
今回は群馬県です。
寺社巡りの神社編になります。
どちらも初めて来たわけではないですが、そこそこ遠いので久しぶりになります☆

群馬県みどり市、貴船神社です♪
えっ、逆に群馬県にあるの?
って思う方はさすがですね☆

平安時代の天暦十(九五六)年、東国(関東地方)がひどい干ばつに襲われたとき、山城国(京都)の貴船神社の祭神が、古来より祈雨・止雨祈願の神として信仰されてきた高おかみ大神で、その分霊を奉り降雨と五穀豊穣を祈願したところ、それがかなえられたので、関東平野の最北端、渡良瀬川流域の山地に祭られ、現在地に建立されたのは、江戸時代の寛文8(一六六八)年といわれています。
(ホームページより)

拝殿及び本殿。
『貴船神社(きふねじんじゃ)』
京都市左京区にある神社です。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。
旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社になります。
以前もかいておりますが927年にまとめられた延喜式神名帳に記載されているこちらは名神大社です。
名神とは名神祭を祀る神社です。
名神祭とは国家的事変が起こり、またはその発生が予想される際に、その解決を祈願するための臨時の国家祭祀です。
まっ、要するにすごい霊力を持った神社であるということ。
さらに大社である。
そして二十二社の1つ。
これは、国家の重大事、天変地異の時などに朝廷から特別の奉幣を受けた22社のこと。
主に畿内の神社から選ばれた。
一覧をWikipediaからそのまま拝借致します。

22社の上から上七社、中七社、下八社と数えられた。
更に旧社格とは明治維新以降新たに作られた近代社格制度で第二次大戦後廃止されたものである。
その官幣中社。
官幣社と国幣社があり、官幣社とは官(国)から幣帛(へいはく)、つまり神様に奉納される神社。
そして、国幣社は国(国司)、つまり地方から幣帛を受けた神社である。
それも大、中、小に分けられた。
まっ、それだけ京都の貴船神社はすごいということである。
ちなみに現在の神社本庁において、近代社格制度が廃止されてから神社というものは伊勢神宮以外同列、対等の立場で扱うということになっている。
しかしながら、旧官国弊社や一部の規模の大きい神社は神職の人事等の問題から別の表に書いておきましょ!
ってことから別表神社と記されている☆
まっ、要するに京都の貴船神社はすごいとこで、そこから分霊されたこちらもすごいところと言うわけですね。

主祭神:
高龗神
大山祇神
大穴牟遅神

水神である高龗神(たかおかみのかみ)を祀り、古代の祈雨八十五座の一座とされるなど、古くから祈雨の神として信仰された。
水の神様として、全国の料理・調理業や水を取扱う商売の人々から信仰を集めているらしい。
『高龗神』
日本神話では、神産みにおいて伊邪那岐(イザナギ)神が迦具土(カクヅチ)神(火の神)を斬り殺した際に生まれたとしている。
『古事記』及び『日本書紀』の一書では、剣の柄に溜った血から闇御津羽神(くらみつはのかみ)とともに闇龗神(くらおかみのかみ)が生まれたという。
高龗神は水神であるから平安時代の東国での干ばつから分霊したのだろう。

京都の貴船神社は「絵馬の発祥の社」と言われている。
古来より歴代天皇は干ばつの時には黒馬を、長雨には白馬を奉納して祈願をしていたといい、後に生きた馬に替えて、馬形の板に着色した「板立馬」を奉納したと伝えられる。
これが現在の絵馬の原形となったという。
(Wikipedia抜粋)

ちなみに京都の貴船神社を検索すると、
「貴船神社 怖い」
「貴船神社 呪い」
「貴船神社 行かない方がよい」
とか、ネガティブワードがたくさん挙がっている。
「呪いがある」といわれる理由の1つは、貴船神社が「丑の刻参り」の発祥の地とされていることかららしい。
貴船神社の呪いの由来は、「平家物語」の異本「源平盛衰記」に収録の「剣巻」に記載されている言い伝えからです。
①『宇治の橋姫』
嵯峨天皇の時代に公卿の娘の橋姫は、嫉妬心に狂い夫を呪うために鬼になろうとしました。
貴船神社に7日間こもり貴船大明神に「私を生きながら鬼神にしてください」と願います。
貴船大明神は橋姫を哀れに思い、「真に鬼になりたければ、姿を変え宇治川に21日間浸かりなさい」と告げられます。
橋姫は都に戻った後、髪を5つに分けて角にみたて、顔に朱をさし、体には鉛丹を塗り赤くしました。鉄の輪に3本の脚がついた台を逆さにして頭に乗せ、3本の脚に松明を燃やしました。
口には両端を燃やした松明をくわえ5つの火を灯していました。橋姫の鬼のような姿を見た人はショックで亡くなってしまいました。
宇治川に21日間浸かっていた橋姫は本当に鬼になりました。
橋姫は妬んでいた女性や夫の親族だけでなく、関係ない人々まで襲うようになりました。
京の人々は恐れ「申の時(15時~17時)」を過ぎたら家にこもるようになりました。
その頃、源頼光が四天王の1人の源綱(渡辺綱)を一条大宮に向かわせます。
夜の危険に備えて源綱は名刀「髭切」を手にして向かったのです。
源綱が一条堀川の戻橋を渡るときに、雪のように白い肌をした20前後の女性を見かけました。
「夜は危険なので、五条まで送りましょう」といい、馬から降りて、その女性を乗せました。
正親町付近で女性が「家は都の外なのですが、送っていただけませんか?」と聞いてきたので、源綱は「わかりました。お送りします。」とこたえました。
すると突然女性は鬼に姿を変えて、源綱の髪をつかみながら「愛宕山へいきましょう」といい、共に北西へ飛んでいきました。
しかし慌てず源綱は名刀の髭切で鬼の腕を切り落とします。
源綱は北野天満宮に落ち、鬼はそのまま飛んでいきました。
源綱から見せられた鬼の腕に、源頼光は大変驚き、安倍晴明に相談します。
安倍晴明は「源綱は7日間休養をしてください。鬼の腕は私が仁王般若経を読んで封印します。」といいました。
鬼になった橋姫は安倍晴明により退治されたのです。
宇治川には「橋姫神社」があり、宇治橋を守っています。この神社の御祭神は「橋姫」「瀬織津姫」とされています。
橋姫は現在は橋を守る神様となっています。
ただ、橋姫は嫉妬深いので縁切りのご利益があるともされています。
②『丑の刻参りの発祥の地』
「貴船神社は奥宮が怖い」とか「貴船神社の奥宮の呪い」とか言われております。
それは、実は現在も丑の刻参りが行われているといわれているからです!
神社の境内で、五寸釘が打ち付けられた藁人形が見つかることがあるようです。
特に奥宮周辺の木には五寸釘で藁人形が打ち付けられたような穴がいくつも残っているようです。
奥宮は「龍穴」があるといわれているため、パワーが強いスポットでもあります。
③『呪いの絵馬』
「開運招福」「諸願成就」と名高い貴船神社ですが、そのなかには、ネガティブな願いの「呪いの絵馬も紛れている!」といわれます。
(lani.co.jp「貴船神社」より抜粋)
しかしながら、貴船神社は「開運招福」「諸願成就」の絵馬の効果も絶大といわれ、縁結びの神としての信仰もあり、小説や漫画の陰陽師による人気もあり、若いカップルで賑わっているようです。
その一方で縁切りの神、呪咀神としても信仰されておりますので非常に強いパワースポットには違いないのかもしれませんね。

京都に行けなくとも群馬県みどり市にも分霊社としてありますので是非行ってみると良いかもしれませんね☆
続きまして、日にち改めて訪れたのはこちら。

高台からの景色も素晴らしい群馬県富岡市一之宮貫前神社です♪
一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)は、式内社(名神大社)、上野国一宮。
旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社になります。

大鳥居。

表参道と大鳥居。
大鳥居までは表参道の石段を上がる。

総門(惣門)。
大鳥居と総門は同じ高さにある。

唐銅製燈籠(市指定重文)。

楼門。
総門から先、楼門・社殿へは石段を下りる。
非常に珍しい下り宮になります。
大鳥居まで上り、楼門・社殿まで下る造りになっています。

一ノ宮貫前神社に祀られている神様はその川に現れたという伝説があります。
つまりこの谷に現れた神様を祀るため、そしてこの土地の特殊性がこの珍しい下り宮の誕生につながったと言えます。
(ホームページ、Wikipedia抜粋)

社伝によるとは鷺宮(さぎのみや:現在の安中市)に物部姓磯部氏が、氏神である経津主神を祀り、その鷺宮の南方、蓬ヶ丘綾女谷(よもぎがおか・あやめがたに:当地の古い呼称)に社を定めたのが安閑天皇の元年(531年)と云われ、これが創建にあたります。
また、天武天皇の時代に初の奉幣(ほうべい)がありました。
奉幣とは天皇の命により神社に幣帛を奉ることで、当時遠く奈良の都にまで貫前神社の存在が知られていたと云えます。
醍醐天皇の時代に編纂の始まった『延喜式』のなかの『神名帳』にも記載され、上野国一之宮として朝野をとわず崇敬をあつめてきました。
『一之宮とは』
ある地域の中で最も社格の高いとされる神社のことである。
一の宮・一之宮などとも書く。
通常単に「一宮」といった場合は、令制国の一宮を指すことが多い。
一宮の次に社格が高い神社を二宮、さらにその次を三宮のように呼び、更に一部の国では四宮以下が定められていた事例もあります。
通説によると一宮の起源は国司が巡拝する神社の順番にあると言われています。
『延喜式神名帳』のようにまとまった一覧があるわけではなく、多くが習慣的に呼ばれ始めて定着したもので、そのため、各国に複数あったり、「当社こそが一宮」というような論争になる場合もあるそうです。
関東・北関東で言えば
①相模国鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)
②相模国寒川神社(神奈川県寒川町)
③武蔵国小野神社(東京都多摩市)
④武蔵国氷川神社(埼玉県さいたま市)
⑤武蔵国氷川女体神社(埼玉県さいたま市)
⑥安房国安房神社(千葉県館山市)
⑦安房国洲崎神社(千葉県館山市)
⑧上総国玉前神社(千葉県一宮町)
⑨下総国香取神宮(千葉県香取市)
⑩常陸国鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)
⑪下野国二荒山神社(栃木県宇都宮市)
⑫下野国二荒山神社(栃木県日光市)
⑬上野国貫前神社(群馬県富岡市)
などがある。
旧社格は国幣中社。
近代社格でも国幣中社なんで格式がとてもありますね☆
御祭神は「経津主神」(ふつぬしのかみ)と「姫大神(ひめおおかみ)」(養蚕機織の神)で、現在の社殿は3代将軍徳川家光公の命によって建てられました。
(江戸時代初期の漆塗りで極彩色の社殿は国の重要文化財に指定されています。)
経津主神は『日本書紀』などの国譲りの場面で神名がみえる、葦原中国(あしはらのなかつくに:日本の異称)平定に功績があったとされています。

拝殿。

本殿。

神楽殿。

本殿、拝殿、楼門、回廊は、江戸幕府第3代将軍徳川家光による寛永12年(1635年)の造営。元禄11年(1698年)、第5代綱吉による大規模な修理で極彩色の漆が塗られ、現在の華麗な造りとなった。
いずれも国の重要文化財に指定されている。
(Wikipedia抜粋)

摂社:抜鉾若御子神社
抜鉾若御子神社(ぬきほこわかみこじんじゃ)
祭神:本社祭神の御子神

経蔵址。

写真ではわかりにくいが本殿の雷神小窓や拝殿の彩色はとてもあざやかでキレイです。

末社:月読神社。

齋館。

末社:日枝神社
伊勢神宮内宮・外宮。

スダジイ。
樹齢推定1000年。富岡市指定天然記念物。

銀杏。
富岡の名木10選の1つ。

貫前神社は、日向國鵜戸神宮、及び、肥後國草部吉見神社と共に、参拝の為に石段を昇らず降る事で稀有の存在とされ、日本3大降り神社として有名である。
眺めがよくとてもキレイでした☆

御朱印です。
以上群馬県の貴船神社と一之宮貫前神社でした。
まだ8月中旬で暑い中でしたが、とても天気がよく素晴らしい神社巡りになりました(笑)
それでは☆
次回は群馬県寺院編です♪