
東日本大震災による災害で被災された皆様には心よりお悔やみ、お見舞い申し上げます。
毎年、この時期には被災地に赴き、何が出来るわけでもないですが、状況を把握したり地元の美味しいものを食べたりするようにしています。
過去には、千葉県旭市、福島県いわき市、茨城県北茨城市などを訪れていますが、コロナ禍による行動制限や、私自身なかなか休みがないのと埼玉県在住の為、遠くまで行けないのが現状です。
そんな中、今回は福島県の富岡町、楢葉町、広野町あたりを車で訪れて来ました。
東日本大震災による災害、津波被害は千葉県沿岸部から茨城県、福島県、宮城県、岩手県にかけて広がりましたが特に福島県の浪江町以北は甚大な被害を受けました。

本来、もう少し東北の方まで足を運びたいのですが福島県の富岡町まで下道5時間かかりましたのでこの先は次回以降予定したいと思います。
そして今回は、福島県の双葉郡富岡町の当時の実態を見てきました。

福島県の沿岸部は津波の被害だけではなく原発事故による避難区域でもありました。
その中でも富岡町は福島第一原発と福島第二原発に挟まれた町であります。
そして今回は東京電力の原発廃炉資料館に足を運びました。

場所はこちら。
見学は、コロナ禍により予約制らしいのですが飛び込みで見学出来ました。

こちらが富岡町にある東京電力廃炉資料館。

内部は原発のしくみ、福島第一原発の事故原因、汚染水処理施設及び処理方法、原発事故発生から今日までの除染及び作業状況、作業環境、福島第一原発の廃炉に向けての取り組み等が主な内容になっております。

見学内容は東京電力の係員による見学というよりは住民説明会に近いもので最初は、東京電力によるお詫びと反省の映像から始まりました。
原発事故後の今も続く除染作業は東京電力及び警察、消防、自衛隊、そして様々な方々が命をかけて取り組んだことに敬意を評したいと思います。
私の個人的意見はここでは述べませんが、東京電力が全ての責任をなすりつけられているのはいかがなものかと。
13時の見学会でも30人前後、さらに15時からのも大勢の人が来ていました。
車のナンバーを見る限りおそらくそのほとんどは地元の方々でしょう。
その中には罵声を浴びせる方もいらっしゃいました。
東京電力には責任がある。
しかし、ライフラインというものは国の政策、指針、つまりは政治が深く関わっています。
しかし、この廃炉資料館においても東京電力の係員は説明に負われている印象でなんとも府に落ちないというか違和感いっぱいの見学会でした。
いずれにしろ福島県ではいまだ2万人以上もの方々が生まれ故郷には戻れないでいるのも現実です。
1日でも早い復興を心より願っています。
そしてこちらを後にし、次は富岡町の「とみおかアーカイブ・ミュージアム」に向かいました。

こちらでは、富岡町の歴史やその特徴、震災と原子力災害を後生に伝えている施設です。

施設1階では震災と原発事故のDVD映像や災害への備え等の展示があります。

これにより、原発事故による居住制限区域がわかります。

富岡町も津波で流されました。

富岡駅模型。

針を止めた時計。

震災による津波被害で甚大な被害を受けた一部です。

奥は写真ですが、手前の改札口は実際のものです。
歪んでいるのがわかります。

避難所の名簿や張り紙が生々しいです。

地域振興の中心的存在の原発が事故により一変した。

津波により町は流されてしまいました。

これは、被災した警察車輌です。
このパトカーには、津波から住民を守ろうと最後まで避難を呼びかけた2人の警察官が乗っていて殉職しました。

そして原発事故により町外避難へ。

当時の災害対策本部の再現です。

そして全町避難。

住民のメモや当時の新聞。

当時の防護服。

実際の横断幕。

当然、動物達も被災した。

小学生の被災手記。
これは泣いちゃいそうです。

当時の避難指示等も残っています。

原発周辺図。

災害対策本部の再現。
かなりの展示数です。
当時の緊迫した様子や、被災者の方々の苦労が手にとるようにわかります。

震災による資料を保全し、震災遺産として保管、展示することでより多く知ることが出来ます。

私の住む埼玉県の近くの町、杉戸町とは友好都市として交流が続いているそうです。
この度、富岡町に来てまたいろいろなことを知りました。
こちらは震災のことだけではなく、富岡町の成り立ち・自然地形などから年表方式で展示されています。
つまりは故郷の歴史があります。
人々が何千年も積み重ね暮らしてきた歴史があり、その積み重ねがあって震災直前の暮らしがあったわけで、その暮らしが震災後一変してしまった今現在。
しかし、この事実もさらに復興と共に過去の歴史となるよう未来へ残す過程として設立された施設なんだな。と思いました。
2011年(平成23年)に発生した福島第一原子力発電所事故の影響で、北東部(町面積の約12 %)は現在においても帰還困難区域に指定され、立ち入りが制限されている。
ただし、特定復興再生拠点区域への指定により、同区域内では除染やインフラ整備が進められている。
2017年(平成29年)4月1日より北東部の帰還困難区域を除いて避難指示が解除され、それに先駆けて同年3月6日より本庁舎にて町役場の業務の一部を再開した。
(Wikipedia抜粋)
震災前の富岡町の人口は約16,000人。
しかし、現在(2022/02/24)はその1割強となる1,800人がここで暮らしている。
これがどうゆうことか誰もが想像つきます。
富岡町だけでこの状況ですから福島の復興にはまだまだ時間がかかるということです。
それは宮城県、岩手県等も同じで。
同じ日本人でも未だに大変な思いで生活している人々がいるということを自覚しなければいけないと思います。
さらには福島第一原発の廃炉にはこれから30~40年以上の歳月がかかるそうです。
今回またいろいろなことを考えさせられました。
改めて、東日本大震災により被災された皆様、ならびにそのご家族の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
皆様の安全と被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
被災された皆様の生活が1日も早く平穏に復することをお祈り申し上げます。
さて、時間もだいぶ経ちお昼ごはんとも思ったのですがほとんどのお店が閉まってしまいましたので福島県いわき市に入り道の駅よつくらにてご飯頂きました。

海鮮丼美味しかったですよ☆
キレイな景色とともに1日でも早い復興をお祈り致します。
連日盛り上がっているWBC。
3戦目の佐々木朗希選手の好投、ホントに素晴らしかったです。
それがまさに3.11。
佐々木朗希選手は故郷、岩手県陸前高田市で9歳の時被災し、父と祖父母を震災で亡くしております。
安っぽい言葉では書けないいろんな想いや苦労や努力をたくさんしてきていると思います。
ホントに素晴らしかったです。
お疲れ様でした。
これからも益々のご活躍祈っております☆
日本は災害大国です。
地震、津波に限らず豪雨、水害等自然災害にて被災されました方々へ心よりお悔やみ、お見舞いを申し上げますと共に1日も早い復興、益々のご発展をお祈り申し上げます。
ちなみに今回は往復620キロの走行距離になりました。
また、どこかに行かせて頂きます。
それでは失礼致します!