殿。

玉崎神社の石塁。

天の石笛。

竹久夢二の文学碑。

摂社、八重垣神社。

玉崎神社御朱印。(書き置き)
非常に歴史の深い神社であった。
来て良かったと思います☆
さて、それでは寺社巡りはこの辺に海沿いにある防災資料館に行ってみました。

2011.3.11
14:46 M9.0
こちらでは約30分のDVDで当時の震災から復興までの流れや、パネルにていろいろな情報を公開している。

17:26で止まった時計。
堤防を越え飯岡の町を飲み込んだ津波。
その時を刻み、時計の針は17:26で止まっている…‥。
千葉県旭市においても飯岡海岸に沿う九十九里ビーチライン(県道30 号)と市街地内を走る道路沿いの民家や商店を中心に死者13人、行方不明 2人、全壊427棟、半壊335棟、床上浸水387棟と大変な被害があった。

15:50頃の第1波から16:20頃の第2波にて終息したにみえた17:20頃の第3波にて街を津波が飲み込んだという。

そして震災5日後から15日あまりの間に7.608人ものボランティアに支えられた感謝の言葉。

天皇、皇后、(当時の)両陛下による4/14の訪問。

『岩手県釜石市の奇跡』
市内の小中学生の生存率99.8%。
これは奇跡ではない。
◎防災意識を高める。
・想定にとらわれないこと。
・最善を尽くすこと。
・率先避難者になること。
教育によって子ども達が身につけた防災意識への対応力。
何度も訪れる自然災害に対策を立て立ち向かう町の人々のそれは日本人の強さにもつながっているのだろう。

避難所に身を寄せた人々は最大で2863人。
助けあい、励ましあい、明日を信じた。

復興、そして未来へ

東日本大震災 旭市飯岡津波被災の碑

津波避難マップ

美しい海
千葉県旭市においても地震津波による甚大な被害がありました。
しかしその中にも町の人々の結束や絆の深さ、そして強さ、支えてくれた方々への感謝、更なる防災意識への高みを改めて認識できた貴重な時間でした。
そしてこの度、11年経った2022年3月16日午後11時36分に最大震度6強の「福島沖地震」が発生しました。
また多くの被災者が生まれ大変な思いをしながら生活されていることに心苦しく思います。
亡くなられた方、被災された方々に謹んでお悔やみお見舞い申し上げます。
1日も早いライフラインの復旧、街の復興を願っております。
そして今も余震が続いていると思います。
くれぐれも注意してもらいたいものです。
去年は茨城県大洗町、一昨年は福島県いわき市にも訪れましたが、新型コロナ感染が落ち着いたら福島県北部、宮城県や岩手県にも足を運び、見て学び風化させないこととともに美味しい食べ物食べて地元のおみやげを買っていけたらいいなぁ~と思います☆
それではまた♪
ブログ一覧
Posted at
2022/03/20 07:57:12