
さぁ、まとまった休みで精力的に寺院巡りをしたが記録用でも勉強用でもあるブログを仕事中に書きつづける(笑)
関東地区は梅雨に入ったが晴れそうなこの1日だけを狙いお花などてんでわからないおじさんではあるが、あじさいなどを見に今回は移動してみた☆
鎌倉の明月院、松戸の本土寺などはめちゃくちゃ有名ですが、やはり私的魅力度ランキング上位入賞のバツグンの安定感を誇る茨城県に向かうことにした♪
桜川市の雨引山楽法寺ではなく潮来市へ☆

書写仏堂。
やって来ました♪
二本松寺。
『二本松寺 あじさいの杜』は、40,000㎡の境内に100種類10,000株のあじさいが咲き誇るそうです。
しかし、めちゃくちゃ人いましたが、ちょっと待てばいつものように誰も写らない写真撮影が可能でした。
今回はお花を多く取り上げてみようと思います。
さぁ、300円払っていざ『あじさいの杜』へ。

何が良いって田園風景の中に咲き誇るお花たちがキレイですよ☆

正直あじさい以外はなんて花かわかりませんが、色とりどり素晴らしいです☆

↑これはなんて花だ(笑)?
そんなことはどうでもよいのです。
キレイであれば(笑)

そしてこの辺りから山の斜面になりお寺に続いています。
つまりあじさいシーズンに合わせ参道逆からの参拝になるようです。

いろんなお花がキレイです☆
すみません。
全くお花の名前がわかりません(笑)

道には全て進行方向の看板がありますので皆さんいろんな角度で写真をたくさん撮っております♪

じゃ~ん。
お寺に到着です。
果たしてどこからどこまでが境内なのかはわかりませんが。

手水舎。

花手水は最近どこでもやってますね☆

鐘楼堂。

本堂。

茨城県潮来市、天台宗羽黒山覚城院二本松寺です☆
本尊は秘仏薬師如来。
寺伝では、平安時代の初め天長年間(824)、慈覚大師円仁によって現在の潮来市茂木に創建されたと伝えられている。
鎌倉時代建久2年(1191)、嶋崎氏初代左衛門尉高幹公が嶋崎城築城の際、京都・比叡山を模して鬼門除けとする為、1ヘクタールの敷地を寄進、現在の地に移転開山した。
この時、境内を城郭とし、嶋崎城の砦の役割をもたせている。
爾来、400年、嶋崎氏代々の祈願寺として栄え、天正19年(1591)滅亡後も、佐竹氏、水戸徳川氏の信仰を得、歴代城主尊崇により、末寺25ヶ寺を統轄する本寺として隆盛を極めた。
元禄4年(1691)、水戸光圀公は本堂と紅葉の聖経を寄進し、14石余の寺領と1万石の格式を与え、安永3年(1774)には、檀頭大崎治郎兵衛氏が、更に寺領を寄進して、寺観も整った。
幕末から明治中期にかけて、神仏分離、無住と相俟って、寺運の衰退も余儀なくされ、苦難の時代を迎える。
二十世紀に入るや、幾多の戦乱相次ぎ、いわゆる昭和の激動期となる。この期にあっても、檀信徒の愛山護法の念厚く、復興に尽力、法燈は脈々と継承されてきた。
現在の本堂は平成3年(1991)5月18日落成したものである。
(二本松寺ホームページより抜粋)

本堂脇もあじさいがキレイです♪

菩提樹。

光國公の歌碑。

書き置き御朱印もあじさいチックですね。
以上、天気も良かったのでキレイなお花巡りができましたが1人で来てたのは私だけだった気がします(笑)
さて、続いて向かったのはこちら。

茨城県潮来市、臨済宗妙心寺派海雲山長勝寺です☆

山門。

山門は普門院において、元禄6年(1693年)から13年までかかって建立されたもので、徳川光圀の命令によって元禄13年(1700年)に長勝寺に移築されたものである。

本堂。
本堂の建立年代は不詳だが、元禄年間(1688 - 1704年)頃と推定される。方三間、一重、入母屋造、茅葺の建築である。
棟上に源氏の定紋「笹りんどう」が配されており、方三間の身舎の周囲に板葺の裳階がある。
天井は中央を鏡天井、周囲を化粧屋根裏とする。
内部構造や外部の組物などは禅宗様の手法による建築で、中央後方の来迎壁前に高い禅宗様須弥壇(しゅみだん)を設け、背面に突出して脇仏壇がある。
禅宗様建築の貴重な遺構である。
(Wikipedia抜粋)

この茅葺きの本堂は非常に美しく荘厳な雰囲気を醸し出しています☆
一見の価値ありです♪
長勝寺は文治元年(1185年)に源頼朝が武運長久を祈って創建されたといわれており、江戸時代に徳川光圀が諸堂宇を修復し、大獄祖清和尚に住持させた。
近世の朱印は10石で、寺運は隆盛して現在に法灯を継いでいる。楼門(山門)と、奥にある阿弥陀三尊を本尊とする入母屋造り茅葺の仏殿(本堂)は禅宗様建築の遺構で禅寺の風格を保つ。
また、中朱門の中の庫裡・書院等も元禄時代の建築で、水戸徳川家ゆかりの宝物を収蔵している。
これら建物のすべては、茨城県の文化財に指定されている。
1984年(昭和59年)に、本堂と山門の解体修理が行われた。
(Wikipedia抜粋)

文治梅。
源頼朝創建の年号に因む文治梅(ふんじばい)とよばれる古木。

銅鐘。(国指定重文)
鎌倉幕府第14代執権である北条高時の寄進で、元徳2年(1330年)の鋳造だそうです。

方丈、書院。
こちらも茶室があり抹茶が頂けるようでしたが行った時間には終了していました。

芭蕉時雨塚。
松尾芭蕉の「旅人と我名呼ばれむ初しぐれ」の句を刻した時雨塚、鹿島紀行で地元の自準亭松江(じじゅんていしょうこう)との交流を示す連句の碑。

勢至堂。
暗くて見えなかったけど勢至菩薩が安直しているのかなぁ?

御朱印。
長勝寺も歴史的にも趣きのある禅宗寺院ならではのキレイなお寺でした☆
②へつづく
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2022/06/23 15:53:14